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第九十五話 観光しようと思ったのが間違いだった

 コーンウォールの街は王都と異なり、城壁では覆われていない。

 なんでも統一戦争で焼け野原となったこの地を再建する際に、ロイス=コーンウォールが『これからは平和の時代だから』と言ったからとかなんとか。


 その真偽はともかく、実際それから二百年の間この島で人間同士による(・・・・・・・)戦争は一度もなかった。結果、城壁を廃して拡張性を持たせたこの街は王都や南港湾都市(サイドビーチ)東都(ルド)などとの交易で大いに栄えた。ここに本部を置くバートリ商会はその流れに乗って成長し、島で最大の商会となるに至った。


 コーンウォールの街の北の一角に建つバートリ家の館の外観はそれに恥じぬ立派なもので、先日訪れたコーンウォール公の館にもけっして引けを取っていない。

 ただそこに滞在させてもらって気づいたが、調度品や使用人の数ではだいぶ劣るようだった。リクサによれば商会の赤字を補填するため、少しずつ手放したり暇を出したりしているからだとかなんとか。


 俺とリクサがエルフの試練を突破した翌朝。

 残った数少ない使用人の一人、マリアという名の癖毛の童女がリクサの自室をノックする。気だるげな返事を待って彼女が中に入ると、(あるじ)は部屋の中央の炬燵(こたつ)に肩まで入って奥の方を向いていた。いつもの青の作業着風衣服(ジャージ)姿である。


「まぁリクサ様。昨夜も炬燵(こたつ)でお休みになったんですか? ソフィア様にまた(しか)られてしまいますよ」


「母さまみたいな小言はよしなさい、マリア。私は昨日、もの凄い距離を泳いだんです。それもプールじゃなくて波が荒れ狂う湖で、ですよ。今日一日くらい気を抜いたって誰にも怒られないはずです。疲労困憊なんですよ」


 と、炬燵(こたつ)からリクサの白い手が出てきたかと思うと、彼女の顔の前に開かれていた分厚い少年漫画誌のページをぺらりとめくり、また炬燵(こたつ)の中に戻っていった。


「そうだ、マリア。ちょうどいいところに来ましたね。お茶を持ってきてください。それと茶菓子。お煎餅(せんべい)を希望します」


「はぁ、それは構いませんが」


「構わないけど、なあに?」


「国王様がお見えになっているのですが……」


 くるりと、凍り付いたようなリクサの顔がこちらを向く。マリアと共に扉のところに立つ俺の姿を捉えて、その表情が引きつった。


「リクサ……実家だとそんなんなんだな」


「ひぇ、陛下!?」


「今日は休日(オフ)だし晴れてるから、この間の約束通り街の中を案内してもらおうかと思ってきたんだけど……疲労困憊なら別の日にしようか」


「い、いえ、大丈夫です! 今日! ぜひ今日に!」


 リクサは慌てて炬燵(こたつ)から這い出そうとして天板に腰を強打した。よほど痛かったのか、『ぐう』と妙な声を出す。それでもどうにか出てきたが、痛みで涙目になっているし、髪は乱れ放題だ。


「……準備に時間かかりそうだな。先に行くよ。この間の喫茶店(カフェ)で待ち合わせしよう」


「ひゃ、はい!」


 哀れなくらい動揺しているリクサを尻目に部屋を去ろうとして、足を止める。あともう一言だけ。


「昨日泳いだ距離をもの凄い距離っていうのは無理があると思うんだよね。波が荒れ狂ってたっていうのも無茶だし」


 リクサが顔を赤くする一方、マリアはクスクスと笑っていた。






    ☆






 リクサが身支度を整えるのにそれなりの時間が掛かるだろうと踏んだ俺は、一度館の中の談話室に立ち寄った。


 パチパチと暖炉で薪が燃える広々とした室内。俺の読み通り、そこには七人の円卓の騎士とアザレアさんがいた。俺とリクサがこの街にしばらく滞在すると聞いて、昨夜のうちにやってきたのだ。絶賛赤字中とはいえさすがは天下のバートリ商会というべきか、これだけの人数が押しかけても余裕で収容できるだけの客室がこの館にはある。


「お、ミレくんやっほー」


 俺が来たのに気づいて軽く手を挙げたのはラヴィだ。彼女はシエナとヤルーとヂャギーの三人と四角い卓を囲んで、沢山の(はい)を使う四人対戦型の盤上遊戯で遊んでいる。


「みれうすおはよー!」


 と、元気よく手を振ってきたのは椅子の上で胡坐(あぐら)をかいているイスカ。彼女の前の丸テーブルには二人対戦型の盤上遊戯、ショウオギの盤が置かれている。どうやら向かいの椅子に座っているナガレと対戦しているようだ。ルールを教えているのかイスカの横にはブータがついている。


 最後の一人、アザレアさんは二つのグループの間に置かれた飲み物や軽食を乗せた台車のそばにいつもの女中(メイド)服で(しと)やかに立っており、俺に向けてひらひら手を振ってきた。どうやら仕事中らしい。彼女は国王である俺専属の女中(メイド)であるが、この街に来る前にイスカの世話を頼んでおいたのだ。


