第六十四話 感謝祭を開いたのが間違いだった
西の山々の稜線に陽が沈み、宵闇が密かに忍び寄り始めた頃。
オークネルの村の端、東ガウィス川の河原で、ジュウジュウと音を立てる二つの焼き網式バーベキューグリルを七人の円卓の騎士が囲んでいた。
グリルの網の上には肉と野菜をバランスよく刺した串がいくつも乗っており、白い煙といい匂いを辺りに漂わせている。
騎士たちの手に黄金色の飲み物がなみなみと注がれたジョッキが行き渡ったのを確認して、俺は話を始めた。
いや、年齢を考えてブータのジョッキだけは葡萄ジュースだけども。
「えー、それではこれより、円卓騎士団、夏の大感謝祭を始めます」
拍手が鳴り、歓声が上がる。指笛を吹くやつもいる。
楽しそうでなにより。
「春のアスカラくん討伐に始まり、南港湾都市のグウネズくん討伐など、ここ数カ月、皆様には多大なご協力をいただきました。つきましては皆様の労をねぎらおうと、こうして我が故郷オークネルにお招きし、会食の場を設けた次第であります。今後も滅亡級危険種の到来は続くと思われますが――」
「なげぇんだよ! 早く食わせろー!」
と、文句を言ったのはヤルーで。
「とろとろしてんじゃねえよ! 肉が焦げるぞ!」
と、文句を言ったのはナガレだった。
出鼻をくじかれた思いだったが、彼らの言うことも一理ないこともない。
俺も大穀物地帯産の麦酒で満たされたジョッキを手にして、簡潔に述べる。
「今までありがとう! これからもよろしくね! 乾杯!」
「乾杯!」
七人の声が揃い、続いて飲み物が喉を通過する小気味良い音だけが辺りに響く。
俺もジョッキに口をつけ、一気にいった。
陽が沈んだとはいえ、今は夏の盛り。シャツ一枚でも汗ばむ暑さだ。
そんな中、乾いた喉に流し込む麦酒は犯罪的に美味い。
「はぁー!」
飲み干して、大きく息を吐く。
今日は朝からこのバーベキューのために、一人で延々と準備をしていたのだ。
そのすべての苦労に報いてくれるような酒だった。
しかし今夜はそんなに呑んでもいられない。
俺は騎士たちに、いい感じに火の通った串をそれぞれ勧めて回る。
もっともラヴィやナガレやヤルーはすでに、勝手に取って食い始めていたけど。
付近に配置しておいた輝石式の手持ち灯のところへ行き、スイッチを入れる。
辺りがぱぁっと明るくなり、整地された河原と、そこに設けられた簡易宴会場の姿が夜の闇の中に浮かび上がる。
楽しい楽しい夏の大感謝祭――という名の接待の始まりである。
☆
「お前んちの宿屋、あんなとこでやっててよく潰れねえな」
と、中等学校の同級生に言われたのは一度や二度ではない。
それは時に冗談交じりであり、時に本気のトーンであった。
ここに召喚したとき、ラヴィやヤルーにも飽きれ顔で同じことを言われた。
実際、ここほど宿屋を営むのに適していない土地もないと思う。
ウィズランド島西部最大の街である西方水上都市から王都へ行くなら北のヤノン山脈に穿たれた大隧道の街道を使うし、南港湾都市へ行くなら海路か大穀物地帯経由が基本だ。
もちろん北方交易街との行き来でも、こんな僻地を通過する必要性はまったくない。
つまり、この村に宿を求める旅人が通ることはまずないのだ。
かといって、これといって見るものがあるわけでもないので観光客も来ない。
いや正確に言えば、この島で、この村にしかないものが一つだけあり、それを目当てにやってくるマニアがいるにはいる。
だが、そういうやつらもそこを見ると、心底がっかりした顔をして帰っていくので宿のリピーターになってくれるわけではない。
そんな有様でも『ブランズ・イン』がどうにかやっていけているのは、なぜか。
答えは簡単。副業としてキャンプ場を営んでいるからだ。
今、俺たちがバーベキューをやっている東ガウィス川の河原、ここがまさにその場所である。
もっともテントを張れるように適当に整地がしてあるだけなので、そうと言われなければまず分からないだろうけど。
長期休暇になるたびに都会――ほとんどは十字宿場からだが、子供連れや学生が数組ほどやってきて、ここで野営をしていく。
そういう人らへのキャンプ用品の貸し出しや食料販売なんかが、うちの貴重な収入源となっているわけだ。
「つっても、そんな大した収入にゃなんねーだろうよ。こんなとこじゃあよ」
説明の途中でヤルーが、茶々を入れてくる。
バーベキューの串から羊肉をむしゃむしゃとやっているこの眼帯の男は、こんなド田舎に呼び出されたというのに意外にも上機嫌だった。
その理由を問う。
