第七十六話 今日が何の日だか忘れていたのが間違いだった
カワワカメを討伐し、ガウィス川の聖水化施設を修理した、その日の晩。
『ブランズ・イン』の狭い自室で寝ていると――夢を見た。
山間の僅かに開けた土地に、民家の焼け跡がいくつも並んでいる。
そこで起きた火災の規模を示唆するように周囲のオークの森も広範囲に渡って灰になっていたが、すでにあちこちから若木が生えていた。
恐らくその災禍からは、いくらかの歳月が経っているのだろう。
あと数十年もすれば元の森の姿に戻るであろうことは想像に難くなかった。
北にそびえる雄大な山脈。
東西を流れる二つの小さな川。
この景色は俺のよく見知ったものだ。
恐らく、今、オークネルがある土地だろう。
現在では村の広場になっている場所で、赤い軽鎧を装備した黒髪の美人が焼け跡を眺めている。
その腰に帯びた幅広の剣には見覚えがあった。
我が円卓の第四席のザリガニ男――レイドが持っていた、人格を持つとかいうあの剣だ。
すると、もしやこの女性が初代円卓の騎士の一人、赤騎士レティシアなのか。
今回の夢はこれまで見てきた統一戦争期の記憶と比べるとずっと鮮明で、声もはっきりと聞こえた。
しかし何故か、レティシアと共にいる相手の姿は確認できなかった。
「えっぐいこと考えるわねー。アンタも、アーサーもさ」
見事に炭化した建材の残骸を拾い上げ、何者かに語り掛けるレティシア。
誰よりも用心深かったとされる彼女だが、その詳細は記録されていない。
建国史を扱った物語などではリクサのような凛々しい女性として描かれることが多いのだが、こんなフランクな性格だったとは驚きである。
「騙してるみたいでアタシは気が引けるわ。みたいというか騙してるんだけど」
レティシアが話しかけている相手は返事をしたらしい。
その声も俺には何故か聞こえない。
だがレティシアの反応で、何を言ったかはだいたい予想できた。
「いや、黙ってるだけってそれ騙してるのと変わんないでしょ。それに……いいの? あんなことがあったとはいえ、一応ここ、アンタの故郷なんでしょ? そういう形で利用してさ」
さらに相手の返事。
レティシアは呆れたように肩をすくめた。
「アンタがいいならいいんだけどさ。……ああ、きたきた。移民団の第一陣」
彼女の視線の先には、沢山の荷物を背負って山道を登ってくる数十名ほどの人の群れがあった。
ちょうど現在、十字宿場がある方角からだ。
今はまだあの宿場町も民家がいくらか建ち並んでいるだけで、現在の姿からは程遠い。
「ま、彼らにとっても悪い話ではないけどね。ド田舎すぎて、住むには不便だと思うけど。……ああ、別にアンタの故郷を腐すつもりはないわよ」
レティシアは移民団の者たちを迎えにいく。
彼女の話し相手もそれについてきているようだ。
「あの人ら感激して、あの川をアンタの名前に変えるそうよ。よかったわね。村の護り手として永遠に名前が残るわよ」
ああ、そうか。
彼女と話しているのは剣豪ガウィス。
ガウィスはこの地の出身だったのか。
ということは、彼は魔神崇拝者だったのか……?
