第九十六話 彼の話を聞いたのが間違いだった
イスカとアザレアさんを伴ってバートリ家の館を出た俺は、コーンウォールの街の目抜き通りへやってきた。
この間ここを歩いた時はリクサと一緒で非常に目立ったが、今回は女中服姿のアザレアさんが一緒なのでこれはこれで目立つ。
「いやー、寒いねぇ、ミレウスくん」
「寒い。確かに寒い。でも昨日寒中水泳した時と比べればたいしたことはないよ」
白い息を吐きながら、かじかむ両手をこすり合わせる。今日は晴天ではあったが海の方から寒気が流れてきたのか、この街に来てから一番の冷え込みだった。
もっとも野生児にとってはこれくらいは屁でもないらしい。イスカは空を飛ぶ鳥のように両手を広げて俺たちの周りを元気よくぐるぐる回っている。一応館を出る前に灰色熊の毛皮がついたコートをアザレアさんが無理やり着せていたが、たぶんなくても変わらないと思う。
「そういやアザレアさん、最近もブータに魔術習ってるの?」
「習ってる習ってる。おかげでようやく得意分野も掴めてきたよ」
「ほう」
「私ね。どうも自操系統が得意っぽい」
アザレアさんは右手のふたまた手袋を外すと、短い呪文を唱える。するとその手の先に深紅のオーラで爪のようなものが形成された。
「要するに自分の体を強化するのに特化した系統だね。こんな感じに爪みたいなの作って岩とか引き裂けたりするの。……金属はさすがにまだ無理だけど」
「それ、普段役に立つ?」
「……や、野菜切ったりするときに便利だったりするよ? いや、私だってもう少し汎用性の高い系統だったらよかったなぁとは思うんだけどさぁ」
残念そうに肩を落としたアザレアさんだったが、元々ポジティブな方である。
すぐに気を取り直すと、深紅の爪を消してふたまた手袋をつけなおした。
「ま、他の系統の魔術も使えないわけじゃないし。内蔵魔力も順調に伸びてて中級難度なら何度かは使えるようになったし。これからだよこれから」
最初のブータの見立てよりはずっと才能があったらしい。中級難度が使えるようであれば、魔術を生業に生きていけるくらいだ。女中の仕事辞められたらどうしよう、なんて風にも考えてしまう。
「みれうすー、あざれあー、はやくいこうよー」
イスカが物珍しそうにコーンウォールの街並みを眺めながら、左右の手で俺とアザレアさんの手を引く。彼女はこの街に来たことがあるそうだが、なにせ二百年も前のことだ。それこそこの街が焼け野原になる前か、焼け野原そのものだった頃か、あるいは復興の真っただ中だった頃の話だろう。今の街とは姿がまったく異なるはずだ。
イスカに急かされ歩いていくと、先日コーンスープを買った喫茶店が見えてきた。しかし天候の差か時間帯の差か、店内は先日と比べてかなり混み合っているようだ。
「ここでリクサと待ち合わせなんだけど……テラス席しか空いてないな。しゃーない、寒いけど、なんか暖かいものでも頼んで待とうか」
通りに面したテラスの四人席に着く。
すぐさまイスカが他の席を指さした。
「なんか美味そうなのがいるぞー」
「こら、イスカ。人が注文した料理を指すのはマナー違反だぞ。……ん? 美味そうなのがいる? 美味そうなのがあるじゃなくて?」
首を傾げてイスカの指のさす方を向く。
三つ向こうの四人席。
そこで異形の男が一人で座ってコーヒーゼリーを一心不乱に食べていた。
直立した巨大なザリガニ。そうとしか形容できない存在である。
全身は真っ赤な甲殻に覆われており、顔には左右に向いたつぶらな眼球と長いひげのような触覚。背中には深緑の外套を着用している。
この外見で男と判別できるのは面識があるからだ。この間の夏休みに我が故郷オークネルの山の中で偶然出会った我が円卓騎士団の第四席――レイドである。
自称人助けが趣味の流浪の騎士で、放浪癖があるため普段王都にはいない。
俺は二人を連れて、奴のいる四人席へ移動した。
「おい、レイド」
