46、本当の絶望
白地に虹色の花がデザインされた高速バスは、まだ薄暗い朝の5時半過ぎに横浜駅に到着した。
暖房の効いた車内から外に出ると、途端に吐く息が白くなり、ダウンジャケットを羽織っていてもブルッと身体が震える。
車内ではちょっとウトウトした程度で熟睡できなかったから頭がぼんやりしていたけれど、冷気のおかげで少しシャキッとしてきた。
「彼女と仲良くな。メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
たった5時間弱だけ交流を持ったお兄さんと手を振って別れると、途端にお腹がグーッと鳴る。
昨夜はいろいろあったせいでろくに食べてなかったから、今頃になって空腹なのを思い出した。
駅のコンビニに入ってちょっと考えてから、6本入りのスティックパン1袋と、水のボトルを1本手にしてレジに並ぶ。
小夏の家に着くまでの食料はこれだけでいい。
なるべく無駄遣いはしたくない。
あのアパートに辿り着くまでに、 お金がいくらあれば足りるのか分からないから。
駅前のロータリーにはバス停がズラリと並んでいてよく分からなかったから、案内図や路線図と睨めっこしてから、それらしいバス停に並んだ。
バスの運転手さんに何度も確認してから乗り込むと、寝不足のせいか途中で睡魔に襲われた。
乗り過ごしたらシャレにならないから、ウトウトしてはハッとして窓の外を眺め、 そこに見知った景色がないかと目を凝らす。
ーー来た!鶴ヶ丘だ!
早苗さんの車で走ったことのある、歩道橋のかかった道路。交差点から見える大きな釣り堀の看板。パン屋さん、喫茶店、遠くに見える市民病院の建物。
胸にブワッと喜びと興奮が溢れてきて、窓に触れる指先に力が入った。
40分程で鶴ヶ丘の駅前に着き、 そこでバスを降りてからは、 見覚えのある懐かしい道のりを、 足早にあのアパートへと向かう。
ーー もうすぐ小夏に会える! ビックリするかな…… 驚くかな。 でもきっと、 最後には泣くんだろうな……。
緊張と期待。
不安と喜び。
自然と足を前に出すスピードが上がっていく。
メインの通りから路地裏に入った時には思わず走り出していた。
いろんな感情をごちゃ混ぜにして、 だけどやっぱり嬉しい気持ちを一番多く抱えて…… あのアパートの前に立った時には、 身体が震えて、 知らずに涙が溢れていた。
久し振りに会う小夏には、 カッコ悪いところを見せたくない。
右腕でグイッと涙を拭って、 震える指先でチャイムを押した。
応答が無い。
2度、 3度…… もしかしたら留守なのかも知れない。
もう一度押そうとした時に、 ドアの向こう側に人の気配がした。
ドキッとして一歩だけ後ろに下がったけど、 すぐに笑顔を作って再会に備えた。
ドアが開いて、 その瞬間、 笑顔が固まった。
「何? なんか用? 」
それは見知らぬ20代後半くらいの男の人。
「あの…… 俺…… 」
ハッとして表札を見たら、 そこには全く知らない苗字が書かれていた。
「あの…… すいません! 」
そのまま踵を返して駐車場の方へ走って行く。
駐車場で足を止めて振り向くと、離れたところからアパートの建物全体を眺める。
さっきまでの高揚感も感動もあっけなく萎んで『無』になった。
まるで時間が止まったみたいに息をするのも忘れた。
とりあえず公園で休みながら考えることにして、 元来た道を戻ったら…… そこに公園は無かった。
ーー えっ?!
公園があった場所は見事な更地になっていて、『駐車場予定地』と書かれた看板が立っている。
周りに張り巡らされた黄色いロープをまたいで中に入って見渡したけれど、 靴底に硬い土の感触が触れるだけで、昔を思わせるものは何一つ残っていなかった。
「はっ……ハハッ…… 」
なあ小夏、 お前は知ってるか?
人間って、 本当にどうしようも無くなった時ってな、 笑うんだぜ。
最後の希望の一欠片を見失って、 どうすればいいのか、 自分が何のためにそこにいるのかも分からなくなった時、 勝手に喉の奥から乾いた笑いが込み上げてくるんだ。
生きる意味も分からなくて、 何も無い場所で途方に暮れて……。
思い出のブランコも滑り台も何もない更地の真ん中で、 たった1人、ひたすらお腹を抱えて笑ってたんだ。
だってその時の俺に出来ることは、 それだけしか無かったから。
そのあと、 通りかかったお巡りさんに職質を受けた俺は交番に連れて行かれると、連絡を受けて迎えに来た和倉のおじさんに引き取られて、今日逃げ出したばかりのあの家に、 すごすごと舞い戻ったんだ。
いつもこの小説を読んでいただきありがとうございます。
あと数話で過去編を終えて時間軸が現在に戻る予定です。
最初にこのお話を書くにあたって、頭に浮かんだ6つのシーンをポイントにして、それに向けて話を繋げてきたのですが、今回のお話で漸くその4つ目のポイントまで辿り着くことが出来ました。
これもひとえに応援して下さっている皆様のおかげです。
この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。