第五十九話 死者を出したのが間違いだった
ひんやりとした何かが頬に触れるのを感じ、意識が戻った。
体は石畳の上で横になっている。
だが、頭の下には軟らかい何かの感触があった。
どうやらアスカラを倒した後と同じで、誰かに膝枕をされているらしい。
重い瞼をゆっくりと開いて、確認する。
あのときはヂャギーのものだったが、今回は女性の膝だった。
人間のものでは、なかったけれど。
「……やぁ」
吸盤を持つ触腕で俺の頬をぺしぺしと叩いている海精霊に挨拶をする。
彼女は魚のような光沢のある瞳を細めて、優しく微笑んだ。
先ほど見たときはダメージ超過で召喚元に還りかかっていたが、持ち直したらしい。
「よう、ミレちゃん。気分はどうだ?」
最初に話しかけてきた人間は彼女の召喚主、ヤルーだった。
いつものニヤけた笑みを浮かべて俺のすぐ前に立っていたが、今はそれで少し安心できた。
いつも緊張感の足りないこの男だが、戦闘が終わっていなければ、さすがにこんな顔はしないだろう。
上半身を起こしてから、念のため尋ねる。
「グウネズはどうなった?」
「きれいさっぱり消滅したよ。ブーちゃんとミレちゃんのアレの抵抗に失敗してな」
ヤルーが親指で指した先には、通りの石畳が丸くきれいに抉り取られた跡が残っていた。
《存在否定》は、一定範囲を完全な無に帰す……と、聞いてはいたが、なるほど、確かに何も残っていない。
ついでに辺りを見渡すと、ブータが俺のすぐ近くで気絶していた。
俺と同じように魔力切れを起こしたためだろう。
姉弟子のネフに介抱されている。
リクサは民家の壁に背を預けて座り込んでいた。
俯いているため顔色は確認できないが、その隣に立つ、彼女の親戚のエドワードの表情を見る限り、死んでるわけではなさそうだ。
その向かいの民家の壁沿いでは、大の字に寝転がるヂャギーを勇者信仰会のエルとアールが手当てしている。
胸が規則正しく上下しているので、彼も生きてはいるのだろう。
振り返ると通りの少し奥で、大怪我をしたはずのラヴィが、同じく大怪我したはずのナガレと共に胡坐をかいて座っていた。
たぶん治療を受けたのだと思うが、彼女たちは比較的元気そうである。
ラヴィがこちらに向けて手を振ってきたので、適当に手を振り返して応えた。
ただ一つ、さっぱり分からなかったのは、シエナが俺の隣でヌヤ前最高司祭に膝枕されて眠っていることだが……とにかく円卓の騎士は全員生きているようだ。
胸を撫でおろす、その前に。
医療本部の責任者であったヌヤの方を向く。
気が重くなるような質問だったが、しないわけにはいくまい。
「結局、犠牲者は何人出た?」
「七人じゃ。六人は、わしの《蘇生魔法》で生き返らせたがの。重傷者も大勢おったが、だいたいは治療済みじゃ。あー、疲れたわい」
大げさに自身の肩を揉み、ヌヤは大きく息を吐く。
芝居掛かってはいるが、最上級難度を六度も使ったのだ。疲れているのは本当だろう。
頭が下がる思いだった。
七人死んで、六人は蘇生できた。
覚悟していたよりかは、犠牲者はずっと少ない。
しかし、そうか。
「一人だけ、亡くなったんだな」
これが零ならば、どれだけよかったことか。
この一と零の差はあまりにも大きい。
勝利したにも関わらず、素直には喜べなくなった。
落胆が表情に出ていただろうか。
そんな俺を見て、ヤルーとヌヤが顔を見合わせ、そして盛大に吹き出した。
不審げな俺の視線に応えて、ヤルーが肩をすくめて説明をする。
「あんなぁ。その一人ってのはミレちゃんのことだよ。魔力切れで気絶してる間に《即死の呪い》が帰ってきて死んだんだよ」
「あー……」
そういえばそんなものも喰らっていたな。
聖剣の鞘の効果で先延ばしにしてたけど。
もちろん魔術を受けたときは、後で戻ってくると分かってはいた。
ただヌヤが『キレイに死ねば生き返してやる』と言っていたので、それでどうにかなるだろうと楽観的に考えて、忘れていたのだ。
「死んでたんだな、俺」
自覚は一切ないけども。
訪問者の一部が信仰しているというブッキョーの教えでは、死ぬと三途の川とかいうのを越えてあの世へ行くという。
だが、俺が見たのは川じゃなくて海だった。
恐らく聖剣が見せたと思われる、海賊女王エリザベスの記憶。
あれは死んでる間に見たものだったのか、それとも蘇生した後に見たものだったのか。
