第七十九話 劇場に連れていったのが間違いだった
翌朝、俺は王の寝室にある天蓋付きの大ベッドで目が覚めた。
最近は最貧鉱山の対策本部で寝泊まりしていたので、ここで寝たのは久しぶりである。あそこのベッドの寝心地もそう悪いものではなかったが、やはりというかここが一番落ち着いて眠れた。
上半身を起こし、枕元に置いておいた日記帳を手に取る。
これには初等学校時代に開発した俺独自の言語『ミレウス文字』で、国王の仕事をする上で必要な情報をまとめてある。
開いたのは記入済みの最後のページだ。
そこには今回の事件のまとめが書いてある。
-------------------------------------------------
【イスカについて】
・初代円卓の騎士の第八席、聖イスカンダールである
・今回の円卓の第八席でもある
・決戦級天聖機械である
・ただし他の天聖機械のように暴れたりはしなかった(二百年前だけ? 第一文明期も?)
・二百年前から最貧鉱山の地下で仮死状態で寝ていた
・“肉体”と“精神”という付属パーツがある。どちらも制御できなくなっている。竜のような姿の“肉体”は撃退できたが、今度は“精神”が現れる
・部分的な記憶喪失である
【イスカが覚えていること】
・初代円卓の騎士のこと
・円卓のこと
・“肉体”と共に最貧鉱山で俺たちと戦ったこと
【イスカが覚えていないこと】
・“精神”が島のどこにいるか
・最貧鉱山の地下で寝ていた理由
・第一文明期のこと
・なぜ自分が人型なのか
・なぜ統一王の仲間になったか
-------------------------------------------------
これまでアスカラ、グウネズと二体の滅亡級危険種を倒してきたわけだが、今回はその二件と比べてあまりにも例外的だ。こういうときは状況をしっかり整理し、自分のやるべきことをシンプルにする必要がある。
俺は赤ペンを取り出して、一か所に丸をつけた。
・“精神”が島のどこにいるか
そう、この島を護る王として大事なのはここだ。
時を告げる卵の発光具合から考えてリミットはいつもと同じように、一月ほどだろう。それまでに“精神”の出現場所を突き止める。それが今、俺が考えるべきことだ。
日記帳を枕元に戻し、俺は大きく嘆息した。
「さて、なんでこの子は俺のベッドに潜りこんでるんだろうな」
ベッドの上から毛布を引っぺがすと、そこにはリスのように丸まって眠るあの青髪の少女の姿があった。
どうしたものかと考えていると、少女はぶるりと体を震わせ瞼を開けて金の瞳で俺を見た。
「おはよう、おとーさん」
「……おはよう、イスカ」
この子は確かに客間の一つで寝かせておいたはずなのだが、なぜここにいるのか。
疑問に思って目を向けてみると、部屋のドアはしっかり閉まっていたが、窓の一つが開いていた。壁でも伝ってあそこから入ってきたのだろうか。
「この枕いいな! なんだかあんしんする匂いがするぞ!」
イスカは頭の下に敷いていた枕を興奮した様子で胸に抱いた。
それも夜には俺の頭の下にあったはずなのだが。
「俺の義母さんが作った枕なんだよ。水鳥の羽毛が詰まっている」
「おばあちゃんのか! 凄いな、おばあちゃん!」
「……もし義母さんに会うことがあってもそう呼ぶのはやめてくれ。ショック死するかもしれん」
俺は再び嘆息し、先ほどの日記帳に書いてあった一つの行について考えた。
つまり、他の天聖機械との差異についてだが。
「なぁ、昨日イスカは悪いことしてないからマーリアに飛ばされるわけないって言ってたな。つまりキミは人を傷つけたりしたことがない……ってことなんだよな?」
「もちろんだぞ! にんげんをまもるためにイスカはいるんだぞ!」
平坦な胸を張り、当然のように答えるイスカ。
統一王たちが仲間にしていたということからも薄々感づいてはいたが、やはりこの子は天聖機械でありながら人間への攻撃命令が仕込まれてないようである。
まぁそうでなければ俺たちも仲間にするわけにはいかなかっただろうが。
しかし、いったいなぜこの子だけ特別なのだろうか、と考えていたところで部屋のドアがノックされた。
返事をすると、女給服を着た栗毛色のボブヘアーの少女が元気に入ってくる。
「おっはよー! ミレウスくん!」
「ああ、おはよう、アザレアさん」
この人に会うのも数日ぶりである。彼女はのっぴきならない家庭の事情で滅亡級危険種出現の日には最貧鉱山にいなかったのだ。
