五匹目 オオカミくんと赤ずきんちゃん
狩神狼太が赤ヶ崎愛唯を誘拐した。
なんか状況的にそんな噂まで広まってそうだが、とにかく誤解をどうにかするためには赤ヶ崎愛唯の協力が不可欠だ。というかこいつが原因なんだが、だからこそちゃんと俺のことを理解させて誤解を解いてもらわないと困る。
作戦その二。もう正体はバレてしまったんだ。だったら真実を隠さず話してしまった方がいい。そして口止めをしておけばとりあえずは安心だろう。信頼できるかはともかく。
「痛いです、オオカミさん」
「あ、悪い」
ひと気のない屋上に辿り着いたところで、俺は赤ヶ崎愛唯の腕を放した。ちょっと強く掴みすぎていたみたいだ。ミルクみたいに白い肌が赤くなっているな。
「屋上は立ち入り禁止ですよ?」
「いいんだよ。鍵が壊れて開いてるんだから」
俺以外にもここで昼飯を食ったり昼寝したりと利用している奴は多い。入学早々、昼休みの避難所を探して来てみれば普通に人がいて諦めたくらいだからな。先生もそれを承知の上で鍵を直さないわけだから黙認しているんだよ。まあ、ちゃんと落下防止用のフェンスもついているし、安全面に問題はないからだろう。
「お前、『赤ずきんちゃん』って呼ばれてるんだな」
「小学校の時からのあだ名です。わたしが小さくて髪が赤いからそう呼ばれるようになったみたいですね。割と気に入っています」
本人がいいなら口出し無用だな。
「ていうかその髪も瞳も、日本人って感じじゃないよな?」
「これはお祖母様譲りなのです。わたしのお祖母様はドイツの人でして……あれ? オオカミさん、知らなかったのですか? クラスのみんなは知っていますよ?」
「悪かったな。俺はどうせクラスメイトの名前すら覚えてねえよ」
なんなら赤ヶ崎愛唯くらい特徴的な奴じゃないと顔も覚えていない。こいつの異常に目立つ容姿が外国人の血によるものだってことなら納得だ。俺と同じなんだな。まあ、俺は外国人じゃなくてオオカミだけど。
話が逸れたな。朝のHRまで時間もない。本題に入ろう。
「それでお前、一体どういうつもりだ?」
俺のことを話す前に、まずはこいつの目的を聞き出しておかねえとな。場合によっては話しちゃマズイことになる。
「どういうつもり?」
「俺に近づいて、どうするつもりかって聞いている。なにが目的なんだ?」
秘密を盾に脅す……ような奴には見えないが、生憎と俺は見かけに騙されるほど他人を信じちゃいないんだよ。
すると、赤ヶ崎愛唯は思い出したようにハッとした。
「そうです! そうでした! わたし、オオカミさんに相棒になってほしいのです!」
また出たぞ。『相棒』とかいう意味不明な言葉が。
「相棒って、なんのだよ?」
「サーカスです」
「あ?」
さらにわけがわからなくなった。サーカスで相棒? 空中ブランコのペアでも探しているなら他を当たってほしい。
「話が見えないんだが」
「わたしのお祖母様は『伝説』と呼ばれるほどすごい猛獣使いだったのです。今はもう引退されてて、お祖母様が団長を務めていたサーカスも解散しちゃってますけど」
猛獣使い。ライオンやトラなんかに芸を仕込む調教師のことだが……ちょっとこれは、嫌な予感がしてきたぞ。
「勿体ないって思いました」
「勿体ない?」
「だって、あんなに感動したんですよ! いろんな動物さんたちがわーっわーって! もっともっと多くの人に見てもらいたいじゃないですか!」
「いや、お前の感動なんて知らんけど」
大好きなものに触れて熱が入ったのか、赤ヶ崎愛唯はぴょんぴょん飛び跳ねて全身でジェスチャーしていた。必死でなにかを俺に伝えようとするその表情は……嘘では、なさそうだ。
「お祖母様の跡を継ぐサーカス団を作ることがわたしの夢です。そしてあの時の感動を全世界の人々に伝えたいのです!」
こいつ、恥ずかしげもなく夢とか言いやがった。全世界とは大きく出たものだ。
「お祖母様はオオカミさんを相棒にしていました。だからわたしも最初の一人は絶対にオオカミさんって決めていたのです」
「……なるほど、だいたいわかった」
楽しそうに夢を語る赤ヶ崎愛唯には悪いが、それは控え目に言っても最悪だ。
「つまり俺がオオカミに変身できることを見世物にして、それを世界中にバラすってことだな? 話にならん。感動だかなんだか知らないが、そんなもんのために一族の秘密を公にできるか!」
それどころか、赤ヶ崎愛唯は人間の俺じゃなくオオカミの俺を欲している。動物の芸をやれってことなのか? ふざけんな。そんなの屈辱以外の何物でもない。
苛立ちを隠さず語気を強めたが、赤ヶ崎愛唯は眉を顰めて小鳥のように首を傾げた。
「秘密? 隠しているのですか?」
「当たり前だろ! オープンにしたら普通に大問題だぞ!」
薄々そうじゃないかと思っていたが、赤ヶ崎愛唯はちょっと常識がずれている残念な子のようだ。
「えっ? でも男の人はみんなオオカミさんになれるのでは?」
「……は?」
一瞬、赤ヶ崎愛唯がなにを言ったのか理解できなかった。
「ちょっと待て、お前それマジで言ってんの?」
いくら頭が残念でも、それは流石に冗談だよな?
