65、22日分のキスだって言っただろ?
フッと意識が戻って天井を見上げたら、見知らぬ場所だったから一瞬ドキッとした。慌てて横を見たら、左手で枕に頬杖をつきながら見下ろしている柔らかい笑顔があって、すぐにここがたっくんの部屋だったと思い出す。
「……起きてたの?」
「ん……俺もちょっと前に起きたとこ。なんだかそのまま寝るのが勿体なくてさ、小夏の顔をずっと見てた」
ーーずっと……? って……
『やだっ、私イビキかいてた?」
「大丈夫。小夏は基本的に寝相いいよな。大抵ミイラみたく固まってる」
「大抵って……そんなに見てたのっ?!」
思わずガバッと半身を起こす。
「うん、初めての時からいつも見てる。俺、小夏の寝顔を見るの好きなんだ。心を許してもらってるって感じがして」
「うっそ〜!それ絶対にダメだってば〜。ヨダレ垂らしてなかった?寝言とか大丈夫?」
たっくんは空いている右手で私の頬に触れながら、ククッと笑った。
「大丈夫だって言ってんじゃん。だけど、小夏のだったらイビキも寝言も俺は全然大丈夫だぜ。むしろ寝言で『たっくん大好き』とか言われて悶絶したい。言ってよ」
「私が大丈夫じゃないし、そんな寝言は言わないから!もう、朝からふざけて……って、今何時?」
そう言いながら窓の方を見たけれど、カーテンの向こう側はまだ真っ暗だ。隙間からも光が漏れて来ないところを見ると、今はまだ夜明け前なんだろう。
「今の時間は……ちょっと待ってろよ」
たっくんが枕元からスマホを手に取って起動させると、周囲がぼうっと明るくなって、眩しさに一瞬目を細める。
「午前4時21分。昨日は疲れただろ?もう少し寝てていいよ」
「だったらたっくんだって……」
昨夜はあれからそのままベッドで抱き合って、たっくんは宣言通り、甘く丁寧にじっくりと時間をかけて愛してくれた。
波のように何度も訪れる快感は徐々に苦しいくらいになって、最後の方には息も絶え絶えで『もう駄目』だと懇願していた。
それでもたっくんの手は止まることなく、決して無理矢理ではないけれど、強引に執拗に全身を蕩けさせられて……何度目かの後でそのまま疲れ果てて寝てしまったらしい。
「私も寝るのが勿体ない」
そう言ってたっくんの胸に顔を埋めたら、懐かしい匂いがしてとても安心した。
大きな手のひらが髪を撫でて来たと思ったら、次に頭の上からキスが落とされた。キスが離れた後は、また手のひらがゆっくりと髪を滑る。
「ずっとこうしてたいな……」
思わずポツリと溢してしまってから、『しまった』と思った。
今日はそういう愚痴めいたことを言うまいと思っていたのに……。
「ごめんなさい……」
更に強く顔を押し付けて小さな声で呟くと、たっくんの手がピタリと止まった。
「なんでお前が謝るんだよ……謝るのは俺の方だろ?」
「でも……」
不意にたっくんが考える表情になって、次の瞬間には布団をバッと捲り上げていた。
「キャッ!」
全身がいきなり外気に触れて、思わず身体を丸めたけれど、隠すものが何もない状態は心許ない。そのまま両手で胸元を隠し、胎児のように膝を寄せて固まった。
「22日……」
「えっ?」
「22日間……この前会ってから昨日まで……俺とお前が離れてた日数」
ーーああ……。
体勢はそのままで顔だけチラッと上げたら、たっくんが「キス出来なかった22日分、印をつけといたから」とこちらを指さしている。
ーーえっ?
「うなじ、鎖骨、両胸、肩……あとは、ココとココ、こっち側も……」
その指の先を視線で追うと、どう見ても私の身体に行き着いて……
「ああっ!」
改めて自分の身体を見てみれば、全身至る所に赤紫の小さな痣。
「嘘っ、こんなに沢山?!」
昨夜、身体中にキスされたのは覚えているし、途中でチクッと痛みが走ったから、キスマークを付けているんだろうとは思っていた。だけどこんなに沢山だとは……。
「だから22日分のキスだって言っただろ?全身に満遍なく22個。他の奴には見せんなよ。特に胸のやつと太腿のつけ根のやつ」
「そっ、そんなの見せるわけ無いでしょ!」
「それが消えても……他の奴には付けさせんなよ。新しく付けていいのは俺だけだから」
「……うん」
そうだった……。
この花びらのような痣が全部薄くなって消えてしまっても、来年まで新たな痣が付くことは無いんだ……。
3週間前の再会後から私たちは頻繁に連絡を取り合っているけれど、その時に2人で決めた事がある。
『私が大学に合格するまでは会わない』
これはどちらともなく言い出して、お互いに納得の上で決めたこと。
たっくんが私の将来を考えて黙って姿を消したのに、それを無理やり追いかけて行ったのは私だ。
もしも私が大学受験に失敗すれば、たっくんは『やはり離れるべきだった』と自分を責めるだろう。私だって恋愛にうつつを抜かして受験に失敗したなんて周囲に思われたくはないし、自分のせいでたっくんの評価を下げたくもない。
『俺は未来の姑に嫌われたくないんだよ。会いたいのを気合で我慢するからさ、お前も受験に集中して頑張れよ』
そこまで言われたら、頑張らないわけには行かない。
だから今回の1泊2日の短い逢瀬が、私達が直接会える今年最後の時間という事になる……。
たっくんが上半身を起こして、漸くバサッと布団を掛けてくれた。
私もたっくんの隣に並んでヘッドボードに背中を預け、布団を胸元まで引っ張り上げる。
「寂しくないと言ったら嘘になるけど……私たちは頑張れるよね」
「ああ、もう覚悟を決めた。お前を絶対に誰にも渡さない。お前が逃げたって追い掛けて抱き締める」
「ふふっ……逃げたりなんかしないのに」
「不思議だよな……俺たちは6年間も離れてたんだぜ。しかもお互いの消息も知らないままで。それに比べたら今更22日間くらいって思うのに、この3週間が、長くて長くて……」
「うん、私も同じ」
「会えば満足できるのかなって思ったけど……会えば抱きたくなるし、抱いたらもっと抱きたくなるんだ。もっと何度でも、もっと奥深くで小夏を感じたいし、小夏にも俺を刻み付けたいって思うんだ……」
たっくんは、「血に飢えたドラキュラってこんな気持ちなのかな」と、私の首筋に軽く歯を立ててみせる。
「たった3週間でこんなに飢えてんのに……これから1年近くも会えないで、俺、どうなっちゃうんだろうな……」
ーーどうかなっちゃうのは私の方だよ……たっくん、やっぱり会えなくなるのは寂しいよ。
だけどそれは口に出せないから、唇をキュッと固く結んで、たっくんの肩にコテンとおでこを乗せた。
そのまま両手ですっぽり抱き締められて、ゆっくりと2人でベッドに倒れ込む。
「小夏……やっぱり足りない……もう1回」
返事の代わりにたっくんの背中に腕を回したら、目尻の涙に唇を寄せて、「泣くなよ……」と切なげに呟いた。
身体に咲いた赤紫の花びらは数えきれないくらいになって、1年分の『愛してる』を私にくれた。