第八十一話 腕相撲させたのが間違いだった
鉱山都市ロムスの地下食堂『眠る真銀亭』。
その店内は現在、早めの夕飯をとる作業着姿の鉱員たちでごった返しており、隣の人と話すのにも苦労するほどの喧噪に包まれていた。
「それじゃ回しますよー!」
「そりゃ! ほっ! はっ!」
箸の上で食器を回すという謎の宴会芸を店の中央で披露し始めたのは、勇者信仰会の美人修道女二人組、エルとアールである。最初は両手でやっているだけだったが、そのうち片方の足の指でも箸を挟んで回し始め、さらには口で挟んだ箸の上でも回し始めた。
二人とも浴びるようにビールを飲んでいたのでだいぶできあがってはいるものの、皿を落としそうな気配はない。
彼女らを囲んでいる鉱員たちも負けないくらい顔が赤くなってきていた。拍手喝采を二人に送ると共に、この街の地域通貨である粉券をおひねりとして惜しげもなく投げている。
「おもしろいなー、あのふたり!」
俺の隣の席ではイスカがゲラゲラと笑いながら、平らげた食器の山をテーブルの上に築いている。この街の地下で目覚めたときからそうだったが、やはりこの子の食欲は尋常なものではない。
「……今さらだけど天聖機械が食事をするってどうなんだろうな。体の中はどうなってるんだ」
俺のつぶやきに反応したのは、イスカの向こうの席でソーセージを齧っているブータだった。彼もイスカのことをずっと観察していた。
「大量のエネルギーを必要とするあたり、やっぱり魔術生命体に近いですねぇ」
「そのエネルギーをいったいどこに使ってるんだろうな」
「魔術生命体なら肉体の維持に使うんですけどねぇ。ブレスを吐くために貯め込んでるのか、あるいは体の中にいるっていう“肉体”の修復に消費してるのか……」
ブータの推測はどちらも同じくらいありえそうだと思えた。どちらにしても好きなだけ食わせる他ないのだけれど。
店の中央へと視線を戻すとエルとアールの余興は大盛況のうちに終わっており、代わりに人の胸の高さくらいはある大樽がそこに用意されていた。
そして食事を取っていた鉱員たちの中から力自慢の者が二人進み出て、その樽の上で手と手を組んで腕相撲を始める。ジャッジをするのは現場監督だ。
周りのギャラリーたちは罵声にも近い掛け声を上げながら、勝者を予想して粉券を賭けていく。
これがこの街の数少ない娯楽であり、毎晩の恒例行事である。ウィズランド王国には賭博罪はないので国王である俺や領主のヂャギーがいてもお構いなしだ。
勝者はその場に残り、敗者は別の者と入れ替わりながら、樽の上での対戦は次々に行われていく。
それを観戦する鉱員たちは徐々にヒートアップしていき、そのうちまるで戦場のような怒号が飛び交うようになった。
隣の席から少女が飛び降りたのはその時である。
「イスカもやるぞー!」
「あ、バカ!」
腕を掴んで引き留めようとしたが、一歩遅かった。
イスカは両手を広げて、店の中央へと走っていってしまう。
そのとき樽のそばに立っていた暫定チャンピオンの大男は、奇妙な闖入者に目を白黒させた。周りのギャラリーも同様で、先ほどまでの熱気はどこかへ消え去り、揃って呆気に取られたような顔をしている。
イスカが背伸びをして樽の上に右手の肘をつくと、大男は声を上げて笑った。
「おいおい、お嬢ちゃん。やめておけよ。国王陛下のお連れさんってこたぁどっかのお貴族様だろう? 怪我させるわけにいかねえ」
これに釣られてギャラリーも笑い声を上げた。
ただ一人、イスカだけは憤慨した様子を見せる。
「なんだよー! バカにするなよー! イスカつよいんだからなー!」
まさかこんなところでブレスを吐いたり、竜型に変身したりはしないだろうが――俺はイスカの元に走っていくと、その小さな体を後ろから抱き留めた。
「待て待て。腕相撲したいなら俺が相手を用意してやるから」
「ホントかー?」
「ああ。うちにも腕自慢がいるからな」
俺が視線を向けるのは背後。
他の円卓の騎士やアザレアさんも店の中央まで歩いてきていたが、その中の一人に声を掛ける。
「ナガレ、相手してやれよ」
「ハァ!? なんでオレが……」
「お? なんだ怖いのか? こんな子供にも勝てる気しないのか?」
「この野郎……!! 上等だよ!! やってやんよ!」
作業着風衣服の袖をまくり、大男を押しのけて樽の向こう側に立つナガレ。
相変わらず扱いやすいのはいいのだが、ここまでチョロいと逆に心配になってくる。
「どっち賭ける? アタシ、イスカちゃんに金貨一枚」
「俺っちもイスちゃんに一枚。ダメだな、不成立だ」
そんなことを言い出したのはラヴィとヤルーである。
