第七十三話 星降る丘で話したのが間違いだった
オークネルの宿屋、『ブランズ・イン』。
その外れにある我が自室は、両手を伸ばせば左右の壁に届いてしまうほど狭い。
俺とブータはその部屋の空間の半分以上を占める格安オンボロベッドの上で、空中に浮いた楕円形の姿見を眺めていた。
最長距離まで効果拡大をした《覗き見》の魔術で彼に出してもらったものだが、今は普通の鏡のようにこの部屋を映している。
聖剣の力を使えば俺が唱えることも可能だが、その場合効果拡大はできないので、彼に頼んだのだ。
「うーん、ダメですねぇ。レイドさん、もう範囲外まで出ちゃったみたいです」
肩を落とすブータ。
もっとも予想できていたことなので、俺の方はそれほど落胆していなかった。
「いや、この辺りから離脱したことを確認できただけでも十分だよ。ありがとう、ブータ」
「えっへっへー、お安い御用ですよ、陛下ぁ!」
お調子者のこの少年は実に扱いやすい。
さらに機嫌を取るように彼の小さな頭を撫で繰り回してやる。
「ふっふっふ。愛いやつめ、愛いやつめ」
「くすぐったいですよぉ、陛下ぁ」
と、じゃれていると、部屋のドアが唐突にノックされた。
二人揃って飛び上がる。
「あ、あのー、ブータくん、いますか?」
シエナの声である。
ブータはあたふたしながら、《覗き見》を解除した。
禁止指定の魔術なので人に見つかると偉いことになる。
姿見が完全に消えたのを確認してから俺は返事をした。
「ど、どうぞ」
ドアが少しだけ開き、シエナの獣耳付きの頭がひょこっと出てくる。
「お風呂、ブータくんの番みたいなんですけど……」
「ああ、そうか。行っておいで」
「はぁい!」
ブータは誤魔化すような笑みを浮かべてシエナに会釈し、彼女の横を通って部屋を出た。
トテトテという彼の足音が聞こえなくなった頃。
「主さま、なにか焦っていらっしゃいませんか?」
「え!? い、いや、そんなことないよ!?」
シエナはドアのあたりから、俺と、俺の部屋をじろじろと観察してきた。
狭すぎて恥ずかしいのであんまり見てほしいものではない。
人を招いたのだって、先ほどのブータが初めてである。
「あー、狭くてびっくりしただろう? 元々倉庫だったところを義母さんが子供のころに自分の部屋が欲しくて改造したんだって」
十年ほど前に義母さんの両親が流行り病でなくなり、そのすぐ後に俺がここに引き取られたわけだが、それからはスライドするように義母さんは両親が使っていた部屋を、俺は義母さんが使っていたこの部屋を使うようになったというわけである。
ド田舎らしく土地はいくらでも余っているので、自力で増築しようかと考えたことは幾度もあったが、結局、面倒臭さが勝って延々と現状維持を続けてきてしまった。
「えっと、シエナ。悪いけどリクサに、検問の配備は必要ないって伝えてくれるか」
「はい。分かりました」
いつもどおり、素直に引き受けてくれる彼女。
しかし、なおもその場から動かず部屋の中を見ていたので、俺が外へ出るついでに肩を押して廊下へと下がらせた。
シエナは、俺を慰めるように言ってくる。
「レイドさんにも、きっとまた会えますよ」
「うーん、そうかな」
「ウィズランド島も広いようで狭いですから。縁さえあれば、必ず」
そうだといいけれど。
なんだろうか、この大切なことを見落としているような違和感は。
俺は食堂へは戻らず、宿の裏口へと向かった。
「あ、あの、主さま? どちらへ?」
「ちょっと散歩。すぐ戻るよ」
少しだけ、考え事をしたい気分だった。
☆
大陸からきた男、統一王アーサー。
勇者の末裔にして初代コーンウォール公、双剣士ロイス。
魔術師ギルドの創設者、魔術師マーリア。
最も用心深き、赤騎士レティシア。
禁忌の力に手を染めし統一王の相棒、狂人ジョアン。
要塞都市の首領、黒騎士ビョルン。
訪問者であったと言われる傭兵ギルド初代マスター、帰還者シャナク。
純然たる聖人、聖イスカンダール。
精霊に愛された娘、精霊姫オフィーリア。
謎多き、剣豪ガウィス。
南港湾都市を牛耳った、海賊女王エリザベス。
島のすべての宝を手に入れた、冒険者ルド。
