43、母と穂華さん
昨夜は夢も見ることなく熟睡した。ここ最近でこんなにぐっすり眠れたのは久し振りだ。
そのためか、今朝の寝覚めはすこぶる良く、心なしか身体も軽くなったような気がする。
昨日買っておいたコンビニのおにぎりをパクつきながら、10時のチェックアウトまでにお母さんが到着しなかったらどうしよう……なんて考えていたら、午前9時ちょっと過ぎにはもう部屋のドアがノックされたから、本当に始発で来たのだとビックリした。
「チェックアウトまでもう少し時間があるけれど……ここで話す?何処かに移動する?」
開口一番に聞かれてちょっと考えた後、私は「ここで」と答えた。移動する時間が勿体ないし、個室の方が遠慮無く話が出来ると思ったからだ。
すると母は、ベージュ色のトレンチコートを脱いでハンガーに掛け、ベッドにギシッと腰掛けた。
椅子に座っていた私は、慌てて母の方に向き直る。
「そうね……まずは、小夏が何処まで知っていて、どうしてあの病院まで辿り着いたのかを教えてくれる? それによって、何処から話すかが変わって来るから」
「何も。……ただ、たっくんの様子がおかしくなったのが叔父さんから電話があってからだったから……横須賀に行けば何かが分かるんじゃないかって思ったの」
『月島建設』に行こうとタクシーに乗ったら偶然にも運転手さんが月島家を知っていて、月島家に行ったらたっくんの従兄弟の幸夫くんに会ったこと。
幸夫くんが荷物の片付けに来ていたたっくんと離れで会ったこと。幸夫くんの御両親が穂華さんの名前を出して、『保険』の事を話していたと聞いて、お母さんも関わっているんじゃないかと思った……
と言う事を順に話していった。
「そう……あなたは運がいいのか悪いのか……」
母はフッと苦笑して脚の上で指を組むと、何かを思い出すように目線を上にして、それから真っ直ぐに私を見つめた。
「それじゃあ、保険のことから話しましょうか。それが無かったら、私もここまで関わる事は無かったと思うから……」
***
母の話は、今から10年以上も前、私とたっくんが小学校に入学した直後に遡る。
「ねえ早苗さん、生命保険って、やっぱり入っておいた方がいいものなの?」
私たちのアパートで、母親同士お茶を飲んでお喋りしていた時、クッキーを片手に穂華さんがそう切り出してきた。
「そうね、人生何が起こるか分からないから、『もしも』のために入っておくのはいいと思うわよ」
「だけど、『もしも』が無かったら損じゃない?だったら貯金の方がいいような気がするけど」
「『貯蓄型』と『掛け捨て』があるから、人生設計に合わせて好きな方を選べるわよ。……なに?穂華さん、興味があるの?」
「ほら、私ってこんなだし、いい加減じゃない?いつかポックリ逝っちゃった時に、拓巳が1人で困らないように、そういうのも考えた方がいいのかな……なんて思っちゃって」
そこで母が簡単に生命保険の種類や仕組みを説明してみせると、
「う〜ん……良く分からないから、早苗さんがいいと思うので話を進めてよ」
「大事な事なんだから、慎重に考えなきゃダメよ」
「いいのよ。早苗さんはプロなんだし、信頼して任せるわ」
穂華さんはそう言って、口に入ったクッキーを紅茶で喉に流し込んだ。
「私は馬鹿だから、 すぐにしょうもない男にお金を注ぎ込んじゃうでしょ? 貯金するよりこっちの方が確実に拓巳にお金を残してあげられるわ」
そして最後にフンワリと微笑みながら、こう言ったのだという。
「私が死んでから拓巳が困らないように、 思いっきりいいのにしてちょうだい」
***
「それで私が死亡保証や三大疾患、生活習慣病の保証に手厚い保険を勧めて、彼女が加入したの。それがかれこれもう11年も前のことよ」
ここに来るまでの道中で、母なりにどう話そうか整理をして来たのだろう。
言い澱むことなくスラスラと語られた内容は、私でもすぐに理解出来た。
「それで、叔父さんから保険のことでお母さんに連絡が来て、穂華さんに何が起こったのか知ったってこと?」
「違うわ」
「えっ?」
首を横に振った母を訝しげに見ていたら、次にその口から溢れてきたのは、予想していなかった言葉だった。
「穂華さんね……和倉家を出た後で、私に会いに来たの」
「えっ?!」
穂華さんが、お母さんに会いに行っていた……?
驚いて口をポカンと開けたままの私に構わず、母は静かに話を続けた。