「あれ? でも死んだのが七人で、ヌヤ前最高司祭が生き返らせたのは六人で……俺がそれ以外の一人って言うと……ん? どういうことだ?」
完全に混乱して、思わず自分の胸に手を当てる。
が、当然ちゃんと心臓は動いており、血管も元気に脈動している。
これで死んだまま――死族化してるということはないだろう。
俺の反応が可笑しいのか、ヌヤは再び声を出して笑った。
その膝で静かに眠っているシエナの獣耳つきの頭を、愛おしそうに撫でる。
「ぬしを蘇生させたのは、この子じゃよ。成功率を高めるために限界まで効果拡大したから、ぬしらと同じく魔力切れを起こして気絶しとるがの」
「……《蘇生魔法》が使えたのか? 前に使用可能な魔法やスキルをリストにしてもらったけど、書いてなかったと思うけど」
「使えたのではない。ついさっき、使えるようになったのじゃ」
ヌヤは面白くて仕方がないという様子で、広げた扇子で口元を隠す。
たぶん、また笑みをこぼしているのだろう。
「天恵じゃよ。慈悲深き女神アールディア様が直接、この子に魔法を授けたのじゃ。ごくごく稀にしかないことなんじゃが……愛の成せる業かのう。この子は気絶するまで何度も、ぬしの名を呼んでおったのじゃぞ」
ああ、夢の中で聞いたあの声は、シエナのものだったのか。
あれでみんなのもとへ戻る気にならなかったら、そのまま死んだままだったのかもしれない。
ヌヤと一緒に、眠ったままのシエナの頭を撫でる。
彼女が目覚めたら、しっかりと、お礼を言おう。
「そうか。じゃあ犠牲者は……いないのか」
独りごち、胸の内からこみ上げてくる喜びを噛みしめる。
『戦いの後、全員で勝利を分かち合おう』と、俺はみんなに向けて演説した。
でも本当に一人も欠けずに、この危機を乗り越えられると思っていたかと言えば嘘になる。
こうなると心配なのは、ずっと前衛で体を張って戦ってくれたリクサとヂャギーだった。
二人ともぴくりとも動かないが、もう大きな出血などはしていない。
最後に三叉槍で思いっきり腹を刺されていたが、《治癒魔法》が間に合ったのだろうか。
「気絶してるだけ……だよな?」
まずリクサの脇に立つエドワード老人に問いかける。
彼は立派な顎鬚に手をやりながら、大仰に頷いてきた。
「勇者特権が尽きて仮死状態に入っただけです。自己修復機能が順調に働いていますので、しばらくすれば目覚めるかと」
さらっと言ったが、なんだ、仮死状態って。
勇者というのはやはり、つくづく常識外れの連中のようである。
かと思うと、エドワード老人はいかにも常識人といった感じに、深々とお辞儀をしてくる。
「お見事でした、ミレウス陛下。よくぞ使命を果たされました」
「いやぁ……今考えてみると、もっと上手くやれたような気もするんだけどね。ま、後援者のみんなが踏ん張ってくれたおかげだよ」
先ほどブータをその気にさせるために、《覗き見》で『影』と戦う彼らの雄姿を見せたが、あれには俺も勇気づけられた。
みんなのおかげ、と感じているのは本当である。
続いてヂャギーの巨体にせっせと包帯を巻いているエルとアールに目を向ける。
改めて言わずとも、エドワードに聞いたのと同じ質問をしたいのだと察してくれたらしく、二人揃って、どんと胸を叩く。
「大丈夫です! 司祭の方に大きな傷は塞いでもらいましたから!」
「今は貧血で気を失っていらっしゃるだけですよ!」
ならいいのだけど。
ヂャギーは無茶な戦い方をして、めちゃくちゃ血を流していたから心配である。
彼女らの傍らには、巨大な槌が二本、転がっている。
医療本部を襲撃していた『影』を相手に、その鈍器で奮戦している姿を俺は確かに見た。
「……君たち、戦えたんだね。勇者信仰会には戦える者はほとんどいないって聞いてたけど」
「ほとんどですからゼロではないということですよ」
「ゼロではないということは、私たちがそうであってもおかしくないということですよ」
まぁそうか……そうだな……俺の思い込みだったな、完全に。
次いで俺は通りの奥の二人に目を向けた。
ナガレは俺の視線を受けて、なぜか知らないが、ぷいっと顔を反らす。
一方ラヴィは、にこにこ笑顔で近寄ってきた。
魔神の手で半ば握りつぶされた右足は、もう元通りになっている。
