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二十九匹目 オオカミくんとサーカスの闇

 サーカス会場は既に照明が落とされていた。

 人の気配も全く感じられない。あれから一時間ほどしか経っていないはずなのに、会場内はまるで荒廃した未来にタイムスリップしたかのような静寂に包まれていた。

「……妙に静かだな」

 來野が不審げに周囲を見回して呟く。弥生もそれに同意して少し不安そうな顔をした。

「サーカスの人たち、どこ行っちゃったんだろ?」

「飯でも食いに行ったんだろ」

 時間的には丁度いい頃だしな。だとしても誰も残っていないのは些か不用心だ。サーカスのメイン会場となるテントにも普通に入れてしまったよ。もしかして鍵をかけられない造りとか? そんな馬鹿な。

「わわっ!?」

「おい」

 先頭を歩いていた愛唯が段差に躓いた。危ういところで俺が襟首を掴まなかったらアルマジロみたいにコロコロ転がりそうだったな。

「すみません、オオカミさん」

「気をつけろ。暗いんだから」

 テントの中は思っていた以上に暗い。夜目が利く俺や弥生なら問題ないが、愛唯たちは歩きにくそうだ。

「人がいれば落とし物を訊ねられたのだがな」

「いないもんはしょうがないだろ。とにかく携帯鳴らしてみろ」

 言われ、來野が自分のスマホを取り出して画面をタッチ。通話履歴から再度愛唯の番号にかけ直したようだ。

 すると――ブーン! ブーン! ブーン!

 どこからともなく携帯のバイブ音が聞こえてきたぞ。マナーモードになっているのか、音楽とかは流れていない。

 最前列付近でなにかが光った。

「あ、ありました!」

 慎重に駆け寄った愛唯が座席の下に落ちていた携帯を拾い上げた。画面には來野からの着信が表示されている。間違いないな。

「落としたまま気づかなかったみたいですね。あはは」

 愛唯は恥ずかしそうに苦微笑した。最後のショーを見ている時めっちゃはしゃいでいたからな。その時に落としたんだろうね。

「うむ、見つかってよかった」

「ならさっさと帰るぞ。不審者扱いされても面倒だ」

「いや兄貴、さっきまで一緒にいた人たちだよ? そんなことにはならな――」


 ヴァアァァアオォオオォオオォオォォオオォオォオォォォン!?


 俺たちの会話を遮るように、空気を引き裂く絶叫が轟いた。

「な、なんだ今のは!?」

「なにかの雄叫び? なんだか、すごく苦しそうな感じ……」

 その悍ましさに來野と弥生が肩を震わせて身構えた。俺は周囲に視線を巡らせて声の主を探すが……見つからないな。俺たち以外の気配はない。そもそも、声はテントの外から聞こえたぞ。

 ヴァアオォオォオォォオォオォオオオオオン!?

 絶叫はなおも響いてくる。

「……オオカミだ」

 オオカミの血が流れている俺にはわかる。残念ながら動物語を理解できるわけじゃないんで日本語訳しろと言われたら困るが、雄叫びや遠吠えとは違う。

 これは、悲鳴だ。

「愛唯、このサーカスにオオカミなんていたのか?」

「いえ、見た限りだといませんでした」

 愛唯も戸惑っている様子でふるふると頭を横に振った。聞こえるのがオオカミの悲鳴だけとなると……いや、耳を澄ませば微かに、鞭でなにかを叩くような生々しい音が混じってやがる。