ナガレはそれを聞いて、さらに顔を紅潮させた。酒も飲んでいないのに。
「オレが受けてやんよ! 金貨二枚だな!?」
ズボンのポケットから財布を出すナガレ。
彼女へのボーナスのつもりで、俺もポケットマネーの入った財布から金貨を一枚取り出した。
「俺もイスカに賭けとくわ」
「じゃあボクも!」
「わ、わたしも」
と、ブータとシエナも賭けに乗る。
「それじゃあ私たちもー」
「イスカちゃんにー」
「私も賭けておこっと」
さらにはエルとアールにアザレアさんまで賭けに乗った。
結局静観したのはリクサとヂャギーだけである。
「上等だよ! 全部まとめて受けてやんよ!」
財布から金貨を出して樽の上に叩きつけるナガレ。
なんだかんだでけっこうな額になった。
俺はせっかくなのでと現場監督にジャッジを交代させてもらい、樽の横に立つ。
ただ一応、勝負の前にナガレに耳打ちをして釘を刺しておいた。
「焚きつけておいてなんだけど、怪我はさせるなよ?」
「分かってるっつーの!」
先ほどのイスカのように憤慨して目を吊り上げるナガレ。
まぁこう見えて円卓の騎士の中では良識のある方なので大丈夫だろうとは思ったけども。
樽の上で二人の手が固く組まれる。
俺はその上に両手を置いて、それぞれに視線を向けて確認した。
「それじゃいくぞ? レディ……ゴー!!」
ドンッ! と――。
音を立ててナガレの手の甲が樽に叩きつけられたのは、俺の両手が離れた瞬間だった。まだ合図の余韻も消えないうちである。
「うわあああああああ!!! シ、シエナ! 助けてくれ!」
[司祭]である少女の元へ、肘を押さえてふらつきながら歩いていくナガレ。
それを見て周りのギャラリーたちからは笑いが起こる。演技だと思ったのだろう。
だが俺は間近で見ていたので分かっていた。彼女は本気で痛がっているし、勝負で手を抜いたわけでもない。
「よーし、いいだろう。今度は俺と勝負だ!」
先ほど対戦拒否した大男が樽の前にやってきて、俺に向けてニヤケ顔で頭を下げる。先ほどのナガレを参考にして、わざと負けるつもりなのだろう。
いや、ナガレは負ける気なんてなかっただろうけど。
再び現場監督にジャッジを代わってもらい、俺は樽から離れた。
予想通り、先ほどと同じ光景が繰り返される。つまり勝負の開始と同時にイスカが対戦相手の手の甲を樽に叩きつけたのだ。
そして悲鳴が上がる。
「ぐあああああ!!!」
再び腹を抱えて笑うギャラリーたち。
そりゃ事情を知らなければ迫真の演技をして笑わせようとしているようにしか見えないだろう。俺だってあちらの立場ならば同じ反応をしたはずだ。
しかし真実を知ってしまっている以上、苦笑いも浮かべられない。
ナガレの治療を終えたシエナのところへ向かう。
「すまないけど、あいつも治してやってくれ」
「は、はい。主さま」
彼女も気づいたのだろう。困惑に満ちた表情を浮かべている。
他の円卓の騎士のみんなも察したらしく、黙り込んでいた。
だが鉱員たちはまだ気づかない。
「演技上手いなー、あいつ!」
「顔に似合わず器用なところあるからな!」
「よーし、次は俺だ!」
再び現れるニヤケ顔の挑戦者。
それをイスカは先の二人とまったく同じように秒殺した。
この三人目でも笑いが起こった。
四人目も、五人目も。
しかし六人目になるころにはさすがにおかしいと気づく者が現れ始めた。イスカにやられた連中の演技が上手過ぎるからだ。
そして七人目がやられた頃には、もう笑う者はいなくなっていた。
「つぎはだれだー!?」
右腕をぐるぐる回しながら、イスカが満面の笑みで対戦者を待つ。
しかしこれまでに敗れた連中以上の実力者はいないのだろう。誰も名乗り出ない。
そのうち鉱員たちは一人の人物に希望を見出した。
「そ、そうだ! 領主様だ!」
「おお、それだ! ヂャギーさん、お願いしますよ!」
「ヂャギー! ヂャギー!」
領主の名が地下食堂で連呼される。
伺いを立てるようにヂャギーが視線を向けてきたので、俺は頷いて返した。
「スキルは使わないで相手してやってくれ」
「分かったよ!」
ヂャギーとイスカ。
まったく体格の異なる二人が樽を挟んで向かい合う。
腕の長さも違うので、きちんと組むのは大変だった。
鉱員たちも、他の円卓の騎士たちも、みんな固唾を飲んで見守っている。
今度は俺がジャッジをした。
「準備はいいか? レディ……ゴー!」
ゴッ! という樽がきしむ音がした。
二人が組んだ手はまったく動かない。しかしどちらも力を入れていないわけではない。
