二十六匹目 オオカミくんとリハーサル見学
正直な話。
何度も主張しているように、俺はリハーサル見学なんて乗り気じゃなかった。
だが、いざ始まってみると……唖然としたね。ポップコーンを食べる手が止まるほど魅せられる演目が、次から次へと怒涛のごとく行われていくんだ。
オープニングは陽気な音楽に合わせてアクロバティックなダンスだった。続いて吊るされたロープを使ったアクション。数人が肩車をして一台の自転車を漕いだり、バイクに乗って球体の中を縦横無尽に駆け巡る。ふざけた格好のピエロたちがふざけた調子でジャグリングしながら観覧車のように回転する大車輪に乗り、天高く積み上がった人間ピラミッドは学校の体育祭の組体操がおままごとに見えるレベル。
「これは……期待以上だ」
槍を用いた時代劇の殺陣に似た演舞が始まると、來野が思わずと言った様子で立ち上がった。來野は薙刀部だし、あーいうのが好きなんだろうね。
「空中ブランコすっご!? カッコイイ! あたしもやってみたい!」
まるで空を飛んでいるような優雅さで舞う空中ブランコには弥生も興奮を抑え切れなかったようで、危うく耳と尻尾が飛び出しかけていたよ。いやホント危ないな。
「……ッ」
かくいう俺も、自分でも気づかない内に愛唯に借りたオペラグラスをあてつつ身を前に乗り出していた。だってこれは仕方ないだろ。愛唯の家で見たサーカスの映像も凄まじかったが、やはり生で見るのとでは迫力が違うんだよ。
観客が他にいないため熱気は少ないが、それでも貸切の特別感は童心に返ったように俺の心を弾ませていた。
《レディース・エァーンド・ジェントルメェーン! お待たせいたしました! いよいよ我がサーカス最大の目玉! 萬石団長による猛獣ショーを行います!》
アナウンスに対する拍手は俺たち四人だけの寂しいものだったが、それでも猛獣たちを引き連れてステージに上がった萬石は威風堂々としていた。
「さあ、そこの台座に乗りたまえ」
ビシン! 萬石が鞭で鋭く床を叩く。後ろに控えていた一頭の雄ライオンと四頭の雌ライオンが一斉に動き出し、ステージ上に設置されたそれぞれ高さの違う台座に飛び乗った。
台座の上で後足だけで立ったライオンたちが俺たちに向かってお辞儀をする。アレは愛唯が仔犬たちのショーでもやっていたな。兄妹弟子だからショーの内容も少し似てしまうのだろうね。
萬石が鞭を鳴らせば、ライオンが火の輪をくぐる。
さらに鞭を叩きつけると、今度は玉乗りでステージをぐるりと回る。
そんな定番なショーを見せたかと思えば、今度は舞台袖から四本の西洋剣が投げ込まれた。なにをするんだ? と期待する俺たちの目の前で、雌ライオンたちが西洋剣を口に咥えて人間みたいに戦い始めたぞ。
《おおっと! 雌たちが一匹の雄を巡って争い始めた! これは大変だ!》
ライオンがやっているとは思えない剣戟の音が響く中、芝居がかったアナウンスが流れてくる。どうやらそういう体のストーリーだったようで、最後は雄ライオンが割って入り、四匹を仲直りさせてハッピーエンドを迎えていた。
演劇をするライオンとか見たことも聞いたこともない。しかもホントに殺し合いをしているんじゃないかってくらいの迫真の演技だった。実は着ぐるみで中に人が入っていると言われても驚かないぞ。
これは愛唯もさぞ大はしゃぎだろうな。
と思って最前列に目を向けてみると――あれ?
愛唯はライオンたちに拍手を送ってこそいたが、その横顔はなにかに引っかかっているような浮かない表情をしていた。
「愛唯?」
ライオンと入れ替わりにシマウマやゾウやキリン、チンパンジーにゴリラ、トラやジャガーが動物離れした曲芸を始める。愛唯はさっき見えた表情が嘘のようにテンションを上げてそれらを笑顔で観覧していた。
だが――
俺にはどうも、その笑顔が心の底から溢れたものではないような気がした。
リハーサルが無事に終わると、その後は各々が自由にサーカスを見て回ることになった。
來野は槍の演舞を行っていた団員たちの輪に入って談笑している。弥生は空中ブランコをやってみたいと無茶なお願いをし、安全面を大幅に強化した状態で体験させてもらっているようだ。ホントうちの妹がすみません。
俺と愛唯は苦笑しつつ、素人とは思えない身体能力で空中ブランコを楽しんでいる弥生を見上げていた。
「弥生ちゃん、空中ブランコが好きなのですねー」
「待て愛唯、なにを考えてやがる?」
やっぱりこいつ、俺だけじゃなく弥生を誘うことも諦めてないぞ。弥生の性格からして面白半分でオーケーしそうだから兄貴の俺が死守しなくては!
