第四話 ぐーたら女のやる気を出させようとしたのが間違いだった
最後に新しい王様のお世話をすることができて光栄です、と泣けるようなことを言って昨夜あれこれ尽くしてくれた定年間近の老女中は、陽が上ってもなかなか起きない俺を容赦なくシーツごとベッドから引っぺがした。
どうやら王様になっても、このあたりの扱いは実家にいた頃と大差ないらしい。
ざっと二十人は同時に座れそうな長食卓で一人きり、手の込みすぎな感もある朝食をとっていると、円卓騎士団次席騎士のリクサがやってきた。
昨日見た純白の鎧ではなく動きやすそうなパンツルックで、長い白銀の髪も後頭部でお団子にしている。
これはこれで実にアリだなと固ゆで卵を咀嚼しながら、まだぼんやりしている頭で考えた。
「おはようございます、ミレウス様。昨晩はよくお眠りになられたでしょうか」
「……おはよう、リクサ。まぁぼちぼちね」
朝は昔から弱い。
しかし特に今日は昨晩現れた先代のありがたいお言葉のせいで眠たかった。
本当は食事が済んだらもうひと寝入りしたいところだったが――これも実家と同様に、そんなことを許してくれそうな雰囲気は女中さんにもリクサにもなかった。
それに最後になってから言われた先代のあの警告。
表決を可決させてすぐに責務を聞きにいけと言っていたが、あの焦りようはそうしなかった場合のリスクを物語っていた。
のんきに二度寝をしている余裕はないのかもしれない。
「お食事がお済になったら、ご同行願いたいところがあるのですが」
「なんだろう。貴族たちへの挨拶回りとかかな」
「いえ、それはいずれあちらの方に王城へ参らせますので。……今日お願いしたいのは、もっと難儀なことでして」
王になってから嫌な予感というものを覚えすぎて、そろそろ慣れてきた。
どうせこれも予想通りか、それ以上に面倒なことだろう。
「分かった。行くよ。もう少し待っててくれ」
「……内容は聞かなくて、よろしいんでしょうか」
「聞いても変わるわけでもないし、後でいいよ。そうだ、リクサも一緒に食べる?」
朝食は済ませてきたのでと固辞されたが、俺が食べ終わるまで横で待っていてくれた。
それだけでも一人で食べていた時と比べれば、だいぶ気が楽だ。
そうだ。聖剣の力の解放条件のこともあるし、明日からは円卓の誰かを呼んで一緒に朝ごはんを食べることにしよう。
なにせ王様だからな。拒否は許さん。うん。
なお食後に料理長を呼んで、明日は好物のザリーフィッシュを食べたいと言ったら、そんな田舎くさい食材は王城にはないと遠まわしに言われ、拒否された。
☆
王城の中庭にある王侯貴族用の厩舎で、リクサは二つの物を渡してきた。
一つは細い銀色の留め金のない腕輪。
一つは使い古された黒い革袋。
どちらもそこらの雑貨屋に銀貨一枚で並んでそうな代物だが。
「これらは歴代の王の間で引き継がれてきたと言われる品です。昨日お貸しした手引書の中に記載されていたのですが、ご覧になられたでしょうか」
「いや、読んでない。何ページ?」
「二十五ページです」
開いてみるが。
「……読めない」
「私も解読に苦労しました。先代は何を思ってこんな難解な文章にしたのでしょうか」
文句を言われているぞ、フランさん。
「学がない可哀想な人なりに一生懸命やった結果なんだ。許してやってほしい」
「はい?」
「気にしないで」
リクサはきょとんとした顔をしてたが、それ以上は追求してこなかった。
先代と話した件はあの秘密に限らず、すべて黙っていたほうがいいだろう。
「腕輪の方は匿名希望という名で、着用すると姿を欺くことができます。相手によって見え方は違うのですが、警戒心を抱かない姿に映るようになるのです。また声や聖剣や鞘も別のものに偽装できます。王城や王都をお忍びでお歩きになりたい際にお使いください」
「おお、それは便利」
これからは一生、今までのような気楽な生活はできないのかなと思っていた。
しかしこれさえあれば、一人で遊びに出かけることも可能と。
「同じ円卓の騎士や魔力の強い者には見破られてしまうので、ご注意ください」
「それじゃあリクサに悪戯するのには使えないのか」
「……悪戯をなさりたいのであれば、お申し付けいただければいつでもお相手いたしますが」
相手をしてくれと頼んでからするのを悪戯とは言わない。
まぁ忘れた頃に何かを仕掛けよう。
「次に革袋の方ですが、こちらは財政出動と言います。望んだ貨幣を望んだ量だけ取り出すことができるとのこと。聖剣エンドッドの付属品であり、ミレウス様以外には悪用されませんのでご安心を」
……のぞ……望んだだけ……?
