48、失踪の真相
穂華さんから呼び出されて月島家の離れを訪れた母が、本人から病名を告げられたのは、3年3ヶ月前の12月。
あの頃私には、『横須賀の営業所時代からのお客様に会いに行く』と言って1泊2日で出掛けて行ったけれど、あながちそれは嘘では無かった。穂華さんは10年以上も前から母を担当者として保険に入っていたのだから。
「早苗さん、私、病気になっちゃった。アルツハイマーだって」
あまりにもあっけらかんと告げるものだから、母は最初、それをタチの悪い冗談だと思ったそうだ。
「穂華さん、久しぶりに会えたと思ったら……冗談にも程があるわよ。やっぱり御実家に帰ってたのね。拓巳くんは元気にしてる?」
「拓巳は、再婚相手の家に置いてきたの」
「えっ?」
母は穂華さんが再婚したことも、たっくんが一緒にいないことも知らなかったから勿論驚いて、どういう事なのかと問い詰めた。
そこで初めて、穂華さんの病気が嘘ではないという事、彼女が再婚して名古屋に住んでいた事、そしてたっくんが、今はその家にいるという事を知ったのだった。
「穂華さんね、拓巳くんには絶対に迷惑をかけたくないって、あの子には今度こそ幸せになって欲しいから……って、何度も言ってたわ」
「穂華さんが? 嘘でしょ?!」
だって、穂華さんはいつだって自分勝手で我が儘で……彼女が消えたせいで、たっくんは和倉の家で朝美さんと……。
ーーなのにそれが、たっくんのためだったって言うの?
私の表情から、納得できていないのが読み取れたんだろう。母は少し困ったような表情をして、噛んで含めるようにゆっくり語りかけてきた。
「穂華さんね、拓巳くんのために再婚したんだって」
「……えっ、違うよ!穂華さんは仲居の仕事がキツくて辞めたくて、和倉さんがお金持ちだったから……」
「そう……彼女、拓巳くんにはそんな風に言ってたのね」
ーーえっ?
「穂華さんが旅館で働いてた時、女将さんが拓巳くんにも仕事をさせてたんですってね。穂華さんが、『ホスト紛いのことをさせられてた』って悔しがってた」
『あの厚化粧の女将が、拓巳にコンタクトを外せって言ったり、女性客の接待をさせたり……あの子はまだ中学生なのに、冗談じゃないわよ』
客相手に媚を売るのは自分だけでいい。あの子には苦労を掛けっぱなしだったから、今度こそ普通の生活をさせてあげたくて……そう結婚の理由を語ったのだと言う。
「和倉家に拓巳くんだけを残してきたのもね……あそこにいた方が彼は幸せになれるからって」
『ねえ早苗さん、十蔵さんはね、本当にいい人なのよ。馬鹿みたいにお人好しで、優しい人なの。私はあの人を愛してはいなかったけれど、とても好きだったわ。彼ならきっと、拓巳を大切にしてくれる。あの家にいれば何の不自由もないし、大学にも行かせてもらえるの。拓巳は勉強もできるし、きっと立派な大人になるわ。私みたいなボケた母親なんかとは一緒にいない方がいいのよ』
「……それで穂華さんは、1人で施設に入る事を決めたの。和倉家を出てすぐにこのホテルに泊まって、前から見当をつけていた、ここからすぐ近くの施設に入所手続きをしに行った。そこが……今から私たちが向かう場所」
「穂華さんが……このホテルに泊まってたの?それで、今は施設に?」
母は「そう」とゆっくり頷いた。
母は書類手続きのために何度か穂華さんやお祖母様の元に出向き、穂華さんが施設に入所してからも、2度ほど会いに行ったそうだ。
「だけど私も名古屋での仕事があるし、用事が無いと、そうそう横須賀までは行けなくてね……」
だから足は遠のいてしまったけれど、メールのやり取りは続けていたと言う。
「それも、穂華さんの症状が進むにつれて出来なくなって……」
それからメールの相手はお祖母様に変わった。
高校でたっくんが私と再会したと知り、母はその事をお祖母様に伝えた。
穂華さんはその頃になるとかなり症状が進んでいて、現在と過去の記憶を行ったり来たりしているような状態だったけれど、お祖母様から母の話を伝えられると、『良かった、あの子は幸せなのね』と菩薩のような微笑みを浮かべたそうだ。
私もたっくんも、穂華さんがいなくなった和倉家で何が起こったかを話していなかったから、母は今も、たっくんがアパートに住むようになったのは通学の便の都合だと思っている。
家賃や生活費を十蔵さんが負担してくれていると聞けば、その関係が概ね良好だと思い込むのが普通だろう。
『拓巳くん、あなたは今、幸せなの?』
母がたっくんに繰り返し投げかけてきたあの質問は……今はもう夢の世界にいる穂華さんに贈るためのものだったんだ……。
『穂華さん、拓巳くんは幸せですよ』……って。