34、たまには俺のことを思い出して。
火曜日は熱もないのに学校を休んだ。
母は月曜日から元気も食欲も無い私を見て何かを悟ったのか、『体調が悪いようなので今日は休ませます』と学校に電話を入れ、『ちゃんと食べなさいよ』とだけ言い残して仕事に出掛けて行った。
ベッドの上で天井を見上げながら、昨日の出来事を思い返してみる。
『拓巳に……荷物を運び出したら連絡を入れることになっている』
そう言ってリュウさんからスマホを差し出された私は、それを両手で受け取ると、ジッと通話口を見つめた。
『もしもし、リュウさん?』
数回の呼び出し音の後でスピーカーから漏れてきたのは、何度も聞いたことのある大好きな声。
ーーたっくん!
ほんの3日前に聞いたばかりなのに、既に懐かしい気がする。目にじんわりと涙が滲んできた。
『……リュウさん?』
震える手でスマホを握りしめたまま顔を上げたら、リュウさんが目で「うん」と頷いた。
私も黙って頷いて、送話口を顔に近づける。
「たっくん」
その瞬間、スマホの向こう側でたっくんが息を呑む音が聞こえたような気がした。
何分もの長さにも感じる数秒の沈黙があって、もしかしたらこのまま電話を切られてしまうのでは……と思った時に、再び声が聞こえてきた。
『……小夏か』
「うん……たっくん、小夏だよ」
ーーダメだ、泣いちゃダメだ。
今泣き出したらきっと止まらなくなる。たっくんと話ができなくなる。
そう思って、大きく深呼吸して息を整えた。
『どうして……学校は?』
「気分が…悪くなって……早退し……それで……アパートで……」
言いたいこと、聞きたいことが沢山あるのに、息が詰まって上手く言葉が出てこない。
『……リュウさんに会っちゃったのか…失敗したな。 早退って……俺のせいだよな』
ーー違う!私が話したいのはそんな事じゃないの!今はどこにいるの?何してるの?
だけどそれは言葉にならなくて、全部の気持ちをひっくるめて口から出てきたのは、たった一言。
「たっくん……大好きだよ」
『……小夏っ』
たっくんが絶句して、そのまま沈黙が訪れた。
だけど通話が途切れていないのは、耳元で聞こえる不規則な息遣いで分かる。
私が必死で涙を堪えているように、たっくんもどうにか呼吸を整えようとしているんだと思った。
ーー良かった……少なくとも私のことを嫌いで離れたわけじゃないんだ……。
だけどそんな安堵も束の間、次にたっくんの口から発せられたのは、残酷な最後通牒。
『小夏……約束を守れなくて、ゴメンな。せっかく会えたのに、離れてごめん』
ーーあっ、ダメだ!
「たっくん嫌だ!切らないでっ!」
『待っててくれとは言えないけれど……指輪は持っていて欲しい。たまには俺のことを思い出して。 ……本当にゴメンな』
「たっくん、嫌だっ! たっくん!」
だけどプツリと切れた電話は2度と繋がらなくて、何度かけ直しても『プーッ、プーッ』と通話音がするのみだった。
「アイツ、着拒しやがったな」
「チャッキョ?」
「着信拒否だよ。完全に俺たちを切るつもりだな」
「そんな……」
ーーこれで完全にたっくんとの連絡手段が途絶えてしまった。
茫然自失となった私は、リュウさんに脇から支えられて、よたよたとアパートから外に出た。
「こんな状態じゃ自力で帰るのは無理だ。それにそんな事したら、それこそ俺が拓巳に殺されるよ」
電車で帰ると言い張る私を、リュウさんは自分の車で送ると言って鍵を取り出し、助手席で待っていた友達に、後部座席に移るよう指示した。
リュウさんの車に乗ったのは2回目だ。
前の時は朝美さんにカクテルをかけられて、グラスを投げつけられて滅茶苦茶だったのに、気分は最高に良くて、夜の街を車で疾走しながら3人で笑い合って……。
「映画……楽しかったのにな」
16歳の誕生日祝いで、初めてペアシートで映画を見た。
ーーあっ!
そうか……たっくんもあの時を思い出して……。
だから今年の17歳のお祝いも、最後は映画を観に行ったんだ。
こんなにも気持ちは同じだったのに……今は考えていることも距離も遠すぎて、たっくんが見えないよ……。
助手席の窓を開けたら、冬から春に移り変わる生暖かい空気が入り込んできて、頬を流れる涙を吹き飛ばして行った。
「拓巳から連絡があったら小夏ちゃんに知らせるよ。約束する」
車を降りる時にリュウさんがそう言ってくれたけれど……多分たっくんはもう連絡をしてこないだろうと思った。
そして絶望したまま、私は今、自室のベッドで途方に暮れている。