六匹目 オオカミくんとややこしくなる誤解
二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「……そろそろ大丈夫かな」
屋上の貯水タンクの陰に隠れるようにして寝そべっていた俺は、念のため周囲を警戒しながら校舎内へと戻ることにした。
あのまま噂が拡散していたら職員室か生徒指導室に呼び出しをくらっていたはずだ。それがないってことは、愛唯が上手いこと誤解を解消してくれたに違いない。
階段を下り、壁に張りついて恐る恐る廊下を覗き込む。一年の教室が並ぶ廊下には、休み時間だからかそれなりに生徒たちで溢れているな。騒ぎにはなっていない。普段通りって感じだ。
よかった。どうやら本当に誤解は解け――
「しかしビックリだよな。一組の赤ヶ崎があの不良と付き合っていたなんて」
「赤ずきんとオオカミ野郎が恋人同士なんて……オレ、赤ヶ崎狙ってたんだけどなぁ」
……………………………………………………………………………………はあぁあッ!?
待て待て待て、なんだ今の会話!?
俺と愛唯が付き合っている? 恋人? 意味がわからん。なにがどうなったらそういう話になるんだ。
教室に戻って本人を問い詰めるしかない。
「あ、オオカミさん!」
俺が一年一組の教室に戻るや否や、真っ先に愛唯が嬉しそうな声を上げてトタタタタっと駆け寄ってきた。犬の尻尾が生えてたらぶんぶん振り回してそうだ。
しんと沈黙するクラスメイト。そこはいつも通りだが、今回は誰もが俺から視線を外さない。蔑みこそなくなっているようだが、敵意や怒りはそのままだ。特に男子連中からは殺意すら感じるぞ。それに一部の女子は好奇の目を向けているな。
だからと言って俺に近づいてくるような勇者はいないようだ。
「オオカミさん、今朝渡しそびれていましたが、これ落とし物です」
愛唯は屈託のない笑顔で俺にコンビニのレジ袋を渡してきた。中身は弥生に頼まれていた新作のポテチだった。拾ってくれていたのか。
「貢がせてるの?」「貢がせてるわ」「く、なんであんな奴を」「俺だったら全力で赤ずきんちゃんに貢ぐのに」「狩神め」「呪ってやる」「でも赤ずきんちゃん嬉しそう」「脅されてるわけじゃねえのか?」
クラス中のヒソヒソ話が耳に刺さった。俺はレジ袋を鞄に突っ込み、愛唯にしか聞こえないように小声で話す。
「(おい、誤解はちゃんと解いたんだろうな?)」
「(もちろんです! バッチリです!)」
愛唯も小声で返す。
「(じゃあ、なんで俺とお前が恋人同士ってことになってんだよ?)」
「(えっと……それはそのう……)」
バッ! と愛唯は高速で顔を俺から逸らした。物凄い目が泳いでいる。もう五十メートルプールを全力でバタフライしているくらい泳いでいる。
「(なにを言いやがった?)」
「(だ、大丈夫です! オオカミさんがオオカミさんだってことは言っていません!)」
「(そこは当たり前だ。で、なにを言いやがった?)」
「(オオカミさんはいい人です、とみんなに)」
「(それから?)」
「(オオカミさんはヘンタイさんじゃなくてわたしの相棒です、と)」
「(おいふざけんな了承してねえぞ)」
「(そしたらサッちゃんが『もしかして二人は付き合っているの?』って訊いてきたので、思わず勢いで頷いてしまいました……)」
サッちゃんとは恐らくさっきから一番好奇心向き出しで俺たちをガン見している女子だろう。ヒソヒソ話している俺たちに対して「キャー♪」とか勝手に頬を赤らめてやがる。
「……頭が痛くなってきた」
ここで俺が「付き合ってなんかいない!」と否定すれば、再び恋人でもないのに襲った疑惑が浮上してくるだろう。ただでさえ低い社会的地位がそうなると地の底だ。
「頭痛は大変です! 保健室に行きましょう!」
「そういう頭痛じゃねえよ!?」
こうなったらもう仕方がない。状況を受け入れよう。俺と愛唯が本当に恋人になったわけじゃないんだ。どの道、完全には誤解を解くなんてできなかっただろうからな。そう考えれば悪くない落としどころかもしれ――
「狩神狼太ぁああああああああああああああああああああああああッ!?」
突然、俺の名前を叫ぶ声と共に教室前方の扉から誰かが勢いよく突入してきた。
「な、なんだ!?」
クラスの男子連中なんて比べ物にならない殺気に俺は思わず身構えた。扉が閉まっていたら蹴破っていただろう勢いで突撃したのは、愛唯と同じくらい、いやそれ以上に目立ちそうな女子生徒だった。
ストレートに下した髪は煌くようなプラチナブロンド。背は高く、出るところの出たモデル体型だ。整った顔立ちは凛としており、肌は透き通るように白い。まるで絵画の世界から現実に具象したような美少女だった。
そんな美少女が、吊り上がった黒い双眸で俺を親の仇を見つけたように睨んでいるよ。しかもその手に持っている長い棒状の物は――刃が向き出しの、薙刀だ。確かこの学校には薙刀部なんてもんがあったはずだが、普通は木刀だぞ。なんで真剣持って来ちゃってんの物騒だろ!