 俺の脳裏に足枷野郎の顔が浮かぶ。

「動物用テントの方からです!」

「あっ!? またお前は勝手に!?」

 駆け出した愛唯を追って俺たちも走る。愛唯は暗闇に何度か転びそうになっていたが、それでも速度を落とさずにテントを飛び出して裏側へと回り込んだ。

 今度は俺も來野も自由に動けたからな。遅れは取らない。

「ちょっと待て」

 なんの躊躇もなく動物用テントに飛び込もうとした愛唯を俺は間一髪で引き留めた。中がどうなっているのかわからない以上、闇雲に突撃するわけにもいかないからな。

「離してくださむぐっ!?」

「落ち着け。まずは様子を見るんだ」

 俺は大声を出しそうだった愛唯の口を手で塞いだ。なにせ既に嫌な予感が俺の頭の中で警報を鳴らし続けているんだ。その嫌な予感が俺の想像通りにならないことを祈りたい。

 來野と弥生に目配せする。二人が黙って頷いたことを確認し、俺たちはテントの入口からそっと中を覗き込んだ。

「――ッ!?」

 愛唯が息を飲んだ感覚が手に伝わる。口を押えていなかったら悲鳴を上げていただろうね。それほど凄惨な光景がテントの中で行われていたんだ。

「君はまた勝手に抜け出していたようだね」

 萬石の声。それからバシッ! と鞭が鋭く肉を叩く音。

 続いて先程から聞こえていた、獣の絶叫。

「……くそっ、やっぱりかよ」

 テントの中央では、後足に鉄球の枷を装着された巨大なオオカミが倒れ伏していたんだ。全体を覆う白っぽい灰色の毛には血が滲んでいる。

 たぶん、ハイイロオオカミ。大陸に広く分布しているが、一部地域で絶滅危惧種に指定されている種だ。アメリカの方では繁殖が成功してリストから外れたんだっけか? とにかく俺たちニホンオオカミにとっても超遠い親戚みたいなもんだ。

 そんな親戚が鞭で打たれ、血を滲ませて倒れている……胸糞悪いってもんじゃねえ。

「私に気づかれないとでも思っていたのか? まさか小さな赤ずきん(リトルメイジー)に接触していないだろうね?」

 ハイイロオオカミの傍に立つ萬石は、ゾッとする嗜虐的で冷酷な笑みを浮かべていた。俺たちにショーを見せたりサーカスを案内していた姿が別人のようだぞ。

 萬石だけじゃない。サーカス団員の全員がハイイロオオカミを取り囲んでやがる。ショーを見ている観客のようにクスクスとした笑い声も聞こえた。

「……」

 ハイイロオオカミは無言。意識はあるようで、萬石を睨め上げている。

「ああ、小さな赤ずきん(リトルメイジー)は常に私が見ていたからそれはないか。だが、他の連中はわからんな。たとえばあの少年とか」

「――ッ!」

 唐突に俺のことを言われて体が少し跳ねてしまった。大丈夫だ。声は出してないし物音も立てていない。

「余計な事を言っていないだろうね?」

 そう言って萬石はまた鞭でハイイロオオカミの背中を叩いた。聞いているこっちが背中を押さえたくなる痛烈な音が響く。弥生と來野が短く小さい悲鳴を漏らしたが、萬石も団員たちもまだ俺たちには気づいていないようだ。

 だが――

「会ってなどいない」

 初めて人語を口にしたハイイロオオカミは、一瞬だけ俺たちの方に視線を向けたな。

「俺は久々に日本の外の空気を吸いたかっただけだ。小さな赤ずきん(リトルメイジー)も、その仲間とやらも知らん」

 ハイイロオオカミはもう一度俺たちを見る。「なぜ戻ってきた! さっさと消えろ!」という無言の意思を感じた。

「狩神狼太、人語を喋っているが、あのオオカミは……?」

「悪い來野、今は黙っていてくれ」

 この声にあの足枷……間違いない。ハイイロオオカミは俺に忠告してきた足枷野郎だ。萬石とどういう関係なのか知らないが、あの忠告は正しかったってことかよ。

「はぁ、猛獣使いの力はこういう時に便利なようで不便だ。人間の意思には働きかけることができないから、口を割らせるにはこうするしかないのだよ」

 萬石が鞭でハイイロオオカミをしばく。

 何度も、何度も何度も何度も。血が噴き出ようが悲鳴を上げようが、萬石は楽しそうに愉しそうに粘つく笑みを貼りつけて鞭を振るい続ける。

「まったく腕が疲れるではないか。明日がサーカス本番だというのに、どうしてくれる?」

 言葉だけなら嫌々仕方なくやってますよという体裁だ。が、奴は鞭を振るう度にゾクゾクとした愉悦を感じているように見える。

「ひ、酷い……」

 弥生が泣きそうな声で呟いた。こんなの見せられたら俺だって今すぐ飛び出したくなる。だが、流石に多勢に無勢すぎる。ここで見つかってしまえば次は俺たちがあーなる番だ。

「まあいい。拷問はここまでだ。それよりそろそろ『前夜祭』の客が来る頃か」

 萬石はそう言って鞭を巻き取ると、近くにあったライオンの檻の扉を開いた。

()()

