一匹目 オオカミくんと夜のコンビニ
突然だが、レッドリストという言葉を聞いたことがあるだろうか?
国際自然保護連合、または日本の環境省が作成した『絶滅する恐れがある野生動物の種のリスト』のことだ。
現代、多くの動物たちが絶滅の危機に瀕している。レッドリストに載っている数だけでも約二万種もいるんだ。人間が認知していない種も当然いるだろうから、実際はもっと途方もない数字になるかもしれない。
中には残念ながら絶滅してしまった種もいる。環境の変化、乱獲や害獣駆除、外来種による捕食。原因となる理由は様々だが、残念なことに元を辿ればだいたい人間が悪いことが多い。
知ってるか? 野生のウマやヒトコブラクダなんてもういないんだぞ。
まあ、それらは野生じゃなければ生存しているわけでまだマシだ。そうじゃない、完全に種が絶えてしまった動物たちは数知れない。
だが、そういう絶滅種たちは、本当に絶滅したと思うか?
不確定だが、稀に目撃情報があったりするだろ?
実際は人間たちに知られないように、人間たちの想像が及ばない方法で生き延びている種もいる。かもしれないではなく、いるんだ。ここは断定させてもらう。
例えば、キツネやタヌキのように人に化ける力を得て人間社会に溶け込んだりしているとかな。ほら、日本の昔話にも『ツルの恩返し』みたいな動物が人間に化けるって話が割とあるだろ? もしそれが実話だったのなら、そんな突拍子もない話が遥か昔から伝わっているのも納得ってもんだ。
笑いたけりゃ笑えばいいさ。別に信じてほしいわけじゃない。
ただ俺が知る範囲で間違いないことは――俺の爺さんが絶滅したはずのニホンオオカミだってことだ。
つまりは俺、狩神狼太にもニホンオオカミの血が混じっているわけである。
◆
夜の散歩は気持ちがいい。
五月も半ばを過ぎた今日この頃、俺はまだ肌寒く冷え込む夜道を薄手のパーカーを着て歩いていた。夜の散歩は俺の日課のようなもんだ。夜行性ってのもあると思うが、とある体質的事情からひと気の少なくなった夜の時間帯にしか外出する気が起きないんだよ。
とはいえ、夜道を一人で歩くってのは思っているより危険が伴う。巡回中の警官に見つかって補導されるのはまだマシで、足を滑らせて川や海に落ちたり、飲酒運転の車や無灯火の自転車に轢かれそうになったりするかもしれん。
それに――
「でさぁ、そのオッサンから巻き上げた財布に十万も入っててさぁ!」
「マジかよ! 十万もくれるなんて親切ないいオッサンじゃねえか!」
「ウラヤマ。俺なんてこないだ目をつけたオッサンが空手の有段者でよう」
「その顔の痣はそういうことかよ! ギャハハハ! かっこ悪ぃな!」
夜はどうにも、こういうガラの悪い連中が湧いて出るんだよな。コンビニの駐車場に屯ってオヤジ狩りの武勇伝を笑い話にしてやがるよ。そのコンビニ、入りたいんだけど。妹に散歩行くなら新作のポテチ買って来いって頼まれてんだよ。
まあ、そう心の中で愚痴ってる俺も、こうして夜遊びしてるわけだから世間的には不良だと思われている。なにせ目つきが悪いせいもあってけっこうな頻度で不良に絡まれるんだ。それをいちいち返り討ちにしていたら、なぜかいつの間にか地元じゃ有名な悪ガキになっちまってたよ。なんか〝西の狂い狼〟とか恥ずかしい二つ名までついてやがるし。
とはいえ、不良のレッテルは別に悪いことばかりじゃない。俺にとってはな。
「いらっしゃいま……せ……」
不良グループと目を合わせないようにしてコンビニに入ると、俺の評判を知っているらしい気弱そうな男の店員がぎょっとした表情で挨拶してきた。もう慣れたもんだが、いい気分じゃないな。
他に客もいないし、さっさとお菓子の棚から新作らしいエビマヨ味のポテチを取ってレジへと向かう。
「ひゃ、百四十一円になります」
「あ、ホットコーヒーも一つ」
「ひぃ! かし、かしこまりました!」
別になにもする気なんてないのに、俺に対してビビリまくっている店員がコーヒーを淹れてくる。コンビニのコーヒーって安い割には美味いよな。
会計を済ませて外に出ると、不良たちは駐車場からいなくなっていた。いや、違うな。なんか駐車場の端に集まっている。
誰かを囲んでいるのか? あーあー、目をつけられちまったのか。運のない奴もいたもんだ。ご愁傷様。
「こんな時間に女の子が一人で歩いてたら危ねえよぅ?」
「俺らみたいなこわーい人が寄ってくるからよぉ」
「つーか、マジ可愛くね? 激マブだわ」
「お前それ死語だぞ! ギャハハハ!」
ゴミ箱の前でコーヒーを飲みながら横目で観察していると、どうやら絡まれているのは女の子らしいな。不良たちの背中で姿はよく見えない。
可哀想だが、助けるつもりはない。面倒事に関わりたくないからな。騒ぎに気づいたコンビニの店員が勝手に通報するだろうし。
それに俺は、女には不用意に近づくなって爺さんにきつく言われてるんだよ。
「どいてください! わたしはコンビニに用事があるんです!」
絡まれている女の子は気丈にも言い返していた。だが、アレはダメだ。あーいう手合いは応対してしまうとどこまでも付け上がっちまう。逃げるか叫ぶかするのが一番なんだ。
「いいから俺たちと遊ぼうぜゲヘヘ」
いつの時代も変わらない三下臭漂うセリフだな。
「遊び、ですか? 男の人はみんなオオカミさんだと聞いています。わたしと遊びたければ、まず正体を見せてください」
なんだ? なにを言っているんだあいつは?