すると、ヤルーは村の周囲の森と山々に目を向け、口端を上げた。
「精霊が豊富なんだよ。小物ばっかだけど、悪かねぇスポットだ。実に騙し――契約しがいがある。その辺、売りにすれば少しは客が呼べるかもな?」
普段ならば、うっかり口走りかけたことについてツッコミを入れているところだが、今はただ『なるほど』と頷き、素直に聞き入れてやった。
空になった奴のジョッキに麦酒を注いでやる。
それに気を良くしたのか、ヤルーはどんどんと肩を叩いてきたが、これもただ受け入れる。
このパーティの名目は先ほど乾杯前に話したとおり。
だがその真の目的は、聖剣の力を解放するために騎士たちからの好感度を上げることだ。
特に、人として好かれた場合に上がる項目――『恋愛度』を上げたいと思っている。
『恋愛度』は円卓騎士団の最大火力技である【超大物殺しの必殺剣】と、騎士の技能を飛躍的に高める【多重技能拡張】の使用に必要になる。
先日のグウネズ戦では【超大物殺しの必殺剣】を耐え凌がれたため『恋愛度』を無駄に消費してしまい、苦戦を強いられた。
その後の【多重技能拡張】でどうにか勝利を掴めたものの、非常に危うかったのは確かである。
『恋愛度』の合計を伸ばせばあれらの大技も、いくらか余裕を持って運用することができる。
ということで、今夜は全力でご機嫌を取りにいくつもりである。
ヤルーに対し、普段と違う対応をしているのもそのためだ。
奴の機嫌は十分よくなったようなので、ターゲットを変え今度はリクサに媚びを売りに行く。
酒好きの彼女は、背もたれ付きの折り畳み椅子に深く腰かけて、麦酒を幸せそうにあおっていた。
「お疲れ様、リクサ」
「ミ、ミレウス様!」
背後から声を掛けると、完全に油断しきっていたのか、彼女は文字通り飛び上がった。
いいからいいからと両肩を掴んで椅子へと戻してやる。
彼女はあたふたとジョッキを置いて、頭を下げてきた。
「あ、あの、申し訳ありません。何から何までしていただいて。私も手伝えたらよかったのですが……」
「いーのいーの。リクサが色々調整してくれたおかげで、みんなこうして休暇が取れたわけだしさ。この村にいる間は君が主賓だよ。全部、俺に任せてくれ」
「は、はぁ」
照れた様子で頬をかく、リクサ。
彼女の尽力に感謝しているのは事実だが、どちせにせよこの手のことを手伝ってもらう気はなかった。
この女性は炊事、洗濯、掃除、その他もろもろが壊滅的なのだ。バーベキューの仕込みもたぶん無理だろう。
「今夜は何も気にせず飲んでくれよ。せっかくの休暇なんだし」
と、彼女の空けたジョッキにも麦酒を注ぐ。
恐縮しながらそれを受けた彼女だが、なぜか一口飲んで、手を止めてしまった。
「南港湾都市の開港祭でご迷惑をかけてしまったので、少しだけ控えようと……」
「ああ、うん。そうだね。いい心がけだね」
もちろん俺も忘れてはいない。
あの港街で過ごした最後の夜。結局、彼女は酔いつぶれてしまい、俺が旅館までおぶって帰った。
幸い、あの時は平気だったようだが、泥酔して記憶を失うと好感度は一切上がらない――というのは決戦級天聖機械のアスカラくん討伐祝勝会のときに学習している。
酩酊した彼女の介抱をするのは、やぶさかではないが、今夜の目的を考えると記憶をなくすまで飲まれては困る。
ということで、酒の代わりに食べ物だ。
紙皿に乗せて持ってきた焼きたてのソーセージを、フォークに刺して彼女に差し出す。
「あーん」
「え! ま、まさか、そんな!」
リクサは狼狽して、あたりを見る。
当然みんな、こちらを見ていた。
「ほらほら、早く。あーん」
「あ、あーん……」
控えめに開けられた彼女の口に、よく火の通ったソーセージを押し込む。
パキンと折れるいい音が鳴った。
羊腸を使用したソーセージはこの村の名産といえば名産である。
「美味しい?」
リクサは口を手で隠し、咀嚼しながら何度も頷く。
胃に収まったら、また食べさせる。それを一本分、繰り返す。
彼女は恥ずかしそうにしていたが、同時にとても嬉しそうでもあった。
ちょろいものである。
そんな俺たちの様子を、ナガレが焼けたピーマンを齧りながら冷めた目で見ていた。
「気持ちわりーなテメー。何企んでやがる」
「別に何も企んでないよ」
企んでるけど。
「確かになんかいつもとちげえよな。なーんか怪しいぜ」
ヤルーもナガレに同意する。
俺はなんのことやらと肩をすくめて誤魔化した。
これくらいは想定の範囲内である。
多少怪しまれたところで、この感謝祭の真の目的を見抜かれるとは思えない。