「あ、ツモです! 一万六千オール!」


 弾むような声で高らかに宣言したのはシエナである。それを聞いて同じ卓を囲んでいる三人が悲鳴のような声を上げた。


「げげげ。マジで!?」


 と、ラヴィが頭を抱えて。


「うわー! やられちゃったよ!」


 と、ヂャギーが素直に手を叩いて(たた)える。


 卓を挟んでシエナの正面に座っていたヤルーの反応が一番大きかった。


「待てや、オイ! 花を摘みに行くとか言って席外した直後に役満(やくまん)っておかしいだろ! さてはまた《運量操作フォーチュンコントロール》使いやがったな!?」


「さぁなんのことですか? わたしがそんな禁止指定魔法を使ったという証拠がどこかにあるんですか? 自分がいつも詐欺行為してるから、相手を疑ってしまうのではないですか? さぁ早く点棒を渡してください」


「ち、ち、畜生ー!!」


 ヤルーが歯を食いしばりながら点数を示す小さな棒をいくつかシエナの方に投げる。この様子だとたぶん金を賭けているのだろう。

 三人から回収した大量の点数棒を両手で握って、シエナはニコニコしながらヤルーに語り掛けた。


「まぁ私は魔法なんて使ってませんけど、これも女神アールディア様のご加護かもしれません。貴方もこれまでの行いを悔い改めれば、入信してもいいんですよ」


「誰がするかよ、この強欲[司祭(プリースト)]め! さっさと次の半荘(ハンチャン)行くぞ!」


 四人はゲームに使用した牌を卓の中央に集めて、ガラガラとかき混ぜ始める。シエナの様子がいつもと違うところから気づいたが、どうやらこいつらは酒を飲んでいるようだ。

 まだ真昼間だというのに。


「なぁ、ぶーたー。これはどっちにうごけるんだっけ?」


 と、ショウオギをやってるテーブルの方ではイスカが駒の一つを手に持って尋ねていた。

 指南役のブータはそれを受け取って盤上で例示して見せる。


「ええと、こう、ですね。二つ前の左右です。ぴょんと跳ぶ感じの駒で」


「じゃあここにおいたらイスカのかちにならないか?」


「え……? あ、ホントだ! 詰んでますねぇ、これ」


 ブータには見えていなかった勝ち筋らしい。それは対戦相手であるナガレも同じだったようで、唖然とした顔で盤上を凝視していた。


「ちょ、ま……ええ!? 嘘だろ!? いや、でも、こっちに逃げても……ええ!?」


 どうやら本当にダメっぽい。

 イスカがショウオギをやったのは今日が初めてのようだが、やはり地頭がいいのか、あっさりナガレを追い越したようだ。


 いい頃合いが見つからないので、俺は仕方なく手を叩いて注目を集めた。


「あー、盛り上がってるところ悪いんだが、みんな聞いてくれ。これからリクサにこの街の観光案内してもらおうと思うんだが、ついてくる人いるかな?」


 返答は散々なものだった。


「盛り上がってるの分かってるなら分かんだろ! ここで抜けられるかよ!」


 と、キレ気味に言ったのがヤルーで。


「申し訳ありません、(あるじ)さま。大切なカ……仲間との交流の途中ですので」


 と、ニコニコしたまま答えたのがシエナ。今、カモって言いかけたな。


「アタシはこの街何度も来たことあるからなぁ。いまさら観光とか言われても」


 と、乗り気でなさそうなのがラヴィ。


「オイラは行ってもいいよ!」


 と、ヂャギーは立ち上がってくれたが。


「いや、面子(メンツ)が足りなくなるだろ! 抜けんな!」


 と、ヤルーに腕を引っ張られて仕方なく席についた。


「イスカはいくぞー」


 もう片方のテーブルの方からイスカが椅子から飛び降りて俺の方に走ってくる。


「ちょ、オイ! 勝ち逃げする気か!?」


 ナガレがイスカを連れ戻そうと手を伸ばすが、ひょいと簡単に(かわ)される。


「ぶーたとやればいいだろー?」


「いや、だからそうじゃなくてだな。勝負に勝ったまま逃げるのがよくないって話でだな」


 必死にナガレが説明するが、相手は野生児。当然聞く耳を持たない。

 イスカは二人に挟まれて困惑顔のブータの両肩を掴み、ナガレの方に押し出す。


「たのんだぞー」


「ええぇ……」


 哀れなブータは拒否する勇気を持たない。

 がっしり肩を抱かれてナガレに拉致される。


「もうブータでいいや。付き合えや」


「は、はいぃぃ」


 まぁ彼は接待プレイも得意だろうし、ちょうどいいだろう。


 外出するのが嬉しいのかイスカは子犬のように元気よく跳ね回る。

 アザレアさんはそれを後ろから抱き留めて、俺に微笑んだ。


「私も行くよ。イスカちゃんのお世話しないとね」


「ありがとう。助かるよ」


 これで二人。十分と言えば十分だが。


「みんな、本当にいいんだな?」


 残りの連中はこちらを向いてはいるものの、無反応である。

 それを見て、俺の頭にある可能性が浮かんだ。


「……もしかして。全員この街来たことある……とか?」


 その部屋にいた俺とアザレアさん以外の全員が頷いた。


「そもそもよ。このクッソ寒い日に、()(この)んで暖かい部屋から出ようと思うやつがこの騎士団にそんなにいるかよ」


 半眼でナガレが放ったその一言がすべてだった。

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