「一度お試しになってください。望む貨幣の形と数を思い描いて手を入れればいいと手引書にはありました」
革袋は手にした限り中に何かが入っているようではない。
硬貨を一枚思い描き、手を入れる。
するとすぐに手のひらに、冷たい小さな金属の感触が生まれた。
袋から取り出し確認してみる。
間違いなく、世界中で一般的に流通している勇者金貨だった。
「わー金銭感覚壊れるぅー」
夢のような品だが、どうせこれも何か裏があるのだろう。
「これ魔力か何かで偽造してるとかじゃないの」
「いえ、国庫から取り出してるそうです。なので正確には、国庫にある限り貨幣を取り出すことができる袋です」
「そんなもん俺に預けちゃっていいの!?」
「消費された分は特別予算として、後で計上されますので」
そういう問題ではない。
俺の自制心が試されている。
「これは必要なときがきたら使わせてもらうとして……。それで今日はどこ行くの」
「王都郊外の別荘地です。円卓会議を無断欠席した第十二席がいることが判明しましたので」
昨日のリクサの説明を思い出す。
円卓の騎士は十三人が定数。
ただし二人は今だ選定されておらず、三人は王都外に出張中、一人が行方不明で、サボりと病欠で二人が休みだと言っていた。
「表決を可決させるには、あと二人必要です。しかし王都を出払っている三人が帰還するのはだいぶ先。新たな席が埋まるのを待つわけにもいかない。とすると残りから引っ張ってくるしかないのですが、これがなかなか面倒な人物ばかりでして」
昨日、表決が否決された後に困りきった顔をしていたのはそういう理由か。
しかしヂャギーやナガレもだいぶ面倒だと思うが、まだ他に酷い人材がいるのか。
「第十二席は、私の言葉では恐らく腰を上げてくれません」
「俺にどうにかできるかな」
「ミレウス様ならば、必ずや」
その謎の信頼はどこから来るのだろう。
この人はすでにだいぶ強い忠誠心を抱いてくれているのだが、俺、なんかしただろうか。
記憶にないが、お調子者の端くれとして期待には応えたくなる。
先代にも警告と激励をされたし、やらねばなるまい。
「それでは参りましょう。馬を走らせれば、すぐのところです」
「あ。俺、馬乗れないんだけど、どうしよう」
【乗馬】は貴族と冒険者の嗜み。
昨日まで一般庶民だった俺には縁のないスキルである。
「ならば、私の後ろに」
従者が厩舎から牽いてきた黒鹿毛の立派な馬に軽々と跨ると、リクサは俺に手を差し伸べてきた。
「ふ、二人乗りなんて大丈夫かな」
「王都でも一、二を争う名馬ですから、ご安心を。匿名希望の着用をお忘れなく」
俺は忠告に従い腕輪をつけると、彼女の手と従者の手を借り、悪戦苦闘しながらも馬の背に乗った。
確かに大した馬だ。二人乗ってもビクともしない。
初めての馬上の視界は、思った以上に高かった。
「しっかりと腰にお掴まりください」
「う、うん」
今日のリクサは鎧を着ていない。だから腰に両腕を回すと、その引き締まった輪郭と暖かさがしっかり感じられた。
これはいい。もし【乗馬】のスキルを覚えることがあっても、乗れない振りをしよう。
王城を出るまでは速歩、王都の中では常歩で進んだ。
道中、こちらを好奇の眼差しで見てくる市民はいたが大きな騒ぎにはならない。
その対象から怪しまれないような姿に見えるというが、今の俺はどんな風に映ってるのだろうか。女性の後ろに男が乗っていればいくらか興味は持たれて当然ではある。
街中は王の誕生の翌日だからか、賑わっているように見えた。
修学旅行の日程では我が同級生たちは明日の朝まではこの街にいるはずだが、今頃どうしているだろう。聖剣を抜いた後アザレアさんに、そこであったことを引率の先生や学校の皆に伝えてくれるように頼んだのだが。
ともかく見知った顔は見つからず、王都の門を出るとリクサは馬の腹を強く脚で挟んだ。
「少し飛ばします。もっとしっかりお掴まりを」
馬は一気に襲歩まで加速する。
視界が揺れ、景色が流れる。
俺は振り落とされないように彼女の腰に回す腕に力を入れ、顔もそこに押し付けた。
けっして、やましい気持ちがあったわけではない。
☆
王都を出て半刻ほどすると、景色は一気に田舎めいて来た。
