第九十話 封書を開けたのが間違いだった
「抜き打ちチェックの時間だああああああああああ!!!!」
と、いつものように叫びつつ、リクサが住む集合住宅の部屋のドアを蹴破って中に侵入した――つもりで、普通に開けて中に入ってから、およそ半日後。
ドサリと、窓の向こうで雪の塊が落ちる音で目が覚めた。昨夜遅くに降り始めたのが集合住宅の三角屋根に積もり、崩れて、一部が滑り落ちたのだろう。
寝ぼけ眼をこすって炬燵の硬い天板から顔を上げると、整った顔立ちの女性が目の前で両腕を枕に幸せそうに眠っているのが見えた。もちろん、この部屋の主にして我が片腕、リクサ=バートリ女史である。
いつものだらしない部屋着――ナガレからもらったという青の作業着風衣服姿だが、その美しさは微塵も損なわれてはいない。
美人は三日で飽きるという格言があるが、あれは嘘だと思う。俺はいまだにこういうふとした拍子に、この女性にドキドキさせられている。
「あ、頭が痛い……割れそうだ」
こめかみのあたりを指で押さえながら、俺は炬燵から這い出した。昨夜摂取したアルコールの影響が今も強く残っている。
周囲を見渡せば数えきれないほどの酒の空き瓶、食べかけの肴、出前のピザの紙容器が二つと分厚い少年向けの漫画雑誌がいくつか。
王都の実る秋通りにあるこの集合住宅は、この辺の物件としては割と上等な方で室内も広々しているのだが、今はごみごみとしていてだいぶ手狭に感じられる。
もっとも昨夜リクサと共に大掃除をする前は足の踏み場もないほどだったから、それと比べればはるかにマシではあるのだけれど。
「また片付けないとなぁ」
誰にともなくぼやくと、正面で眠るリクサは放置してキッチンへと向かった。掃除を手伝うついでに晩酌にもつきあって、そのままこんな感じでなし崩し的にこの家に泊ったのは、過去に一度や二度ではない。もはや勝手知ったる感すらある。
二つのグラスに水を入れて居間に戻るとリクサが目を覚ましており、先ほどの俺と同じように側頭部を押さえて顔をしかめていた。勇者は全ての毒物に強い耐性を持つが、どういうわけかアルコールにだけは無防備だ。
リクサは俺に気がつくと、乱れた白銀の前髪をあたふたと整えた。
「ミ、ミレウス様。おはようございます」
「おはようリクサ。昨日のこと覚えてる?」
「き、昨日? ええと」
ふらふら左右に揺れながら、いまいち焦点の合わぬ目で天井を見上げるリクサ。たっぷり間を置いてから、深々と頭を下げてきた。
「あの、また家の掃除を手伝っていただいて……本当にありがとうございます」
「どういたしまして。リクサにはいつも仕事で助けられてるし、それはいいけど。そろそろ散らかさないようにならないかなぁとは思うかな」
俺はリクサの正面に回って炬燵に入ると、片方のグラスを差し出した。彼女は礼を言ってそれを受け取り、慎重に口をつける。次に彼女が言葉を発するまで、先ほど以上にたっぷりと間があった。
「ええと、ミレウス様……今日はお休みでしたっけ?」
「そうだよ。今日から俺もリクサも冬休みだろ? だから昨日は抜き打ちチェックにきたんだ」
「ああ、はい。そうです。そうでした。……ああ、よかった。てっきり寝坊してしまったのかと」
リクサは心底ほっとした様子で炬燵に深々と身を沈めると、その天板に顎を乗せた。まぁあれだけ酒が残ってる状態で仕事には行きたくないだろう。俺もそうだけど。
窓の外が騒がしくないところを見ると、恐らく時刻は普通の務め人の出勤時間を少し過ぎたくらいか。俺とリクサはグラスの水をちびちび飲みながら、炬燵の中でしばらくの間ぬくぬくと幸せな時を過ごした。
「リクサは勇者だから冷気耐性あるのに、炬燵大好きだよな」
「我慢するのが得意というだけで、寒さを感じないわけではないですから」
王城にいる彼女のファンたちが見たら卒倒しそうなくらい、だらけた姿で答えるリクサ。何の耐性も持っていない凡人の俺は、そういうものなのかと納得するしかない。
とりあえずこの酒盛りの片づけをするかと部屋の中を見渡すと、昨日ゴミの山から救出した郵便物をまとめた束が隅の方にあるのが目に入った。手を伸ばして、自分の方に引き寄せる。
だいたいが大きなサイズの封筒で、そのほとんどが未開封だった。別に見るつもりはなかったのだが、一番上の封筒の差出人の名前が目に入ってしまう。
彼女の実家――ウィズランド島最大の商会にして“商店街潰し”の悪名高い、コーンウォールのバートリ商会からだった。
「どうせ全部、母からですよ。……最近は見合いをしろとうるさくて」
昨日の肴の残りである烏賊の干物を咥えながら、リクサが辟易とした顔で溜息をつく。
