二十三匹目 オオカミくんと気になる写真
俺のオオカミ化が解けるまでの間、愛唯の婆さんが引退する前に撮影されたサーカスの映像を見せられた。
普通は撮影なんてやっちゃいけないが、このDVDはサーカス側が関係者に配った記録映像らしい。確かにこれは後世に残しておくべき映像だと思う。正直、俺も來野も見始めてすぐに言葉を出せなくなったくらいだ。
一つ一つの演目が常識外れというか、超人的なレベルで完成されていた。どうやったら人間がワイヤーを使わずに浮き上がるんだ? いや、浮き上がったように見えるほどの跳躍力だったのか? とにかく愛唯の『人は飛べる』という言葉がよくわかったよ。
というか、俺はこのサーカスを生で見たことがあったな。昔、弥生が親にねだって連れて行ってもらったサーカスだ。ほとんど覚えてなかったけど。
「最後に空中ブランコをしたオオカミさんがいましたよね?」
「ん? ああ、アレもオオカミ離れした動きしてたよなぁ」
他の動物たちも器用に芸を披露していたが、フィナーレを飾ったピエロの格好をしたオオカミは別格だった。一匹で空中ブランコとか、人間でもできるかどうか怪しいぞ。
「あのオオカミさんは人間になれるんですよ」
「なんだと……?」
そういえば、愛唯はオオカミになれる人間を三人見たと言っていたな。その内の二人は俺だったわけだが、もう一人がこのピエロのオオカミだったのか。
絶滅種か絶滅危惧種かはピエロの格好で判然としないが、なんでサーカスなんてやってんだよ。正体がバレたりしたらどうするつもりだったんだ?
「正体がバレないようにする、もしくはバレかけてもなんとかなる方法があったということではないか?」
俺の疑問を読み取ったらしい來野が予想を口にするが、具体的な方法までは映像だけだとわかるはずもない。
それでもレッドリストに載るような、人化を覚えて人間社会に溶け込んだ動物がサーカスのステージに出ている前例を見せつけられたことになる。
俺が相棒になることを拒否し続けている一番の理由が、弱くなっちまったな。
「オオカミさん、わたしの相棒になってくれませんか?」
改めて懇願された俺は、いつものように即答できなかった。
迷っているわけじゃない。一族がどうこう以前にサーカスをやりたい気持ちなんてないのだから、断ってしまえばいいんだ。
なのに上手く言葉に出せずもごもごと口を動かすだけになった俺は、愛唯の期待の籠った青い瞳を見ていられず視線を逸らしてしまった。
すると視界の中に、ふと違和感を覚えた。
部屋の壁にはいくつもの動物たちの写真が飾られている。だがその中に一枚だけ、動物が写っていないただの風景写真があったんだ。
それは冬の山の写真だった。一面の銀世界に、葉の落ちた木々が林立しているだけ。綺麗な景色だが、なんの面白みもない。でも、どことなく見覚えがある景色だ。
「この写真は……?」
「あ、それはわたしのお父様が去年近くの山で撮った写真です。お父様は動物専門のカメラマンでして」
低い位置にあったので少し屈んで見ていると、愛唯が肩の触れ合う距離まで寄って来てそう告げた。か、顔が近い!
「なんでこれだけ風景なんだ? 動物専門なんだろ?」
「いえ、ちゃんと動物さんは写っていますよ? ほらここに」
愛唯は写真の一点を指差した。枯れ木林の奥に――いた。よくよく見ないと気づかないほど小さく四足の獣が写り込んでいるな。大きさとフォルム的にヤマイヌかなんかと思ったが、これは、まさか。
「ニホンオオカミか?」
「やっぱりそう思いますか?」
「あん? やっぱりって、どういうことだ?」
「お父様はニホンオオカミさんだと思ってシャッターを切ったそうです。でもハッキリとは写っていなくて、結局ヤマイヌさんということにされてしまいました」
ヤマイヌにしては少し体が大きい気がするな。いや、それを言うならニホンオオカミにしてもそうだ。となるとどっかの大型犬が野生化したものか、それとも――
「あー……」
やばい。気づいてしまった。
「なにかわかりましたか?」
「これ、俺の爺さんだわ」
近くの山で撮ったって言ったな? 俺んちの山だこれ。爺さんが毎朝散歩という名目で駆け回っている山だ。どうりで見覚えがあると思ったよ。
「オオカミさんの、お祖父様?」
「貴様の祖父は山で暮らしているのか?」
「違うわ! なんつうか、散歩中を撮られちまったんだな」
しかし、これはいいネタを見つけたぞ。なんてったってあの爺さんの失態だからな。今後なにかあった時に強請るネタになるかもしれん。写真撮っておこう。スマホでパシャリ。
「あ、くれぐれもこれがニホンオオカミで俺の爺さんだってことは公表すんなよ?」
「わかってますよぅ。悔しいですけど、もう誰も信じてくれませんし」
釘も刺したし、問題ないな。この写真を見ただけでも愛唯の家に来た甲斐はあったかもしれないぞ。収穫としてはかなりでかい。
「それよりオオカミさん、さっきのお返事ですけど――」
せっかく流れたと思った話を愛唯が蒸し返しかけた、その時だった。
ピンポーン! と。インターホンの間抜けた音が響いた。
「……誰でしょう?」
邪魔された愛唯は不貞腐れた様子で唇を尖らせた。
「愛唯の母ちゃんが帰ってきたとか?」
「それならインターホンは鳴らさないだろう。ペットショップの客ではないか?」
ああ、そうか。愛唯がここにいるってことは店には誰もいないってことだ。そりゃあ客ならインターホン鳴らすよな。
丁度いい。もういい時間だし、俺はこのまま帰らせてもらおうかな。




