第八十四話 一緒に寝たのが間違いだった
深い眠りの底で――夢を見た。
広大な地下空間。
ちょうど今、俺とイスカが寝ているはずの場所に若い男女の一団がやってくる。
その数は八名。
恐らくはこれは二百年前。統一戦争期のことだろう。
「第一文明人ってのはホントに地面掘るのが好きだったんだなぁ。こんなとこにも馬鹿でけえ穴掘ってよぉ」
一団の先頭を歩いていたのは黒い革鎧を身につけた荒々しい巨漢だった。
年代物の片手半剣を肩に担いでおり、その薄暗い地下空間の天井を見上げている。
「ちょっと、ビョルン。そんなズンズン前に進まないでよ。アンタ前衛なのよ? 私たちを守るのが役目だってわかってるんでしょうね」
後ろから口やかましく言ったのは髪を虹色のグラデーションに染めた美少女だった。
周囲に無数の光精霊を従えており、それが一行の周囲を照らしている。
「めんどくせぇこと言うなよオフィーリア。こんなとこ、どうせ何もいやしねーよ」
「どうしてアンタはそう能天気なのよ。脳みそまで筋肉でできてんじゃないの」
この二人は黒騎士ビョルンと精霊姫オフィーリアか。
前回、我が故郷オークネルで見たときからそうだが、聖剣が見せる夢は徐々にだが鮮明になってきている。
「……あそこ、何かが横になってませんか?」
奥の方を指さしたのは漆黒のロングドレスを身にまとった妖艶な女性である。輝くような金髪に絹のように白い肌をした人間離れした美貌の持ち主だ。
この人には俺も実際に会ったことがある。魔術師ギルドの開祖、魔術師マーリアだ。
「魔神……いや、人か?」
訝し気にそちらを見やったのは二本の直剣を左右の腰に帯びた白銀の髪の青年である。
その剣の片方には見覚えがあった。リクサが愛用している天剣ローレンティア。ということはこの人物は彼女の祖先の双剣士ロイス・コーンウォールだろう。
一行は警戒しつつ、そこに倒れていた水色の髪の少女の元へと歩いていく。
「息はあるさー。寝てるだけっぽいさー」
少女の横で屈みこみ様子を見たのは、栗毛色の髪の地味な顔つきの青年だった。強い大陸訛りがある。
「お、可愛い子じゃないか! あと二、三年もすりゃ別嬪さんになるぞこりゃあ!」
もう一人、くすんだ金髪の青年が少女の顔を覗き込んで歓喜の声を上げた。この男はすでに何度か夢で見たことがある。大陸からやって来た冒険者アーサー、つまりは後の統一王だ。
強い大陸訛りがある地味な男は、統一王と共にこの島に渡ってきたという狂人ジョアンだろう。ウィズランド四大公爵家の一つ、アーツェン家の始祖となる人物だ。
「けっけっけ、アーサーはホント女に目がねぇな。でもよく見てみな、こいつぁふつーのガキじゃあねえ。頭に角なんて生やしてやがる。もしかすると鬼かもしれねえぞ」
シニカルな笑みを浮かべて遠巻きから眺めているのは大陸東方の民族衣装を着た男である。
消去法でいくと帰還者シャナク、もしくは剣豪ガウィスだろう。
「別に鬼でも神でも魔王でも、可愛けりゃなんでもいいんだよ俺は! 可愛いは正義! 可愛い女の子は世界を救う! 俺は可愛い女の子だらけのハーレムが作りたくてこの島に来たんだよ!」
握りこぶしを作って頭を振り、熱弁を振るう統一王。
その後ろでロイスとマーリアが呆れ顔で溜息をついた。
「あー、やっぱダメだわ、こいつ」
「ダメダメですね……」
いつもこんな調子なのだろう。予定調和のような空気がその場にはあった。
ビョルン、オフィーリア、マーリア、ロイス、ジョアン、アーサー、そしてシャナクあるいはガウィス。これで七名。
一行にはもう一人仲間がいる。しかしなぜかその姿ははっきりとは見えない。
その八人目の人物が注意を喚起すると、全員の視線が眠れる少女へと集まった。
少女――イスカンダールがゆっくりと瞼を開けて、口を開く。
そこで夢は一端途切れた。
☆
途切れたのが突然ならば、再開も突然である。
夢の続きの舞台は先ほどと同じ、この広大な地下空間。
今度は先ほどよりも登場人物が多い。計十二名の男女がイスカと共にその場にいた。
いくらか時が流れたらしく、先ほど登場した者たちも容姿が変わっている。
もっとも不老の存在である魔女のマーリアや天聖機械であるイスカは先ほどのままの姿だ。
恐らくはこれは統一戦争が終結していくらか経った頃のことだろう。
イスカはその時、目を赤く腫らして泣きじゃくっていた。
「どうしても……どうしてもねむらなきゃだめなのか?」
何度も繰り返された問答なのだろう。
それは反発というより最後の確認のようだった。