――そこで俺は夢から覚めた。
☆
その日の夕暮れ時。
オークネルの村の広場で、俺はノミと金槌を使って、大きなオークの木材を削っていた。
貴重な休暇の最後の日を、こんなものに費やしていいのだろうかと思わなくもないが、約束なので仕方がない。
胴体部分がおおむね完成すると、今度は顔の部分に取り掛かる。
バケツのような兜の形が彫れたら、そこにゴールドカブトアユからはぎ取った金の鱗を張り付けていく。
「うーん、我ながらいい出来だ」
本人より少し小さいが、原寸大だとデカすぎて邪魔になりかねないので、こんなもんでいいだろう。
これにて、初代オークネル釣り名人ヂャギーの像は完成である。
本当はもっと時間をかけて仕上げたいところだったけど、明日には王都への帰路につかなければならないので仕方がない。
まぁ一日で作ったにしては上出来だ。
「おお、できたようじゃな」
タイミングよく様子を見に来たのはレオナルド村長だ。
ぴっちりとした革鎧を着た筋骨隆々のバケツヘルムの男の像を見上げて、満足気に頷く。
「うむうむ。いい村のシンボルができた。おぬしは小さな頃から手先が器用じゃったのう」
「はぁ……」
どういうわけか、すぐに他の村人たちも集まってくる。
「すごーい! ヂャギーくんの像だ!」
と、喜んでいるのは彼に懐いていた子供たち。
「ミレウスくんたち、明日には帰っちゃうんだって? 寂しくなるわー」
そう声を掛けてきたのは初等学校のレナ先生やパン屋のミティさんをはじめとするお姉さんたち。
「ミレウスがガウィス川の聖水化施設を直してくれたんだってなぁ。どうもありがとなー」
礼を言ってきたのは炭焼き小屋のディックさんなど中年男性たちだ。
羊飼いのケイト婆さんや養鶏小屋のダン爺さんなど、ご老人の方々も広場にやってきて口々に俺への礼と惜別の言葉を述べてくる。
やはりこの村の人たちは、みんな善良だ。
……彼らを見て思い出すのは、あの地底湖に沈んでいた魔神像と、あの地下空間へ足を踏み入れたときに覚えた胸騒ぎのような寒気のことだった。
最初はガウィス川の源流を見た感動による寒気だと思っていた。
だが、シエナも同じような感覚を抱いていたことを考えると、やはりおかしい。
あれがもしも魔神像の魔力によるものだとしたらどうだろうか。
『逆』なのではないかと俺は考えるのだ。
魔神崇拝者がこの地に集落を作ったのではなく。
あの魔神像がこの地にあったからこそ、ここにあった集落の民は魔神崇拝者になってしまったのではないか。
つまり、近くにいる人間を洗脳して信者化するような魔力を、あの魔神像は備えていたのではないか。
そんな風に俺には思えるのだ。
あの像がいつ作られたかは定かではない。
だが魔神月への門を開くという尋常ならざる魔力が込められていることを考えると、第一文明期のものである可能性が高いだろう。
その頃に作られた魔力付与の品は強力なあまり、現代の技術では破壊することさえ難しい。それ自体が高い魔術抵抗値を持つため、《存在否定》で消滅させることもできないのだ。
二百年前、この地を訪れた統一王たちが、あの魔神像を発見したのは疑いようがない。
では、その邪悪な効果を持つ破壊不能な像を彼らはどうしたのか。
普段は聖水で満たされている地底湖の底に魔神像があったという事実と、今朝見た赤騎士レティシアと剣豪ガウィスの夢から、それなりに確度の高い予想はできる。
つまり、これも『逆』なのではないか。
この村の人たちを守るために聖水化施設を作ったのではなく。
魔神像を封じる聖水化施設を維持させるために、この村を作ったのではないか。
聖水には魔を打ち払う効果がある。
それは悪意のある人間や危険種を退けるだけでなく、呪いの品を無効化するのにも使えるのだ。
「彼らにとっても悪い話ではない……か」
夢の中でのレティシアの台詞である。
危険種が跋扈するこの島において安全な地で暮らすことができるというのは、例えそれが邪悪な像の管理と引き換えであったとしても確かに悪い話ではない。
ド田舎すぎて不便であったとしても、だ。
ただ、レティシアも言っていたとおり、その代償のことを『黙っている』というのはいかがなものかとは思う。
かといって俺があの像について村人たちに話しても余計な混乱を招くだけのような気がするので、結局見て見ぬふりをするのだけど。
「のう、ミレウス。やはり、おぬしの像もこの隣に建てるべきではないか?」
村長が懲りもせず、言ってくる。
「おぬしはこの村の英雄じゃよ。みんなそう思っておる。ガウィスのように、この地に名を残すにふさわしいと思うんじゃがのう」
少しだけ悩んだが、やはり柄ではないので断った。
