第八十二話 登山したのが間違いだった
鉱山都市ロムスに舞い戻った翌日から、俺たちは王都でそうしたように初代円卓の騎士ゆかりの地をイスカと共に巡った。
精霊姫オフィーリアが地獣精霊と契約したという鉄鉱石の露天掘り跡。黒騎士ビョルンが切り倒したという古代樹の切り株。冒険者ルドが探検したという大鍾乳洞。
この辺りにも彼らの足跡を辿れる場所はたくさんある。
そして今日はその一環としてロムス山の山道を俺たちは登っていた。
当たり前だがこんなところを訪れる者はほとんどいないため、道はろくに整備されていない。
なかなか険しい山道だったが、ヂャギーと一緒にやっている早朝ランニングの成果か、どうにかまだへばらずに済んでいた。俺は南港湾都市の一件で一度死んで蘇生魔法で生き返ったため、体力が少し下がっていたのだ。
「こうしてると夏休みに登山したの思い出すねー」
疲れた様子はまったく見せずに俺の前を歩いているのは登山服姿のアザレアさんである。
「な、懐かしいですね、主さま」
同じくまったく疲労した様子もなく俺のすぐ後ろをついてきているのはシエナである。
二人とはそれぞれ別件で、夏休みに一緒に登山をした。俺の故郷のオークネルという村の近くにそびえるベイドン山の中腹あたりまで行ったのだ。
標高自体はこちらのロムス山の方が低い。だが勾配はこちらの方が急であるし、今回目指しているのは中腹ではなく山頂だ。
「これはきついなー……」
息を切らして額の汗をぬぐいながら、一人ごちる。
全行程の半分ほどを消化したところで、都合よく山小屋があったのでそこで小休止を取ることにした。と言っても休みたがっていたのは俺を含めても少数派だったけど。
その少数派の一人、山小屋の近くの岩に腰かけてゼェゼェと荒い息をしている作業着風衣服姿の女性の元へ歩み寄る。
「よう、ナガレ。水要るか?」
「お、おう。……サンキュな」
珍しく素直に礼を言って水筒を受け取ったナガレは、今にも死にそうな顔をしながら喉を潤した。
以前、王都の北西にある人狼の森へ一緒に行ったときもこんな感じだったが、この女、意外と体力がない。円卓の騎士になる以前は傭兵をやっており、その頃に鍛えていたそうなので筋力は結構あるのだが。
「あー、あれだぞ。きついなら無理して山頂まで行かずに、ここで休んでてもいいんだぞ。帰りに合流すればいいしな」
「ハァ? ……なんか今日は妙に優しいな、てめぇ。どういう風の吹き回しだ?」
なにか裏でもあるのかとナガレはその猛禽のような鋭い目で睨んでくる。
しかしこれといって他意があるわけではない。ただ、先日のイスカとの腕相撲で痛い目に合わされた挙句、金貨を巻き上げられた彼女への埋め合わせをしたいだけである。
「いつもナガレには助けてもらってるからな。そのお礼だよ」
「そ、そうか。それならいいんだけどよ」
頬を赤らめ、水筒を突きだして返してくるナガレ。チョロいものである。
今度はブータとヤルーの元へと水筒を持っていく。この二人も休憩に賛成した少数派だ。ナガレと同じようにしんどそうな顔をして岩の上に座っている。
「な、なんで魔法や魔術で飛べる俺っちたちが、徒歩で登山せにゃならんのだ」
水筒から水をがぶがぶ飲んでから愚痴を吐いたのはヤルーの方である。
俺は歩いてきた山道を振り返った。
「道中でイスカが何か思い出すかもしれないだろ」
「思い出すわけねーだろ、こんな普通の山道でよぉ! ブーちゃんもそう思うよなぁ!?」
水を飲んでる最中に話を振られたブータは派手にむせた。それから俺とヤルーを交互に見て、あたふたと当たり障りのない返事をする。
「え、えーとぉ、いえまぁ可能性はなくはないと思いますよぉ、ええ」
ま、俺も道中にはそんなに期待してはいないけども。
水筒を返してもらい、空を見上げる。
幸い今は秋だし、『ロムスの百年雲』で日差しも遮られているので登山するにはもってこいの環境だ。これが夏場で強い日差しの下だったら、こいつらはここに至る前に脱落しているだろう。
