第九十二話 街を歩いたのが間違いだった
それからエドワードが語った一族に伝わるという話はさほど長いものではなく、半刻ほど経った頃には俺達はもう領主の館を出て、コーンウォールの街の目抜き通りをバートリ家の屋敷に向かって歩いていた。
馬車が何台もすれ違えるような広い並木道。左右には黄色い煉瓦で造られた三角屋根の二階建て住宅が整然と建ち並んでいる。
季節は冬の最も寒い時期。空からボタン雪がはらはらと舞い落ちる中、二人で傘をさして並んで歩いていると別世界に迷い込んだかのような印象も受けた。
そういえばリクサが王都で住んでる集合住宅も三角屋根だったなと思い出す。彼女が啓示を受けて円卓の騎士になったのは今から五、六年ほど前。その頃、リクサは十五歳だったはずだ。
一人の少女が背負うには重すぎる使命。当時から使命感に燃えていたと前に彼女は語っていたが、まったく不安を感じなかったということはないだろう。
それまで何不自由なく暮らしていた箱入り娘が、頼れる者もいない王都でたった一人で新たな暮らしを始める際、故郷を思い出させる三角屋根の建物を住処に選んだというのは、意識的にせよ無意識的にせよ自然なことだと思う。
「『我が末裔が円卓の騎士に選ばれし時、王と共に試練を受けよ』……か」
エドワードから聞いた、ロイスが残したという言葉を反芻し、その意味するところを考える。
「こういう伝承が残されていたってことは、いつか自分の子孫が円卓の騎士になると薄々感づいてたってことなのかな?」
「どうでしょう。選定に血筋は関係ないはずですが」
あまり自信はなさそうに首を捻るリクサ。
「選定基準については魔術師マーリアがいくらか教えてくれましたが、どうやって選定してるかは謎のままですからね。円卓に知能や意志があって、それが選んでいる……なんてことはないと思いますが」
「でも言葉を発したり、多数決の判定したりするよな、あの卓」
「そ、それは……そうですね」
困惑顔で傘をくるくると回して中空で視線を滑らせるリクサ。
案外、彼女が何気なく言った今の意見が当たらずとも遠からずといったところなのかもしれない。もっとも、ブータや魔術師ギルドの後援者の面々が調べてもあの円卓のことは何も分からなかったので、答えは出ないだろうが。
「で。どうしよっか? 受けるかどうか、二人でよく考えろってエドワードに言われたけど」
これについてはリクサは即答した。
「私は、ええ。陛下さえよければ、ぜひ受けさせていただきたいと思っています。試練ということは達成すれば何か報酬があるかもしれませんし」
「ああ、それもそうだな。んじゃ受けよっか」
「え」
驚いた顔で足を止めるリクサ。
「い、いや、その、そんな安請け合いしてよろしいのですか? 試練ですよ? 試練ということはつまり並々ならぬ困難に挑めということですよ?」
「つっても円卓の騎士の責務自体が並々ならぬ困難だからなぁ。それに自分の子孫に命の危険があるようなことをさせるとはさすがに思えないし」
「それは……どうでしょうか。コーンウォール家の家訓は『死ぬ気でやれば何でもできる』ですし。バートリ家の家訓は『容赦はするな。やるなら徹底的にやれ』ですし」
彼女の返答に不安を覚え、俺は以前に夢の中で見かけたロイス=コーンウォールの姿を思い出す。
二本の直剣を携えた白銀の美形の青年。それがロイスであるが、そんな過激でヤバい人物には見えなかった。
統一王の忠実な臣下であったという伝説が残ってはいる。だが、これまで見た夢の内容や、史実を盛り込んであるという聖イスカンダール劇場に残されていた喜劇の内容を見る限り、それは嘘っぱちだとしか思えない。
「あのさ、ロイス=コーンウォールって、実際どういう人だったんだ? いや、逸話は色々と聞いたことあるけどさ。実の子孫たちにはもうちっと、こう、詳細が伝わってるんじゃないかって」
「そうですねぇ」