「オオカミさんと弥生ちゃんが二人でタイヤの空中ブランコをしてくれれば絶対に盛り上がると思うのです」
「そりゃオオカミ二匹が空中ブランコすりゃ盛り上がるだろうけど却下だ却下!」
「えー」
「えーじゃねえ!?」
愛唯への警戒心を引き上げていると、団長の萬石が俺たちを見つけて歩み寄ってきた。相変わらず柔和な微笑みを浮かべている萬石は、愛唯ではなく俺に向かって口を開く。
「どうだったかね? 私のサーカスは?」
「ああ、なんというか、すごかったよ」
頭の悪い感想でつまらないかもしれんが、アレは着飾った言葉で表現できる次元を超えていた。だから素直に、簡潔に、わかりやすい言葉で伝えることしかできなかった。
愛唯が萬石を見上げる。
「萬石さん、お約束、忘れてないですよね?」
「もちろんだとも。動物用のテントは裏手だ。案内しよう」
鷹揚に萬石が頷くと、愛唯はぱぁあああっと表情を明るくさせた。そういえばリハーサルを見学する条件として、サーカスの動物と触れ合える場を設けることになっていたな。
愛唯には訊きたい事もあるし、俺も一緒に行くか。
萬石の後に続いて外に出ると、そのままテントに沿ってぐるりと裏側へ回っていく。萬石が歩きながらサーカスの設備やらなにやらを自慢げに解説しているけど、興味ないから聞き流した。
「なあ、お前、動物のショーの時ちょっと変じゃなかったか?」
横を歩く愛唯に疑問を投げかける。勉強熱心に大先輩の話を聞いていた愛唯だったが、俺の問いを受けると眉を曇らせた。
「……一応、割り切ってはいるのです」
「なんの話だ?」
俯いた愛唯の声には、少しばかり哀憐の色を帯びていた。
「ライオンさんも、シマウマさんも、ゾウさんもキリンさんもゴリラさんもみんなサーカスをやらされていました」
「あ? そりゃそうだろ」
愛唯がなにを言っているのか俺にはわからなかった。
「そうですね。普通は、そうなのです。でもわたしが目指しているところは、お祖母様のサーカスのように動物さんたちも楽しんでショーを自分からやってくれることなのです」
愛唯とショーをしていた仔犬たちを思い出す。あいつらはボール遊びをするみたいに芸を楽しんでいたように見えた。言われてみれば、さっきの猛獣ショーに出ていた動物たちは喜んで芸をやっている感じじゃなかったな。
「あー、なんとなくわかった。だが、お前の理想を他人に押しつけるのはどうかと思うぞ?」
「押しつけてないですよ。他のサーカスだったらわたしだって普通に楽しんでいます。でも、萬石さんはわたしの兄弟子なのです。お祖母様の教えを受けているはずなのに、そういう風にしちゃっているのがどうにも嫌なのです」
「まあ、あの人は動物と仲良しこよしな関係を築くタイプじゃなさそうだしな」
昨日ハッキリと動物は部下だと言い切ったからな。愛唯とは違う、もっと大人な関係で接しているんだろうね。
「ハハハ、だからこそなのだよ、小さな赤ずきん」
どうやら話を聞いていたらしい萬石が振り向かずに笑った。
「私には君のような考え方はできない。逆に君も私のようにはなれない。異なる考え方は反発し合うかもしれないが、上手く噛み合えばそれまで以上の奇跡を起こせるとは思わないかね?」
「……」
そんなこと言われても返事に困る。俺に対してじゃないから返事しないけど、愛唯の頑固さは一筋縄じゃいかねえぞとだけ言っておくよ。心の中で。
「残念ながら私のショーはミセス・アンジェラ――君のお祖母様の足下にも及ばない。だから彼女と同じ理想を抱き実現できる君を我がサーカスに迎えたいのだよ。動物たちにとって君がアメで私がムチになるような関係が望ましいね」
萬石は単純に愛唯の能力が欲しいってわけじゃないみたいだな。自分とは違う考え方の人間を傍に置くことで、サーカス運営の舵取りを調整したいってところか。
「だが、あくまでも君が理想を貫くのであれば内部から変えてみたまえ。仮に世界と現実を知って考えを改めるようであっても、それはそれで私としては構わないよ」
愛唯の意思を尊重するようなことも言っている。ていうかこの話の流れで勧誘始めてんのかこのオッサン。侮れないな。兄妹弟子なだけあって、そういうところはホントよく似てるよ。
ずっと黙って話を聞いていた愛唯は、神妙な面持ちだな。
「……少し、考えさせてください」
「こちらとしても急かすつもりはないのだよ。気長に待とう。君の能力があれば一般的な修業期間など不要だからね。今はまだ、高校卒業後の有力な進路候補の一つとでも考えておくといい。ただ、何事も早い方がいいことは確かだけれどね」
こんな話、完璧部外者の俺が聞いていいもんじゃないだろ。そろそろ退散した方がいいかな? いいよね?
