毒にも薬にもならない親
気のおけない友人に、「あなたの父親は人間臭い人なんだね」、と言われたとき、わたしの中のなにかがゆるされた気分になりました。
ああ言われたのはいつだったかな、確か社会人になりたてのころです。その頃は、というか反抗期始まって以来ずっと、わたしは親との距離感に悩んでいたのだった。悩みは主に父のこと。そしてたまに母のこと。
昨今、毒親という概念が広く知られてきましたね。いや、「毒になる親」って本はずいぶん昔に出たものだし、知られるところには知られていて、それがわたしの観測範囲外だっただけのことですが、別にそれはどうでもよろしい。本筋から外れるから。
とにかく、なにか致命的に悪いところのある親は、それ毒親だ、縁を切れ、と言われる風潮が、最近はまちがいなくあって、それはもちろんいいことで、ひとの人生は本人の自由であるべき、誰と付き合うのかというところも、もともとの関係性によらず選べるのがイマドキの人生のいいところ。
ところでうちの父親は紛うことなく、クソ親父である。でもわたしにとって毒だと言いきれるほどかというとまた別で、「毒親」という概念を外部からインストールしたわたしの思考はしばらく、重大なバグを起こし続けていた。
父がめちゃくちゃ転職して貧乏したこともあるけど、育て上げて大学入れてくれたし。
すぐ「誰の金で生活してんだ、大学行かせないぞ」っていうし、そのわりにうちは共働きでしたが、まあ、繰り返すと大学入れてくれたし。
すぐ、次女より長女のほうがかわいいって言うけど、なんだかんだ次女であるところのわたしのことも好きみたい。口で言えばいいのにね。
とまあ、完璧な親というにはあまりにもあまりにも。だけどいい思い出がないわけじゃないのだし、ああでもこれって刷り込みってやつかしら……。とぐるぐる、ぐるぐる。
でも父が父なら、その娘であるわたしもなかなかロックな反抗っぷりだった。母や姉が、わたしのことを父親そっくりと言うだけあって、お互い頑固で、相手のいやなところは自分のいやなところで、とにかく相手を傷つけてやるとそう覚悟しているかのように、写し鏡で自家中毒を続けているのがわたしたち親子でございました。
鶏とタマゴはどっちが先か知らない、もしかしたらわたしが先にはじめた争いなのかもしれないが、わたしは父鶏が自分のあとに産んだタマゴであることにはちがいないわけで、若いぶんわたしの過ちは許されるかもわかんない。若き日のやんちゃは、未成年無罪ということで、ひとつ。
とはいえ、父親を毒というなら、その父親をつついてつつかれて、相乗効果でヒートアップを続けるわたしもまた毒を撒き散らしていたろうな、というのがまたつらいところで、これの結論を出してしまうと、生き写しであるわたし(これが顔までそっくりなんだよ)の判定もまた、覆らなくなってしんどいだろうと思っていた。
そこに、人間臭いという評価が入ったとたん、わたしの父は「毒かもしれないクソ親父」から、「ワガママでちょっとウザいおっさん」になった。あまりに客観的な放言をくらい、親、という暗示がとけたのかもしれない。そうしたら、わたしのわたし自身に対する評価も、「親を好きになれないダメ娘」でなくて、「相性の悪いおっさんに塩対応をする若者」に落ち着いた。なぁんだ、案外ふつうじゃんねわたしたち。というところ。
そりゃね、親である前子である前にわたしたち人間で、悪いところだっていっぱいあるよ。もちろん悪いところが度を越して、付き合いきれない毒親だっていたるところにいて、そういうのは親でなくたって付き合いたくない相手であるだろう。
でもたしかに、わたしは親に親でいてほしくて、欠点がゆるせないという潔癖さでもって、ただの人間に期待し続けているんだなあ、としみじみ感嘆した。
それからわたしは、父、もといアラウンド還暦であるおっさんをまじまじ観察してみた。このおっさん、わたしに美味しいものを食べさせようとしてくれるし、わたしがどんな人生を歩んでてもまあ、文句は言わないし、わたしが実家にいるとよろこぶし、なんかわたしがいる前だとかっこつけてくるのである。
でもやっぱりすぐ機嫌悪くなるし、酒癖悪いし、怒鳴るし、すねるし、好きになれないおっさんだった。
ただ、嫌いでどうしようもないタイプのおっさんでもないな、と思った。
いや、べつに、子としての過度な期待をとりあえず脇に置いてみただけで、べつに親子の縁を切ろうというんではないのです。
期待というフィルタを外せば、人間としてはまあ、付き合えないタイプでもないなと思った。けどやっぱり、毒にも薬にもならんおっさんと毎日一緒にいるのは、わたし、無理だな。
そういう感想がすとんと胸に降りてきて、けれどわたしはそう思ったわたし自身を責めることも、父を心中でなじることもなく、いままでよりずっと素直に事実を受け止めて、自家中毒から抜け出した。
そんなこんなで実家とは遠い地で、物理的にも精神的にも自立し、たまにおっさん、改め父と会うことで、自立した人間どうしの関係性を確立することに成功した次第。
いや、ちょっと嘘つきました。今でも親子喧嘩することはします。捨てた期待が生き返るのは、親子というものに対する価値観なのか、父親への愛情かはわからない。
まあ、単に相性もよくないしね。他人でも、相性が悪ければ喧嘩になることもあるでしょう。
でも結局、普段なら疎遠にするタイプのおっさんと、細々とでも付き合うのは親子だからにほかならないよなぁ、なんて、論理的欠陥は残り続けてるなあ、って相変わらずぐるぐる考えることもあるけれど、いままでよりずっと、穏やかな心持ちになりました。
父という着ぐるみの中にはただのおっさんが入っているんだということを、ようやく受け入れられるようになった気がします。