「このままだとイスカちゃんの体が持たないんです。私たちも辛いんです……でもそれしか方法がないから……どうか、聞き入れてください」
イスカを抱きしめてそう言い聞かせたのは左腕に精巧な義手をつけた気弱そうな女性だった。南港湾都市で見た夢にも登場したので分かる。海賊女王エリザベスだろう。
「アンタはよくやったよ。おかげで多くの人が救われた。あとはアタシたちに任せてゆっくり休みな」
横からイスカの頭を撫でたのは赤い軽鎧を装備した黒髪の美人。我が故郷オークネルの夢にも登場した赤騎士レティシアだ。
「イ、イスカさんが起きたときに寂しくないように、平和で賑やかな国を作りますから……」
涙ぐみながらそう誓ったのは、コロポークルの男性だ。
初代円卓の騎士の亜人と言えば、四大公爵家の一つであるルフト家の祖となった冒険者ルドのほかにいないだろう。
そして彼らは一人一人、イスカに別れの挨拶をした。
涙を流す者、抱きしめる者、頭を撫でる者。
その表現の仕方はそれぞれだったが、誰もが深い悲しみを抱いているのは明確に見てとれた。
「イスカ。貴女に女神アールディア様のご加護がありますように」
若草色の髪の美しい人狼――アルマが祝福の口づけをイスカの額にする。それが最後だった。
イスカは数歩後ずさりすると、涙をボロボロこぼしながら、それでもどうにか笑顔を作った。
「おやすみ、みんな。……おやすみ。今までありがとう。……だいすき」
そしてイスカの体は霧のように散っていった。
仮死状態に入るのだろう。
何よりも大切な仲間たちとの離別。
彼女が胸に抱いたその大いなる悲嘆を、俺は胸に刻み込んだ。
☆
そこから夢は一気に混沌としたものになった。
初代円卓の騎士たちと過ごした日常の景色が浮かんでは消えていく。
このロムスの地下避難所でみんなで食事をしながら談笑をする一幕。
暑い太陽の日差しの下、南港湾都市の砂浜で遊ぶ一幕。
無数の民衆たちと力を合わせて王都を復興させていく一幕。
これは夢の中の夢。
仮死状態のイスカが見ている夢だろう。
奇妙な感覚を持ちながら俺はそれを眺めていた。
かつて魔術師マーリアは言っていた。
統一戦争は苦しい戦いだったが、そんな中でも仲間たちと共に過ごす時間は楽しいものだったと。今でもそれは自分のかけがえのない財産であると。
それはきっとイスカも同じなのだろう。
夢を見る彼女の幸福感が俺にも伝わってきた。
だが、それはいつまでもは続かなかった。
やがて夢に浮かぶ景色は恐怖に彩られたものに変化していく。
金属質の光沢を持つ異形の兵器。
漆黒の肉体を持つ醜悪なる人型の化け物。
天聖機械と魔神。
無数のそれらが破壊しあう、過酷な戦場の記憶の再現が始まる。
これは統一戦争のものではない。それよりも遥か昔――第一文明を荒廃させたという終末戦争の夢だろう。
もはや神話となったこの戦いの凄まじさは、俺の想像を遥かに超えていた。
山脈は跡形もなく崩壊し、海は煮立ち、空からは破壊の光が降り注ぐ。
人も都市も、もはや形を成すものは何もない。
この時代に生み出された決戦級天聖機械の一体であるというイスカは、その戦場にいた。
彼女の姿は現在とは少し違う。いや、むしろ違っているのは現在の姿で、この夢の姿こそが本来の彼女なのか。
ともかく彼女はそこでただひたすらに戦い続けた。
そして長い長い闘争の末。
最後に彼女の前に立ちふさがったのは、俺が見たことも聞いたこともない異様な怪物だった。
その姿を一言で形容するならば、白と黒のまだら模様の髪を持つ、女神とも見紛うほどに美しい女の巨人。
灰色の一枚布の服を身にまとっており、雲にも届きそうな巨体を誇っている。
その力は絶大で、指を伸ばせば大地が崩れ、目を見開けば炎の嵐が吹き荒れた。
決戦級天聖機械とも魔神将とも明確に異なる、強大なる存在。
歴史には残されていない真の最終兵器なのだろうか。
――あるいは本当に、女神なのか。
イスカはそんな相手にも果敢に立ち向かっていった。
だが力の差は歴然。幾度も押し返され、幾度も重傷を負う。
イスカはそのたびに誰かに修復され、そして戦場に戻された。
巨人との戦いを通して彼女が感じた苦しみ、痛み、そして恐怖が俺にも伝わってくる。
その戦いの結末がどうなったのか。
それを知る前に、俺の視界は真っ暗になった。
夢の中の夢が終わったのだろう。
この地下空間にて仮死状態で眠り続けるイスカに視点は戻る。
今のイスカの姿は微粒子レベルにまで分解されている。
しかし彼女が体の一部をもぎ取られるような強烈な喪失感を覚えたのは俺にも分かった。
――そして長い長い夢は、そこでようやく本当の終わりを告げた。