 命じられ、一頭の雄ライオンがのそのそと歩み出てくる。萬石に対して異様にビクついているってことは、あのライオンも鞭で叩かれる恐怖が染みついているんだろう。

 萬石はハイイロオオカミに向き直る。

()()()()()。今日は君を使うことに決めたのだよ」

 萬石が踵を返す。命じられたハイイロオオカミは足枷がついたままよろよろと立ち上がり、ライオンと共に萬石の後に続いた。

「まずい、こっちに来る。隠れろ」

 俺たちは咄嗟に動物用テントから離れて物陰に身を潜めた。萬石たちはメイン会場の裏口から舞台裏の通路に入っていく。団員たちもぞろぞろと……なにをする気だ?

「んー! んー!」

 と、真下から苦しそうな呻き声が聞こえた。そういえばずっと愛唯の口を押えていたな。

「あ、悪い。大丈夫か?」

「はーふー! 酷いですオオカミさん!」

 大きく息を吸って吐いて愛唯は俺に抗議してきた。

「いや、あーしないとお前騒いでただろ?」

「もう大丈夫ですよ。萬石さんがやってること、だいたいわかりました」

「どういうことだ、愛唯?」

「行けばわかります。見たくはないですけど」

 首を傾げる來野に愛唯は心底腹立たしい様子でそう返した。

「ねえ、もう誰もいないみたいだよ」

 裏口からこっそり中を覗いた弥生が手招きしてきたので、俺たちは一応警戒だけはしながら通路を進んでステージが見える場所まで辿り着いた。

 サーカス会場には照明がつけられていて……なんだ? 観覧席にちらほらと人が座っているぞ。

 団員たちもいるが、そうじゃない連中の方が多い。なんか成金っぽいゴージャスなスーツを着たオッサンや、美女を何人も侍らせた偉そうな男爵風のオジサマ、チャラい格好だが金を持ってそうなカメラマンの兄ちゃんなんかもいるな。

 ステージにはさっきのハイイロオオカミとライオンが対峙するような位置に立っている。鞭を握った萬石はステージ中央で羽ばたくように両腕を広げていた。

「さあさあお待ちかね! 世にも珍しいアニマルファイトの時間だ! 今宵はオオカミVSライオンのショーをご覧に入れよう!」

 萬石は観客たちに向けて司会者然としたテンションでそう告げると、ステージ後方へと下がり――


()()


 一言だけ、そう命令した。

 次の瞬間、ライオンが吠えてハイイロオオカミへと飛びかかった。傷ついている上に足枷されているハイイロオオカミは避けることなどできず、凶悪な前足の一撃を諸にくらっちまったよ。

 動物同士を強制的に戦わせている……のか?

 愛唯と同じ、猛獣使いの力を使って?

 あいつらはサーカスとは別の見世物として、裏社会の腐った人間どもの享楽に付き合わされてるってことか?

 ふざけてやがる!

「やっぱり、こんなの許せません! 今すぐ止めましょう!」

 沸き起こった怒りは俺より愛唯の方が速かった。ステージに飛び出そうとした愛唯を見て俺は正気づき、寸でのところで羽交い絞めにして裏口へとダッシュした。

 叫ぼうとした愛唯の口を來野が押さえる。弥生が俺たちよりも前を走り、誰にも見つからないようにサーカスの出口へと先導してくれた。

「オオカミさん! セラスちゃんに弥生ちゃんも! どうして止めるんですか!」

 アーチを出たところで解放するや、愛唯はかなり苛立った様子で怒鳴り散らしてきたよ。

「愛唯、残念ながらあの場で我々が飛び出しても捕まってしまうだけだ」

「あたしだって悔しいよ! 団長さんいい人だと思ってたのに!」

 來野も弥生も歯痒そうに拳を握った。俺だって同じ気持ちだ。虐待だけじゃなくあんな裏のショーまでやっていたなんて、胡散臭いが悪い人間じゃないと思っていただけに裏切られた気分だよ。

 なんとか、するべきなんだろうな。

 仕方ない。


「一旦俺の家に行くぞ。ここからならたぶん一番近い」


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