14、 火花
新幹線の窓枠に肘をついて外の景色を眺めながら、 不思議と心は落ち着いていた。
怖くないと言ったら嘘になるけれど、逃げ出したいとは思わなかった。
『諦めの境地』っていうのに達していたのかもしれない。
『思いがけず小夏に会えて、 想像以上に素晴らしい時間を過ごすことが出来たんだ、 もう思い残すことはないな』
なんて本気で思っていたし、
『タコ殴りにされて俺が死ねば、 アイツは刑務所行きだ。 そしたら母さんは自由になるし、 小夏や早苗さんたちにもこれ以上迷惑をかけなくて済む』
とも考えていた。
そこまで開き直ってしまえば怖いものなしで、 不思議と気持ちは凪いできて、 名古屋での楽しい思い出ばかりが頭に浮かんで来る。
「ふふ〜ん、 ふふふふん」
小夏と一緒になって歌っていた、 朝の子供番組のオープニング曲を、 目を細めながら鼻歌で歌っていたら、 母さんがギョッとして、 薄気味悪いものでも見るような視線を送ってきた。
ーー いいんだよ、 母さんには分からなくたって。 小夏だけが覚えていてくれれば、 それでいい……。
「ふふん、 ふふふふん…… 」
何度も同じ曲をリピートしながら、 俺はどんどん小夏のいる場所から遠ざかっていった。
***
予想はしてたけど、 アイツは分かりやすくブチ切れていて、 俺が帰るといきなり早足で近づいて来て、 バシッと思いっきり頭を叩かれた。
「ふざけんじゃねえぞ! 許可なく勝手なことをしやがって! よくもぬけぬけと帰って来れたな! このクソガキがっ! 」
言いながら興奮してきたのか、 胸ぐらを掴んでから俺を勢いよく突き飛ばし、 尻餅をついたところに1発蹴りを入れてきた。
ーー バカじゃないの、 コイツ。
自分が母さんを迎えに寄越しておいて、 何が『ぬけぬけと帰って来れたな』……だ。
アルコールの摂り過ぎで、 自分が何を言ってるか分かってないんじゃないの?
そもそも俺が何をしようが、 他人のお前の許可なんて必要ないんだよ!
そう考えてたら馬鹿らしくなって鼻で笑ってやったら、 アイツはそれでヒートアップして、 更にガシガシと横腹を蹴り上げてきた。
「てめえっ、 なんだよその目は! 人のことを馬鹿にしてんじゃねえぞ! 」
目を血走らせ、 口から唾を飛ばしながら叫んでいるその姿は、 まるで悪魔が人間の皮を脱ぎ捨てて、 その本性を現したかのようだった。
ーー 殺せよ! そこまでの度胸もないチンピラがっ!
絶対に泣くものかと唇を噛んでグッと堪えていたら、 唇が切れたのか、 口の中に血の味がしてきた。
体を丸めてお腹をガードしていたら、 右の手のひらに丸い火傷の痕が見えた。
ーー 小夏……。
閉じた瞼の裏側で、 パチパチと飛び散る線香花火の火花が映って、 その向こう側に、 ニコニコ笑っている小夏の顔が見えた。
夏祭りじゃないのに、 なぜか浴衣を着ている。
ピンクの鞠と花を散らした生成り地の浴衣が、 とても似合っていて……。
「ハハッ…… 可愛いな…… 」
「てめえっ! 笑ってんじゃねえ! 」
ガッ!
「うっ…… 」
背中にもう1発。
「あんた、 いい加減にしなよ! 」
「うるせぇっ! 」
アイツが離れたと思ったら、 すぐにガチャンと何かが割れる音がした。
大方、 テーブルの上にあったガラスのコップでも壁に投げつけたんだろう。
そのコップだってお前んじゃ無いんだよ、 勝手に割ってんなよ、 バカヤロー。
ーー ここから動かなきゃ。 アイツがすぐに戻って来る……。
だけど疲れきった身体は思うように動かなくて……。
「ああ…… 痛って…… 」
身体をゆっくり引き摺りながら、 霞んだ視線の先にある、 青いリュックを見つめる。
ーー 小夏…… 会いたいよ……。
動くことを諦め、 再びゆっくりと瞼を閉じると、 そこにはやっぱり、 金色の火花と小夏の顔が浮かんでいた。
あの事件が起こる運命の日まで、 あと5ヶ月。