逃げるグウネズに単身挑んで遅延させた先ほどの彼女の姿を思い出し、苦笑いを浮かべて迎える。
「無茶をするなって言ったのに、思いっきり無茶してくれたな」
「でもでも、あたしがあそこでやらなかったらヤバかったでしょー? 医療本部のみんなも危ないところだったしさ」
確かにあそこで止めてくれなければ大惨事になっていたことだろう。
彼女の判断が間違っていたとは思えない。
「うん、よくやった、ラヴィ」
「えへへ、もっとほめてー!」
機嫌よさそうに頭を差し出してくるので、シエナにしてやったのと同じように撫でてやる。
年上にしてやるようなことではないと思うので、さすがに気恥ずかしいが、これでラヴィが喜ぶならば、それくらいは我慢しよう。
「ナガレも。いいところで仕事してくれたな」
呼びかけると、彼女もしぶしぶといった様子で立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
その服の胸元には、グウネズの投げ槍を受けたときにできたと思われる穴がきれいに三つ空いている。
あの時は、本気で死んだんじゃないかと思ったくらいなのだが。
「よく生きてたな。直撃したと思ったのに」
「直撃したっての! マジで死ぬかと思ったぜ」
ナガレは辟易とした顔で吐き捨てると、バツが悪そうに頬を掻き、手に握った何かを見せてくる。
それは四つに割れた、銀の耳飾りだった。
彼女と共に海賊女王エリザベスの根城を探索した際に、俺が宝箱から見つけて贈ったアレである。
気に入ったのか、最近はずっとつけてくれていたのだけど。
「こいつがダメージを肩代わりしてくれたんだよ。屋根から落ちたときに頭打ったから、シエナに起こしてもらうまで気絶してたけどさ」
ヤルーがよく使ってる《闇分身》のような効果が付与されてたのか。
たぶん第二文明期あたりの品だろう。
ナガレは俺から視線を反らしたまま、聞き取れるぎりぎりくらいの声で言った。
「……わりーな、ミレウス。せっかくもらったもん、壊しちまって」
「ああ、それで珍しく、しおらしい感じなのか。いいよ、別に。ナガレが無事でよかったよ」
「しおらしくなんかしてねーよ!」
顔を真っ赤にして俺の足を蹴ってくるが、これが彼女の平常運転だ。
正直、こちらの方が俺は落ち着く。
そんな俺たちの様子を見て、ナガレの友人である傭兵ギルドのイライザが通りの奥からけらけら笑いながら歩いてきた。
「この子、陛下の脈が戻ったときは、嬉しそうに、わんわん泣いてたんですよ」
「泣いてねーよ!! 黙っとけよ、オメェはよ!!」
ナガレの手加減なしの蹴りを事も無げに躱して、イライザは俺に手を差し伸べてきた。
それを借りて、立ち上がる。
「ありがとう。君も無事でよかった」
「傭兵は無茶はしませんから。少なくとも自分に向けられた《即死の呪い》を無視するなんて無茶はね」
茶化されるが、返す言葉もない。
イライザは傭兵式の敬礼をすると、打って変わって真面目な調子で報告してきた。
「『影』の全消滅を確認しました。それと延焼していた家屋の消火も。これにて、ご依頼完了ですね」
「ああ。いい仕事だったよ。また利用させてもらう」
喜んで、と微笑み、彼女は小さく会釈をすると、ナガレを宥めにいった。
それと入れ替わるようにしてやってきたのはアザレアさんである。
「お。ちゃんと起きたね、ミレウスくん」
立ち上がっている俺を見て顔をほころばせ、修学旅行の朝に寝坊しなかったことを褒めるかのようなノリで言ってくる。
一方、俺は彼女の姿を見て、ぎょっとしていた。
医療本部で働くために着ていた看護服が、膝元から胸の上まで真っ赤に染まっていたからだ。
「け、怪我したの?」
「え? ああ、これ全部他の人の血だよ。次から次へと怪我した人が運び込まれてきたから、すごい回数【応急手当】したからね。途中からは、もう無我夢中で」
彼女が医療本部で働いている姿は僅かだけだが、俺も見た。
《治癒魔法》待ちの怪我人の手当てをするアザレアさんは、確かに一心不乱といった様子だった。
「ミレウスくんの方こそ血まみれだけど、大丈夫なのそれ」
「……ああ、うん。問題ない。全部治ってるし」
アザレアさんに指差され、いまさらながら自分の全身が血まみれになっていることに気が付いた。
戦闘中に何度もグウネズの槍を喰らっていたから、それが気絶してる間に帰ってきたのだろう。
