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マグロを求めて

作者: ノラネコ

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僕、倉田瞬は何にもない人間だった。

誰だって最初から何かを持っているわけではない。だからただ何にもないことが問題なのではない。

だが既に僕は二十歳だ。成人をして改めて自分という人間の過去を振り返った時に何にもないことに気付いた。そしてそれは大きな不安と焦りを伴って僕に襲いかかった。

僕には何にもない。趣味も特技も知識も経験も……。

もう就職活動を行うまでそれほど猶予もないというのに履歴書に書けるような実績もなければ、面接でPRできるほどの特技もない。

二十歳になり、就職活動を見据えるようになって何もないことは明確な将来への不安となって訪れた。

それを感じていても僕は何かに打ち込むことはなかった。病的なほどの逃げ癖が努力することを許さなかった。

現状をどうにかしたくて買った嘘臭い自己啓発本には、前向きになれば何事も上手くいくなんて書いてあるが、そんなものは当然だった。もし、盲目的に前向きになれたのならば例え良い方向に進んでいないことでも上手くいってるように捉えるのだから。

そもそもそんな簡単に盲目的に前向きになれるのならば人は悩んだりしないだろうに。僕は興味を失った本を放り、ベットで横になる。

面接では個性や特徴を求めるのにいざ社会に出れば周りに合わせて機械的に作業することが求められる。そんな理不尽な世の中にも腹が立つ。

自給自足の生活をするにも土地が買えない。そもそもそんなことをしたら親の面倒は誰が見るというのか。

事実、社会の歯車にならなければ生きていくことすら許されないのだ。

これでいて自殺などは倫理的に許されないと教育されている。僕は生きているのか、生かされているのかどうにも判断できなかった。

毎晩、見つめる代わり映えしない天井とにらめっこしながらそんなことを考えていると脇に置いていた携帯電話がメッセージが届いたことを知らせる通知を鳴らした。

メッセージの送り主は親友の西本啓太だった。

啓太とは高校からの付き合いで大学は別々になってしまったが今もよく休みの日には遊ぶ仲だった。

『音声チャットしながらネットゲームやろうぜ』

大学二年の夏休み、時間が有り余ってるのを良いことに啓太と僕はよく夜通しネットゲームをしていた。今回もそのお誘いということだ。

別に断る理由もないし、将来への不安は無いのかと啓太にも聞いてみようと思ったので僕は二つ返事で了承した。

パソコンを起動させてゲームを開き音声チャットを繋ぐ。

「やっほ、今日も地道にレベル上げといこうぜ」

いつも通り、明るい啓太の声。

「OK、どこで狩る?」

そんな啓太に将来への不安なんて暗い話をすぐに持ち出す気にはなれなくてしばらくは普段通り、他愛ない話をしながらゲームを操作する。

遊ぶことは好きだった。こうやって遊んでいるときだけは不安や焦燥感を忘れていられる。ずっとそうやって遊んでばかりいたから今の自分が出来上がってしまったわけだが。

「なぁ啓太、直前ってわけではないにしろそろそろ就職じゃん、不安とかってないの?」

数時間ゲームをやってから、タイミングをみて僕は聞きたかったことを切り出す。

「んー、もちろんあるよ。俺も資格取ろうと思って本買ったけど結局読んですらいないしなぁ……」

僕は啓太が資格を取ろうとしていたなんて初耳だった。

やっぱりみんな何らかの行動を起こしているんだと実際に知って焦燥感は更に強くなる。

「マジかよ、僕なんもしてないんだよねぇ……資格とかも何も無いし、これじゃあ履歴書に書くことないよ……」

口にすると余計に不安になり、溜め息混じりにそう言った。

「まぁ俺も本を買ったってだけでまだ読んでないわけだし、あんまり変わんねぇよ」

啓太は相変わらずあっけらかんとした口調のまま言う。

「えぇ……僕らもう二年だよ、流石にそろそろヤバイでしょ……と言ってもどうにも努力することから逃げちゃうんだよねぇ……」

少しの沈黙、ゲームの操作音だけがイヤホン越しに聞こえていた。

「ま、何かを始めるときが一番やる気でないのはよくわかる、けどやってるうちに慣れてしまってそう苦痛にもならなくなるものだと思うよ、もしかしたら楽しいとすら思うかもしれない。お前は深刻に何でも考えすぎだって」

