表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たっくんは疑問形  作者: 田沢みん(沙和子)
第1章 幼馴染編
17/237

16、 なに勝手なことしてんの? (1)


『うさぎ脱走事件』が発生したのは、 私が保育園を卒業して5ヶ月近く経った、 8月半ばの夏休み中のことだった。



何者かが鶴ヶ丘保育園のウサギ小屋の鍵を開けて扉を解放したため、 3匹のうち1匹が小屋から脱走した。



日曜日の朝に(えさ)補充(ほじゅう)に行った副園長先生がそのことに気付き、 周囲を探し回ったところ、 園庭の茂みの中でうずくまっているところを発見されたという。


土曜日の閉園時間までは何の異常もなかったので、 事件が起こったのは、 先生たちが帰った土曜日の午後6時半以降から日曜日の朝7時頃までの間ということになる。




私がそのニュースを知ったのは日曜日のお昼過ぎで、 たっくんと2人で母に連れられて商店街を歩いていた時だった。


その日は穂華(ほのか)さんが彼氏とデートとかで、 たっくんは朝から我が家に預けられていた。


ちょうど夏休み中で学校も無いので、 たっくんは我が家で一緒に夕食を食べて、 そのままお泊まりしていく予定になっている。



家でお昼ご飯を食べたあと、 母が私たちを買い物に連れてきたところで、 向こう側から見慣れた顔が歩いて来るのが見えた。



「あら、 副園長先生に(かえで)先生、 今日は2人でお買い物ですか? 」


「あら、 折原(おりはら)さん、 こんにちは。 …… 小夏(こなつ)ちゃんに拓巳(たくみ)くん、 久し振りね。 小学校は楽しい? 」

「うん、 楽しいよ。 宿題はメンドくさいけど」


副園長先生の問いに、 たっくんが元気に答えると、 先生は懐かしい笑顔でうんうんと頷いていたけれど、 隣にいたゆかり先生は暗い表情で、 母に向かって口を開いた。



「実はね、 私たち、 獣医さんのところに行ってきた帰りなんですよ…… 」


ゆかり先生は、 そう言って『うさぎ脱走事件』について語ったあとで、 私の方に悲しげな顔を向けた。



「小夏ちゃんは特にミルクと仲良しだったから心配だろうけど、 ミルクは病院で治してもらってるからね」

「えっ! ミルクは病院にいるの? 」


「ええ、 かなり弱っててエサも食べられないから、 点滴をしてもらってるの」

「点滴? 」


「お注射で栄養を与えてるの。 そうしないと死んじゃうから…… 」

「ミルクは死んじゃうの?! 死なないよね? 」

「それは分からないけど…… 小夏ちゃんも、 ミルクが元気になるよう祈っててね」



私が思わずたっくんの方を見ると、 たっくんも心配そうな顔で私を見ている。


「たっくん、 ミルクが…… どうしよう」

「うん……。 楓先生、 俺たちがミルクに会いに行っちゃダメですか? 」


「えっ、 どうだろう…… 獣医さんに聞いてみないと…… 」



楓先生が困っていると、 副園長先生が、「ちょっと待っててね」と言って、 獣医に電話をかけ始めた。


そして、 電話を切ったあとで私の目線まで腰を(かが)めると、 安心させるように優しく頭を()でてくれた。



「獣医さんがね、 ちょっとだけならいいですよって」

「会いに行ってもいいの?! 」


「ええ。 でも、 ミルクは疲れて寝てるから、 静かにそっと顔を見るだけね」

「はい…… 」



「たっくん、 私、 ミルクに会いに行きたい」

「うん、 俺も」


2人でウンと頷きあって母を見上げると、 母は仕方がないという表情で、「ちょっと覗くだけよ」と言った。



***



左の前脚に点滴を刺されたミルクは、 四角い透明なケースの(すみ)っこの方でジッとうずくまっていた。


ケースの扉のところには点滴の袋がぶら下がっている。



「ミルク…… 」


背中が上がったり下がったりしているので呼吸をしているのはかろうじて分かるけれど、 それは私の知っている、 ワガママで食いしん坊のミルクではなかった。


その痛々しい姿に胸が痛くなり、 (まぶた)の奥がジンと熱くなる。


(つら)くて見ていられないのに、 目を離したら二度と会えないような気がして、 そこから動くことが出来ない。



「小夏、 拓巳くん、 もう行くわよ」


母にそう言われたけれど、 ミルクと離れがたくてジッとケースを見つめていたら、


「小夏…… 俺たちがいたらミルクが休めない。 もう行こう」


そう言ってたっくんに手を引かれ、 フラフラとその部屋から出た。


案内してくれた看護師さんに、「ミルクは元気になりますか? 」と聞いたら、 「それはどうかな…… あの子はもう8歳だから。 人間だと、 もうおばあちゃんの歳なのよ」と言われ、 『大丈夫よ』と言ってもらえるものと思っていた私は、 ショックのあまり大声で泣きだした。



家に帰ってからも私の心は晴れず、 あの狭い箱の中で苦しんでいるミルクと、 そして保育園の小屋に残されたココアとチョコのことを思った。



ミルクはあそこにいた3匹の中でも一番体が大きくて、 みんなのリーダー格だった…… と、 私が勝手に思っていただけなのだけど、 一番元気で騒がしかったミルクがいなくなって、 きっと残りの2匹は寂しがっているだろう。



そう思いを(めぐ)らせていたら、 今度はココアとチョコのことが心配になってきた。


うさぎ小屋の扉には鍵がついていたけれど、 誰でも外側から簡単に開けられるようになっていた。


今度は用心のために南京錠をつけると先生は言ってたけれど、 本当に鍵を付け替えたのだろうか。

また誰かが扉を開けてしまうんじゃないだろうか。



ーー 残りの2匹は大丈夫なんだろうか……。




一度それを考え出したら私の想像はどんどん悪い方へと転がりだし、 それは布団に入ってからも止まらなかった。



母と私とたっくん、 3つの布団が並んだ畳の部屋で天井を見つめながら、 私はいても立ってもいられなくて、 真っ暗な暗闇の中で、 布団をそっと抜け出した。


そして、 ゆっくり玄関へと歩いて行ったところで、 後ろから急に声を掛けられビクッとする。



「お前、 なに勝手なことしてるの? 」


たっくんが立っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