もっともちらほら民家や宿泊所らしきものは見かけるし、集落への入り口と思われる小道も現れる。俺の故郷と比べればまだまだ田舎レベルが足りない。
やがて小高い丘の上に金のかかってそうな屋敷が何件も立ち並んでいるのが見えてきた。あそこが目的の別荘地だろう。確かに王都の金持ちが好んで買いそうな、いい距離だ。
馬は丘の斜面を物ともせずに駆け上がる。
その先には鮮やかな瑠璃色の湖があり、別荘はその湖畔に建ち並んでいた。
これはいい。無限にお金が使えるようになったわけだし、あとで一軒買っておくか。
自制心がどうとかさっき考えていたような気がするが、もう忘れた。
「この屋敷のはずですが……」
リクサが馬を止めたのは、湖畔に建つ別荘群の中でも一際立派な第三文明期風の屋敷の前だった。高い塀で敷地が覆われ、中の様子は窺えない。
「あの、大丈夫ですか」
「だい、だいじょうぶらよ」
吐き気を我慢して話しているので、呂律が回らない。
まだ体が上下に揺れているような感覚がある。
「申し訳ありません、お加減が悪いとは」
「……先に用件つたえとひて」
俺はリクサを先に行かせると、朝ごはんを作ってくれた料理人たちに済まないと思いながら近くの木の根元に栄養素を与えた。平たく言えば吐瀉した。
馬の腹を挟み続けていた脚と尻も痛い。皮がめくれているのではないかと思った。
聖剣の鞘の絶対無敵の加護は、こういうのには対応してくれないらしい。
リクサは正門の脇の呼び鐘を鳴らし、出てきた執事らしき人物と二、三会話をした。
執事の方が何かゴネていたが、彼女に印章のようなものを見せられるとすぐに中に退散しようとした。その腕を掴み、リクサがこちらへ呼びかけてくる。
「会えるようです。……あの、本当に大丈夫ですか」
「心配ない。吐いたら凄くすっきりした」
これは本当のことで。
しっかりした足取りで、リクサと共に正門を抜ける。
執事が案内した……というか、させられたのは、湖の水を引いてきて作ったと思われる豪華なプールだった。
そのプールサイドに日除け傘とサマーベッドが置いてあり、そこに寝転がって日光浴をしている女性がいた。天気はいいが、さすがに季節が早いので水着ではなく、ラフなシャツとハーフパンツだ。年齢はリクサと俺の間くらいだろう。燃えるような赤い髪のポニーテールが印象的だった。
近づいていくと、声を掛ける前にこちらを向いた。
「あっれー? リクサじゃーん。どしたの、こんなところに」
「貴女を迎えにきたんですよ、ラヴィ。無断で王都の外に出るのは控えるようにと何度も伝えたでしょう」
「言われたかなぁ。記憶にないなぁ」
なんだか親近感を覚える言動である。
ラヴィと呼ばれた女性は余裕の表情で、脇のテープルに置いてある果汁飲料を口に含んだ。
「そんで、なんで来たの? 日光浴でもしてく?」
「今朝の新聞は読んでないんですか」
「活字嫌いだからねぇ。そういやそっちの男の子は? まさか彼氏?」
リクサは横目でこちらをちらりと見て、咳払いをしてから。
「ウィズランド王国六代目国王にして我らが円卓騎士団の団長、ミレウス・ブランド様です。昨日、ご即位なさいました。礼をなさい」
「……は?」
ラヴィは果汁飲料を口端から零し、俺の顔を疑わしげに見て声を上げる。
「え? ええ!? マジ!?」
「マジだよ」
俺が答えてやると、ラヴィはバランスを崩してサマーベッドからプールに落ち、盛大に水しぶきを上げた。
☆
結局ラヴィは執事に腕を掴まれ、引き上げられた。
なぜかリクサの方が謝ってくる。
「申し訳ありません、このような醜態をお見せして」
「いや、いいよ。ぜんぜんいい」
ずぶ濡れになったラヴィはシャツが張り付き、体のラインが丸出しになっている。
リクサほど凹凸がはっきりしているわけではないが、均整の取れたいい体だ。
俺の熱い視線など気にも留めず、ラヴィはリクサに不平の声を上げた。
「話が違うじゃん! 王様が生まれるのはもうちょい後だって話だったじゃん!」
「私も想定外でしたよ。手引書によれば前回も前々回も、他の円卓の騎士が揃ってから王が生まれたそうですから」
たぶんすでに何度もした話なのだろう。
期待薄げな顔でリクサは一応の説得を試みる。
「もうお分かりでしょうが、そろそろ真面目に働いてください。昨日も第一回の円卓会議があったんですよ」
