第五十七話 天才魔術師をその気にさせたのが間違いだった
俺の説得を受け、ブータの心は揺れているように見えた。
あと一押しだ。
と、再び口を開きかけたところで、隣に来ていたヤルーに腕を叩かれた。
「やべえぞ、ミレちゃん!」
見ると、リクサとヂャギーがグウネズに押され始めていた。
二本の三叉槍が次々に、二人の体を捉える。
グウネズの動きは、先ほどまでとはまるで違っていた。
速度ではリクサを上回り、力ではヂャギーを超えていた。
これまでずっと、手を抜いていたのか?
いや、そうとは思えない。
殺戮兵器が、そんなことをするはずがない。
グウネズが豹変した理由は分からない。
とにかく、そこから先は、あっという間だった。
傷を負い、本来の動きができなくなった二人の体に、三叉槍の三本の穂先が深々と突き刺さる。
リクサは腹に、ヂャギーは肩に。
不死身とも思える耐久力を持つ二人だが、さすがに動きが止まる。
そこでグウネズは短い詠唱で魔術を完成させ、強烈な衝撃波を周囲に放った。
リクサとヂャギーは、なすすべもなく吹き飛ばされ、左右の民家に叩きつけられる。
ヂャギーがぶつかった方の壁は倒壊し、その巨体は瓦礫に埋まり見えなくなる。
一方リクサは頭を打ったのか、ぐったりと倒れたまま身動き一つしない。
二人とも、これで死んだとは思えない――いや、思いたくない。
だが今はそれ以前に、自分たちのことを考えなければならない。
邪魔者を排除し自由の身となったグウネズが、こちらに視線を向ける。
もう戦えるのは、三人しか残っていない。
「ヤルー! 何か手を隠してるなら今すぐ使え!」
「言われなくても分かってんよ!」
確かにヤルーは俺が命じる前に動きだしていた。
腰に提げた革袋の水を石畳にぶちまけ、魔導書――優良契約を開き、何かを召還しようと詠唱を始める。
だが、それが結実する前に、グウネズは複製の槍の投擲体勢に入っていた。
どんな威力だろうと、俺には効かない。
なので体を張って仲間の盾となるべきなのだが、かばうべき対象は二人いる。
欠片も逡巡することなく、俺はブータに覆いかぶさった。
好感度の問題ではない。
ヤルーなら自分の身くらい自分で守るだろうと思ったからだ。
だがそれは二択ではなく三択だった。
それも三番目の選択肢は選べない類の。
突如グウネズは、くるりと体を反転させ、通りの奥の方を向いた。
その先にいるのは大腿部から大量の血を流し、戦場から離脱しようと一生懸命に這いずっているラヴィ。
あと少しで脇の路地に、たどり着けるというところだった。
だが、いまだにそれしか進んでいないということは、負傷により【影歩き】が使えないということ。
ラヴィは自分が狙われていることに気づき、顔をひきつらせたが、どうすることもできない。
それはあまりにも突然のことで、俺もヤルーもブータも、ただグウネズの槍が放たれようとするのを見ているしかなかった。
助けは、意外なところからやってきた。
「歪め!!」
その女性の声は、ラヴィの目指す脇の路地から届いた。
先ほどブータが使ったのと同じ、《屈折》の魔術の呪文だ。
光が無秩序に屈折し、ラヴィの姿が無茶苦茶に歪む。
彼女の位置が変わったわけではない。
だが、不意を突かれたグウネズは、ほんの一瞬だけ投擲の手を遅らせていた。
脇の路地から伸びてきた四本の手がラヴィを掴み、中へと引っ張りこむ。
修道女服の袖が見えたから、エルとアールの手だろう。
ラヴィが寸前までいた場所の石畳に三叉槍が突き刺さり、粉々に砕け散ったのは、その直後だった。
まさに間一髪。
そこで、ヤルーの詠唱が完成した。
「契約に従い――自己責任で――我が呼び声に応えよ、海精霊!」
先ほどぶちまけた水の中から現れ出でるは、輝く虹色の鱗を持つ、美しい女性。
髪は海生軟体動物のような吸盤を持つ触腕。
瞼を持たぬ魚類の眼で、かつての宿敵を捉える。
攪拌と沈澱を司る、水の上位精霊。
海精霊である。
「頼むぜ! 敵はアイツだ! 俺は一人で最後まで戦えなんて言わねーけどな!」
ヤルーの指示を受け、海精霊はグウネズへと襲い掛かった。