「心配してたんだよー。でもみんな無事でよかった」
「そっちもお爺さんが無事でなにより」
彼女がいなかったのは西方水上都市にいる彼女のお爺さんが馬車にはねられたという事情だった。しかし現地の病院に駆け付けてみたら祖父はほぼ無傷でピンピンとしていた――というのは速達で届いた彼女からの手紙で知っていた。
アザレアさんはいつものようにベッドに近づいてくると、急に固まって俺の方を指さしてきた。
俺というか、横で欠伸をしているイスカをだけど。
「だ、だれ、その子」
「イスカはおとーさんの子供だぞ!」
元気よく、ベッドの上で立ち上がるイスカ。
アザレアさんは全速力で俺までの残りの距離を詰め、寝間着の襟元を掴んできた。
「こ、子供!? ミレウスくん! 私と言うものがありながら!」
「そのネタはもうラヴィがやったよ」
「なーんだ」
つまらなそうに手を離すアザレアさん。
正直、部屋に入ってきたときからこんな反応をされるだろうとは思っていた。
「事情はもう全部リクサから聞いてるんだろう?」
「聞いた聞いた。……でもその子と一緒に寝てる理由は聞いてない」
「それはこっちが聞きたい。いつの間にか潜り込まれたんだ」
「……なぜその子は全裸なのかな?」
「それもこっちが聞きたい。なんかこの子、服着るのをめちゃくちゃ嫌がるんだよ。昨日寝かした時点ではヂャギーのシャツ着てたんだけどな」
アザレアさんはふうむと唸って腕組みをすると、ご指摘どおり全裸であるイスカをじっと見つめた。
「この子が今回の円卓の第八席で、最貧鉱山に現れた天聖機械でもあり初代円卓の騎士の聖イスカンダールでもある……ってホント?」
「信じられないかもしれないけど、そうなんだ。状況証拠もあるし、発言が明らかにそうだし、ブレスも吐ける」
じろじろ見られたことが癇に障ったのかイスカは腰に片手を当て、もう片方の手でアザレアさんを指さした。
「だれだおまえー」
「私はアザレア。ミレウス様のお付きの女給でございます」
女給服のスカートの裾を芝居がかった仕草でつまんで挨拶をすると、彼女はにこっと笑ってみせた。
「よろしくね、イスカちゃん」
「おう、よろしくなー!」
あっという間に打ち解けたようである。
彼女にこれから頼む事を考えると、これは都合がいい。
「ま、事情は聞いてるとおりだから。“精神”とやらが現れる場所を思い出してもらうために、これから全力でこの子の記憶喪失を治す」
「で、その間のこの子のお世話を私に任せたいと。合点承知ですぞ、我が王」
アザレアさんはおどけるように片目を閉じてみせる。
しかしこのイスカはあのヤルーも恐れる野生児である。外見は十三歳くらいだが精神年齢はもっと下、初等学校の低学年くらいだろう。彼女一人では荷が重い。
「一応、子供に強い人を二人応援に呼んでおいたから協力して面倒を見てやってくれ。……ああ、噂をすれば来たみたいだ」
ドアの向こうから元気な二つの足音がしたかと思うと、ノックがされる。
俺の返事を受けて入ってきたのは修道服を着た二人の若い女性。
「私はエル! 本名はエレオノール!」
「私はアル! 本名はアルテュール!」
女性二人は互いの両手の平を合わせ、声を揃えて言った。
「勇者信仰会の美人修道女二人組、エル・アール! ここに参上です!」
突然の名乗りにイスカもベッドの上で突っ立ってぽかーんとした顔をしていた。
毒をもって毒を制す。元気な奴は元気な奴で制す、である。
☆
それから俺たちは丸一週間かけて王都とその近郊にある初代円卓の騎士ゆかりの場所をイスカと共に巡った。
記憶喪失を治す一番の方法は過去の記憶を想起させることである。
そのために、かつて彼女が訪れたかもしれない場所を回ってみたのだ。
魔術師マーリアが創設した魔術師ギルドに、人狼アルマが建てたアールディア教の大教会。精霊姫オフィーリアの別荘に海賊女王エリザベスの工房。
四大公爵家――双剣士ロイス、狂人ジョアン、冒険者ルド、黒騎士ビョルンから連なる各貴族の邸宅にも行った。
もちろん聖剣広場や王城のありとあらゆる箇所にも赴いた。
イスカはどこへ行っても興味深げだったし、場所によっては来た覚えがあるような素振りも見せたが、欠け落ちた記憶が戻ることはなかった。
そして俺たちが最後の望みをかけてやってきたのは花咲く春通りに面する彼女自身の名を冠した大劇場――聖イスカンダール劇場である。