「大マジです。わたしがまだ小さい頃にお母様から教えていただきました」
「お前の母ちゃん幼女になに教えてんの!?」
これも嘘をついている顔ではなかった。赤ヶ崎愛唯はどこまでも真剣だった。どうやったらそう思い込んだまま高校生にまでなれるんだ? サンタクロースを信じる方がまだ現実味がありそうだぞ。
「現にオオカミさんはオオカミさんになったじゃないですか? それにわたしは他にも男の人がオオカミさんになるところを見たことがあります。オオカミさんを含めて三人です」
しかも最悪なことに、赤ヶ崎愛唯は自分の中で確信に至ってしまっているようだ。誰だよ人前でオオカミ化しやがった馬鹿野郎は? いや俺もその三人の内の一人だけど、もし一族に犯人がいたら念入りに〆てやる。
とはいえ俺もその原因の一端となってしまったわけだから、正しい本来の意味を説明してやらないと今後こいつがどんな危険な目に遭うかわからない。
面倒だが、しょうがないな。
「よく聞け。男はみんなオオカミと言うが、それは言葉通りの意味じゃあないんだ」
「ふぇ? ど、どういうことですか?」
本気で動揺している。声がちょっと震えていた。
「男はみんなヘンタイだとか色欲魔だとか……あー、男の俺が説明するのはなんか嫌だな。とにかくそういうのを『オオカミ』と表現しているだけだ。詳しく知りたいならネットで検索でもしろ」
「男の人は、みんなヘンタイさん?」
「おっと、それも信じ込むなよ。男だっていろいろだ」
赤ヶ崎愛唯は逡巡するように手を顎にあてた。
「でも、妙ですね。それだとオオカミさんがオオカミさんになった理由を説明できません。嘘をついたのですか? わたしは騙されませんよ!」
「まあ、そうなるだろうな」
ずいぶんと遠回りしてしまった気もするが、肝心要の部分はここからだ。
「これ以上は極秘情報だ。絶対に他の誰にも喋らないって誓うなら話してやる」
「おお、極秘情報! なんだかカッコイイですね! わかりました。秘密は守ります」
「……イマイチ信用ならんな」
宝石のような青い瞳を輝かせる赤ヶ崎愛唯。こいつの性格的にその気はなくともなんとなくポロッと喋ってしまいそうで怖い。まあ、その程度ならただの戯言に聞こえるだけか。
「まず、俺にはニホンオオカミの血が流れている。変身できるのはそのせいだ」
「オオカミさんの血?」
さっそく眉をハの字にして首を傾げたな。なに言ってんのこいつバカじゃね? っていう当たり前の反応だ。いや、赤ヶ崎愛唯がそう思ってるかは知らねえけど。
「ああ、世の中には絶滅した動物や絶滅しそうな動物がいることは知っているだろ?」
「はい、残念なことに」
「そういう動物たちの一部が、種を絶やさないために人間に化ける力を得たんだ。人間に化けてりゃ人間と同じように生活できる。人間と交わって子を産むこともできる」
そうやって代々血が受け継がれて、俺が今ここに存在しているんだ。爺さんが言うには、人化した動物が人間と交配すること自体は珍しくないそうだ。無論、種の血統を守る連中も多いと聞く。どっちにしろ世間には隠しているから、俺は家族親族以外でそういう連中には会ったことがないけどな。
「えーと、オオカミさんはニホンオオカミさんの子孫ってことですか? だからオオカミさんになれると?」
「そういうことだな。お前が見たっていう俺以外のオオカミも間違いなくそうだ。信じられないなら話はここまでだが」
「いえ、信じます。それなら今まで誰もオオカミさんになってくれなかったことにも納得できます」
赤ヶ崎愛唯は意外にも素直に俺の説明を飲み込んだ。いや、意外でもなんでもないな。『男がみんなオオカミ』を今までずっと言葉通りに信じてきたような奴だ。
「つまり、男の人がみんなオオカミさんになれるわけではなく……オオカミさんになれるのはオオカミさんだけってことですよね」
「なあ、いい加減わかりにくいから俺のことは名前で呼んでくれね?」
「名前ですか? そうですね……名前名前……オオカミさんの名前……」
ん? もしかして忘れてる? 教室では知っていたはずだよな。
「あっ! 閃きました! ポチタロウはどうでしょう?」
「狩神狼太だ!? 名づけろって意味じゃねえよ!?」
せめてポチかタロウのどっちかにしろよ。いやどっちだろうと全力で却下だけどな。
「むむむ、やっぱりオオカミさんは『オオカミさん』が一番しっくりきます」
「……もう好きに呼んでくれ」
諦めた。あだ名だってことにすればそこから勘繰られることもない。それをいちいち説明するような友達なんていないのも救いだな。寂しくなんてないぞ。