「さて、動物用のテントはここだよ」
回れ右しようと思ったら、目的地に着いちゃったよ。
サーカスのメイン会場よりは小さなテントになるが、それでも大量の動物たちを収容しているだけあってかなりでかい。あと獣臭いな。当たり前だけども。
「わぁ!」
中に入るや否や、愛唯が感激の吐息を漏らした。それもそのはずで、テントの中では様々な動物たちが檻の外で自由気ままに過ごしていたんだ。
ほら、すぐそこにある檻の屋根に上った雌ライオンが大きな欠伸を――
「――ってライオンやトラを檻から出してていいのかよ!? しかもシマウマとかと一緒って食われるぞ!?」
なんだこれどこのサバンナだよってくらいの放牧っぷりに思わず大声を上げてしまった。俺の声に反応したライオンたちが一斉にこっち見たぞ。
や、やるならやるぞ。オオカミがライオンより弱いなんて思うなよ!
「ハハハ、心配はいらない。彼らが人や他の動物を襲うことはないし、私の許可なくこのテントから出るようなこともないのだよ」
危険を感じて身構えた俺を萬石はおかしそうに笑いやがった。くそっ、ちょいと恥ずかしいな。
「萬石さん!? ここここの子たち全員もふもふしてもいいのですかッ!? ですかッ!?」
「そういう約束だったからね。存分に触れ合うといい」
目の前にニンジンを吊らされた馬のごとくテンションを上げる愛唯。さっきまでの憂鬱な感じはどこへやら。さっそく一番近くにいたライオンの群れに飛び込んで行ったよ。本当に大丈夫か?
「動物園に行っても触れない動物さんたちとこんなにもふもふうぇへへえへへ♪」
数匹のライオンたちに埋もれた愛唯は今にも幸せに溶けてしまいそうだった。ライオンたちも愛唯を傷つけないようにじゃれついてる。うん、大丈夫そうだ。
まあ、たとえ襲われても愛唯には猛獣使いの力があるからな。心配するだけ無駄だったかもしれん。
「あいつ本当に動物もふるの大好きだな」
ライオンの次はトラ、その次はシマウマ、その次はゾウと目まぐるしく動物たちと戯れ倒している。パシャパシャと携帯で写真も超激写しまくってるけど撮影していいの? まったく、あの小さい体のどこにそんなバイタリティーがあるんだよ。
「君は行かないのかね?」
「俺にそういう趣味はないんでね」
「ふむ、そうなのかね?」
ではなぜここまでついて来たのか? という疑問が萬石の顔に浮かんだ。愛唯に聞きたい事があったからだったが……そうだね。よく考えたら俺にとっちゃどうでもいいことだったね。
ここには本当に用はないからな、今度こそ退散しよう。とは言え俺は別に行きたいところもなければ見たいものもない。やりたいことも聞きたい話もない。どうしたもんかね?
とりあえず、便所かな。ぼっちの心強い味方!
「外の仮設トイレって使っても大丈夫か?」
「構わないとも」
萬石に許可も貰ったし、テキトーに時間を潰したら來野や弥生の様子でも見に行ってみるか。空中ブランコで怪我してたら大変だしな。
「ああ、君。一つ訊きたいことがあるのだが」
と、テントを出ようとした俺を萬石がそう言って引き留めた。
「なんだ?」
足を止めて首だけ振り返る。萬石は相変わらずなにを考えているのかわからない笑みを浮かべたまま――
「この辺りでニホンオオカミを目撃したという噂があるのだが、なにか知らないかね?」
心臓が飛び跳ねるようなことを、言ってきた。
「……いや、知らないな。興味ねえし」
「そうか。変なことを聞いたようだね。忘れてくれたまえ」
危なく顔に出るところだった。これもうポーカーフェイスを得意技にしてもいいでしょ。
てか、そんな噂が流れてんの? 聞いたことないぞ。仮に流れたとしても狩神家がもみ消すから、海外を転々としている萬石の耳に届くようなことにはならないはずだ。
噂の出所も気になるが、それより問題は萬石だ。
もしニホンオオカミを見つけたら、こいつはどうするつもりなんだ?
まさか、愛唯と同じようにサーカス団に加えようとか考えてないよな。あり得そうだから困る。なんてったって二人とも猛獣使いで、最悪なことに兄妹弟子なんだよ。
今後は萬石にもしっかり注意を払っておく必要がありそうだ。