高圧の水流を束ねた鞭のような触手をいくつも作り出し、憎き魔神を打ちつける。
彼女には二百年前、統一王の一行が撤退しきるまで、あのグウネズを足止めした実績がある。
しばらくは任せていいだろう。
ラヴィが引っ張り込まれた脇の路地。
その奥へと逃げていくいくつかの足音と共に、声援が届く。
「ミレウスくん! お師匠様! がんばって!」
先ほど《屈折》の魔術を唱えたのと同じ。
アザレアさんの声だ。
その声援を聞いてブータの顔が露骨に綻ぶのを、俺は見逃さなかった。
やはり、この子はそういう子なのだ。
「見るんだ、ブータ!」
《覗き見》の魔術を唱え、宙に姿見を出現させる。
そこに映し出されるのは街の各所で『影』と戦う、後援者たちの姿。
激しい戦闘音と共に、彼らの声も聞こえてきた。
☆
大通りで、全身鎧を身につけた騎士たちが『影』の大軍と戦っている。
率いているのは諸侯騎士団の先の高位将軍、コーンウォール公エドワード。
六十を超える年齢を感じさせぬ覇気のある声が、通りの隅から隅まで響き渡る。
「あと少しだ! 持ちこたえよ!」
近くの民家の屋根から強襲してくる『影』を、エドワードは白く輝く直剣で真っ二つにした。
彼もリクサと同じく、始祖勇者の血を受け継ぐ者。
その強さは折り紙つきだった。
配下の騎士たちもまた、精鋭揃いである。
一人として弱音を吐くものはおらず、統率の取れた動きで無数の『影』を食い止めている。
「ミレウス王と円卓の騎士に剣を捧げよ! 二百年に渡り、いくつもの厄災を退けてきた最強の騎士団に!」
エドワードの鼓舞に呼応して、騎士たちは揃って勇ましい声を上げた。
狭い路地の奥で、傭兵のパーティが一体の『影』と戦っている。
リーダーは傭兵ギルドの幹部であるイライザだ。
ボウガンに矢をつがえながら、仲間たちに発破をかけている。
「ほらほら! もらうもんもらってるんだから、きりきり働きなさい!」
一体の『影』の強さは、おおよそ下位魔神に相当するという。
つまり並のパーティでは簡単に全滅させられるレベルということだが、今回イライザが召集した傭兵は手だればかり。
積まれた樽や木箱をなぎ倒して暴れまわる『影』に対し、怯むことなく、連携して攻撃を叩きこむ。
そこに絶妙なタイミングで放たれる、ボウガンによる追い討ち。
額に致命的な矢を受けた『影』は、どろどろと溶け落ちる。
やはりイライザも、幹部の名に恥じぬ腕前のようである。
次は二匹、『影』が路地へとやってきた。
傭兵たちは一息つく間もなく、再び戦闘に突入する。
「もうすぐ王様と円卓の騎士の人らが決着つけてくれるはずだから! それまで踏ん張りなさい!」
イライザの奮起を促す声に、百戦錬磨の傭兵たちは威勢よく吼えて答えた。
薄暗い地下の下水道で、盗賊たちが戦っている。
指揮をしているのは、盗賊ギルド幹部のスチュアート。
下水道の出口を目指す『影』の群れを、部下たちを巧みに操り、防いでいる。
「よーし、お前らそのまま押さえ込んでおけよ。外に出られると厄介だからな」
盗賊ギルドに任せたこの戦場は、最も過酷で危険なものだった。
よそからの援護は期待できず、輝石の放つ僅かな光の中、【暗視】を持つ『影』を相手にしなければならない。
だが、そこは裏社会で生き抜いてきた曲者たち。
押さず、引かず、無理もせず。
あらゆる手段を用いて上手く時間を稼いでいた。
スチュアートは機嫌よさそうに笑うと、投げナイフを数本取り出し、ほとんど狙いをつける様子も見せずに投擲する。
それらは面白いように『影』の体に突き刺さり、その動きを止めた。
情報屋の元締めなのだが、戦闘面も一流らしい。
「チューッチュッチュ! あと少しだ、陛下を信じな! あの方も円卓の騎士の連中も、やるときゃあやる。俺の目利きだ、間違いねえよ!」
自信ありげなスチュアートの言葉に、盗賊たちは黙したまま笑みを浮かべることで答えた。
商店の屋根の上で、魔術師たちが戦っている。
壁を登ってくる『影』を相手にすることもあるが、主な任務は他の後援者たちの援護だった。
時には補助魔術をかけ、時には攻撃魔術を飛ばし、全体の戦況を優位に導こうと奮闘している。
それを束ねているのは魔術師ギルドの才媛、ネフだった。