と、なにかを思いついたように赤ヶ崎が自分を指差した。
「では、わたしのことは『愛唯』と呼んでください」
「は? お前は『お前』で充分――」
「わたしのことは『愛唯』と呼んでください」
「いや、別に名前で呼ぶ仲じゃないだろ。せめて苗字で」
「わたしのことは『愛唯』と呼んでください」
「だから」
「わたしのことは『愛唯』と呼んでください」
「RPGの村人か!?」
これ俺が『はい』か『YES』を選択するまで無限ループするやつだ。
「それではオオカミさん、わたしの名前は?」
「……………………愛唯」
「えへへ、よくできました。えらいえら……手が届きません。しゃがんでください、オオカミさん。〝おすわり〟です」
「誰がするか!?」
俺の頭を撫でようとぴょんぴょん飛び跳ねる可愛らしいイキモノがそこにいた。やはりオオカミになっていないと命令の強制力が働かないのか? それとも昨日のはなんかの間違いだったのか? よくわからん。
「とにかく、俺の正体については絶対に他言無用だからな」
「わかってますよ」
「あと、昨日みたいに『オオカミになれ』なんてことは言わない方がいいぞ。普通は『ヘンタイになって襲ってくれ』って意味に聞こえるからな」
「それもわかりました。オオカミさんになれるのはオオカミさんだけ。大丈夫です。もうオオカミさんにしか言いません!」
「よろし……」
あれ? これって俺が付き纏われるってことでは? 今後は俺に『オオカミになれ』と言ってくるつもりなのでは? え? 嫌なんですけど。
「では改めまして、オオカミさん、わたしの相棒になってください!」
「……話聞いてた?」
にこぱっと笑って握手を求めてくる赤が――愛唯に俺はげんなりと肩を落とした。
「この秘密を世間にバラすわけにはいかねえの! オオカミの姿で人前に出るなんて言語道断だろ!」
「大丈夫です! オオカミさんの姿でもピエロさんのメイクをしていればバレません! わたしがお祖母様のサーカスで見たオオカミさんもそうでした!」
どうやら意地でも俺をサーカスの相棒にしたいらしいな。そっちがそのつもりならこっちも徹底抗戦してやる。
「だいたい俺は変身してもオオカミ男だぞ。そんな化け物を大衆の面前に晒すのか?」
まさか自分で自分を『化け物』と口に出さねばならん日が来るとはな。人間に化ける動物も動物に化ける人間も、どっちだろうと立派な妖怪だ。なんか悲しくなってきたぞ。
「ちゃんとしたオオカミさんにはなれないのですか?」
「……昔はなれたが、今は無理だ」
「じゃあまたなれるようになるかもしれないじゃないですか。それにオオカミ男さんでもサーカスなら着ぐるみって思われるだけです」
だから問題ありません、と愛唯は控え目な胸を張った。やはりこいつはなにもわかってない。オオカミになりたくないから中途半端な変身になっちまったんだよ。
一周回って怒る気にもならないな。
「なあ、別にオオカミじゃなくてもいいだろ? サーカスがしたいなら俺なんかよりずっといい人間の相棒を見つけろよ」
「いいえ、そこは譲れません。それに、オオカミさんじゃなきゃいけない理由はもう一つあるのです」
やはりというか、愛唯はこうと決めたら絶対に曲げないタイプの人間だ。
「言ってみろ。なんだよ、もう一つの理由って?」
「それは――」
キーン コーン カーン コーン。
愛唯がその理由を喋ろうとした時、タイミング悪く朝のHR開始三分前の予鈴が鳴った。
まだ問題が解決してないってのに、これ以上は話をする余裕なんてなさそうだな。
「話は後だ。おま……愛唯は教室に戻れ。そんでさっき教室に投下した爆弾を処理しろ」
「爆弾? なんの話です?」
「教室では俺がお前を押し倒してオオカミ……ヘンタイになったって噂が尾ひれ羽ひれつけて広まってんだよ」
「誰がそんな酷い噂を!?」
「お前だよ自覚しろ!?」
思わず叫ぶと、愛唯は教室での発言を思い出したらしく――かぁあああああっ。『男はみんなオオカミ』の本当の意味を知った今は恥ずかしくなったらしい。耳まで真っ赤だ。
「お、オオカミさんはどうするのです?」
「今戻ったら殺されそうだからな。しばらく屋上でサボるしかない」
サボりなんて入学してから一度もしたことないんだけどな。『教師ですら口を出せない不良』だと思われている俺なら誰も気にしないさ。
「わかりました。オオカミさんが戻ってくるまでにみんなの誤解を解いておきますね!」
小さな両拳を握り締めて「がんばります!」と意気込む愛唯を見ていると激しく不安だが、ここはもう任せるしかない。
できる限り元の状態に戻れるよう神様にでも祈っておこう。