「む? おお、少年か。そっちはあの時の少女」
と、レイドは顔を上げると、その人間とは異なる形状の眼球で俺とアザレアさんを順に見てきた。
引きつった笑みで頭を下げるアザレアさん。
「ど、どうも」
「ほう、少女。少し強くなったな? ふむ……」
アザレアさんはどうやらこの中年男を苦手としているらしい。いや、こいつを苦手としない奴がそんなにたくさんいるとは思えないが。
「なんだーおまえ。へんてこなかっこうだなー!」
イスカはレイドの方に回ると彼の赤い大きな鋏を指でつつく。
レイドはそれを不快に思うような素振りは見せず、ただ驚いていた。
「ふむ? 姿欺きを見抜いている……。娘よ、お前は未選定だった第五席か第八席か」
レイドのこの異形は地の底にいた頃に討伐した魔王に掛けられた呪いによるものだそうだが、彼がつけている深緑の外套には俺が持つ匿名希望と似たような魔力が付与されており、その呪いを打ち消して普通の人間に見えるように偽装できるらしい。このような街中にいても彼を見て騒ぐ人が出ないのはそのためだ。
ただし俺やイスカのような円卓の騎士には通用しないし、アザレアさんのような姿欺きを看破する能力が高いものにも効果がない。
レイドの足元にしゃがみこんだイスカはくんくんと鼻を鳴らす。
「おまえ、なんだかなつかしいにおいがするなー」
ロブスターの匂いじゃないか? と思ったが、レイドは見かけに反して特に匂いはしない。
臭いを嗅ぎ続けたイスカが行きついたのは彼が腰に帯びた幅広の剣だった。
「あ、これレティシアがもってたやつだな! なっつかしー!」
「ほう? なるほどな。お前が聖イスカンダールか」
レイドが顔の左右に向いたつぶらな眼球をぴくぴく動かして、意外そうな声を出す。
しかし意外なのはこちらの方だった。
「どうして分かった?」
「こいつから話は聞いていたからな」
と、レイドが触れたのはまさにその腰の剣。
それについては前にリクサから聞いていた。
「……そのレティシアとかいう幅広の剣。初代円卓の騎士の一人が作ったもので人格があるそうだな。それでお前に話しかけてくるって」
「然り。口やかましい奴だが、旅は道連れ。一人旅よりはマシというもの」
「レティシアってことは初代の円卓の騎士の――赤騎士レティシアの人格が宿ってるってことか?」
レイドはこれには答えなかった。代わりにイスカの前髪を手で除けて、彼女の額に生えた小さな角を露出させた。次いで彼女の背中をぺたぺたと触るが、イスカはくすぐったそうに身をよじるだけで抵抗はしない。
「ふむ? 翼はどうした。ロムスの街の空を覆っていたあの雲はこの娘の一部で、普段は背中についていると聞いたのだが」
レイドが俺の方を向いて聞いてきたので、辺りを気にしながら声を落として答える。
「今は雲形態に戻してもらって南の海の沖の方に展開させてるんだよ。エネルギーをチャージさせる必要があるからな」
イスカのブレスは非常に強力ではあるが、そのチャージには相応の時間が掛かる。
ヤルーやラヴィはそれを知らずに『これからは、ブレスで楽勝だ』なんて言ってたが当然そんな甘い話はない。というかあれが毎回撃てるようなら、初代の連中も滅亡級危険種を一匹も倒せずに未来に送るなんてことはなかっただろう。
百年分のエネルギーを使ったこの間のブレスほどのものは当然もう撃てない。イスカによれば次の滅亡級危険種の出現までに、中規模ブレスを一発撃てるようになるかどうかと言ったところだそうだ。
「次はこの街か?」
「え?」
急にレイドに尋ねられる。
「次に滅亡級危険種が現れるのはこの街か、と聞いている」
「ああ、いや。違う。今は時を告げる卵には何も映っていない。……時を告げる卵のことも知っているんだろう?」
レイドは無言で頷き、女給を呼ぶと、コーヒーゼリーを四つ注文した。どうやら自分の分のおかわりと俺達三人の分らしい。