リクサは顎に手をやり、しばし考えこむ。その端正な横顔には夢の中で見たロイスの面影が見て取れる。長い睫毛に白い肌。すっと通った鼻筋にシャープな顎の輪郭。性別こそ違えど、よく似ている。
「ロイスには息子が一人と娘が四人いたそうです。娘たちのことを溺愛する一方、息子には非常に厳しかったとか。ただ、どちらの性別であっても心身ともに強くなるよう求めていたらしく、様々な過酷な訓練を課したそうで、今でもコーンウォール家ではその方針に従いスパルタ教育が行われています。バートリ家は違いますが」
「スパルタって、どれくらいの?」
「子供が幼少期のうちに家出する確率が百五十パーセントだそうです。一回家出して、もう一度家出する確率が五十パーセントという意味だそうですが」
「ええ……」
思った以上の酷さに若干引き気味になる。金持ち貴族に生まれても決して楽ではないということだろうか。
あの完全無欠に見えるエドワード老人もかつては家出をしたことがあるのだろうかと、ふと思いを巡らせる。
「どうですか、ミレウス様。試練の件、気が変わられてはおりませんか?」
「いや、少し嫌な予感はするけども。でも初代円卓の騎士たちのことは興味があるし、それに今は時を告げる卵には何も映っていないし。やっぱり受けようと思うよ」
「そうですか。さすがは我が君。嬉しいです」
リクサは初めて会った頃と比べるとずいぶん柔らかくなった笑顔を見せる。彼女が乗り気であることが俺も乗り気である一番の要因なのだが、それを言うのはさすがに野暮だろう。
「そういえば、ミレウス様。気分を害されてはいませんか」
と、申し訳なさそうにリクサが言ってきたので何のことかと思っていると。
「その、母がミレウス様にも婚期がどうのとか話していたので」
「ああ! ハハハ。いや、全然気にしてないよ。むしろ面白かった。いいお母さんじゃないか」
「そうですか? ……そうでしょうか」
あまり納得がいかない様子のリクサ。実際俺にはあのソフィア=バートリが、リクサの言うような自分勝手な人には見えなかった。
「ま、でも俺も婚期がどうのとか考えられないのはリクサと一緒だな。そもそも国王の任期が終わるまで生きていられるかどうかも分からないのに、それより先のこと考えられるかって話だよ」
「い、一応、任期中に殉職した国王はいないという話ですからそう悲観なさらないでください」
「そうらしいけどさー。その時点で倒せない滅亡級危険種は出現しないようになってる以上、それも嘘ではないと思うけどさー。いつ間違いが起こってもおかしくないと俺は思うんだよね。俺なんてもう二回も死んで蘇生してもらってるわけだし。……まぁ聖剣の鞘の加護の性質上、仕方がないところではあるけど」
リクサは初代円卓の騎士の末裔というだけあって円卓の歴史に詳しい。なので聞いてみた。
「歴代の王もやっぱ何回か命を落として、そのたびに蘇生魔法をかけてもらったりしたのかな」
「いえ、そういう記録はただの一つも」
じゃあ俺が単に運が悪いだけか、要領が悪いだけか。なんだかがっくりくる。
先代の王――四十年ほど前に即位したというフランチェスカ一世の残留思念とは話したことがあるが、彼女はそんなに苦労しなかったのだろうか。それとも記録に残っていないだけか。
「ん!? そういや今まで聞かなかったのも変な話だけどさ。先代の円卓の騎士たちが任期を終えたあとどうしたかって、もしかしてリクサ知ってる?」
「ええ、はい。なんでも任期を終えた直後に突然全員揃って失踪したそうです。噂では任期満了の報酬として用意された理想郷の島がウィズランド島の遥か南東にあり、彼らはそこへ渡って優雅に暮らしているとかいないとか」
「……なんだ、そりゃあ」
公的な場にいないことは知ってたし、先代以前からの後援者連中もあまり話に出さないので、行方をくらませているのではないかと薄々勘づいてはいたが。
