その後の二人②
街灯の明かりが、点々と灯り始める。
人通りの少なくなってきた道を、ギートは薬屋に向かって歩いていた。相変わらず背負っている者は寝入ったままである。
「・・・俺はお守りじゃねえんだぞ」
腹立たしい気持ちは大きい。
また無理をしていたこと、職場で無防備に寝ていたこと、休日にさえ会おうともしてくれなかったことなど、不満は色々だ。
だが一方で、背に感じる温もりや、柔らかな感触、頬や首元をくすぐる髪、吐息――そんなことで、ほだされてしまいそうになる自分の単純さが恨めしい。
ギートは深く溜め息を吐いた。
「このまま連れ込まれても文句言えねえんだからな? 感謝しろよ」
どうせ聞いていないとは思いつつ、皮肉の一つくらいは零さねば気が済まなかったのだが、
「――うん、ギートにはいつだって感謝してるよ」
耳元で囁かれ、ギートはその場で跳ねた。
「おまっ、起きてたのかっ?」
「うーん? ちゃんと起きたのは、王宮を出た辺りかなー。ふぁ・・・ぼんやりとなら、ずっと起きてたけど」
そう言いながらも、エメはまだ軽く寝ぼけているのか、ギートの首に頬を擦り寄せる。
「っ・・・やめろ」
「え?」
当人は無意識らしい。きょとんとして、しかし眠いのか、また目を閉じる。
「ギートは、今日休みだったの?」
「・・・昼からな。明日まで休みだ。お前は?」
「明日は出勤ー。今日は休みだったけど、他にやることもないからねー」
「いやあるだろ。俺に会うとか」
「ギートは休みが不規則だからなー。兵舎に住んでるし、会いに行くの難しい・・・ケータイでもあればなー・・・あ」
「あ?」
「君の義眼に、通信機能を仕込んでみよっか? まあ、通信機は民間に流用しちゃだめって言われたから、バレたらめちゃくちゃ怒られるけど」
「じゃあ、やめとけ。んな面倒なことしなくても、お前がちゃんと家に帰ってりゃあ会いに行く」
言ってから、ふと心配がギートの脳裏をよぎった。
「帰ったらちゃんと寝ろよ?」
「うん?」
「また余計なこと思いついて、仕事すんなよ」
「うん? うん」
「・・・」
あまり芳しい反応ではない。というよりも、はっきりと怪しい。
「倒れてからじゃ遅ぇんだぞ」
「わかってるよー。でもまだ二徹もしてないし、仮眠取ったし、ギートが運んでくれてる間にも寝れたから平気。――あ、そうだ、もう降ろしてくれていいよ。一人で帰れる」
肩に乗せていた顎を離し、エメはぽんぽんとギートを叩く。
「君の背中は案外気持ち良いから、惜しいけどね」
その言葉で、ギートはキレた。
エメを降ろさないまま無言で道をずかずか進み、目に付いた適当な宿屋へ入る。
「え? あの、ちょっと?」
ばしばし叩かれる背中を気に留めず、宿屋のカウンターにポケットから金を投げ、主人が示した二階の一室へ入った。
狭い部屋にベッドが一つ。そこへ背負っていたものを落とす。
「寝ろ」
一言、凄みを込めて告げた。
エメはベッドに仰向けに倒れ、目を丸くしている。
「えー・・・いや、普通に家で寝るけど」
「嘘つけ」
ギートは一つあった丸椅子を引き寄せ、ベッドの横に腰かけた。
「寝るまで見張ってるからな」
「なにそれ寝にくい」
「じゃないと休まねえだろお前は」
「信用ないなあ」
くすくすと、エメは笑い出した。
「君も大概、心配性だよねえ。大丈夫なんだけどなあ」
「ほー? そうかよ」
ギートは良いことを聞いたとばかりに口の片端を吊り上げ、ベッドに膝を突く。顔の横にも手を突けば、彼女の笑みは固まった。
「・・・あのー、ギート?」
明らかに動揺している様が愉快である。
こうして覆いかぶさると、先ほどまで背に感じていた彼女の華奢さがよくわかる。だがローブの下には、それなりに期待してもよさそうな膨らみがある。さすがに少女の頃よりは成長しているようだ。
「大丈夫だってんなら、遠慮なく」
「ごめん無理。寝ます寝ます、ごめんなさい」
首に噛みつこうとした口をすかさず両手で塞がれ、力いっぱい押し返される。
元より本気ではなかったため、ギートはあっさりベッドを降りた。だが何気に「無理」と言われたことには傷ついた。
「とっとと寝やがれ」
再び不機嫌に戻って椅子に腰降ろす。
エメはそれに苦笑いしつつ、髪留めのリボンを取り、掛け布団の下に入って大人しく寝る体勢を整えた。
「君は優しいよねえ」
そしてしみじみ呟く。
「うるせえな。嬉しくねえんだよ」
「そう? じゃあ、なんて言えばいいかな・・・」
「いいから、余計なこと考えねえで寝ろ」
さっさと瞼を閉じさせてしまおうと思い、顔に手を伸ばすと、それを彼女に掴まれた。
エメは驚く彼の手のひらに、口付ける。
「大好きだよ、ギート。おやすみ」
微笑みを浮かべ、目を閉じた。
「・・・」
ギートはそっと手を抜き、拳を作り、額に当て――全身を細かく振るわせ始めた。
(俺は大っ嫌いだよっっ!!)
叫びたいのを必死に堪え、心の内で絶叫する。
工房でも、背負っている時も、薄暗い密室で二人きりの今もずっと我慢している。さっき迫った時も限界まで自制した。それを絶対にわかっている上で、この娘はあえて煽るのだ。そしてまるきり信用した顔で平然と寝る。
好意どころか悪意しか感じない。
(このまま朝まで良い子に過ごせって?)
確実に、舐められている。
本来の彼の性分であれば、ここまでコケにされて黙っていることはない。
しかしベッドの上を窺えば、やはり疲れていたのか、彼女の寝息はすでに深い。
休ませることが、当初の目的だ。それを思えば、どんなに腹立たしくとも悪さはしかねる。
「・・・お前、後で覚悟しろよな」
まだ夜を迎えたばかりの世界で、彼は一人、耐え続けた。