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たっくんは疑問形  作者: 田沢みん(沙和子)
最終章 2人の未来編
151/237

1、ギュッてしてもいい?


小夏、お前は止まっていた時計の針が動き出す瞬間の音って聞いたことがあるか?


俺はあの日、高校の掲示板の前で、その音をハッキリと聞いたよ。


周囲の景色も人も、全てが止まって無音になったその空間に、いきなり『カチッ』て秒針の動く音が斬り込んで来るんだ。


6年前に別れたあの瞬間に、全部凍りついて止まっていた俺の心と小夏との時間が、再び動き出した音だ。



俺は小夏と再会してからというもの、せっかく動き出した針が二度と止まることの無いように、大切に大切に、ビクビクしながら見守って、祈ってきた。



だけど気付いたんだ。


時計の針を再び止めるとしたら、それは紗良でも朝美でも、ましてや小夏でもない。


俺自身の過去が追い掛けてきて、俺の足を暗闇から引っ張り引き()り下ろすんだ。



俺が過去に呑み込まれて小夏を諦めたその瞬間が、俺の時間が止まる時だ。



だから小夏、どうか俺が小夏を好きでいることを許して欲しい。


過去を振り切って未来に向かう勇気を……針を進める力を俺に与えてくれないか?



***



全てを語り終えたたっくんが、「そんだけ……」と最後の一言を発した途端、部屋の中に沈黙が訪れた。



たっくんの過ごしてきた6年間は、『そんだけ』の4文字で終わらせるには、あまりにも長くて過酷なものだった。



何か声を掛けるべきなんだろう。

だけど、言うべき言葉が見つからない。


『大変だったね』、『辛かったね』、『可哀想だね』、『悲しかったね』、『頑張ったね』


そんな陳腐な言葉が頭の中を横切っていったけれど、どれも正解じゃないことだけは分かっている。




「俺のこと……嫌いになった? 愛想尽かした?」


ローソファーにギシッと背中を預けながら、たっくんが驚くほどか細い声で問いかけた。



「そんなことない……」


たっくんに身体ごと向き直り、正座して答えたら、彼は前を向いたままチラッと視線だけ寄越す。



「嘘つくなよ。同情なんかいらねえよ。軽蔑したって……ハッキリ言えよ」


「してない!」


自分でも驚くほど大きな声が出て、たっくんの肩がビクッと跳ねたのが見えた。


「私は同情も軽蔑もしていない!ただ……ただ……悲しいだけ」


「悲しい?」


そこで(ようや)くたっくんの顔がこちらを向いた。



「悲しいよ……。私がたっくんの側にいたかった。たっくんが辛いとき、涙を流してたとき……私も一緒に泣けなかったのが、ただただ悔しくて、悲しいの」


そこまで口に出したところで、胸の(ふち)ギリギリまで溜まっていた悲しみが、一気に(あふ)れて流れ出した。

一旦流れ出した感情は、もう自分でも止めることができない。



「う……ゔ〜……うぁ〜〜〜っ!」


小さな子供のように号泣したら、たっくんが困ったような辛そうな顔をして、私を胸に抱き寄せた。



「小夏……泣くなよ」

「ゔ〜〜っ……」


「泣くな……お前は俺なんかのために涙を流さなくたっていいんだ。母さんの男狂いや育児放棄なんて今に始まった事じゃない。知ってるだろ?」


「…………。」



「朝美とのことだって……俺は傷ついてなんかない。思春期だし、そういうことに興味があったし気持ち良かったから、何度か相手したってだけの事。ヤっていい気持ちになったのはお互い様なんだし、あんなのみんなやってる事だ。どうって事ない」



ーーそんなの嘘だ。


こっそり逃げ出したくなるほどの家にいて、平気であるはずがない。

たっくんの心は深く深く(えぐ)られて、そこにぽっかり大きな血溜(ちだ)まりが出来てるんだ。

それでヒリヒリと痛まない筈がない。


私がたっくんの腕の中で首を横に振ると、幼い子をあやすように、背中をポンポンと優しく叩いてなだめられた。



「俺に触れられて……嫌じゃない?」


もう一度首を横に振ったら、頭の上で大きく息を吐く音がして、背中を抱く手に力が篭った。



「こうやって抱きしめられるのは?」

「……嫌じゃない」


「もっとギュッてしてもいい?」

「…………ギュッてして……」


その言葉を待っていたように更にギュッと腕が狭められ、私の顔はたっくんの胸に強く押し付けられる。


息が苦しくなったけれど、この腕から逃れたいとは思わなかった。



「はぁ〜〜っ、良かった……」

「えっ?」


「ずっと怖かった……俺がしてきた事を知ったら……小夏は逃げて行くと思った」

「逃げないよ……絶対」


たっくんが「うん」と頷いたのが、胸の振動を通じて伝わってきた。



「小夏が俺の腕の中にいる。もうそれだけで十分だ。それだけで……俺は幸せだって思える」


その言葉に、止まりかけていた涙がまたじんわり滲んできて、たっくんの白いシャツを濡らした。



「俺は今、幸せだ……幸せなんだ。そう思える事が嬉しいんだ……。小夏、お前のお陰だ。ありがとう……」


「たっくん……ゔ〜〜っ……」



たっくん……。


たっくん、私の元に戻ってきてくれて、ありがとう。


私を諦めないでいてくれて、ありがとう。


ずっと写真を持っていてくれて、ありがとう。


高校で見付けてくれて、ありがとう。


全部話してくれて、ありがとう。


抱きしめてくれて、ありがとう。


幸せだって思ってくれて、ありがとう。


生きていてくれて……本当に、本当にありがとう。



沢山のありがとうを伝えたいけれど、今はまだ胸が震えて言葉にならないから……。


涙が止んだその時に、どうか心からの『ありがとう』を受け取って下さい。


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