第八十話 鉱山に戻ったのが間違いだった
聖イスカンダール劇場で『統一王の英雄伝説』を観劇した数日後の昼すぎ。俺は国王用の四頭立て大型箱馬車に乗って王都を出発し、『冒険者の街道』を東へと進んだ。
同行者は円卓の騎士のみんなにアザレアさんと勇者信仰会のエルとアールを加えた計十二人。国内最大サイズの馬車ではあるが、さすがにやや手狭だった。
途中、宿場町で一泊して、翌日の昼からまた馬車に揺られること数刻。
やがて窓の向こうに、ヤノン山脈の中でも一際存在感を放つロムス山と、その中腹に築かれた同名の都市の姿が見えてきた。
今日は見事な秋晴れなのだが、あの都市の上空だけは純白の分厚い雲がかかっている。
あれが有名な『ロムスの百年雲』だ。
昔ある高名な魔術師が《飛行》の魔術で近くまで飛んでいって【能力解析】したところ、水滴や氷晶が集まってできた普通の雲ではないことは分かったが、いかなる理由で出現したのかは判別できなかったらしい。
地上に帰ってきたその魔術師は『死ぬほど寒かったし苦しかったので二度とやりたくない』と言ったとかなんとか。
「遠くから見てる分には綺麗だよねー、あれ」
ラヴィがバリボリとスナック菓子を頬張りながら窓を覗いて漏らした一言は、今の俺の心情と見事に一致していた。もちろん、あそこに住んでる人たちからすれば陽の光を奪うあの雲は邪魔者以外の何物でもないだろうけども。
俺の席の正面ではイスカが幼児向けの木のおもちゃで遊んでいる。
彼女の左右に座ってその遊びに付き合っているエルとアールは日頃から無償で孤児院の子供たちの面倒を見ているだけあって慣れたものだった。
『子供の相手なら百戦錬磨ですよ!』
『お茶の子さいさいですよ! ちょろいもんですわ!』
依頼したときにそう自信満々に語っていたとおり、二人は完全にイスカを御してくれていた。実に頼もしい後援者たちである。
それにしても、だが。
「百年前に突然現れた、晴れることがない謎の雲……か」
もう一度窓の向こうに目を向けて思案する。
今までこの考えに至らなかったのが不思議であるが。
「なぁ念のため聞くけど、あの白い雲が“精神”ってことはないよな?」
イスカはおもちゃに視線を落としたまま首を横に振った。
「ぜんぜんちがうぞー。スピルもすりーぷもーどになってるから起きるすんぜんまで目には見えないぞー」
「まぁそうだよな……」
目視で探せるようなら、後援者を総動員して島中を探させている。そうできないから苦労してるのだ。
あれからみんなで知恵を出し合ったが、結局イスカに思い出してもらう以外に方法が思いつかなかった。
「そういやよー」
と、イスカを警戒するように一番奥の席に陣取っているヤルーが切り出した。
「あの竜っぽい方、“肉体”はどうなったんだ? 【超大物殺しの必殺剣】でぶっ飛ばされて死んだのか?」
「んにゃ、いきてるぞー。みれうすたちにやられておとなしくなったから、いまはイスカの中でねてるぞー」
イスカは自身の胸元を指す。
もちろんそこには平坦な胸があるだけだが。
「しばらくしたらもとどおりになるとおもうから、スピルがおきるころにはつかえるようになるぞー」
「使えるって、そりゃあの竜みたいな姿に変身して一緒に戦ってくれるってことか?」
「そうだぞー、まかせとけよー」
困惑顔で確認するヤルーに、イスカはドンと胸を叩いて答えた。
他の円卓の騎士たちから『おお』と驚嘆の声が漏れる。
決戦級天聖機械。敵に回すとこの上なく厄介な相手だが、味方になるとなればこれほど心強い存在もないだろう。
しかしまず精神とやらの居場所を思い出してもらわないと、どうしようもないのだけども。
そんな話をしているうちに馬車の揺れが少しずつ大きくなってきた。本格的な山道に入り、緩衝装置でも吸収し切れなくなったのだ。
同時に『ロムスの百年雲』が作る日陰に入り、馬車の中も少しだけ暗くなる。
あの雲が精神でない、というのはイスカの口ぶりからして本当だろう。
しかし今回の件とまったくの無関係だと断定するのは早いような気がしていた。
