十八匹目 オオカミくんと愛唯の襲撃
靴を突っかけて前庭に出ると、門の前に強面黒和服たちが壁を作るようにして立ち塞がっていた。
「いいから外で待っててくれやせんかねぇ?」
「今から若に確認取って来やすんで」
「早くしてくださいね。このままだとオオカミさん学校に遅刻しちゃいます」
隙間から僅かに見えた赤い髪は間違いない。愛唯だ。今日も待ち構えていて、俺がなかなか出て来ないからついに門を開けて入って来ちまったのか? インターホン押せよ。
「ところで皆さんもオオカミさんなのですか?」
「「「ど、どうしてそれを!?」」」
黒和服たちはどうすりゃいいのか戸惑っている様子だな。ていうか、俺んちだからだろうけどそんな気軽に正体を確認しないでもらいたい。せっかく今さっき大丈夫だって爺さんを説得してきたばかりなんだぞ。
「若!」
と、俺に気づいた黒和服の一人が駆け寄ってきた。
「あの、若の御学友と名乗る者が来ておりまして……」
「あっ! オオカミさん! オオカミさーん! わたしですぅ!」
愛唯も俺の姿を見つけたようで、黒和服たちに囲まれながらぴょーんぴょーんとカンガルーみたいに飛び跳ね始めたぞ。
「なんで今日もいるんだよ……」
俺は手振りで黒和服たちに愛唯を解放するよう指示を出す。すると愛唯は――すたたたたっ。飼い主を見つけたわんこのようにダッシュしてきたよ。
「オオカミさん、おはようございます!」
「お、おう」
いきになり見せられた心からの笑顔に俺はしどろもどろした返事しかできなかった。
「てか入ってくんなよ! 待つなら外で待ってろよ!」
「だって、そろそろ行かないと遅刻ですよ?」
言われて俺はスマホで時間を確認する。確かにもうかなり危うい時間だ。今日は悪夢を見なかったから昨日より起きるの遅かったし、爺さんにも呼び出されていたからな。
「ほほう、ほほほう、これはこれは弥生さん的にビビッと来ちゃったよ! この人が兄貴のコレなんでしょ?」
俺の後ろからひょこりと現れた弥生が面白そうにニヤニヤしながら小指を立ててきた。どうでもいいけどお前それ表現古いぞ。
「オオカミさん、こちらは?」
「どうも♪ 狩神弥生です。兄貴がいつもお世話になってます」
「妹さんでしたか! わたしは赤ヶ崎愛唯です。オオカミさんとは相棒として末永く仲良くしたいと思ってます」
「ちょい!? お前はまたそんな誤解を招くようなことを!?」
せっかく否定した恋人設定が! よりによって好奇心の塊たる弥生にそんなこと言ったらなにを根掘り葉掘り聞かれるかわかったもんじゃないぞ。ああ、さっそくいいこと聞いたって感じのニヤ顔を俺に向けてきたよ。
「兄貴、『オオカミさん』って呼ばれてんの?」
「あ、食いつくのそっちなんだ」
てっきり『相棒』の方に話題が行くかと思ってヒヤヒヤしていた。そっちならまあ、いくらでも答えられるな。
「あーうん、だってもう『末永く』とか言っちゃってるレベルじゃん。ラブラブすぎて一気に聞くと胸焼けしそうだから徐々に、ね?」
「やめてッ!?」
時間をかけて俺のメンタルを削っていく腹だった。
「姐さんでしたか! そうとは知らずご無礼を! すいやせんした!」
「「「すいやせんした!!」」」
「待って!? 違うから!? そんなんじゃないから!?」
整列して深々と頭を下げる黒和服たちに俺はもう悲鳴を上げるしかなかった。学校だけならまだしも、家にまで愛唯との恋人設定が浸透しちまったら俺はどこで心の安寧を保たねばならんのだ。
できれば愛唯の口から否定してほしいのだが……あれ? なんかぽっと頬を赤らめて嬉しそうに口元が緩んでるんですけど?
「オオカミさんと……ラブ、ラブ……えへへ♪ もふもふ♪」
「やっぱり兄貴が照れてるだけじゃん」
「俺の抗弁も聞き入れろよぉおッ!?」
ほらよく見て愛唯の手を! 空想の中でオオカミ化した俺をもふもふしてるような動き! 恋愛的なラブなんて欠片も存在しないと思います!