「セラスちゃん?」
愛唯がパチクリと大きな目を見開いた。
「知り合いか?」
「はい。小学校の頃からの幼馴染です」
愛唯の友達が俺になんの用だってんだ? どう考えても平和的な用事じゃなさそうなんですけど。
「三組の來野だ」「出たぞ、『赤ずきんちゃんの白騎士』だ!」「赤ずきんちゃんに近づく不埒なオオカミを退治しに来たのね!」「赤ずきんのオオカミを倒すのは猟師だろ」「この際なんでもいいのよ」「狩神の悪行もここまでだな」
なんかクラスメイトも盛り上がり始めたぞ。完全に俺が悪役で、あの銀髪女子が正義のヒーロー的な扱いだ。『赤ずきんちゃんの白騎士』ってなんぞ?
だが、なんとなく状況は読めた。なるほど、勇者は別のクラスにいたってわけか。
薙刀を構えた銀髪女子――來野とか言ったな――が悠然と俺に歩み寄ってくる。レモンみたいな柑橘系の香りがした。
「貴様が狩神狼太だな?」
「だったらなんだ?」
「成敗してくれるッ!!」
ブォン! と。
來野は振り上げた薙刀を、俺に向けて躊躇いなく振り下ろしてきた。
「のわっ!?」
間一髪でバックステップをしていなければ、教室の床が刃で抉られるだけじゃ済まなかったぞ。
「殺す気かてめえ!?」
「今のは避けるとわかっていた。安心するがよい。これ以上愛唯に近づかないと約束するならば、骨の一本程度で済ませてやる」
「これっぽっちも安心できねえ!?」
俺は堪らず教室から飛び出した。なんか昨日の夜から逃げてばっかりだ。
言い訳に聞こえるかもしれんが、別に戦って勝てないとは思わない。だが相手は女だぞ。教室で喧嘩して縺れ合った拍子にまた俺がオオカミ化しちまったらなんの弁明もできなくなる。そもそも女を殴る趣味もない。
「待て! 狩神狼太!」
「待てと言われて待つのは躾けられた犬だけだ!」
來野は鬼の形相で俺を追いかけてきた。めっちゃ足速ぇな。なんとか追いつかれはしないが、引き離すのはもっと難しいぞ。
とそこで、三時間目開始三分前の予鈴が鳴る。
「チッ、時間切れか」
來野はあからさまな舌打ちをして足を止めた。
「命拾いしたな、狩神狼太!」
そう言い残し、踵を返して自分の教室に戻っていく來野。時間を守るくらい真面目なら廊下走ったり薙刀振り回したりしないでほしい。切に。
「なんなんだよ、あいつ」
揺れるプラチナブロンドが視界から消えるのを待ってから、俺はやっと胸を撫で下ろした。愛唯の幼馴染らしいが……外国人か? 染めてるわけでも脱色してるわけでもなさそうだったが。そう言えば何度も教室で愛唯と談笑している姿を見たことあるな。
「俺も戻るか」
教室に戻るのは躊躇いがあったが、これ以上授業をサボるのは俺の良心が許さなかった。