まだ俺と同じくらいの歳でありながら、その采配は実に堂々としたものである。
「第六区画に増援! パターンB! プライオリティ高いから、急いでコミットして!」
専門用語か何かなのか。
指示の内容は俺にはよく分からなかったが、配下の魔術師たちには伝わるらしく、てきぱきとそれに答えて行動している。
と、ネフは突然、視線を上げた。
まるで姿見から覗いている俺たちに気がついたかのように視線が合う――いや、どうやら本当にそうらしい。
彼女は、ふっと笑うと、ぱちりと片目を閉じた。
「信じてますわよ! ミレウス陛下、ブータさん!」
その言葉で、周りの魔術師たちも気づいたらしい。
俺たちに向けて、次々に声援を飛ばしてきた。
☆
ブータは確かにプレッシャーに弱いのかもしれない。
だが、みんなの期待に応えるため、それを克服するだけの勇気を持っている。
同じお調子者の端くれである俺には、それが分かる。
これは完全な想像だけども。
かつて近隣の村を襲おうとしていた上位魔神を《存在否定》で消し飛ばしたというときも、村人たちの期待――声援を受けて、やる気になったのではなかろうか。
彼の小さな両肩を再び掴んで、言い聞かせる。
「ブータ。みんなが俺たちに期待している。俺たちが、この国を救ってくれると信じている。俺はそれに応えてやりたい。……一緒にやってくれるか?」
プレッシャーはかけず、期待はかける。
そんな言い方を心がける。
少しおおげさ過ぎたかもしれないが。
気づけば、ブータの体はぶるぶると震えていた。
だが、それは恐れのためではないらしい。
前に彼を魔術の暴発から助けようとしたときと同じ顔をしている。
どうやら感激しているらしい。
彼は嗚咽を漏らしながら、鼻水と涙をローブの袖でぬぐう。
その後、見せたのは満面の笑みだった。
「やります! やりますよぉ! ミレウス陛下ぁ!」
「……よぉし! よく言った!」
みんなが命を賭けて戦ってる中で、いけないとは思うが、俺も自然と笑みをこぼしてしまった。
彼の首に腕を回し、その頭を撫で回す。
あとは《存在否定》を成功させ、それが効くのを祈るだけ。
ここまで海精霊はグウネズを、よく食い止めてくれていた。
だが生息領域でないため全力を発揮できないのか、限界が見えてきている。
究極難易度魔術を詠唱しきるだけの時間を持たせられるとは思えない。
信頼に足る、二人の戦士の名を呼ぶ。
「リクサ! ヂャギー!」
左では剣を杖に血まみれのリクサが立ち上がり、右では瓦礫を吹き飛ばしヂャギーが姿を現す。
「時間を稼いでくれ! 少しだけでいい! 俺たちの詠唱が終わるまで持たせてくれ!」
「はっ!」
即答したのはリクサだった。
「勇者特権全開で行きます! 全力ではなく、全開で!」
始祖勇者が世界から与えられたという、数々の超常能力。
それはその末裔である彼女にも受け継がれている。
その力をすべて開放したのだろう。
彼女の全身から白とも黄色ともつかぬオーラが湯気のように立ち上り、受けていた傷があっという間にふさがっていく。
「効果が切れた時点で気絶しますが――ミレウス様と、ブータを信じます!」
あのアスカラと戦ったときでさえ見せなかった姿だ。
恐らく長くは持つまい。
一方、ヂャギーは愛用の斧槍を手に、天に届けとばかりに声を張り上げた。
「オイラは! みーくんと、ぶーくんを守るよ!」
【宣誓】。
勇者信仰会の本部から『純戦士』の称号を授けられたことで使えるようになった専用特殊スキルだ。
その効果は聖剣の鞘の絶対無敵の加護と似ているが、より直接的なもの。
『宣言した行動を継続している限り、絶対に死なない』という、不死のスキルだ。
これも効果時間は短いという。
「下がれ、海精霊!」
三叉槍に貫かれ、消滅しかけた海精霊に、ヤルーが命じる。
口惜しそうに後退してくる彼女と入れ替わるようにして、リクサとヂャギーが再びグウネズに挑む。
最後の激闘が始まる。
ブータは長い詠唱に備え、大きく深呼吸をした。
俺もそれに合わせて息を整える。
この戦いの結果も。
この国の命運も。
すべて、この一つの魔術にかかっている。