「弥生ちゃんがオオカミさんの妹さんということは、オオカミさんになれるのですよね?」
「ん? オオカミ? ああ、そうだよ。あたしもオオカミになれるよ」
どちらも『オオカミさん』な愛唯の言葉に弥生は一瞬混乱したようだが、すぐに理解して小悪魔的笑みを浮かべた。
「ふふふ、見たい?」
「見たいです!」
「おい、弥生!? そんな簡単に正体を――」
「いいじゃん。兄貴の彼女だし。もうバレちゃってるんでしょ?」
「だから違う!?」
さっき爺さんを説得できたとは思うが、下手すると消されるかもしれんのだぞ。なんとか止めないと。
「待て待て! 学校に遅刻するんじゃないのかよ!」
「オオカミさんは別腹です!」
「なにデザートみたいに言ってんの!? お前はメインでなに食ってたんだよ!?」
俺の必死の制止も警告も完全に無視だった。弥生はゆっくりと目を閉じて――
「ほいっと」
いつも家の中でだらしなく出している耳と尻尾を出現させた。ピコンと小刻みに動く耳と左右に振られる尻尾を見た愛唯は、くわっ! 青い目を見開いて鼻息を荒げたぞ。
「ふおおっ! すごいです! ニホンオオカミさんの耳と尻尾です!」
耳と尻尾だけでやばいくらい興奮しているな。弥生も愛唯の反応が面白いのかドヤ顔で決めポーズまで取っているよ。もう好きにしてくれ。俺は止めたからな。
「弥生ちゃん、お願いがあります! もふらせてください!」
「えっ? ひゃあっ!?」
猛獣使いの力にやられたのか、一瞬固まった弥生に愛唯が飛びついた。抱き着いて頬擦りをしながら耳から頭を、尻尾を、物凄い勢いでもふもふと撫でくり始めたぞ。
「な、なに……これ……んあっ!? め、愛唯さん撫でるの上手すぎでしょ!?」
突然のことに驚いたらしい弥生は、顔を真っ赤にして撫でられる度にビクリと体を痙攣させているよ。俺も傍から見たらあんな感じだったのか。うわぁ……。
「ひゃう!? だ、ダメ!? ダメダメ!? これ以上は!? あう!? も、もう無理……抑えられ――あっ」
一際大きく弥生の体が跳ねた瞬間、体に耳と尻尾以上の変化が起こり始めた。四肢が細くなり、鼻や顎が突き出し、黄褐色の体毛が全身を覆う。さらに骨格まで大きく変わり、全体的に人間時よりも小さく収縮していく。
やがて今まで弥生のいた場所には、ぶかぶかになったセーラー服に絡まるようにして一匹の小柄なニホンオオカミがくたぁと横たわっていた。
「や、弥生ちゃんが、本当のオオカミさんになっちゃいました……可愛い♪」
驚きながらも愛唯が弥生だったオオカミを抱き寄せる。なんてこった。あの弥生が完全なオオカミ化をしてしまうほど愛唯のもふもふは凄まじかったんだな。俺もくらったからわかる。アレはよかった。もう一度――ハッ! いやなに考えてんだ俺は!
「お、おい、弥生、大丈夫か?」
「うぅ……ごめん、兄貴。今日、学校休む。これたぶん、しばらく戻んない」
邪念を払うつもりで安否を確認すると、愛唯に抱かれた弥生は力なくそれだけ答えるのがやっとだった。なんだか満足気なやり切った表情をしているけど、本当に大丈夫かな?
「あのう、すいやせん」
すると、なにやら畏まった声がかけられた。
「我々も、その、撫でてもらえやせんか?」
見れば、耳と尻尾だけオオカミ化した強面黒和服たちが一列に並んで順番待ちしていた。うん、落ち着け。なにやってんのお前ら?
そんな分家どもの呆れた行動に、愛唯はキランと瞳を輝かせ――
「も ち ろ ん で す!」
気合い充分に言い放ってから、一人ずつとは言わず数人纏めて一気にもふり始めた。撫でられた黒和服たちは気持ちよさそうにワオンワオン喘ぎながら次々と完全なオオカミに変身していく。お前ら、屋敷の警備は? 爺さんに言いつけるぞ?
と思って玄関を見ると、威厳たっぷりの巨狼が自分も混ざりたそうにうずうずしていたよ。だが実際に混ざると威厳なんて崩壊するわけで、こちらに出て来る気配はない。
――爺さんは来るなよ。愛唯に気づかれる前に引っ込んでろ。
アイコンタクトでそう伝えると、爺さんはゆるりと回れ右をして屋敷の奥へと去って行った。ちゃんと伝わったようでなによりだ。ついでに愛唯がどういう奴なのかも説明不要になったな。
「うぇへへ♪ ここはオオカミさんがいっぱいでもふもふ天国ですぅ♪」
蕩けそうな幸せな顔をしている愛唯を引き摺って学校へ到着した頃には――当たり前だが、盛大に遅刻していた。




