三十二匹目 オオカミくんと潜入開始
翌日の土曜日。
世界的に有名という肩書きは伊達じゃなく、サーカス会場には早朝から長蛇の列ができあがっていた。
神社へ初詣に来た参拝客よろしくずらっと並ぶ人、人、人。だが彼らの並んでいる理由は入場ではなく、当日のチケットを購入するためだ。
「チケット貰ってなかったらこの列に加わってた思うと、気が滅入りそうだな」
俺たちみたいに前もって指定席のチケットを入手してさえいれば当日買わなくていいからな。並ばずにすんなりと入ることができる。
「こんなに人気なのによくS席のチケットが余ってたね」
弥生が行列を眺めながら不思議そうに呟いた。今日はTシャツと短パンの上から春物のモッズコートを羽織ったボーイッシュな格好をしている。
「元々何枠かは来賓用に取っておくようです」
「へぇ、なんだかずるい気がするけど、まあいっか」
愛唯もフリルのついた白のカーディガンにフレアスカートといった余所行きの格好だ。赤い髪にも映えていて、なんというか、ちょっと可愛いな。制服姿ばかり見慣れているから割と新鮮だ。
「となると、我々の他にも呼ばれていそうだな。例のショーを見に来ていた連中とか」
開演の十時にはまだ少し時間がある。昨日は見つかってないから心配無用だと思いたいが、來野の予想通りなら念のため観客側にも注意を払った方がよさそうだ。
いや、それより。
「つーか來野、お前なんでそれ持ってきたんだよ。目立つだろ」
俺は來野が背中に担いでいる長大な薙刀袋を指差した。今はテントの外だからいいが、そんなの持ったまま入場しようとしたら絶対係員に止められるぞ。
それに服装も、なんで胴着姿なんだよ? 勝負服なの? 私服で来いよ。
「必要になるかもしれないからな。構わないだろう? どうせ我々は中には入らないのだ」
「それはそうだが……」
警察や保健所には爺さんの伝手で連絡だけはしている。が、その程度でどうにかなるならとっくに潰れているはずだ。下手に探りを入れてしまうと、虐待や裏のショーに関する証拠が隠蔽されてしまう恐れがある。
だから、サーカス側から招待されている俺たちが潜入捜査で証拠を見つけ出すしかない。
とはいえ招待された俺たちがサーカスも見ずにウロチョロしてたんじゃあ怪しまれるからな。会場内には俺たちのチケットを使って、分家から選抜した背格好の似た男女を変装させて送り込んでいる。
そうして団員たちがショーを行っている隙に俺たちが証拠を押さえ、狩神家の援護を受けて脱出。合図と共に警官隊が突入する手筈だ。
そこまでが昨夜、狩神家で開かれた緊急会議で決まったざっくりとした作戦になる。
「そろそろ始まる時間ですね」
愛唯が携帯で時刻を確認する。まだ列は並んでいるようだが、周囲にいた人々の大部分はテント内に流れてしまっているな。
「くんくんくん、兄貴大変! 売店のポップコーンができたてっぽい! ねえ、アレ食べてからにしない? ねえ!」
「ダメに決まってんだろ!」
俺はふらっと売店の方に誘われそうだった弥生の後ろ襟を掴んだ。今の俺たちはもうテント内に入っていることになってるから、外で関係者に見つかるわけにはいかないんだよ。
「ほら、腹が減ってはなんとやらって言うでしょ!」
「お前さっき待ってる間にフランクフルトとか食べてたよな!? いいから今のうちに移動するぞ!?」
そんなこんなで、不満そうにぶーたれている弥生を引きずって俺たちはテントの裏側へと回り込む。
確実な証拠があるとすれば動物用テントだな。昨日のハイイロオオカミみたいに、言い逃れできないレベルで虐待された動物の写真を撮るだけでいい。できれば裏のショーについても掴んでおきたいが、そっちはあとで警察に任せた方が賢明だろうね。
「む? 立ち入り禁止の柵が立てられているぞ」
先頭を進んでいた來野が立ち止まった。組み立て式のフェンスがサーカスの裏側をぐるりと取り囲んでいるようだ。
「昨日はありませんでしたよね?」
「今日から客を入れるから、誰かが迷い込まないように立てたんだろ」
「むー、これじゃ入れません」
愛唯がフェンスを掴んでガシャガシャと揺らす。地面に固定されているわけではないが、全部が連結しているせいで簡単には倒れそうにないな。万が一猛獣が逃げ出しても破られない頑丈さで設計されているはずだ。
一応出入りできる扉はあるにはある。内側から鍵がかかってるっぽいけどな。
「セラスさんのそれでぶった切ったらいいでしょ?」
「ほら見ろ狩神狼太。さっそく必要になったではないか」
「ドヤ顔すんな! こんなところでいきなり暴れてみろ、一瞬で捕まるぞ!」
てか來野さんてばこれ斬れるの? 素材鉄じゃないの?
