三十四匹目 オオカミくんと萬石の過去
目が覚めると、薄暗く冷たい檻の中だった。
場所は動物用テントのままだが、罠に使われたものとはまた別の檻に入れられたようだ。ヘマしてまんまと捕まっちまった。弥生の冗談が笑えなくなったな。
「気がついたか、狩神狼太」
「來野……無事なのか?」
先に目が覚めていたらしい來野は、同じ檻の隅に体育座りしたまま首を横に振った。
「無事ではないだろうな。見ての通り我々は捕まり、猛獣用の檻に入れられている。武器も携帯も取り上げられてしまった」
周りの檻には傷だらけの動物たち。俺たちはまだ無傷なだけマシって思えてくるな。
「今、何時だ? あれからどのくらい経った?」
「正確にはわからんが、私が目覚める前にサーカス閉演のアナウンスが聞こえたらしい。もうとっくに夜だろう」
「らしい? いやそれより、夜だと? 狩神家はなにを……弥生はどうなった?」
「すまない」
來野は申し訳なさそうに目を伏せた。なにも知らないってことか。助けが来ないということは宣言通り俺は切り捨てられた可能性もあるが、そう決めつけるのはまだ早計だな。だが夜になっても俺から連絡がないから捕まったとは判断しているはずだ。
せめて弥生だけでも無事ならいいが、助けは期待できない。俺たち三人だけで脱出する方法を考えないと……三人?
檻の中には、俺と來野しかいない。
「愛唯はどこだ?」
「ここには私と貴様だけだった。愛唯は、恐らく別で連れて行かれたのだろう」
まずい状況だ。檻から出るだけなら來野の馬鹿力で破壊すればいいが、愛唯が連れ去られていたんじゃ強行突破は慎重にならざるを得ない。最悪でも居場所がわからないことには虱潰しに探すしかなくなるわけで、そんな悠長にしていたらまた捕まっちまう。
愛唯を見捨てるって選択肢はもう俺の中にはないし、來野も許さないだろう。
「……情けないな」
「まったくだ」
天啓なんてもんが降りてくるわけもなく、俺も來野と同じく膝を抱えるしかなかった。
「忠告はしたはずだ」
と、正面の檻の中から声がした。
「このサーカスでなにが行われているのか見ただろ? なぜ関わろうとした?」
檻の中にはアッシュブロンドの大男がいた。左足を立てて右足を伸ばした姿勢で座っている。体中は傷だらけで、一目であのハイイロオオカミだとわかった。
「人の姿になったのか?」
「戻った、が正解だ。俺はハーフだからな。それよりこっちの質問に答えろ」
なぜわざわざ萬石が有利になっちまうオオカミの姿になっていたのかは気になるが、それを問い詰めていい空気じゃねえな。奴の忠告を無視した結果、こんなマヌケな事態に陥ってんのは俺たちだ。
「小さな赤ずきん様が放っておけないって言ったからな」
答えると、ハイイロオオカミの男は全てを悟ったように大きく溜息をついた。
「……そうか。やはり似ているな」
「だからなんにだよ?」
こいつは昨日俺に忠告してきた時も同じこと言ってたな。
「気にするな。小さな赤ずきんとお前の関係が、もはや伝説となった猛獣使いと、その相棒だったオオカミの出会った頃に瓜二つだと思っただけだ」
どこか遠い目をしてハイイロオオカミの男はそう言った。まさか……いや、それを俺が聞いてなんになる? 今は関係ないだろ。
「あんたは、傷、大丈夫なのか?」
「そっちの嬢ちゃんにも言ったが、問題ない。慣れている」
俺が目覚める前に來野と会話してたのか。その時に時間帯も聞いたのだろうね。
「ライオンと殺し合わされていただろ? ライオンをぶっ殺したのか?」
「そんなわけあるか。いつも死の一線を超える前に止められる。萬石にとっちゃ俺たちは大事なコレクションで商売道具だからな。生きてりゃ何度でも戦わされちまう」
「度し難い人間だな」
來野が忌々しげに唸った。まったくだ。大事なコレクションなら傷つけるようなことすんなって言いたいね。
「あれでも昔はまともな人間だったのだがな」
「知り合いだったのか?」
「ああ、俺はこのサーカスを立ち上げたメンバーの一人だ」
「「なっ」」
予想外のカミングアウトに俺と來野は思わず息を呑んだ。てっきり俺たちみたいに捕まったものだと思っていた。立ち上げメンバーってことは、このハイイロオオカミは最初から自分の意思でサーカスをやっていたってことだ。
「信じられないかもしれんが、修行時代の萬石は普通に真面目で勤勉な好青年だった。アンジェラ――小さな赤ずきんの祖母が信頼して弟子入りを認めるほどにはな」
その口ぶりだと、こいつも愛唯の婆さんのサーカス団にいたんだろうな。ハイイロオオカミの姿にピエロのメイクをすれば……似てる。愛唯の部屋で見た映像に出てきたオオカミと。本人か?
「だが、このサーカスが軌道に乗ってきた頃になって萬石の野郎は豹変しやがった。猛獣使いの力に、支配する力に魅せられちまったんだ。奴は表には出せないような珍しい動物を集め、闇サーカスと称して剣闘士の真似事なんかを強制させ始めた。反発した俺も、このザマだ」
ハイイロオオカミの男は悔しげに奥歯を噛んだ。萬石について行ったことを後悔しているようだな。
「なんで逃げないんだ? 昨日だって、俺に会って忠告してる暇があるならどこへでも逃げられただろ?」
「俺が逃げれば、代わりに俺の一族が危険に晒される」
「人質ということか。卑劣な」
ガン! と來野が握った拳を檻の格子に叩きつけた。種族は違ってもこいつは俺と同じオオカミだ。俺だって今のを聞いたら腹が立ってきたぞ。昔の仲間にそこまでするのかよ。一発ぶん殴ってやりたいね。
「他人事じゃねえぞ。萬石は俺たちみたいな存在と長年関わってきた。人間に化けられる動物、人間と混ざった動物を見極められる。お前らも最初から狙われていたはずだ。家族を盾にこのサーカスで剣闘奴隷をさせられちまうぞ」
「冗談じゃねえ!」
「だから、関わるなと忠告した」
俺はオオカミ化こそ嫌いだが、それは自分だけの話であって一族を嫌ってるわけじゃないんだ。寧ろ大事に思っているからこそ愛唯の誘いを蹴り続けている。
萬石はニホンオオカミを探していた。
俺がニホンオオカミかどうかまでわかっていたかは知らんが、こいつの話が本当なら『人間と混じった珍しい動物』だとは認識されていたはずだ。俺が口を割らなくても狩神家の存在には容易に辿り着いてしまう。
させるかよ。
なんとしてでも脱出して、サーカスをぶっ潰さないと……。