しかしこの村で――いや、この島全体で、俺や今回の円卓の騎士のことが語り継がれていくのは止められはしない。
それはそのうち伝説になって、初代の人らと同じようにあれこれ脚色されていくことだろう。
「……帰るか。夕飯の支度もあるし」
村のみんなに挨拶をして広場を去る。
円卓の騎士のみんなは今日は朝からどこかへ出かけていた。
もう帰ってきているかな、なんてぼんやり思いながら家路を歩く。
その先に、何が待ち受けているかも知らないで。
☆
「ミレウスくん、誕生日おめでとう!」
無人と思われた『ブランズ・イン』の食堂に入ると大きな祝いの声がして、乾いた破裂音と共に色鮮やかな紙テープが俺の方に飛んできた。
リボンやら風船やらで綺麗に飾り付けられたそこにいたのは、七人の円卓の騎士と義母さんとアザレアさん。
全員、小さな円錐形の紙容器を手にしており、笑顔をこちらに向けている。
俺が唖然としているとヂャギーに『本日の主役』と書かれた襷をかけられて、長テーブルの上座へと案内された。
そこに用意されていたのは、生クリームと苺がたっぷりの大きなホールケーキ。
その上に乗った十六本のロウソクに義母さんがマッチで火をつけていく。
「どうやらその様子だと完全に忘れてたみたいね。今日、アナタがこの家に引き取られた日でしょ」
「あー……うん、そうか。そうだった」
ここ数か月が激動すぎたせいか、忘却の彼方だった。
そう、今日は俺の誕生日だ。いや、実際に生まれた日ではないだろうが、戸籍上はそうなっている。
明かりが消され、誕生日を祝う定番ソングをみんなが歌ってくれる。
それが最高潮に達したタイミングで俺はケーキに立ったロウソクの火を一気に吹き消した。
パチパチと拍手が鳴り響く中、明かりがついて、ラヴィが綺麗に包装された細長い箱を持ってくる。
「円卓の騎士のみんなとアザレアさんの合同で誕生日プレゼントだよー! 十字宿場まで行って買ってきたんだ!」
「あ、それでみんな今日いなかったのか」
さっそく箱を開けてみる。
中から出てきたのは、俺が密かに欲しいと思っていた最新式の釣り竿だった。
アザレアさんが得意げに胸を張る。
「私は見逃さなかったのだよ、ミレウスくん。十字宿場に来たときショーウィンドウに並んでるこれをじっと見つめるキミの姿を」
「そ、そんなに見てたかな」
いや、見てたかもしれない。
こういう趣味のものを王様特権で買うのは気が引けたので、実に嬉しい。
みんなに改めて礼を言う。
「あたしからはこれね」
と、義母さんが包装もせずに渡してきたのは手作りの枕だった。
最近自室に籠って何やってるのかと思ってたら、これを作っていたのか。
「アナタ、寝るの好きだから。王様用の枕と比べたら寝心地よくないかもしれないけどね」
「いや、そんなことないと思うよ。すごく嬉しい。大事に使わせてもらうよ」
試しにと、枕に顔を埋めてみる。
水鳥の羽毛が詰まっているのだろう。
王様用の枕のような高級感はないけれど、なんだか安心する匂いがした。
「じゃあ冷めないうちに早く食べましょ」
義母さんの号令で、ケーキが仕舞われ、料理が出てくる。
暖かいコンソメスープに、シーザーサラダ、それとザリーフィッシュを使ったクリームパスタ。
見れば分かるが義母さんの手料理だ。
「これこれ。これが食べたかったんだ」
この帰省で初めてのお袋の味に舌鼓を打つ。
そして気づいたのだが、昨日討伐したあの帯状危険種、カワワカメがどの料理にも入っていた。
自走式擬態茸と並ぶウィズランド島の隠れ三大珍味の一つだというので、持って帰ってきて宿の食糧庫に入れておいたのだが、これがまた美味い。
見かけこそ海で採れる本物のワカメにそっくりだけど、食感はプチプチとしていて歯切れがよく、醸し出す上品な旨味と香りはどの料理にもよく合っている。
料理の主役を張れる自走式擬態茸とは対称的に、主役を引き立たせる名脇役と言った感じ。
俺は驚きと同時に懐かしさを覚えていた。
十年の間眠っていた記憶が、鮮やかに蘇る。
「……俺、これ食べたことあるな?」
「よく覚えてたわね、ミレウス」
義母さんが目を丸くして、フォークを動かす手を止めた。
「アナタがうちに来た頃に一度ガウィス川で採れたことがあって、同じように料理して出したのよ。本当に一度だけだけど」
そうだ。そのときにカワワカメの生態について聞いたんだった。
どこで誰に聞いたのかどうしても思い出せなかったのだけど、そうか、義母さんから聞いたのか。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
「……なにが?」
義母さんはさっぱり分からないと言った風に首を傾げたが、それ以上は追及してこなかった。