地上の二人へと視線を戻す。
「なぁ、やっぱりあの雲怪しいと思わないか? ブータ飛んでいって調べてくんない? ヤルーでもいいぞ」
「む、無茶言わないでくださいよ陛下ぁ! 寒さと酸素不足で死にかねないですよぉ!」
「ミレちゃんがやりゃいいだろうが! 俺っちたちからスキル借りられるんだからよ!」
やはりというか揃って激しく拒否してくる。
ブータの方はおだてればやってくれないこともない気がするが、ヤルーの言うとおり俺がやればいい話ではある。
だがいずれにしても、それはまた今度でいいだろう。
「そろそろ出発するけど、二人もきついようならここで待機してていいよ」
「……いや、行く。行ってやんよ!」
「そ、そうですね! ボクらは円卓の騎士! 陛下をお護りするのがお役目ですから!」
結局ナガレも脱落しなかったので、それまでと変わらず、十二人で登山を継続することになった。
リクサやヂャギーの前衛班はもちろん、夏の登山の実績のあるアザレアさんとシエナもまだまだ余裕がありそうに見える。極度の仕事嫌いであるラヴィも今日は観光気分なのか、鼻歌混じりに悠々と歩いていた。
もちろん今回の主賓であり野生児であるイスカも元気であるし、その世話を頼んであるエルとアールもやはり体力は有り余っているようだった。
☆
太陽が雲に隠れているので分かりづらいが、恐らく昼過ぎ。
俺たちはロムス山の山頂にたどり着いた。
振り返れば彼方に最貧鉱山――ロムスの街並みが見える。さらにその先には東西に延びる冒険者の街道。眺望は素晴らしく、それだけでここまで登ってきた価値があるような気もした。
「で、これが目当てのやつか」
俺は上がった息を整えながら、山頂に鎮座していた大きな石碑の元へと歩いていく。
そこに刻まれているのは初代円卓の騎士にまつわる碑文だ。
この山頂の辺りで統一王の一行がある魔神将と戦い、そして討伐したという内容である。
「どう? 何か思い出せた?」
振り返ってみるとイスカは碑文ではなく、山を越えた先にある奇妙な形の湖を見下ろしていた。
口を開けたままそれを指さし、俺に言ってくる。
「あれ。イスカがつくったんだ」
「……らしいな」
あの名もない湖は聖イスカンダールが奇跡を起こして作ったという伝説が残っている。
王都で観劇した『統一王の英雄伝説』では、聖職者であるイスカンダールが祈ると神の光が空から降り注いで大穴を穿ちそこに雨水が溜まった、ということになっていたが。
当の本人が、たった今思い出したかのように真実を教えてくれた。
「ここでくろくてちっこいのとたたかってなー。イスカが空からブレス吐いてよわらせてなー。それをまーりあがびょーんって消したんだ」
「そのブレスの破壊跡があの湖になったってわけか」
『くろくてちっこいの』というのは統一王たちによって解放された魔神将の内の一体だろう。他の滅亡級危険種たちと同じように未来へ飛ばされたということは、いつかあの湖に出現するのか――もしくはすでに出現済みで先代以前の王の誰かが倒しているのか。
「しかし……すごいな」
俺はイスカが作ったという湖を彼女と共に見下ろして、思わずうめいていた。
地形をここまで変えてしまうとは、やはり決戦級天聖機械の力はすさまじい。その威力は聖剣エンドッドで放つことができる最大火力技【超大物殺しの必殺剣】にも匹敵するだろう。
俺たちが最初に戦った決戦級天聖機械のアスカラも大きな丘を丸ごと吹き飛ばすほどの極太熱光線を放っていた。
あんなものが何体も、何十体も解放されて、よくこの島は滅亡しなかったと思う。
もちろんその地獄のような災禍の記憶は今も島中で語り継がれているわけだが。
「なぁ、イスカ。俺たち以外の人には自分が天聖機械だってことはナイショにしておいてくれないか」
「なんでだー?」
子供らしく素直に首を捻るイスカ。
俺はその華奢な両肩を掴み、金の双眸を見つめて言い聞かせた。