しかし理想郷とやらは予想外だった。
リクサはなんだかすまなそうに肩を落とす。
「申し訳ありません。確かに今まで話さなかったのはおかしな話です。もっと早くお話していればよかったかもしれません」
「いや、それはいいけどさ。じゃあそれ以前の代の騎士たちは?」
「先々代は先代と同様に失踪したそうです。それ以前の代のものは記録がありません。……理想郷の件は私も眉唾ものだとは思っていますが、とにかくこの島のどこにもいないのは確かです」
「そ、そっか」
ウィズランド島の南東というと大陸のある方角だが、その間の航路にはそんな人が住めるような島はなかったはずだ。かつて静寂の森にあった魔術師マーリアの館のように、余人には発見できないようになっているのかもしれないが。
「なんだか不思議だし、ちょっと怖いな……。そもそも円卓の任期が終わったってどうやって分かるかも知らないし。やっぱりこの仕事には謎が多すぎる」
「この件、他の者たちには?」
「……言わないでもいいんじゃないかな。少なくとも、こちらからは」
先代の連中がいない以上、俺のように感づいてるものも多いだろうけども。
そこでひとまず話は終わった。
俺とリクサはしばし黙り込んだまま雪の降る中を歩き続ける。
すると女学生らしき二人組とすれ違った。なにやらこちらを見ながらひそひそと話していたが、たぶん俺ではなくリクサの方を見ていたのだろう。領主の館を出たところから姿欺きの腕輪、匿名希望をつけているので俺が国王だとバレることはまずない。
「やっぱり白銀の髪は目立つもんだね」
「そうですね。この髪は、特にこの街だとコーンウォール家かバートリ家の者だと言っているようなものですから、どうしても注意を引いてしまいます。さすがにもう慣れたものですが」
そんな話をしている内に俺は興味を引かれる立て看板を見つけて、とある店先で足を止めた。テラス席のある洒落た喫茶店の前である。
「ちょっと待っててくれ」
リクサに声をかけてから店に入ると、国庫から貨幣を直接取り出すことのできる革袋、財政出動から銀貨を一枚取り出し、看板に書かれていた一押しのテイクアウト商品を二つ購入した。
店を出て、その片方をリクサに渡してやる。紙容器に入った暖かなコーンスープだ。
「あ、ありがとうございます、ミレウス様」
「どういたしまして。でも俺の金じゃなくて国の金だから。いや、元を正せば税金だから」
自腹で奢ったほうが恰好がついたかな、とちょっぴり後悔しながら手元の紙容器を口に運ぶ。白い湯気の上り立つ甘いコーンスープは冷えた体を芯から温めてくれるようだった。
リクサと二人。ちびちび飲みながら、バートリ家までの残りの道のりを歩く。
「私、この街にいた頃はこんなふうに買い食いして歩いたことなかったです。はしたないと思っていまして」
「今はそうでもない?」
「はい。王都で一人暮らしをするようになって、ずいぶん緩くなったというか……図太くなったと思います」
リクサが慎重に言葉を選んだのに思わず苦笑を漏らして、彼女が生まれ育った街を見渡す。
「ここ、綺麗な街だよな。都会だけど王都とも南港湾都市とも違う」
「統一戦争で一度焼け野原になったので、計画的に造られているんです。区画が碁盤の目のように綺麗なのもそのためです」
「へぇ、なるほどね」
そういえばそんなことを中等学校の歴史の授業で習ったような気もする。
あと授業で習ったことと言えば。
「確か、そう。観光名所もたくさんあるんだよな。賢人図書館とか、十二月の塔とか」
「もしミレウス様がお望みであればまた後日、晴れた日にでもゆっくりご案内しますよ」
「そりゃいいな。リクサが生まれ育った街のこと知りたいし。楽しみにしとくよ」
「私も楽しみです」
傘を斜めにしてリクサが微笑む。
ただそれだけでほんの少し体が暖かくなったようでもあったのだが、気のせいだろうか。