聖剣の力の解放条件は、ウィズランド王国の国王の間で代々引き継がれてきた秘密である。
それがまさか自分たちが王に対して抱く好感度だとは、いくら察しのいいやつでも分かりはしないだろう。
「ミレくん、ミレくん! アタシにも今のやってよ!」
「あ、ボクもお願いしまぁす!」
能天気にラヴィとブータがやってきたので、リクサと同じように食べさせてやる。
この二人は反応が素直なので、なおちょろい。
「いいよーミレくん、こういうサービスすごくいいよー。……あ! もう一回やって! 擬似投影機で撮ってもらうから!」
ご満悦な様子のラヴィ。
写真撮影は国王の沽券に関わるのでやめてもらった。
「ソーセージおいしいれす! 円卓の騎士なってよかったれす!」
これまた大満足な様子のブータ。しかし飲み込んでから喋ってほしい。
口元が汚れていたのでナプキンで拭いてやる。
こいつらはこんなもんでいいだろう。
飲酒はほどほどにとリクサに念を押してから、ナガレの横に移動する。
彼女はうさんくさそうに俺から身を遠ざけた。
「ナガレにもやってやろうか、今のやつ」
「いらねーよ!」
一応ソーセージを差し出してみるも突っぱねられた。
相変わらずきつい対応だが、異世界から来たというこの女性は、どういうわけか七人の騎士の中でも一番順調に『恋愛度』が伸びている。
好感度が態度に直結しないタイプなのだ。
ナガレの場合、むしろ問題なのは『忠誠度』の方だ。
最初に上下関係はなしでいいと言ってしまったからか、今現在も彼女は俺に欠片の忠誠心も抱いていない。
『忠誠度』は騎士からスキルをレンタルするのに消費する。
彼女のスキルは独特で、使えたとしても持て余しかねないものなので今のところ不便には思っていないが、いつか機会があれば伸ばしたいところである。
そんな計算をしつつ彼女のことを見ていると、露骨に嫌そうな顔をして睨んできた。
「なに、じろじろ見てんだテメー。喧嘩売ってんのか?」
「いや、つけてくれてんだなと思って。その耳飾り、やっぱり似合ってるな」
咄嗟に出た言葉だが、我ながらナイスな返しである。
ドン! とジョッキの底を屋外用の簡易テーブルに叩きつけて、ナガレは顔を背けた。
その表情はうかがえないが、耳の先まで真っ赤になっているので、だいたい想像はつく。
彼女がつけている銀の耳飾りは、俺が南港湾都市の開港祭で買ってやったやつである。
海賊女王エリザベスの根城で発見して彼女に贈ったやつが、魔神将グウネズくんとの戦いの際に破損してダメになったので、その代わりにと二人で選んだのだ。
ま、ナガレもこんなもんでいいだろう。
最後に行くのは、護衛役としてこの帰省についてきてもらった二人が飲み食いしているテーブルである。
「お疲れ様です、主さま!」
酒が入っているためか、いつもとテンションの異なるシエナが、労いの言葉と共に麦酒を渡してくれる。
礼を言ってそれを受け取り喉を潤す。
王になってから、たびたびこういう無理のある好感度上げをしているが、非常にメンタルに来る作業だ。
しかし今は肉体的な疲労も大きかった。朝から一人で仕込みをしていたからだろうか。
思わずシエナに愚痴をこぼしてしまう。
「なんだか最近、体力が減った気がするんだよね。この村にいた頃はこれくらいの仕事で疲れたりはしなかったのになー」
「あ、それは蘇生魔法を受けたからだと思います。あれで生き返ると、体力が少しだけ減るんですよ。永続的に」
「ええ!? そ、そうだったの」
地味に嫌な代償だな……。
まぁ死ぬよりかは遥かにマシだし、文句をつける気はないけども。
シエナはせっせとグリルでソーセージを焼くと、紙皿に乗せて差し出してきた。
気が利くなぁと感心したのだが。
「あの! わたしにもさっきのアレ、お願いします!」
「……うん。はい」
そう、酒が入っているので普段と性格が違うのだ。
尖った犬歯を覗かせ、今か今かと待ち構える彼女の口に、ソーセージを差し出してやる。
シエナはそれをむっしゃむっしゃと食べきると、もう一度、もう一度とねだってくる。
蘇生魔法の恩もある。
彼女が満足いくまで付き合ってやろうと俺は決めた。
一人、黙々と肉を食べ、酒を呑んでいるヂャギーがぼそっと提案してくる。
「みーくん、オイラと一緒に早朝ランニングして体力つけたら?」
「……そうだね。そうするよ」
シエナに食べさせてやりながら、俺も串の羊肉にかぶりつく。
王様は、体が資本だ。
体力を元に戻さねば、こんな面倒なやつらの相手などしてられないだろう。
真夏の夜の宴――接待パーティは、まだ始まったばかりである。