シエナが蘇生する前に塞いでおいてくれたのだろうけど。
「さっきはありがとね」
と、ラヴィがアザレアさんに手を伸ばす。
グウネズの投げ槍の標的にされたラヴィを《屈折》の魔術で救った件だろう。
アザレアさんは、笑顔で握手に応じた。
「どういたしまして。ラヴィさん、すごい頑張ってるのが見えたから、助けに行かなきゃって思って」
ラヴィはついでエルとアールにも謝意を述べる。
三人のおかげで、彼女の命が助かったのは事実だし責める気はないけれど、正直、本当に無茶をするものだと思った。
「アザレアさん、あんな魔術も使えたんだな」
「戦闘に巻き込まれても役に立てるようにって急ピッチで覚えたんだよ。まぁ発動できたのは、さっきが初めてだけど」
「覚えたって……この五日で?」
最初の《発火》を覚えるのに十五日くらい、次の《気配遮断》が十日くらいだったろうか。
一つ覚えるのに半年は掛かるだろうというブータの最初の話とは、だいぶ違ってきている。
そこで彼の姉弟子であるネフが、口を挟んできた。
「ブータさんから習ってるのをわたくしも見てましたけど、アザレアさんの要領のよさは凄いですわ。十年に一度の天才である、わたくしと同じくらいには、ですけど」
「それじゃ、将来的にはネフくらい強くなるのか」
「内蔵魔力は平凡ですから、それは無理ですわ」
苦笑いを浮かべながら、ネフは気絶したままのブータの頭を撫でる。
「習得速度も内蔵魔力も、努力次第でいくらかは伸びますけど、最終的には才能ですわ。ブータさんはそのどちらも素晴らしいのに大事なところで失敗する、手のかかる子でしたけど……」
姉弟子ではなく、本当の姉のように。
柔らかい表情で彼女は続けた。
「今は、この子のことを心から誇りに思いますわ」
思いは、俺も同じである。
今回の戦いの最大の功労者は、間違いなく彼だろう。
もしかするとグウネズがこの時間に飛ばされてきたのは、このブータが留学から帰ってきたからなのかもしれない。
そのうち、俺たちのいる通りに、戦いを終えた後援者たちが続々と集まってきた。
騎士、傭兵、魔術師、盗賊、司祭、その他いろいろ。
犠牲者は一人も出なかったと、すでに聞き及んでいるのだろうか。
みんな、一様に晴れやかな顔をしている。
「……奇跡みたいだな」
周りを見渡しているうちに、自然と声が漏れていた。
それを耳ざとく聞き取ったヌヤ前最高司祭が、うむ、と頷く。
「確かにこれは奇跡じゃ。じゃが、これは神が起こしたものではないぞ。ぬしと円卓の騎士が中心となり、この国すべての力を結集したからこそ起きた奇跡じゃ。胸を張るがよい、王よ。ぬしは最高の結果を自らの手で掴みとったのじゃ」
彼女に背中を叩かれ、通りの中心に押し出される。
いつの間にか俺たちを囲むようにして、後援者たちの輪が形成されていた。
脇道の方から顔を出している者もいれば、通りに入りきれず屋根に上がって見ている者もいる。
俺は、その全員に見えるように聖剣を空へ突き上げ、腹の底から声を出した。
「俺たちの勝利だ!」
それに応えて、地響きのような勝ち鬨の声が上がる。
それは戦いが始まる前の鬨の声以上に大きく、そして長く。
南港湾都市の街に、こだました。
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【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★★★[up!]
親密度:★★
恋愛度:★★★★
【第三席 ブータ】
忠誠度:★★★★★[up!]
親密度:★
恋愛度:★★★★[up!]
【第六席 ヂャギー】
忠誠度:★★★★[up!]
親密度:★★★★★
恋愛度:★★
【第七席 ナガレ】
忠誠度:
親密度:★★★★[up!]
恋愛度:★★★★★★[up!]
【第九席 ヤルー】
忠誠度:★★[up!]
親密度:★★★★★[up!]
恋愛度:★★★
【第十二席 ラヴィ】
忠誠度:★★★[up!]
親密度:★★★
恋愛度:★★★★★★[up!]
【第十三席 シエナ】
忠誠度:★★★★★[up!]
親密度:★★
恋愛度:★★★★★
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