この寒い時期に外で食べるものではないと思うのだが、運ばれてきてしまったので仕方なく手をつける。イスカはめちゃくちゃ喜んでいたが。
「レイド、なぜ王都に戻ってこない? お前がいてくれたら円卓の騎士の仕事もぐっと楽になると思うんだ」
食べながら問い詰める。こいつはこんな性格だが世界各地で偉業を成し遂げてきたレベル七百オーバーの歴戦の猛者であり、恐らく地上全体で見ても屈指の強さを持つ戦士だ。それは他の円卓の騎士たちも認めている。
レイドは俺の質問に答える代わりに、自分の手元のゼリーをスプーンでつついた。
「少年、コーヒーゼリーは好きか?」
「ま、まぁ割と好きだけど」
「うむ、いいことだ。ではコーヒーフレッシュは好きか?」
レイドは小瓶に入った白いミルククリームを指さす。
俺たちみんなが使った後なのでだいぶ量は減っていた。
「……好き、かな。コーヒー飲むときとかコーヒーゼリー食べるときには必ず使うよ」
「ではコーヒーフレッシュ単体で飲むことはあるか?」
「いや、ないだろ。つーかいるのかよ、単体で飲む奴。……レイドは飲むのか?」
「飲まない」
「……何が言いたいんだ、お前」
頭痛のようなものを覚えながら確認する。まともな答えが返ってくるとは思えなかったが。
「む? 分からんか? ゼリーがなければコーヒーフレッシュは無用ということだ」
「わけわからん」
諦めて首を振る。こいつは人の話聞かない病を患っている上に、説明が異様に下手だ。
仕方ないので質問を変える。
「この間はなんであんな辺鄙なところにいたんだ? 今、ここにいるのはなんでだ?」
「我は正義のために動いている」
「……正義?」
「正しい行いのことだ。人として生きる道標だ。これがなければ人は獣と変わらん」
具体性がゼロである。どう聞けばちゃんとした答えが返ってくるのか、まったくもって分からない。
「オークネルの聖水化施設について知っていたのは、その剣に聞いたからか?」
「そうだ。……むむ?」
レイドはその魔剣レティシアに耳を近づけたかと思うと、なにやらふむふむとしきりに頷き、そしてすっくと席を立った。
「すまんな、少年。我は雲。風が吹けば行かねばならぬ。さらばだ」
「はぁ!? あ、おい!」
レイドは立ったままコーヒーゼリーの残りを急いで食べ終えると、マントをはためかせて颯爽と去っていった。
テラスにいた他の客たちがざわつく。
そら食事中にいきなり走って去るやつがいたら、騒ぎになって当然だが。
奴が去った方を見ながらアザレアさんが唖然とした顔で呟く。
「……あの人、お会計まだなんじゃないかな」
「食い逃げじゃねえか」
同じ席に座ってしまった以上、俺が払わねばならないだろうが。
軽犯罪を犯しといて、何が正義のために動いてる、だ。
いや、俺もちょくちょく悪いことしてるから人のことは言えないけれど。
そこで息を切らせてリクサがやってきた。よほど急いできたのか、肩を大きく上下させながら俺に頭を下げてくる。
「お、お待たせしました、ミレウス様」
「ほんのちょっとだけ遅かったね。……いや、もしかしてリクサが来るのに気づいたから逃げたのか?」
あの剣の声を聞いてからすぐに逃げ出したあたり、あれには範囲感知の機能でもついているのかもしれない。
きょとんとした顔のリクサ。
俺は肩をすくめて見せた。
「さっきまでここに美味そうなザリガニ野郎がいたんだけど……まぁいいや」
奴の言うことはよく分からなかったが、奴が俺の元に来る気がないのはよく分かった。それと今から検問を緊急配備しても無駄であろうということも。
しかし同時に、そのうちまたこんな風にばったり会うような気もしていたのだった。
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【第四席 レイド】
忠誠度:
親密度:
恋愛度:★★[up!]
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