四匹目 オオカミくんと学校の教室
翌日。
俺は過去最悪に憂鬱な気分で学校に来てしまった。我ながら生活態度が良好すぎて困る。不良なら不良らしくサボってしまえばいいのに、特に理由もなくそうできない真面目な自分がいるんだ。
私立稀生高等学校。
佐張市西区のド真ん中に建つそこが俺の通っている学校だ。市内に十数校ある高校の中では二番目に偏差値が高く、お行儀のいい生徒ばかりが集まっている進学校ってイメージだな。どれくらい良い子ちゃんばかりかと言うと、俺以外の不良生徒は見たことも聞いたこともない。
よく俺が入学できたって? 友達いないから勉強する時間は割とあるんだよ。成績さえよければ教師も余計な口出しはしないからな。
そんな不良だけど意外と優等生な俺が一年一組の教室に入ると……しん。さっきまで他愛もない雑談に花を咲かせていたクラスメイトたちが一斉に静まり返って俺を一瞥した。だがそれも一瞬のことで、すぐに雑談に戻って教室は賑やかになる。
いつものことだ。
俺自身が望んでこうなったんだ。
誰も俺に近づかないなら、俺がオオカミだってバレることはないだろ?
廊下側最後列。教室に入ってすぐの自分の席に座る。適当に鞄を置き、退屈そうに頬杖を突くフリをして視線だけで教室を見回す。赤ヶ崎愛唯は……まだ来てないみたいだな。
昨日のことがショックで寝込んで学校休みましたってことはないよね?
「おはようございます、オオカミさん」
ないよね。ですよね。
ふわっと香るイチゴミント。教室に入ってきたブレザー姿の赤毛ちんちくりんが、俺を見つけるなり挨拶なんてしてきやがった。
その愚行に教室内の空気が変わる。俺という起爆装置に触れたんだ。中には赤ヶ崎愛唯を止めたいものの、俺が近くにいるせいで踏み切れない奴もいるな。
よし、無視しよう。
作戦その一。赤ヶ崎愛唯にひたすら関わらないこと。こいつ一人が俺の正体を言い触らそうと、常識的な人間なら妄言にしか聞こえないからな。
「……」
「オオカミさん?」
「……」
「オオカミさーん! おはようございまーす!」
「……」
「オ オ カ ミ さ ん!! オ オ カ ミ さ ん!!」
「ええい!? やかましい!?」
無理だった。こいつ返事するまでここで俺を『オオカミさん』と叫び続けるつもりだ。
「やっとこっちを向きましたね、オオカミさん」
振り向けば、眩しいくらい無邪気な笑顔が俺を出迎えた。なにこいつ光属性なの?
「俺は狩神狼太だ。オオカミさんなんて名前じゃねえよ」
「はい、知ってます。『狼太』の『狼』はオオカミさんです」
「あだ名ならやめろ。俺は『オオカミ』なんかじゃない」
迷惑そうに素っ気なく吐き捨て、言外に正体を隠したいことを匂わせたが、赤ヶ崎愛唯は可愛い顔をキョトリとさせた。
「え? でも、昨日わたしを押し倒してオオカミさんになったじゃないですか?」
「ちょっ、お前なんてことを!?」
ざわっ。
「うわぁ」
勘弁してほしい。さっきまで俺を恐れの目で見ていたクラスメイトたちの視線が、今の一言で明確な侮蔑と敵意を孕んだぞ。くそっ、俺の正体を吹聴したところで誰も信じないと思っていたが、言い方次第で勘違いを生んでしまうことまで考えてなかった。
「今の聞いた?」「聞いた聞いた」「狩神が赤ヶ崎を襲った?」「ついにやっちまったか」「いつかこうなるって思ってたわ」「俺たちの赤ずきんちゃんをよくも!」「赤ずきんちゃん可哀想」「先生に言うべき?」「やめとけ」「あいつのバックにいるヤクザに埋められるぞ」「でもなんで赤ヶ崎は挨拶なんてしたんだ?」「脅されてるとか?」「ひでえ」「狩神コロス」
やばい。避けられるだけならよかったのに、四十人近い蔑みの視線が俺に突き刺さる。このままじゃあらぬ噂が尾ひれ羽ひれつけて進化しながら光の速度で広まっていくぞ。
弁解を……ああ、これアカンやつや。俺がなにを言っても逆効果なやつや。
「ちょっと来い!」
「ひゃっ!?」
居心地悪さマキシマムな空気に、俺はもう赤ヶ崎愛唯の手を掴んでダッシュで教室から出て行くしかなかった