ヂャギーの腕の筋肉ははちきれんばかりに隆起していたし、イスカの腕も少女らしい細さは保ちながら血管が浮き出るほどに硬化していた。
「まさか……嘘だろ!?」
「領主様はこの街の腕相撲殿堂入りだぞ!?」
鉱員たちから驚愕の声が漏れる。
「ありゃ魔力によるものじゃねえな、素材自体が別もんだ」
「そうですねぇ、凄い高密度な筋繊維です。あの細さであの出力。まるで勇者ですねぇ」
ヤルーとブータは冷静にイスカの力を観察している。
勝負はいつまでも続くかと思われた。
だが組まれた手と手はやがてゆっくりと傾いていき、そして片方の手の甲が樽についた。
イスカの手の甲である。
途端、歓声が巻き起こった。
「さすが領主様! やっぱり最強だぜ!」
「お嬢ちゃんもすげえな! 勇者かエルフの血でも入ってんのか!?」」
「さすがは国王陛下のお連れさんだ!」
これまでで一番の盛り上がりを見せる。
イスカとヂャギーは使った方の腕を押さえながら互いに讃えあっていた。
「はぁー。びっくりしたよ! いーちゃんすっごい強いね!」
「ぢゃぎーもすごいな! いままでイスカにうでずもうで勝ったの、びょるんだけだぞ!」
ヂャギーに肩車してもらい、はしゃぐイスカ。
鉱員たちはそんな二人を囲んで大騒ぎしていた。
国王であるのに完全に蚊帳の外に置かれてしまった俺。
そこへ、空いた口が塞がらないといった様子のリクサがやってくる。
「ビョルンというのは黒騎士ビョルンのことでしょうか……初代円卓の騎士の」
「だろうね。出てくる名前がいちいち大物だ。まぁイスカ自身大物なんだから当然だけど」
そこでふと考える。イスカはこの隣に立つ女性の祖先であるロイス・コーンウォールとも腕相撲をしたのだろうか。
「もしリクサがあの子と勝負したら勝てる?」
「勇者特権ありであれば恐らくは。なしだとなんとも言えません」
「……そっかー。分かっちゃいたけど、やっぱ凄いな天聖機械は。竜型に変身しないでも十分戦えるんじゃないか?」
先ほどブータと食事のエネルギーを何に使っているかという話をしたが、その答えの一つはこの怪力のようだ。
「さぁ次は誰が領主様に挑戦する!?」
現場監督が両手を広げ、鉱員たちに呼びかける。
当たり前だが、誰も名乗りを上げない。
これでお開きだろうか――と思っていると、鉱員たちの視線がこちらに集まった。
円卓の騎士の誰かを見ているのだろうかと思ったが、そうではない。
彼らが期待の眼差しを向けていたのは俺だった。
「え? いやいやいや!」
両手を前に出して拒否の意志を示す。だが鉱員たちは簡単には諦めてくれない。
拳を握りしめ、口々に頼んでくる。
「ミレウス様!!」
「お願いしますよ、陛下!」
「国王様のお力を見せてください!」
何言ってんだ、こいつら。
どう見たってこんなごく普通の体格のやつが、あんな巨漢に勝てるはずがない。
聖剣を抜いたからって何か特別な神通力を持ってるとでも思っているのだろうか。
あるいはあんな姿のイスカがとんでもない怪力だったから俺もそうだと思っているのか。
「ささ、こちらへどうぞ、陛下!」
現場監督が俺を樽の前に誘導しようとする。
不味い。簡単には抗えない流れができてしまった。
俺は国王なのだからもちろん絶対に拒否できないわけではない。だが普通に断ったのではこの盛り上がった空気が台無しになる。
そうなれば空気の読めない国王だと、瞬く間に島中に悪評が広がることだろう。それだけは絶対に避けなければならない。
「えーと、いや、その、な……まぁ俺の話を聞いてくれ」
俺は落ち着くようにと手でジェスチャーをして周りを取り囲む鉱員たちを見渡した。
そうだ。ここでアドリブが効かないやつに、この島の王は務まらない。
これくらいの窮地、軽く乗り越えなければ。
「……みんな! 今日は楽しかった! だからここは全部、俺の奢りだ! 好きなだけ食って、好きなだけ飲んでくれ!」
期待されていたこととはまったく無関係なことを言う。
はっきり断らず、飴で彼らの意識を逸らす。これが俺の考え出した答えだ。
……要するにいつも通り金の力でなんとかするってことだけど。
鉱員たちはしばしきょとんとして、互いに顔を見合わせたりもしていた。
しかし、ほどなくして歓喜を爆発させる。
「おおおおお!!!」
地下空間が震えるほどの大歓声。これは間違いなく今日一番だろう。
「最高だぜ陛下!」
「よっ! 太っ腹!」
「ミレウス陛下ばんざーい!」
「ウィズランド王国ばんざーい!」
万歳の声が延々と続く。
とりあえず、なんとかなったらしい。
俺は苦笑いを浮かべて手を振ってみんなに応えると、そそくさとその場から逃げ出した。