結局俺たちが最貧鉱山ことロムスに到着したのは、『ロムスの百年雲』の端から傾き始めた太陽が顔を出した頃――夕方だった。
☆
強大な軍事力を誇った都市国家時代の建物が残る旧市街――現在では住む人もなくゴーストタウンと化したその一帯を抜けると、山の斜面に空いたいくつもの坑道の入り口とその周囲に建ち並ぶ宿舎のような質素な建築物の群れが見えてくる。
あれが現在のロムスのすべてだ。
王都はもちろん他の地方都市と比べても遥かに人口は少ないが、我が故郷オークネルよりかはずっと多い。
坑道前の広場で馬車から降りると、そこには数百名ほどの住民が手製の小さな国旗を振りながら待ち構えていた。先にリクサが連絡しておいたからだろうけど。
「国王陛下と領主様がいらしたぞ!」
「ヂャギーさんだ! こっちに手を振ってるぞ!」
「ウィズランド王国ばんざーい!」
大歓迎である。島中どこへ行ってもだいたいこんな感じだが、ここが他の土地と違うのは飛んでくるのがほぼすべて野太い男性の声であることだ。
現在この街に住んでいるのは、ほとんどが島の各地で食い詰めて流れてきた者たちである。例外は鉱山を経営する国営企業の職員と坑道掘りには欠かせない[精霊使い]たちくらい。
おかげで長いこと治安が悪い街として有名だったが、ここ数年でだいぶ改善されたとも聞いていた。
しかしその理由が円卓の騎士の一人が領主になったからとは知らなかった。
というよりそもそも、円卓の騎士になった人は国の直轄領から一か所を受領できるなんて決まり自体知らなかったのだけど。
「ヂャギーさぁああんん!」
「うおおお! 今日もバケツヘルムがイカしてるぜ!」
「ナイスマッスル! ナイス上腕二頭筋!」
興奮した様子で旗を振る作業着姿の屈強な男たち。俺よりむしろ領主であるヂャギーへの声の方が大きい。
俺が彼と共に用意されていたお立ち台に登ると、歓声は一際大きくなった。こういう人らには長々としたスピーチは向いていないだろう。
手で群衆を静めて、簡潔に告げる。
「あー、国王のミレウスです。この間来たばかりだけど、もう一度視察に来ました。またしばらく厄介になるんでよろしく頼むよ」
おー、と声が上がって拍手が起こる。
次いで領主のヂャギーがその丸太のような両腕を上げて挨拶をしたが、それは俺以上に簡潔なものだった。
「みんな、よろしくね!」
おおおおお! と地響きにも似た歓声が沸き上がる。
メガホンを持った現場監督が彼らに向けてどら声を張り上げた。
「よし、お前ら! 今日の作業は特別にここまでだ! 飯にするぞ!」
それで鉱員たちの興奮は最高潮に達した。
俺たちは国営企業の役員に案内されて、広場の脇にある階段から地下へと移動する。
広場にいた鉱員全員が俺とヂャギーの名前を大声で連呼しながら、それについてきた。
☆
遥か奥まで続く、柱一つない地下室。そこに木製の丸テーブルがいくつも置かれており、その周囲を樽型の椅子が囲んでいる。
ここは二百年前に初代円卓の騎士の一人、精霊姫オフィーリアが土精霊に掘らせたとされる避難所だ。
そして同時に、滅亡級危険種たちが解放されてウィズランド島全土が大混乱に陥った際、統一王の一行が最初に拠点にした場所だとも言われている。
現在ではロムスで唯一の飲食店『眠る真銀亭』となっており、日々鉱員たちの大きな胃袋を満たすと共に、島で一番の激務と言われる採掘作業で疲弊した彼らの憩いの場にもなっている。
俺たちもこの間滞在した際にはお世話になったし、もちろん今回もここで食事をするつもりだ。
国王一行用のスペースは前回来たときと同じく、店の一番奥に用意されていた。
他の席より何段か高い位置にあることを考えると、普段は芸人や楽団を呼ぶためのスペースなのだろう。賑やかな店内の様子が一望できるいい場所だった。
そこで長テーブルについて、みんなで今日の晩飯を決める。
エルとアールはこの街へ来るのは初めてらしく、メニュー表を見ながらどれにしようかと楽し気に相談していた。
「ああ、二人とも好きに注文していいよ。どうせ代金は全部俺が持つし」