魔王信仰を終わらせアールディア教を布教した、人狼アルマ。
ウィズランド王国建国史に名を残す十三名の英雄――初代円卓の騎士。
しかし意外なほどに彼ら個々人のパーソナルデータは残されていない。
それらは統一戦争期の混乱のために記録されなかったとも言われているが、その一人、魔術師マーリアと実際に話した俺としては、わざと残さなかった、あるいは意図的に抹消したのではないかと疑っている。
ま、その辺の理由はともかくとして。
剣豪ガウィスの情報は、聖イスカンダールと並んで極端に少ない。
もちろん統一戦争を題材にした物語にガウィスは登場するのだが、それはあくまで剣豪というワードから後世の人間が創作したものであり、その人格や足跡の描写に歴史的裏付けはない。
実際にどのような経緯で統一王の仲間になり、どのように戦い、そして戦いの後どうなったのか。その辺は完全に謎に包まれている。
ただ俺にはその真の姿を探るためのヒントがあった。
かつてリクサやラヴィと観に行った聖イスカンダール劇場の喜劇『統一王の英雄伝説』。
魔術師マーリアによれば、あれは初代円卓の騎士たちが共同で、史実を織り交ぜて脚本を書いたらしい。
その言葉を信じるならば、剣豪ガウィスは刀と呼ばれる反りのある片刃の剣を使用する屈強な男性だ。
基本的には温厚だが、必要とあらば冷徹に行動することもできる現実主義者。
復活した魔神に襲われて命を落としかけていたところを統一王に助けられ、それ以降は彼に忠誠を誓って共に戦い、ウィズランド王国建国後は放浪の旅に出た……ということだが。
結局あの劇の内容がすべて正しいとは限らないため、これも参考にしかならない。
……俺が気になっているのは、ただ一点である。
ガウィスは一体なぜ、こんないわくつきの土地にわざわざ新しい村を作ったのか。
俺の自室の問題ではないが、ここはド田舎なので土地は有り余っているのだ。
こんな不便で何もない場所にわざわざ人を呼んで村を作る必要性は、普通に考えれば何もない。
剣豪ガウィスは現実主義者である――というのが事実であれば、そこに何かの意味があったのではないかと思うのだ。
☆
オークネルの村の端、うちの宿屋から歩いてすぐのところに小高い丘がある。
今は夏草で覆われているその場所で、俺は仰向けに寝転がり、剣豪のガウィスのことを始め、さまざまなことを考えていた。
見えるのは賑やかな真夏の夜空。
天の頂点にいるのは豊穣月。それを進軍月と狩猟月が挟んでいる。
ここから見える星や月は、初代円卓の騎士たちが生きた時代から何も変わっていないはず。
統一王や魔術師マーリア、剣豪ガウィスも、ここから同じように夜空を見上げたりしたのだろうか。
しばしの間、そんな風に感慨に浸ってから、彼らが作った魔法の品、時を告げる卵を懐から取り出した。
この島に訪れる危機を予見するというその卵は、今は何の風景も映しておらず、ただ静かな青い光を発しているだけ。
つまり、王国の存亡に関わるような大ごとはしばらくは起きないということである。
「ま、そうだよな」
一人ごちる。
当たり前だが、この村に今起きている異変はそんな大ごとの前兆ではないようだ。
しかしこの村の人々にとっては無視できない懸案であるのも事実。
普通だったら、十字宿場へ行って、冒険者にでも解決してもらうだろう。
ダメ元で、地方の治安維持隊に陳情してみたっていい。
だが、今は国家の最高戦力が滞在しているのだ。
俺が――俺たちが行動するべきなんじゃないかと思うのだが、それは俺がここの出身者だからだろうか。
そんなことを考えていると、足元の方から声がした。
「やっぱりここにいた」
視線を星空から地上に戻す。
丘を登ってきていたのは、義母さんだった。
「アナタ、考え事するときいつもここに来るからね」
「危ないよ、義母さん。川の聖水化が上手くいってなくて、もしかしたら村の中にも危険種が入ってくるかもしれないって話したでしょ」
「危ないのはアナタも一緒でしょ? だいたい家から目と鼻の先で何言ってるの」
「……それもそうか」
上半身を起こす。
俺の手を借りて隣まで登ってきた義母さんは、よいしょと腰を下ろした。