「見合い? 見合いって、もしかして、あの見合い?」
「そうです。あの見合いです。でも私はまだそんな歳ではありませんし、今は円卓の騎士の仕事で手一杯ですから、それが終わるまでは結婚なんてする気はないんです。でも何度言っても母は聞いてくれなくて」
あ、これは愚痴モードに入ったなと勘づくが、時すでに遅し。リクサはこちらの反応など待たず、炬燵の天板を睨みながら口早に続けた。
完全に目が据わっている。
「だいたい私に結婚させようとしてるのも私を思ってのことではなくて、母自身のためなんです。うちは女ばかり生まれる家系で母も男兄弟がいないんですが、当主の座を継ごうにも商才がまったくなくて、仕方ないので早いうちに優秀な婿養子を取るつもりだったそうなんです。なのに学生のうちに恋愛結婚してしまって、その相手――ようするに私の父ですが、その相手は人がいいだけでまったく商才のない人でして、おかげでバートリ商会の経営は傾きに傾き、私がこうして円卓の騎士として働いて得た特権をフル活用してどうにか持っているという有様です」
「大変だったね」
「だいたい母が選んでくる見合い相手も歳のいった貴族か大企業の御曹司ばかりで全然私の好みとは違うんです。肥った人ばかりですし、どの人も偉ぶってるような雰囲気がありますし。それにもし今結婚したら、円卓の仕事はどうするんですか。私以外ろくに書類仕事できないのに」
「うんうん、いつもありがとね」
彼女の愚痴モードも、もはや慣れたものである。適当に相槌を打ちながら、コーンウォールからだという封筒たちをなんとはなしに見やる。
リクサがそれに気づいて、どうぞと手を差し出してきた。
「中もご覧になっていいですよ。どうせ説教がびっしりの便箋と何の面白みもない見合い相手の釣書が入っているだけでしょうから」
「し、辛辣だね……」
お言葉に甘えて封筒を開封してみると、彼女の話通りのものが出てきた。もっともバストアップや全身像の映った擬似投影紙と釣書の内容を見る限り、そう悪い相手でもないように思えたが。
「お見合い、したことあるの?」
「会ったことは一度も。毎回事前に断っています」
「大変だねぇ」
これまた適当に返事をしながら、封筒を一つ一つ開けていく。どれもこれも内容は変わり映えのしないもので、リクサが辟易とするのも分からなくもなかった。
「母は円卓の騎士の責務の重要性が分かっていないんですよ。この間バートリ商会が後援者の末席に加わったときに私たちがしていることも全部話したのに、それとこれとは話が別とか言ってまるで聞き耳持たなくて――」
延々と続くリクサの愚痴。それを右から左へ聞き流しながら封筒の処理を続けていると、ある封筒を開けたところで手が止まった。これまでのものとは異なり、小さな便箋に端的な文章が数行綴られているだけだったからだ。
なんだこれ? と、その封筒をよく確認する。他の封筒と同じくコーンウォールから投函されたものだが、住所は微妙に異なる。差出人名もリクサの母の名ではない。諸侯騎士団の後援者の代表者である、あの老人の名だった。
「これ、エドワードからだな。コーンウォール公爵の」
「えっ!? お爺様から!?」
リクサがぱたりと愚痴を止め、顔を上げる。咥えていた烏賊の干物が炬燵の天板に落ちた。
四大公爵家筆頭のコーンウォール公エドワードはリクサにとっては遠い親戚であり、幼い頃からなにかと世話になってきた人物だという。
しかしどうやらこの様子だと、この封筒の存在はまったく気づいていなかったようだ。
「見合いの封筒と勘違いして、一緒に放置してたんだな。『大事な話があるから、暇ができたら国王と一緒にコーンウォールに来なさい』って書いてあるよ」
「そ、それじゃあ早く返事を出さないと! ええと、封筒と便箋は……」
「あっちの戸棚の中ね。インクとペンは寝室の引き出し」
なんで俺の方が詳しいんだと思いつつ、指をさす。
あたふたと戸棚をひっくり返し始めたリクサを横目で眺めながら、もう一度封筒をひっくり返して表を見る。
「……でもこれ、二カ月くらい前の消印だな。もう手遅れかも」
リクサが青ざめた顔をこちらに向けて、動きを止めた。
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【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★★★★
親密度:★★★★
恋愛度:★★★★★★
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