55、俺に聞きたいことがあるんだろう?
「それから……お祖母さんの入院してる病院に行ったんだけど、伯父さんは泣き顔を見せたくないからって車の中で待ってて……。 俺1人で病室に行ったら、今度はお祖母さんにも号泣されて、手を握りしめて何度も謝られて……」
「それは……穂華さんのことをたっくんに内緒にしてたから?」
「違う。伯父さん達にバレて俺に迷惑を掛けることになったからって。家族には絶対に内緒にしておくようにって、母さんに念を押されていたらしい」
ーー穂華さんはそこまで徹底して、たっくんに迷惑をかけまいと……。
アルツハイマーは、薬で多少は症状を抑えられても、元の状態に戻すことは出来ないのだという。
今日ここで実際のやり取りを見て、穂華さんの症状が明らかに進行しているのが見て取れた。
彼女は自分がこうなる事を予想して……そうなる前に、行動に移したんだ。
『たっくんと会わない』という手段を取ることが……憎まれる事が、母親としてのたっくんへの愛情だったんだ。
掛ける言葉が見つからなくて、自分の膝を見つめて項垂れていたら、「なんで小夏が落ち込んでんだよ……」そう言って、たっくんが私の顔を覗き込んでくる。
「だって……」
「そんな泣きそうな顔をすんなよ。俺さ……今の自分をそんなに悲観してないんだぜ」
「……本当に?」
ーーお願いだから、せめて私の前だけでは痩せ我慢をしないで……。
そう言おうとしたのが気配で分かったのか、たっくんは私が話すより先に、次の言葉を口にした。
「本当だよ。もうここまで来たら、小夏の前でカッコつけようとか、弱音を吐きたくないとか、そんなこと考えないよ」
絡めた指をそのまま自分の口元に運び、私の人差し指に口づけてきた。
しばらくそのまま指の関節に唇を押し当てていたけれど、チュッと短い音をさせて漸く離すと、唇の端をニッと上げて目を細めてみせる。
「そりゃあさ、最初はショックだったよ。落ち込まなかったと言ったら嘘になる。今だって正直メンドクサイなって思うことはあるよ。でもさ……」
『嬉しかったんだ』。たっくんは顔をクシャッと歪ませて、震える声でそう言った。
「俺は母親に捨てられたと思ってたし、もう2度と会うことも無いと思ってた。あんな人だったから、もしかしたら何処かで野垂れ死んでるかも……って考えたことだってあったんだ。そう思っていたくせに……母さんが生きてるって聞いたとき、『良かった』って……『そうか、死んでなかったんだ』……って……ホッとしたんだ」
たっくんの声が、徐々に途切れ途切れになっていく。繋いでいた手を解いたと思ったら、目元をグッと押さえ、脚に両肘をついて俯いた。
ーーたっくん……。
「たっくん……泣いてもいいんだよ。カッコつけないって言ったばかりでしょ……泣いちゃいなよ。泣けばいいじゃん」
両手でたっくんの頭を抱き抱えたら、「フッ……お前の方が先に泣いてんじゃん」と胸元でくぐもった声が聞こえて、背中に腕が回された。
「俺は……捨てられたんじゃなかった……」
「……うん」
「ちゃんと……愛されてたんだ……」
「うん……たっくんは愛されてた」
「俺は……今だって……母さんの息子だ……」
「うん……うん……」
たとえ彼女の記憶からその存在が消えてしまったとしても……たっくんは穂華さんの息子。
それは私たちが覚えていればいい。
ーーそう、彼らは永遠に親子なんだ……。
穂華さんはたっくんの幸せを願い、お祖母さんは穂華さんの気持ちを汲み取り、たっくんの為を想って秘密を守ってきた。
伯父さんは月島の家がとても大事で、だからこそ穂華さんの行為が許せなかった。それでもやはり妹を心配し、嘆き悲しんでいる。
たっくんはそんな彼らの姿を見て、ここに留まる事を選んだんだろう。
みんな誰かを想い、誰かのために必死になっている……どんな形であれ、ちゃんと家族なんだ。
たっくんの肩が激しく上下し始め、「ふっ……ううっ……」と声が漏れてくる。
布越しに伝わる熱を感じながら、いつしか私も肩を震わせ、嗚咽を漏らしていた。
***
窓を開け放つと、途端に明るい日差しと潮の香りが入り込んで来る。
一緒に顔を突き出して外を眺めたら、浅瀬に引き上げられている何艘かの漁船と、寄せては返す穏やかな波が見えた。
「もう3時過ぎか……流石に戻らなきゃマズいよな。早苗さんも疲れただろうし……」
「でも、お母さんは何かあったら電話するからって言ってたし……もう少し話してちゃ駄目?」
ーーそれにまだ、私には言いたいことや聞きたいことがある。
たっくんはしばらく黙って私の顔を見つめてから、今開けたばかりの窓をパタンと閉め、窓枠にもたれ掛かって腕を組んだ。
「……分かった。俺に聞きたいことがあるんだろ? 何でも聞いて。隠さずに答えるよ」