☆
目覚めた時、俺の呼吸は激しく乱れており、全身は汗でぐっしょりと濡れていた。
まず自分の四肢がきちんと揃っていることを確認する。
それから手探りで枕元のランプを探し出し、明かりを点けた。
イスカはまだ隣でリスのように丸まって眠っている。
しかし悪夢にうなされているのか、その体は震えており額には脂汗が浮かんでいた。
「イスカ。……イスカ。起きてくれ」
優しく声を掛けて華奢な体を揺さぶると、イスカは荒い呼吸を繰り返しながらゆっくりと瞼を開いた。
そしてすぐに俺に抱き着いてくる。
「みれうすー! こわかった! こわかったよー!」
「大丈夫。大丈夫だ。ごめんな。怖い夢を見せて」
俺は彼女を抱きしめて、その後頭部を何度も撫でる。
イスカは泣きじゃくりながら、俺に教えてくれた。
「おもいだした。ぜんぶ、おもいだしたんだ。イスカ、すりーぷもーどで寝てるあいだにむかしのこわいゆめを見たから、そのせいでみんなイスカからはなれていったんだ」
「……ああ。俺も一緒に見てたから分かったよ」
あの夢の最後の喪失感。身を切られるようなあの感覚。
あれこそが付属パーツたちを制御ができなくなり、離脱されたときの痛みだったのだろう。
「大変だったな、イスカ。辛かっただろうな……」
俺は彼女が落ち着くまでそのままずっと待っていた。
眠気はもうない。地下なので分からないが、恐らくもう朝になっているのだろう。
しばらくするとイスカは泣き止んで、目を赤く腫らしたまま白い歯を見せて笑った。
「みれうすはやさしいなー」
「そうかな? ……ほかの人にそんなこと言われた覚えはあんまりないけど」
リクサから『海のように広く深い心を持っている』とか言われた覚えならあるけど。
イスカは俺の両手を強く握って、目を輝かせて言ってくる。
「イスカ、みれうすのことすきになったぞ! イスカとつがいになってくれ!」
「ハァアアア!? つ、番!?」
「あれ、しらないのかー? つがいっていうのはなー。オスとメスがぺあになってー。こどもをつくってー」
「いやいやいや! それは知ってるけど!」
俺は慌ててイスカの手を振りほどこうとする。
しかしその力は万力のようで、びくともしない。
「キミ、ちょくちょく俺のことお父さんとか呼んでくるだろうが! 父親と番になるはおかしいだろ!?」
「べつに血がつながってるわけではないしー」
「こ、こんなときだけ都合のいいこと言いやがって!!」
イスカはこちらの言うことなどまるっきり無視して、がばりと上にのしかかってきた。
無論、俺がそれに抗えるはずもなく、簡単に押し倒されて両腕を掴まれ拘束される。
「ま、まてイスカ。だいたいキミ、天聖機械なのに子供を作れるのか?」
「つくれるぞー。あたりまえだぞー」
「当たり前じゃないんだよ! この時代だと!」
イスカは何かを確かめるように、俺の胸のあたりの匂いをくんくんと嗅いでくる。
「イスカとじゃーいやなのかー?」
「い、嫌じゃないけど」
「じゃあもしかしてもうほかのだれかとつがいになってるのかー? えんたくのきしのだれかかー? こづくりしたのかー?」
「誰とも番になってないし、子作りもしてない!」
「そうなのか? べつにイスカはいったいいちじゃなくてもいいんだぞ? みんないいやつだしな!」
この子の倫理観はイマイチ分からない。普通の人間と違うのははっきりしてるけど。
しかしこのままでは本当に子作りに突入しかねない。
枕元にある聖剣をどうにか手にして、みんなを召喚して助けてもらわねば。
――と、じたばたしていると、唐突にイスカの腹がぐーっと鳴った。
「あ、朝飯食いにいこう! 話の続きはそのあとだ!」
「そうだな!」
即答して俺の上からどいてくれるイスカ。
単純なこの子のことだ。きっと飯を食ったら今の話のことは忘れてくれるだろう。
「あー……とにかく、よくやってくれた。偉いぞ、イスカ。これでどうにかなりそうだ」
俺は再度イスカの頭を撫でて頭上へと目を向けた。
先ほどの夢の中で現在行方不明中のあの付属パーツが彼女から離れていく際、どこへ行くのか告げていたのだ。
この地下空間の天井のそのさらに先――最貧鉱山の街の上空をふさぐ『ロムスの百年雲』。
“精神”は今、その中にいる。
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【第八席 イスカンダール】
忠誠度:★★★
親密度:★★★★
恋愛度:★★★[up!]
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