14、聞こえなかった?
そんなに広くはない店内の、落ち着いた低いザワめきの中で、朝美さんの芝居がかった高いトーンの声は、とても聴き取りやすかった。
「拓巳、久しぶりね……やっと会えた」
「お久しぶりです」
「アメリカン・レモネードを作ってくれる?」
「はい、かしこまりました」
「ステキ……そのベストも、カウンターの立ち姿も、あなたにとても似合ってるわ」
「ありがとうございます」
大丈夫だ、今はまだ、普通の客と店員の会話をしてるだけ。
どうかこのまま、たっくんを傷付けずに帰って!
ーーそう言えば、アメリカン・レモネードのカクテル言葉って何なんだろう……
壁に背中をつけながら、忍者のようにスススとさっきの部屋に戻ると、隅の段ボール箱の上に放り出されている本を手に取る。
『カクテル大辞典』
従業員がカクテルを覚えるために置いてあるんだろう。前回来た時からこの本の存在が気になっていた。
「アメリカン・レモネード……あった!……うわっ」
ーー『忘れられない』……って……。
学校の前で会った時に、たっくんからは別離の言葉を投げつけられていたはずなのに、またこうして笑顔で会いに来る。彼女のたっくんへの執念に、背筋がゾッとした。
本を持ったまま部屋を出て、先程までと同じように壁に背中を預けて身を潜めた。
「ねえ拓巳、家に戻って来ない?父もあなたがいなくなって、すっかり元気が無くなっちゃって……また3人で仲良く暮らしましょうよ」
ーー何を言ってるの?!その家が嫌で必死で逃げてきた人を、また地獄に連れ戻そうと言うの?
本を持つ手がわなわなと震える。
壁のコーナーからちょっとだけ顔を出して見ると、こちらからはカウンターを右後方から覗くような配置になる。
こちらに背を向けているたっくんの右肩と横顔、そして、たっくんの目の前で頬杖をついてご満悦な表情の朝美さんが見えた。
彼女は、カウンターの上でたっくんの手にそっと自分の手を重ねようとしてスッと逃げられて、一瞬だけ険しい顔になったけれど、すぐに表情を戻して言葉を続ける。
「ねえ、あなた……まだあの小夏って子と一緒にいるの? 私はそろそろ別れてる頃だと思って、傷心の拓巳を迎えに来たんだけど」
「……別れませんよ」
たっくんは他の客のカクテルを作りながら、低い声で答えた。
「あんな地味で大して可愛くもない子、拓巳には似合わないわよ。拓巳のレベルを下げるだけ。早く目を覚まして別れなさいよ」
「…………別れないって言ってんだろ……」
朝美さんは、さらに低い声音になったたっくんに一瞬たじろいで、それを取り繕うように言葉を重ねていく。
「ほら、あの子って身体つきも貧相だし、お子様だし、どうせ抱かせてもくれないんでしょ?また私が……」
「朝美、俺、小夏と結ばれたよ」
「えっ?」
「聞こえなかった?俺、小夏と結ばれたんだ」
ーーあっ、言った!
店内で、皆んなが注目してるその中で、たっくんがドカンと爆弾発言を投下した。