「いやー! 嫌だ! 絶対にやだやだやだやだ! 私は一生働かずに遊んで暮らすの!」
ラヴィはその場で子供のようにじたばたと暴れて、ダダをこねる。
なるほど、これは面倒くさい。
円卓はなんだって、こんな人を選んだのか。
今はそれを考えても仕方がない。
とにかくまずは譲歩を引き出すために、交渉だ。
「働く、働かないかは別として、とりあえず円卓会議にだけ出てくれないかな。あと二人いないと、表決が可決できないんだ」
「そんなのアタシの知ったことじゃないし。票なら好きなほうに勝手に入れておいてよ」
「どうも委託はできないシステムみたいなんだよね。ほら、投票だけ、投票だけだから!」
我ながら気持ち悪いなと思う勢いで、ずいっと迫る。
ラヴィは一瞬気圧されたようだが、すぐにぷいっとそっぽを向いた。
「そんなこと言って、王都に連れ出したら首輪でもつけて無理にでも働かせる気でしょ」
まぁこの程度で連れて行けるなら、リクサも苦労はしない。
ラヴィは自身のポニーテールを絞って水を出しながら、リクサを目で指して愚痴った。
「だいたいさー。アタシは円卓の騎士になりたくてなったんじゃないんだよ。勝手にこの人に指名されたの」
指名というのはどういうことだろう。
円卓の騎士は円卓に選ばれてなるものだと聞いていたが。
リクサは腰に手を当て、小さい子供に言い聞かせるようにゆっくりと説く。
「でもその特権は享受してるでしょう。この屋敷も領地から徴収した税で購入したものでしょう。なら責任は果たさないと」
「与えられたものはもちろん使う。押し付けられたものは拒否する。当たり前のことじゃん」
うーん、なんだか、ラヴィの意見に賛成したくなってきたが。
リクサに聞く。
「円卓の騎士って辞退できないものなの?」
「システムとして席を放棄することはできません。席を占有したまま仕事をしないというのであれば、領地やその他の特権を没収するしかないかもしれません」
それを聞くと、ラヴィは急に弱気になった。
「べ、別に辞退したいとは言ってないじゃん」
特権を失うのは絶対に嫌なんだな……。
なるほど。どういう人間かだいたい分かった。
これならどうにかできそうだ。
ちらりとリクサの方をうかがい、ここは任せろとジェスチャーをする。
彼女が下がるのを確認すると、訝しむラヴィに顔を寄せて耳打ちをする。
「俺だって別に王様になりたくてなったんじゃないんだよ。修学旅行の真っ最中にうっかり同級生の前で聖剣引き抜いちゃったら、逃げられなくなっただけで。俺だって一生働かなくて済むならそうするよ」
警戒の色が濃かったラヴィの表情が緩む。
「旅行の途中でいきなり王城に拉致だよ。今日も本当は学校の皆と王都観光のはずだったのに。酷いと思わない?」
「思う。めっちゃ思う」
「実はこんなものを貰っていてね」
懐から黒い革袋――財政出動を取り出す。そこから金貨を十枚ほど出して見せると、ラヴィの顔がぱっと輝いた。
「これから王都で遊ぼうよ。君をその気にさせるためだって名目なら、リクサも納得するだろうからさ」
ラヴィがニヤリとほくそ笑む。悪い顔だ。
俺もたぶん似たような顔をしている。
「よし、決まった。とりあえず王都に行って話をすることになったよ」
後ろのリクサに教えてやると、信じられないという風に目を丸くした。
「さすがです、ミレウス様。テコでも動かないと思っていたのですが。どんな魔法をお使いに?」
「ちょっと誠意を持って説得しただけだよ」
お金という名の誠意だが。
嘘は今のところ一つもついていない。
ラヴィは楽しみな気持ちを抑えきれないのか、プールサイドで小躍りしている。
「えっへへへー。勘違いしないでよね! 別に働くわけじゃないからね! ちょっとお話するだけだからね!」
もちろんバリバリに働かせる気だ。
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【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★★★
親密度:
恋愛度:
【第十二席 ラヴィ】[new!]
忠誠度:
親密度:★
恋愛度:
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