「どう? 初めての休暇は」
「まずまずかなー。なんか王様になる前の生活と変わらな過ぎて驚いてる。いや、それを望んでたんだけど」
「ならよかった。村のみんなに頼んでおいた甲斐があったわ」
「……頼んだって何を」
嫌な予感がして顔をしかめる。
義母さんは、村の中心の方を見ながらなんでもないことのように言った。
「遠慮せず、これまでと同じようにアナタに接してやってくれってこと」
「あー……、それでみんな色々頼んできたのか」
いくら村人たちが田舎者とはいえ、王様相手にお構いなしすぎると思っていた。
母親公認とあらば、話は違うだろう。
「もしかして、円卓の騎士のみんなに依頼が殺到してたのも?」
「ええ。アナタと同じように何でも頼んでいいってあたしが言ったのよ。アナタと一緒に働いてる人たちに、アナタが育った村のことを知って欲しかったからね」
義母さんは微笑んで、俺の頭をぽんぽんと叩いてくる。
「みんないい人たちじゃない。でなきゃこんな田舎村で低賃金で働いてくれないわよ」
「そ……ま……うーん、そうだね。いい……ひと……いや、そうだね。義母さんが心配する必要があるほど酷い連中とは働いてないよ。うん」
どうしても歯切れが悪くなる。
俺の困惑を深めるように、義母さんは追撃をしてくる。
「で、どの子が彼女なの?」
「はぁ!?」
「水場でイチャついてたラヴィさん? それとも最初に連れてきたシエナさん? やたら対抗意識持ってるナガレさんも怪しいわね。喧嘩するほど仲がいいって言うし」
「いやいやいや、全員違うから!」
あら、と義母さんは意外そうに首を傾げる。
「じゃあやっぱり、リクサさんかしら。あの人のアナタを見る目、なんだか熱っぽい感じだし。中等学校の同級生だっていうアザレアさんも、ただの友達とは思えない雰囲気よね」
「二人も違うから! 別にそういうただならぬ関係になってる人はいないから!」
「ふーん、まぁ隠したいなら隠してもいいけどね。年頃の男子なんてそんなもんだし」
「別に思春期だから隠してるわけじゃないし! 反抗期でもないよ!」
そんな他愛もない話の後に。
義母さんは突然、リクサの目にも止まらぬ抜き打ちのように、聞いてきた。
「……アナタ、王様の仕事で何か危ないことをしてるでしょう」
「えっ!」
声を上げてしまった。
目も泳ぐ。
しまった。
この緩急は義母さんの罠だ。
俺の反応は完全に、やましいところのある人間のそれになってしまった。
確信を得たのだろう。
義母さんは深いため息をついた。
「母に隠しごとしようなんて百年早いわよ。昔、あたしに隠れてペットを飼おうとしたときも、気づいたでしょ」
「……そうだったね」
義母さんは目じりを下げると、俺の額を人差し指で軽く押す。
「滝つぼで腐乱猪に襲われたとき、表情一つ変えてなかったからね。ここ数か月で相当、危険なことに巻き込まれてきたんだろうなって思ったのよ」
ぼんやりしてるようで、相変らず鋭い。
ショウオギで頭を鍛えているためだろうか。
義母さんを騙すことは、やはりできない。
しかし、それでも王の仕事の詳細は話せない。
俺の事情を察したのか、義母さんもそれ以上は追及してこなかった。
放任主義のこの人の沈黙は、期待の裏返しでもある。
「ガウィス川近辺に危険種が出没するようになったのは、聖水化施設に何か問題が起きたからだと思う。明日、俺が行ってみるつもり」
「そう」
返事はそれっきり。
だが、その短い言葉に込められた義母さんの気持ちを、俺は確かに感じた。
「ところで王の任期って何年だったかしら」
「きっちりは決まってないらしいけど、長くて五年、短いと三年ってとこらしいよ」
「それじゃあ、それ終わったら高等学校行きなさいよ。公立のとこでいいから。アナタ、このままだと最終学歴が中卒になるわよ」
「ウッ」
痛いところを突いてくる。
しかしどうやら義母さんの中では、俺が王をやめたらここに戻ってくるのが既定路線になっているらしい。
仕事――円卓の騎士の責務が大変すぎて、今の俺にはそんな先のことは考えられない。
だけど義母さんのそんな態度が、すごく嬉しく思えたのも確かだった。