2、もう止まらないよ?
白いシャツの胸でひとしきり泣いて、ようやく呼吸が落ち着いた頃、私はゆっくり身体を離してたっくんと向き合った。
「たっくん、全部話してくれてありがとう。嫌がってたのに……無理に言わせちゃってごめんなさい」
「ん……いいんだ。順を追って口に出してくうちに気持ちの整理がついたって言うか……身体の中に溜まってた毒が抜けたみたいに、気持ちが軽くなった」
「本当に?」
「ああ。たぶん俺は、『話すのが嫌』だったんじゃなくて、『誰かに聞いて欲しかった』くせに『話すのが怖かった』だけなんだよ。言葉にしたら過去の自分に引き戻されそうで、小夏が離れて行きそうで……」
「言ったよね?私は絶対に逃げないって」
「うん……聞いた。しっかり耳に刻みつけた」
たっくんの表情が柔らかくなっている。
ーーどうか、目の前のたっくんが過去の暗闇に引き摺り込まれませんように……。
そう祈りながら、両手でたっくんの左腕をしっかり掴んで見上げた。
「うん。今はお前のその言葉を信じられるよ。話を聞いてくれて……俺のために泣いてくれて、ありがとうな」
長い睫毛がパサッと伏せられると、綺麗な顔が角度をつけてそっと近付いてきて……3センチ手前でピタッと止まった。
「キス……してもいい?嫌じゃない?」
「うん……」
安心したように目が細められて、柔らかい唇がほんの一瞬だけ触れた。
そのあっけない程の短いキスが、たっくんの不安や恐れを現しているような気がした。
「たっくん……いいんだよ?」
「えっ?」
「私はたっくんのモノだから、好きにしたっていいんだよ」
「小夏?」
私はソファーの横に投げ出されていた鞄から携帯電話を取り出すと、アドレス帳から清香の名前を選んでボタンを押す。
「あっ、清香?……うん、心配かけてごめんね。もう大丈夫。……うん、あのね、今夜なんだけど、清香の家でテスト勉強してそのまま泊まってくって事にしておいてくれないかな。……うん、そう、今一緒にいるの。……ありがとう、じゃあ」
続いて母親に『清香の家でテスト勉強&お泊まり会してきます』とメールを送る。
電話で直接話したら、きっと声が震えてしまうから。
ヒビが入ったガラステーブルの上にコトリと電話を置いて、ゆっくりとたっくんを振り返る。
私を見つめるその表情は、明らかに困惑し、戸惑っていた。
「小夏……駄目だ。駄目だよ……」
「駄目じゃない」
「もう分かってんだろ?俺は最低な鬼畜野郎なんだよ。誰でも簡単に抱けるんだ」
「それは過去のたっくんだよ。今、私の目の前にいるたっくんは、私だけを想ってくれているたっくんなんでしょ?」
たっくんは私の言葉を聞くと、右手で前髪を乱暴に掻き上げて、顔をグニャッと歪ませた。
今にも泣き出しそうな、苦しげな表情。
「そうだよ……俺にはお前だけなんだよ!一度ヤったら止まらなくなるだろっ? もう手放せなくなるだろっ!」
「だったら手放さなきゃいい!」
「俺は……俺はめちゃくちゃ怖えーよ!夢中になって引き返せなくなってからお前に逃げられたら、俺はもう2度と立ち直れねーよ!」
「私は逃げないって言ってる!」
「嫌だ……お前は綺麗なままでいろよ。小夏にだけは、ずっと綺麗なままでいて欲しいんだよ。男を知って他の女みたいにならないでくれ……。お前は俺の女神で、俺はお前のそばにいる時だけ、 汚れが浄化されて綺麗な頃の俺に戻れるんだ」
「たっくん……たっくんはずっと綺麗だよ」
両手で頭を抱えて項垂れたたっくんを、横から丸ごと抱え込んだ。
ついさっきたっくんがしてくれたように、背中をゆっくりポンポンと叩く。
「たっくんはどんなに辛い目に遭っても、ちゃんと前を向いて自分の足で進んできたんだよ。だから今ここにいるんだよ。運命に負けずに必死に戦ってきたたっくんは、いつだって強くて綺麗だよ」
『う……ううっ……ふ……っ……」
私の腕の中で肩を震わせながら、たっくんは必死に泣くのを耐えている。
「たっくん、前に『汚ない』なんて言ってごめんね。あれはね……ただの嫉妬。私はたっくんと関係があった全ての女の人に嫉妬してるの。私は女神でも聖母でもなんでも無くて……ただの、たっくんを好きな女の子なんだよ」
「ゔ〜っ……小夏……俺は……」
「たっくんは汚れてなんかいない。私はたっくんに触れられても絶対に汚れないし穢れない。私たちは愛し合って……ただ幸せになるだけ」
たっくんがバッと顔を上げて私を見つめる。
潤んだ青い瞳の中に私をしっかり捕らえると、泣き笑いの顔になった。
「小夏……大好きだ……愛してる」
「……うん」
「本当にいいの? 俺はもう止まらないよ?お前を……絶対に離さないよ」
「……うん」
「たっくん……」
『愛してる』……そう言いたかったのに、その言葉はたっくんの唇で塞がれて、甘い吐息の中に溶けていった。