日頃の感謝も込めて何気なく言ったのだが、彼女たちは途端に目を輝かせた。
「ええ!? 好きに!?」
「ホントに好きにしていいんですか!?」
「あー……うん。二人にはいつもお世話になってるしね。イスカは俺が見とくから、酒飲んでもいいよ」
「やったー!!」
「さすが陛下! さすがですよ!」
何がさすがなのかは分からないが、とにかく喜んでもらえたようである。
二人はさっそくこの街の数少ない女性である女給を呼び止めると、メニュー表を見せながら注文した。
「ビールを持ってきてください! 大きなビア樽ジョッキで!」
「おつまみもください! ここに書いてあるの全部!」
希望通りの品が運ばれてくると、二人はすぐに乾杯をして一息で飲み干した。
さらに女給に持ってこさせた二杯目も即座に飲み干す。
そんな二人を見て店のあちこちから喝采が起こり、指笛が鳴る。
俺たちと同じように飲み食いをしている鉱員たちが酒の入ったジョッキを二人に向けて掲げた。
「いいぞ、姉ちゃんたち!」
「いい飲みっぷりだ! もっと飲め!」
鉱員たちは女給経由でこの街の地域通貨である粉券をエルとアールに寄こしてくる。
二人は大喜びでそれを受け取り、酒を飲む勢いをさらに増した。
「ありがとうございます! みなさん、ありがとうございます! 勇者信仰会の美人修道女二人組、エルとアールをよろしくお願いします!」
「ビール飲むたびにお金をもらってたら今頃私たちは億万長者ですよ! あはははは!」
勇者信仰会特有の陽気な性格が荒々しい鉱員たちのハートを掴んだらしい。まるで偶像のように祭り上げられている。
そんな盛り上がりを横目に、俺たちは夕飯を食べ始めた。
この店のメニューはそう多くはない。酒とつまみは豊富だが、肝心の料理は肉をシンプルに調理したものがほとんど。鉱山都市なので食材が用意しにくいというのもあるだろうが、それよりも小洒落た料理などは鉱員たちが注文しないからメニューに載せていてもしょうがないという理由の方が大きいだろう。
俺は豚の香草串焼きをいただきながら、賑やかな店の様子をぼんやりと眺めた。
それから隣で同じように豚串に齧りついている巨漢へと目を移す。
「そういやさ。ヂャギーはなんでこの街を領地に選んだんだ? たいして税収もないだろうに」
「昔ここで働いてたからだよ! 二年くらいね!」
「ええ!?」
意外な返答に驚き、テーブルについている他の面子の反応を伺う。
どうやら知ってた者もいれば、知らなかった者もいたようだ。
ヂャギーはビールをジョッキからガブガブと飲みながら、経緯を話してくれた。
「オイラ、大陸の西岸の生まれなんだけどさ! 知らないおじさんにリゾートの島への旅券をもらってウキウキして船に乗ったらそれがどういうわけかこのウィズランド島行きでさ! 南港湾都市に着いて、お金もなくて帰れないしどうしようって困ってたら親切なおじさんに『いい仕事を紹介してやる』って声かけられて、それでこの街に連れてきてもらったってわけ!」
なんか二重に騙されている気がするが。
しかし本人が気にしていないようだし、指摘するのはやめておこう。
「それからここで働いてたわけか。……でもそのうちお金も溜まっただろ? 大陸に帰ろうとは思わなかったの?」
「うん! オイラ、この島もこの街も大好きだからね! それにここで働くのも楽しかったし! だからりっちゃんにスカウトされて円卓の騎士になったとき、好きなとこを領地にできるって聞いて、すぐにここにしようって思ったんだ!」
「なるほどねぇ」
俺は果実水で喉を潤すと、だだっ広い店の中へと視線を戻した。
この間初めてここを訪れるまでは寂れた田舎町なのだろうと先入観を抱いていた。
だが実際は、この島の他の都市では味わえない独特な活気にあふれた街だった。
そしてその空気はどことなく、このバケツヘルムの巨漢がまとうオーラと似ているようにも俺には思えた。
無骨で、不器用で、けれどいつも元気で誰よりも頼れるこの男が領地に選ぶとしたら、確かにこの街以外にはないかもしれない。