不良たちを挑発してるのか? それとも誘っているのか? どっちにしろ普通の反応じゃないぞ。あの女の子も不良の同類だったってことか? それとも俺に気づいていて、俺の正体を知っていて遠回しに発言しているなんてことは……ないよな? ないよね?
いやでも待て、そういえばこの声どこかで聞いた気がするぞ。
「オオカミさん? ぷはっ! オオカミさんだってよ!」
「そうだぜ。俺たちみんなこわーいオオカミさんだぜぇ」
「それはつまり食べちゃってもいいってことだよなぁ?」
「ガオーガオー! ギャハハハハ!」
ついに不良たちが女の子の手を掴んでどこかに連れ去ろうとし始めた。やっと見えた女の子の姿は――一瞬、目を奪われてしまうくらい鮮烈だった。
別に奇天烈な格好をしていたわけじゃない。
まず目に入ったのは、夜でも目立つ赤という色。それが緩くふわっとしたロングボブの髪の色だとわかるまで少しかかった。羽織っている白いカーディガンがより一層その色を際立たせている。体系は小柄で、ぱっと見ではよくて中学生にしか見えないな。
あの真っ赤な髪に小さな体。
まるで童話に出てくる赤ずきんを想像してしまいそうな可憐な少女は――
困ったな。俺のクラスメイトだ。名前は……なんだっけ? 覚えてない。高校に入学して一ヶ月ほど経過しているが、人付き合いは苦手でずっと避けてきたからしょうがない。
「チッ、どうりで聞いたことがある声だと思ったよ」
俺はコーヒーのカップを握り潰してゴミ箱に放った。それからパーカーのフードを目深に被り、女の子を連れ去ろうとしている不良たちに近づいていく。
赤の他人なら助けるつもりはなかった。合意の上ならスルー安定だった。だが、「やめてください!?」と抵抗するクラスメイトを放置して帰ったら寝覚めが悪くなる。
「おい、ちょっと待て」
俺は不良の一人の肩を掴んだ。
「あぁ?」
振り向き様にメンチを切ってくる不良A。不良B・C・Dも赤毛少女の手を放して俺を取り囲んだ。流石、オヤジ狩りをしているだけあって慣れた動きだ。
「なんか文句あるんですかぁ、おにーさーん?」
「それとも僕たちにお小遣いくれるんですかぁ?」
「カッコつけてんじゃねえよ! ぶっ殺すぞ?」
「ヒーロー気取りってか? ギャハハハ!」
俺は内心で舌打ちした。別にこのクズどもになにを言われようとどうでもいい。だが、せっかく不良が手を放したのに赤毛少女が逃げようとしないんだ。
できれば俺がクラスメイトだって気づかないまま帰ってほしいんだけど……。
「おいてめえ、なんとか言え……げっ!? こ、こいつ、西中の狩神だ!?」
「〝西の狂い狼〟だと!?」
「この辺こいつの縄張りだったのか!?」
「ギャハッ! え? ヤバくね?」
不良たちがフードの中を覗き込んで俺の正体に気づいてしまった。西中って、今はもう高校生なんだけど。ていうか、名前を呼ばれてしまったらもう誤魔化すのは無理かもな。赤毛少女が俺を覚えてないことを祈るか。
「そいつ、俺の知り合いなんだよ。それ以上手ぇ出すってんなら――喰うぞコラァ!」
「「「「ひっ」」」」
俺がこの町で有名な不良ってことになっている狩神狼太だとわかった途端、不良たちは一気に引け腰になっていた。たぶん一回以上喧嘩してぶっ飛ばしたことがあるんだろうな。覚えてないけど。
「か、狩神相手は分が悪い!? ずらかるぞ!?」
「待てよ、こっちは四人だぞ。なんとかなるんじゃないか?」
「そりゃ無理だ。こいつ中二の時に三十人くらい一人でボコったらしいし」
「ギャハハ! それにこいつんちはかなりやべえヤクザって噂だぜ!」
一戦くらい交えるかと思ったが、不良たちは潔く尻尾巻いて逃げて行った。俺の悪名もたまには役に立つな。てか三十人は誇張しすぎだ。多くても十人ちょっとだったはず。あと俺んちはヤクザじゃねえよ。
さて、俺も帰ろう。あまり遅くなるとポテチを待っている妹がうるさいからな。