ここは以前、王になったばかりの頃に俺とリクサとラヴィの三人で来たことがある。今日は俺とイスカを含む円卓の騎士全員に、アザレアさんと勇者信仰会のエルとアール。総勢十二人である。ずいぶん増えたものだ。
座席はあの時と同じメインホールの最上階にあるボックス席で、演目もあの時と同じ『統一王の英雄伝説』である。
俺が即位したことが影響したのか、初代の円卓の騎士たちを扱ったこの演目は大いに人気が出たそうで春からロングランをしているらしい。
王宮料理にも負けない豪華なコース料理をみんなでいただきながら観劇をする。
脚本の下地はこの島に住む者なら誰でも知っている統一王と初代円卓の騎士たちの冒険譚だ。それが喜劇風に脚色されて奇想天外な仕掛けの数々と共に舞台の上で繰り広げられる。
しかし、どこまでが脚色でどこからがそうでないのか、その境界は分からない。
魔術師マーリアによれば、この演目の台本は初代円卓の騎士たちが統一戦争の事実を織り交ぜながら協力して書いたものだという。
前回来たときは脚色の多い喜劇だなとラヴィとゲラゲラ笑いながら何も考えずに見ていたが、この中には二百年前に実際に起きたことを知る手がかりが散りばめられているはずなのだ。
スポットライトが当たった舞台の上では、人妻であるマーリアを統一王が口説いたり、後のコーンウォール公であるロイスが統一王に馬乗りになって殴りまくったり、聖イスカンダールが空を飛んで歌ったり、無茶苦茶な出来事が次々に起こる。
しかし実際にこの目でイスカンダールが空を飛んでいる姿を見た俺としては、そのほかについても――この劇中で起きることはほぼ全て――実際にあったことなのではと勘ぐってしまう。
ごく一部ありえないと断定できるのは、俺がこれまでに知ることができた統一戦争の真実から逆算される明らかな隠ぺい部分だ。
例えばこの劇ではイスカンダールが天聖機械だなんて情報は出てこない。
だがそれも当然である。天聖機械はこの島にとっては滅亡しかけるほどの大きな災いをもたらした危険種の一種――それを仲間にしてましたなんて世間に言えるはずがない。
それは初代円卓の騎士たちに限らず、俺もだけども。
「あー、おもしろかった! 飯もうまかった!」
劇が終わり場内が明るくなると、イスカは席に座ったまま満足した様子で大きく伸びをした。
今日の彼女はエルとアールが用意した大きめサイズの白のチュニックワンピースを着用している。
「な、何か思い出せたか?」
「んにゃ。ぜんぜん」
あっけらかんとイスカは笑う。
やはりというか、これも効果なしだったか。
しかし好感度は上がってそうだった。
「またあそびに連れてってくれ! みれうすが連れてってくれるとこ面白いとこばっかで好きだぞ!」
イスカは席から降りると俺のところへやってきて抱き着いてくる。
それでふと疑問に思った。
「イスカもあれの脚本作るときに協力したんじゃないのか?」
「きゃくほん?」
「今の話を統一王とかと一緒に考えたんじゃないかってこと」
「んーん。なんかみんなで色々つくってたのは見てたけど、イスカは何もしてない」
「まぁ……そうか、そういうことをするタイプではないか」
そういえば脚色とそうでないところの境界は分からないと思っていたが、当事者であるこの子ならば分かって当然ではないか。
「なぁ、さっきの劇の中で実際にあったことと違った部分はあったか?」
「んー? いろいろちがうぞ、いろいろ。おおすぎるぞー」
「た、例えば?」
「イスカはあんなおっさんじゃないぞー」
それだけ言うと、イスカはお守り役であるアザレアさんとエルとアールのところに走っていってしまった。
舞台上で聖イスカンダールを演じていたのは四十過ぎくらいのおっさんである。確かに実際とは違い過ぎた。
「で、次はどーすんだよ。もう王都じゃ打つ手がねーぞ」
気だるげに寄ってきたナガレに半眼で問われる。
初代円卓の騎士ゆかりの場所を訪れるこの作戦自体は悪くない気がするのだが、他の街へ行って継続するにしても相当な候補地がある。闇雲に行くべきではないだろう。
「ロムス――最貧鉱山に戻ってみるか」
ただの直感だが、あの鉱山都市にイスカが眠っていたのは何か意味があるような気がしていた。
-------------------------------------------------
【第八席 イスカンダール】
忠誠度:
親密度:★★★★[up!]
恋愛度:
-------------------------------------------------