深刻に悩みすぎだというのはわかってはいる。しかしそれを自覚したところで不安や焦りは一向に消えないのだ。

「んー、そんな上手くいくものかねぇ……」

納得のいっていない僕の様子に啓太は突然

「よし、わかった。もう五時だし始発も走ってるな、瞬、今から三崎にマグロを食べに行こう」

「はあ? 今から!?」

三崎漁港はマグロが有名で確かに僕らの家から行けないほど遠いわけではないが、決して近い場所でもなかった。

「今からだよ、ほら準備して」

思い付きでの発言にしては啓太の声には冗談だとは思えない強い意思を伴っていた。

「徹夜でゲームした後だぞ? 面倒だし、辛いわ」

正直、こんな絶不調でマグロなんて食べてもお金の無駄だ。行きたいとはどうしても思えなかった。

「グダグダ言わない、ほら三十分後に駅に集合な」

そう言って啓太は一方的に音声チャットを切った。

正直、行きたくはなかったが行かなければ啓太が一人、駅で僕のことを待つことになる。それは流石に気が引けた。

軽くシャワーを浴びて着替え、簡単に荷物をまとめると外に出る。

真夏とはいえ朝は涼しい。エアコンとは違う自然の涼しさは少し湿っている体には心地よかった。だがやはり、徹夜明けの眼球には地面の照り返しすら厳しい。

駅に向かうと啓太は先に着いていたようで携帯電話をいじりながら僕を待っていた。

「めっちゃグロッキーだし、目いてえ」

内容とは裏腹に啓太は愉快そうに笑いながらそう言った。

三崎漁港最寄りの三崎口駅まで電車で三十分かかる。二人で乗り込んだ早朝の電車はガラガラで貸し切り状態だった。

「三崎口駅から漁港まで結構距離あるだろ、バスとか調べてあるの?」

携帯電話で地図を調べながら啓太に質問する。

「え、いや何も調べてないよ」

ある程度予想していた返答が返ってくる。

「こんな朝からバス走ってるのかなぁ」

窓から見える風景がだんだんと畑や民家だけになっていくのを眺めながら不安そうに呟く。

「大丈夫だろ、だってバス無かったら漁業関係者や仕入れに来る人が朝の漁とか競りに出られないじゃん」

何にも考えてないようで鋭いことを言う啓太に僕は納得せざるを得なかった。

そんな他愛のない会話を出来ているうちは良かったが、寝不足どころか一睡もしていない僕らは三崎口駅に着くころには電車に完全に酔ってしまっていた。正直、あと少し電車に乗っていたら僕は胃の中身を戻してしまっていただろう。

そんな状態でバスになんて乗る気にはなれず、駅から漁港まで歩いて向かうことになった。道はまっすぐ行くだけなので迷うことこそなかったがとにかく遠い。

二時間ほど歩いただろうか、風景が変わらず距離感が掴めなくなるような広大な畑を抜け、蝉がけたたましく鳴く山を登り切るとようやく朝日をキラキラと反射する青く大きな海が目の前一杯に広がった。その頃にはTシャツが変色する程に汗だくだったが、潮風が涼しく決して悪い気分ではなかった。

山を下り、海岸に近づくにつれ波の音が大きくなる。二人で海岸の道をフラフラと歩くがマグロを取り扱っている食事処はあれど、こんな早朝から開いている店は見つからなかった。

途方に暮れて、とりあえず競りとか見に行こうと漁港に入ったところ、漁業関係者が利用する食堂を発見し、ホッと胸をなでおろした。

漁港の食堂に着くころには八時になっていたが、食堂は七時からでバスで来ていたら早すぎて開いてなかったなと啓太と笑いながら食べたマグロ定食は散々歩いたこともあって想像以上にずっと美味しかった。

「行く前は嫌々だったけど、どうよ来てみて」

食堂から出て漁港を見学しながら啓太がニヤニヤと笑いながら聞いてくる。

「悪く無かった……いや、かなり良かった」

僕はその笑い方に最初は少し意地を張ったがすぐに考え直して素直な感想を言った。

「だろ? そういうもんだよ何事も。始める時が一番嫌でやってみたら楽しかったりするのさ」

いつも以上に明るい口調で啓太は言った。もしかしたら彼も同じ不安を抱えていて今回のことでそれが幾分か紛れたのかもしれない。

「今回はたまたま上手くいっただけでは?」

本気で思ってもいない反論をしたと口に出してから僕は思った。

「そうじゃねぇんだよ、例えば電車でゲロゲロに酔っただろ? でもあれだって全部終わってみりゃ笑い話でいい思い出だ。最終的に上手くいってなくたって終わればみんなそんなもんなんだよ」

それは楽観的過ぎると思ったが口にはしなかった。笑い話にできないようなことも今後の人生きっとある。だが喉元過ぎれば熱さを忘れるというのは、実際ほとんどのことに当てはまることなんだろう。

自分が深刻に悩みすぎなのは自覚していたが、それでも消えることのなかった不安や焦りを啓太はこうやって外に連れ出して実際に経験させることで和らげようとしてくれたのだろう。

僕には何もないと思っていたがこんなにも素晴らしい友人がいたじゃないか。それは履歴書には書けないけども、どんな資格や学歴よりも貴重なものだと僕は思った。

「さて目的も果たしたし帰ろう」

心の中で啓太に感謝しつつ、しかし普段通りに僕は声をかける。

「帰るのはいいんだけどよ、俺さっきの定食でお金ほとんど使っちゃったからバス乗ると電車乗れなくなるわ。また歩きだな」

悪びれる様子もなく再び二時間の散歩に付き合わせようとする啓太だが、今となってはこの無計画で無遠慮な性格が一緒にいて心地よくもあった。

「バス代くらい全然出すよ」

苦笑しながら僕はそう言った。

「馬鹿、歩くんだよ。そうしたら家に帰ってぐっすりと眠れるだろ?」

啓太はにやりと笑い、先を歩いた。そして僕もそれを悪く無いなと思って歩き出した。

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