「ならば他に良案があるのだろうな?」
「ああ、まあ、この程度の高さなら」
俺は少し後ろに下がると――トントン。その場で何度か軽めにジャンプをする。そして行けそうなタイミングで助走をつけ、足のバネをフル稼働させて跳躍した。
「飛び越えればいいだろ」
若干飛び過ぎたが、問題なくフェンスを跨ぐことができたな。
「おお、オオカミさんすごいジャンプ力です!」
「簡単に言ってくれるな! そんな跳躍できるか!」
「兄貴、そこの扉って中から開けられない?」
三人は飛ぶ気なんてないようで、俺が鍵を開けた扉から楽々と中に入ってきたよ。なんか桃太郎にお伴して鬼ヶ島の門を開いたサルになった気分だ。俺、オオカミだけど。
愛唯が桃太郎だとすればお伴が、オオカミ、オオカミ、シロサイ……なんだこの組み合わせ? 謎すぎる。
「待て。……やはり、警備は厳重のようだ」
來野に止められて俺たちは近くに停車していた大型車両の陰へと隠れる。動物用テントの前には数人のサーカス団員が周囲を警戒していた。
「外だけだな。中から人の気配はしない。愛唯、サーカスに出演する動物はもう移動しているのか?」
「はい、普通なら舞台裏で待機しているはずです」
「となれば、終わるまでは誰も入って来ないと思っていいか?」
リハーサル通りなら動物のショーはフィナーレだ。それまでは大丈夫だろうが、あまり楽観視はできないな。
「問題は、あの警備をどうするかだ」
観察した限りだと、最低でも二人は動物用テントの前から動かない。強行突破はできなくもないが、すぐに応援を呼ばれて一網打尽になっちまう。
なにか、警備の気を強烈に引き付けるものがあればいいんだが……。
「……はあ、仕方ないか。ここはこの弥生さんに任せなさい」
思案していると、弥生がどういうわけかぴょこんとオオカミ耳と尻尾を出したぞ。そして真っ直ぐ愛唯を見詰める。
「愛唯さん、あたしを撫でて」
「え?」
「なにをする気だ、弥生?」
不穏な予感。この妹は、たぶん、物凄く危険なことを考えている。
「あたしがオオカミになって警備の人を引き付ければ問題ないでしょ。だって兄貴もセラスさんも完全な獣にはなれないんだし、見つかって身元がバレないのはあたしだけじゃん」
「それだと弥生殿が危険だ」
「大丈夫大丈夫。あたし鬼ごっこは得意だから♪」
ニィと笑顔で答えてみせる弥生は、覚悟を決めているようだな。兄としては止めるべきなんだろうが、歯痒いことにこの中で囮役に一番適しているのは弥生だ。
「捕まるなよ? いざとなったら外に逃げろ」
「兄貴じゃないんだし、そんなヘマしないでしょ」
ほう? まるで俺なら速攻ヘマして捕まるって言い草だな? なんだったら囮役代わってもいいんだぞ? オオカミ化は無理だが、適当に暴れりゃいい感じに注目浴びるだろ。
まあその場合、警察のお世話になるのは俺だけどね。
「さあ、愛唯さん。お願い。愛唯さんに撫でて貰えば一発で変身できるからさ」
俺のプライドなんて知ったことかとばかりに弥生は愛唯に向き直った。愛唯は少し躊躇っていたが、弥生のピコピコ動く耳、ふさふさ揺れる尻尾を見て我慢の限界が来たようだ。
「わかりました。弥生ちゃん、もふらせていただきます!」
飛びつくように弥生を抱擁した愛唯は、そのままわしゃわしゃと頭やら尻尾やらを猛烈に撫で回し始めた。自分から撫でろって愛唯に頼むとか、俺なら絶対無理だな。
「ふわっ……きたきた! これ、うわ、すっごいゾクゾクするッ!」
されるがままの弥生は愛唯に撫でられる度に変な喘ぎ声を出していたが、やがてその体は小柄なニホンオオカミへと変化していた。
ぶかぶかになって邪魔なコートなどは脱ぎ捨て、來野が畳んでその辺に隠す。
「動けそうか?」
「なんとかね」
四足で立ち上がった弥生はぶるっと全身を震わせた。この前はぐったりしたまま学校も休んでしまったが、今回はそこまで憔悴していない様子。あの時は愛唯が遠慮なくもふりまくったからなぁ。
「弥生ちゃん、一言だけ。絶対に無茶はしないでください」
「あは、愛唯さんに言われるとそうしないといけない気分になっちゃうなぁ。これが猛獣使いの力ってやつかな?」
茶化すようにそう言うと、弥生は堂々と団員たちの目の前に飛び出し――
「ウォーン!」
一声、咆えた。
テントの前にいた団員たちが一斉に弥生の方に注目する。
「なんだ、犬?」「いや、オオカミだ!?」「まさかうちの檻から逃げ出したのか!?」「あんなオオカミいたか?」「野良犬じゃねえの?」「いいから捕獲しろ!」「もし本当にオオカミだったら大変だ!」「団長にどやされるぞ!」「そりゃ勘弁!」「そっちから回り込め!」
五人以上いた団員たちが二手に分かれて迫り来る。弥生は捕まえようとする彼らをするっとすり抜けてテントの向こうへと走って行った。
意外とあっさり、動物用テントの前から誰もいなくなったな。




