火と道具と
東京のアパートは、寒い。
ここ数年は、頻度の差はあれど、わたしの地元の福島と同じくらい冷え込むこともあるというのに(わたしが上京したのは3年前なのでそれ以前のことは知らない)、窓は一枚っきりだし、サッシと雨戸はキンキンに冷えたアルミだし、フローリングの床も素足にひんやりと張り付き、玄関と台所は間続きで、光も入らず薄暗い。
わたしは幸い、末端冷え性とは無縁で生きているけれども、それでもエアコンでは紛らわしきれない冷気に身体を包まれていると、ゆっくり冬の眠りに落ちていく熊のような心持ちになって、手も足も固まってしまって、ベッドという名の穴倉から出られなくなってしまうのだった。
とはいえ、冬眠をできる社会にないのが人間という生き物。冬の間寝てなんかいたら、大学の単位は落ち、社会人の有休は底をつき、コンビニは人も商品もなくがらんどうになってしまう。
アパートでは、人が人たる証、火を持ち込むのは(ガスコンロ以外)基本厳禁であるので、それでいて社会的活動を強いられるのは、わたしの屁理屈的思考回路からするとシャクなのだけれども、世捨て人になれる勢いがわたしには足りないのだった。こんな冷たく寂しいアパートでも、雨風をしのぐ屋根と壁があり、それはわたしの社会的活動によって支えられているのである。
さて、では人間は人間らしく、火に代わる文明の利器を使って、この冷たい箱の中でなんとか快適に生きていかねばならない。とはいえ、こたつ――あの生きとし生けるものを飲み込むブラックホールは、アウトだ。布団にくるまって自分の熱で暖をとるだけで、厭世的になってしまうくらい社会的暮らしがままならないというのに、ここに熱源が加わったら、熊どころか廃人と化してしまう。
あたたかいところで多少なりともじっとしていて問題ないのなら、その危険を孕んでも、喜んでこたつ布団にくるまっているが、わたしが暖まっているあいだに皿洗いや洗濯をやってくれる人はいないのだし。
ということで、できれば部屋全体を暖めてもらえるものか、わたしと一緒に移動できるコンパクトな熱源がいい。
それなら、部屋はエアコンで暖めるほかなさそうだし、ハロゲンヒーター? が便利そうだろうと踏んで、ホームセンターの家電売り場でヒーターを探したのだけども、最近は電気ヒーターの種類も多いのですね。
まだわたしが小学生だった2000年代のハロゲンヒーターを最後に、電気ストーブの情報更新が止まっているわたしにとって、膨大な家電の中から自分にぴったりのものを探すのは難儀だった。
結局買ってきたのは売り場でいちばん安かったヒーターで、大体4000円くらいだった。わたしはこの貧乏性で度々失敗しているのだけれども、これに関しては大成功。
まず直径15センチくらいの円柱型でコンパクトなのがよかった。わたしの部屋の押し入れはもうぎゅうぎゅう詰めで、もし扇風機くらいの大きさだったら、もうしまうことができなかった。
それでいてパワーが強く、ずっと同じ位置に置いておくと床が熱くなるくらいだった。熱源がグラファイトというもので、電気は電気でも、火と同じ遠赤外線で暖まるということだった。
まるで深夜の通販番組のキャッチコピーになってしまうけれど、これがあれば寒い台所での皿洗いもラクラク、といったところ。無事穴倉から這い出して、熊をやめることができた。
いや、文明の利器とは、人間の技術とは素晴らしいね。今しばらく、社会的活動を続けるよすがになってくれそう。
とはいえ、どこでも使えるヒーターを手に入れたということは、それをベッドに近づけることもできるわけで……布団を外側から暖めながらくるまると、何とも耐え難い心地よさで、もうなんもかんもをサボタージュして、冬の間微睡んでいたいという欲求は変わることがないのだった。