1、 名前、 なんて〜の?
私がその街に引っ越してきたのは5歳の時で、 ジージーとアブラセミの鳴き声がうるさい、 うだるように暑い夏の日だった。
大粒の汗をかきながら大きな荷物を抱えていく男の人たちと、 部屋の中でキビキビと指示を出している母親。
小さかった私に出来ることは何一つ無く、 トラックから古びたアパートに次々と運び込まれていく荷物を、 錆びついた外階段に座ってぼんやり眺めていたのを覚えている。
母親はその日のうちに役場に行っていろいろな手続きを済ませると、 翌日にはアパートから一番近い保育園に私を連れて行った。
その日は『お試し保育』というやつだったらしいけど、 落ち着いている私の様子を見て大丈夫だと判断したのだろう。
母親は園長先生と担任の先生に挨拶を済ませると、 私1人を置いてとっとと帰って行った。
多分そのまま仕事に行ったのだと思う。
年長さん担当の楓先生が体を屈めて私と目線を同じにすると、 ニコッと微笑みかけてきた。
「今みんなは園庭で遊んでるから、 一緒に行ってみようか」
そのほんわかした笑顔を見た瞬間、 なんだかとても安心して、 差し出された左手を躊躇なく掴んでいた。
楓先生に手を引かれて外に出ると、 沢山の子供達が砂場や遊具で遊んでいて、 先生がその中の女の子3人組に声をかけた。
「真帆ちゃん、 美来ちゃん、 音羽ちゃん、 この子、 小夏ちゃんって言うの。 一緒に遊んでくれる? 」
「うん、 いいよ。 小夏ちゃん、 遊ぼ! 」
3人組の中で一番かわいくて一番かわいい靴を履いていた真帆ちゃんが私の手を引くと、 園庭の隅にある小さな小屋の方に歩いて行く。
「この子たちね、 みんなで飼ってるの」
真帆ちゃんに言われて小屋の中を覗くと、 そこにいたのは3匹のうさぎ。
「わあ〜、 かわいい。 ふわふわ! 」
「そうでしょ。 この子がミルク、 あの子がココア、 あ
っちの子はチョコ」
真っ白な子がミルクで、 薄茶色の子がココア、 黒くて首の周りとお腹だけ白い子がチョコ。
分かりやすいネーミングの3匹をジッと見つめていたら、 他の子たちは見飽きているのかすぐに立ち上がって、 今度は遊具の方に行こうと言い出した。
「ねえ、 ジャングルジムに行こっ! 」
「うん。 小夏ちゃん、 ジャングルジムに登ろっ! 」
「…… 私はまだここにいる」
私がうさぎ小屋の前でしゃがんだまま首を横に振ると、 彼女たちは特に気にする様子もなく、 遊具の方へと勢いよく駆けて行った。
「ふふっ…… かわいい」
小屋からはみ出していた干し草を網の隙間からそっと差し入れると、 ミルクが警戒しながらゆっくり寄ってきて、 干し草の先からモグモグと口に頬張り始める。
「ミルクちゃん、 もっとお食べ」
次々と干し草をつまんでは網から差し入れていたら、 コツンとお尻に何かが当たって振り向いた。
足元に転がっていたのはサッカーボール。
私がそれを両手で持って立ち上がると、 向こうから男の子が掛けてきた。
「あっ、 ごめんな」
ボールを取りに来たその子を見て、 私はハッと息を呑んだ。
ーー えっ?!
真っ先に気付いたのは、 彼のその容姿。
色素の薄い肌に、 紅を塗ったように赤い唇。 栗色の髪は光を反射した部分だけが金色に輝いている。
ーーあっ、 青い!
次に目に飛び込んできたのは、 晴天の青空のように澄んだブルーの瞳。
くっきりとした二重まぶたに長いまつ毛。
その下にある大きな瞳は、 キラキラと輝く青いガラス玉のようで……。
「キレイ…… ビー玉みたい」
「えっ、 ビー玉? 」
「えっ、 日本語? 」
2人同時に素っ頓狂な声を発して、 同時に黙り込む。
てっきり外人さんかと思っていたら、彼の口から溢れてきたのが流暢な日本語でビックリした。
「いいな…… 綺麗な青い目、 欲しいな…… 」
ぼ〜っと見惚れていたら、 手元に視線を感じて、 ボールを持ったままだったことを思い出す。
「あっ、 はい、 これ」
「ありがとう」
彼はサッカーボールを受け取ると、 待っている仲間の方へ足を向けた……が、 すぐに立ち止まって振り返った。
「ねえ、 名前、 なんて〜の? 」
「…… 小夏、 折原小夏」
「ふ〜ん、 俺は月島拓巳」
その子はそれだけ言うと、 園庭の真ん中へと駆けて行った。
ーー ツキシマタクミ…… たっくんだ。
それが、 私とたっくんとの初めての出会いだった。
『幼馴染編』スタートです。
基本的にヒロイン小夏の回想になります。