人生、どこで何が役に立つか、分からないものである。
テーブルの上の皿がだいたい空いたら、今度は仕舞っておいたケーキを出してきて、切り分けてみんなで食べる。
今思えば、この間義母さんが水車小屋へ小麦を挽きに行ってたのはこれに使うためだったのだろう。
毎年、この日に食べているけど、やっぱり義母さんのケーキは最高だ。
「もう休暇も終わりですかー楽しかったですねー」
「また遊びに来たいね!」
ブータとヂャギーが実に美味そうにケーキを頬張っている。
その横でヤルーもケーキを食べているのだが、なんだか落ち着かない感じだ。
「なぁミレちゃん。たぶん気のせいだと思うんだが……その、昨日の夜からなんだか体がピリピリするんだ」
「川の聖水が効いてるんじゃないか?」
「ま、まさか! オークネルの名誉村民のこの俺っちが!? 善良を擬人化したようなこの俺っちが!?」
露骨に狼狽えるヤルーを見て、シエナが鋭い犬歯を覗かせて邪悪な笑みを浮かべたのを俺は見逃さなかった。
そこで、義母さんがふと俺の頭を見て言ってくる。
「ミレウス。アナタ、少し背が伸びたんじゃない?」
「え、そうかな」
自覚はないけれど。
これも毎年この日の恒例行事なのだが、宿の受付そばにある大黒柱で身長を計ってもらう。
すると確かに、去年の誕生日に引いたラインから人差し指一本分ほど伸びていた。
修学旅行で王都へ行くまではほとんど変わっていなかったはずなので、王様になってから成長期が来たのだと思う。
「そういや前にリクサが言ってたよな。王様として、あと身長がもう少しだけ欲しいって」
あれは彼女の部屋を初めて訪れた日のことだっただろうか。
それを聞いて、ヤルーとラヴィと腹を抱えて笑い出した。
「アーヒャッヒャ!! リクちゃん、そんなこと要求してたのかよ!!」
「乙女! 乙女すぎるでしょ!」
見ると、ナガレとブータも声を殺して笑っていた。
……言わなきゃよかったな。
と、後悔していたら、みんなの笑いがピタっと止んだ。
リクサが愛剣の柄に手をかけたからだけど。
申し訳なさを覚えつつ、彼女に尋ねる。
「これで満足?」
「そ、そうですね……でも、欲を言えばあと少しだけ、ほんの少しだけ欲しいかもしれません」
意外と欲張りな彼女の台詞に、今度はみんなで笑う。
リクサも照れたように微笑んでいた。
その後は義母さんとショウオギで対戦した。
みんなが取り囲むようにして観戦する中、どんどんと盤面が押されていく。
一番真剣に見つめているのはナガレだった。
彼女には『義母さんに勝てないようなら俺には勝てない』と言って、そちらと対戦するように仕向けていたのだけど。
「なぁ。なんか、セーラさんの方が強くねえか?」
今さら気づいたか。
もう夏休みも終わるし、いいけどね。
ペースを乱すためではないが、義母が思案している間に話しかける。
「今度は義母さんが王都へ来なよ。『行きたいわぁ、行きたいわぁ』って年がら年中言ってたビューティ・クロコダイルもあるよ」
「えー、めんどくさいわ。アナタがマッサージ覚えて帰ってきてよ」
そう答えるだろうなとは思っていた。
「まぁまた休暇が取れたら帰ってくるよ。な、シエナ」
「はい。主さま」
彼女と意味ありげなアイコンタクトを取る。
シエナと俺の昔話は、二人だけの秘密だ。
「ほい、王手」
こちらの大将の駒に、義母さんの攻撃の手が迫る。
だが、まだ詰みではない。こちらの駒はまだまだ残っている。
打開策はあるはずだ。
盤面を睨んで長考する俺に、義母さんが不意に言ってくる。
「仕事。大変かもしれないけど、投げ出さずに頑張りなさい。アナタならきっとできるわ」
放任主義で、いつも口数の少ないこの人にしては珍しく、はっきりとした激励の言葉をもらった。
俺は大将の駒を動かし、にんまりと笑って答える。
「大丈夫だよ、頼もしい仲間がいるからね」
☆
こうして俺の、王様としての初めての夏休みは幕を閉じた。
ウィズランド島で最も田舎であると言われる西部地方――そのさらに辺境に位置する十字宿場のさらに先に、オークネルの村はある。
取り立てて見るべきものもない村だけど、唯一無二の、俺の故郷だ。
この第七十六話を持ちまして幕間その2は完結になります。
次からは第三部に入ります。
またたくさんのブックマークや感想、ありがとうございます。
感想はすべて目を通させていただいております。大変励みになっておりますので、今後もどしどしお寄せください。
ゆっくりとではありますがこれからも頑張っていきますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。
作者:ティエル