「キミがそうだと知れると危ないからだ。天聖機械はこの島の人たちにとって……少し怖い存在なんだ。イスカは優しいし、人を傷つけたりしたことはないらしいけど。それでも天聖機械だっていうだけで怯える人はいると思う」
それだけならばまだいい。
問題は恐怖を感じた人間が取る行動は限られているということだ。
イスカはその額の小さな角を除けば、ただの人間にしか見えない。本人が『自分は天聖機械だ』と言ったところですぐに信じる者はいないだろう。
しかし――俺たちもそうであったように――ブレスを吐くところを見たりすれば、本当だと確信することだろう。
「イスカがそうだと知れたら他の天聖機械にそうするみたいに、攻撃しようとする人が出てくるかもしれない。……だからイスカは嫌かもしれないけど、どうか自分の正体は隠していてほしい。そうしてくれたら、その代わりに俺が絶対にイスカのことを守るから」
そんなに長い付き合いではない。だが、この子が善人であることは俺にはもう分かっていた。
王として、男として、そして……まぁ一応、父親として。
この子を守りたいと思い始めていた。
イスカはしばしポカンとした顔をしていたが、やがてぽつりと呟く。
「……おもいだしたぞ」
「え!?」
「いろいろおもいだせないりゆうをなー、おもいだしたんだ」
俺たちの周囲に驚き顔でみんなが集まってくる。
それから彼女はゆっくりと語り始めた。
「イスカが生まれたのはあーさーたちとあうずっとずっと前でなー。そのころものすごいせんそーがあったんだ。イスカ、そこでたたかってぶっこわれた。それでいろんなことをおもいだせなくなったんだ」
物凄い戦争――第一文明期を荒廃させたという終末戦争のことだろうか。
天聖機械と魔神が投入されたという彼の戦いは、この世界全てが滅びかねないほどに熾烈であったと聞く。
その結果、第二文明が興るまで続く長い長い暗黒期が訪れることになるのだが、しかしまさかイスカの記憶喪失の原因がそんな昔にあるとは思いもしなかった。
「……その戦争では人間と戦ったのか?」
「んにゃ。イスカがたたかったのはくろいちっこいのとか、おーとまたとか……あとすっごいでっかくてしろくろの怖いのとかだけだ。にんげんとはたたかってない」
イスカは眼下に見えるロムスの街を指さす。
「ぶっこわれたイスカはあそこの地下でふういんされてたんだ。でもある時なんでだか目が覚めて。それであーさーたちにあったんだ」
統一王による滅亡級危険種たちの解放。イスカもそれで目覚めたのだろう。
イスカはその時のことを思い出すように遠い目をして話を続けた。
「そのときな、あーさーにもおんなじこと言われたんだ。イスカがおーとまただってこと、だれにもいうなって。そのかわりにおれが守ってやるって」
統一王がそう言ったのはきっと俺と同じ理由だろう。
二百年も昔の伝説的な英雄であるが、実は俺とそんなに変わらない普通の人なのではないかと親近感が湧いてきた。
「みれうすもおうさまなんだよな。あーさーといっしょで」
「……ああ」
「だったらイスカもあーさーにいったのとおなじこというぞ。みれうすがイスカのこと守ってくれるなら、イスカもえんたくのきしとしてみれうすのことを護るって」
ニカッと白い歯を見せて、イスカは太陽のような笑みを浮かべた。
俺や周りのみんなを一発で魅了するような、そんな笑顔である。
「それじゃあ約束しよう」
俺は右手の小指を立てて彼女の方に差し出す。
イスカも同じように指を立てた。
そして俺たちはロムス山の山頂で指切りをした。
王と天聖機械の騎士の約束の指切りを。
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【第八席 イスカンダール】
忠誠度:★★★[up!]
親密度:★★★★
恋愛度:
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