第九十一話 コーンウォールへ行ったのが間違いだった
王都にあるリクサの家で呼び出しの文を発見した翌々日の昼。俺達はウィズランド島南東部に広がる肥沃な農業地域の中心都市を訪れていた。
この地域の名と中心都市の名は、共にコーンウォールと言う。
二百年以上前、つまりは統一戦争が勃発する以前の戦乱の時代、コーンウォールは当時この島に群立していた都市国家の代表格であり、始祖勇者の血を引く一族によって治められていた。
その一族の当時の当主の三男坊が後に初代円卓の騎士の次席となるロイス=コーンウォール。
そしてその直系子孫が四大公爵家筆頭のコーンウォール家であり、ロイスの次女から分かれた傍系子孫がリクサのバートリ家である。
「よーするに、本来なら俺みたいな庶民が気軽に会えるような相手じゃないんだよな、どっちの家柄もさ」
コーンウォールの街の中心部に悠然と佇む領主の館――リクサに文を寄こしたエドワード公の邸宅の応接間でロングソファに腰かけて、そんなことをしみじみと呟く。
「ミ、ミレウス様、なにか仰りましたか?」
「いや、別に」
緊張した面持ちで隣に座るリクサに頭を振って、俺は豪華絢爛たる室内を見渡した。
華麗なる一族。国の両輪。特権階級。ザ・金持ち。
両家を形容する言葉は数多いが、この館もそれにふさわしい立派なもので、規模こそ王城には及ばないが内装や調度品の豪華さでは負けていなかった。
待つこと、しばし。
やがて奥の間から二人の人物が姿を現した。
一人は白銀の髪を後ろになで上げ、見事な顎鬚を生やした壮健な老人。
もう一人もやはり白銀の持ち主で、リクサとよく似た容姿の美女だった。
老人の方、この館の主のエドワード公が目元を緩めて手を伸ばしてくる。
「お待たせいたしました、陛下。ようこそコーンウォールへ」
「久しぶりだね、エドワード」
握手に応じて、俺も微笑む。
すでに諸侯騎士団で定年を迎え、今は悠々自適の隠居生活を送っているこの老人だが、その立ち居振る舞いには活力が満ち溢れていた。
続いて、もう一人の美人が膝を折って宮廷式のお辞儀をしてくる。
「お初にお目にかかります、陛下。わたくしはソフィア=バートリ。バートリ家の現当主でございます」
「ああ、リクサから話には聞いているよ。俺はミレウス。知ってると思うけど、国王やってます。……いや、敬語はおかしいか。うん、国王をやっている」
この国の王として春夏秋と三つの季節を越えてきて、年長者に対してこんな風に振る舞うのにも慣れてきた。
学生結婚をしてすぐにリクサを産んだとは聞いていたが、ソフィアはすでに成人済みの娘がいるような歳には到底見えなかった。親子というより姉妹に見える。それもそれほど歳の離れていない姉妹に。
「母は勇者の血の抗老化作用が強く出てるんです。容姿を褒めると調子に乗ると思うので、お気をつけて」
苦い顔をしてリクサが耳打ちしてくる。たぶんソフィアにも聞こえただろうが特に気にした素振りは見せず、ニコニコと人好きのする笑顔を保ったままだった。
リクサは普段、こんな風には笑わない。彼女と似た顔でこういう表情をされるのは新鮮ではある。
ソフィアは俺達の向かいのソファにつくと、まず頭を下げてきた。
「申し訳ありません、陛下。本当なら主人も同席すべきなのですが、あいにく大陸に買い付けに出かけておりまして」
「ああいや、気にしなくていいよ。今日の話には関係ないんだろ?」
同じく向かいのソファに座ったエドワードの方に視線を向けると、彼は大仰に頷いて見せた。
女中が恐ろしく上等な紅茶と焼き菓子を運んできたので、それをいただきながらエドワードやソフィアと軽く談笑をする。
ただ一人、リクサだけは落ち着かなげというか不満げで、焼き菓子にもあまり手をつけなかった。
「父はお人よしすぎて商才がないんですよ、徹底的に。なのに色々やろうとするから経営が悪い方に転んでいくんです。商会のことは幹部の方々に任せて、趣味の釣りでもしていればいいのに」
俺の方を横目で見ながら、そんな愚痴をこぼすリクサ。
それをソフィアが穏やかにたしなめる。
「今はあの人が会長なのですから、そういうわけにはいかないのも分かるでしょう、リクサ」
「ですが母さま。一番厄介なのは無能な働き者だとも言います。もし従業員が路頭に迷うようなことになったら、誰も責任は取れません」
口を尖らせ反論するリクサ。いつも理知的で大人びた女性だが、母親の前では少し子供らしいところも見せるらしい。
実の父親相手に無能とはなかなか辛辣な物言いだが、実際その尻ぬぐいをしてるのは彼女なのだから責められる話でもない。
ソフィアはその整った眉を少しだけ歪めると、リクサの方に身を乗り出した。
「そうそう、貴女。わたくしが出した便りも全て届いているのでしょう? 返事くらいよこしなさい。心配になるでしょう」
「どうせ返事をしたところで、次はどうして見合いを断るのかと説教するのでしょう?」
当然のように頷くソフィア。
「もちろんです。わたくしにはバートリ家当主として、そして一人の母として、貴女を立派な殿方と婚姻させる義務があるのですから」
「いい迷惑ですよ。……だいたい自分は恋愛結婚したくせに」
リクサが半眼で睨むが、母の方は意に介さなない。
ふと気づいたかのように、じっと娘の方を見て。
「もしかして貴女。誰か好い人がいるの?」
「そ! そんな、そんなひとは……い……い……いないこともないこともないというか……」
しどろもどろになるリクサ。
その様子が可笑しくて、俺は思わず苦笑を漏らしてしまったが。
「陛下も他人事ではありませんよ」
と、ソフィアに叱られる。
「光陰矢の如し。竜の一日、人の一生と申します。まだまだ若いと油断していると、気づけば陛下も婚期を逃してしまいますよ」
人差し指を立て、説教をするソフィア。
彼女も真剣に心配して言ってくれているのだろうから笑ってはいけないと分かってはいるが、思わず口元が緩む。
俺の義母さんは放任主義だからこんなことを言ってはくれない。
「まぁまぁその辺にしておきなさい、ソフィア。陛下が困惑なさっている」
横から助け船を出してくれるエドワード。
ソフィアはまだ言い足りない様子だ。
「ですが、おじ様」
「もちろん良縁を求めるのは大事だ。しかし、ことこの二人に限っては、見合いは必要ないと思うよ」
はっきりとしたエドワードの加勢に、リクサの顔がパァっと輝く。
俺は彼の口ぶりに含むところを感じたが……それはひとまず置いといて、そろそろいい頃合いだろうと思い、懐からリクサに宛てられた便箋を取り出す。
「で? これにあった大事な用ってのはなんなんだ」
あれから俺とリクサで考えてはみたのだが、エドワードの要件はさっぱり見当がつかなかった。
暇ができたときでいいと書いてあったし、会ってからもこんなにのんびりしているので火急の要件でないとは分かっていたが。
エドワードはソフィアと視線を交わして頷きあうと、姿勢を正して俺達の方に向き直った。
「リクサ。そしてミレウス陛下。二人には我々の祖にして初代円卓の騎士の次席、ロイス=コーンウォールが残した勇者の試練を受けていただきたいのです」
「……ほう? ロイスとね」
これは意外な名前が出てきたな、と今度は俺がリクサと視線を交差させる番だった。