第五十六話 即死の呪いを受けたのが間違いだった
噴水の中央で優雅に佇む精霊姫オフィーリアの彫像。
それを背にして、グウネズは空いている右手を、すっと上げた。
鋭利な爪の生えた人差し指で俺を指し、ぶつぶつと何事かを呟き始める。
すぐに、ブータが飛び上がって叫んだ。
それも先ほど《大火球》の詠唱を聞いたとき以上の慌てぶりで。
「ら、《即死の呪い》です! ぼ、僕も使えないんで、たぶんですけどぉ!」
ブータが口にしたのは、最も有名で、最も強力とされる魔術の名だった。
ただし現在、ウィズランド島にそれが使える術者はいない。
効果は、その名が示しているとおり。
抵抗に失敗すれば即座に命を落とす、恐ろしい術だ。
みんな、それぞれの持てる手段で、呪文の完成を妨げようと動きだす。
だが当の俺は微動だにしなかった。
「動じるな!」
無意識のうちに、自分でもびっくりするくらいの声を出していた。
みんなが驚いたような顔を向けてくる。
自分の命の危機だというのに、なぜ、そんなことを言ったのか。
ややあってから気付いたが。
「……大丈夫だ。俺は死なない。それより、この時間を建て直しに使うんだ!」
ここでグウネズの呪文を止めても、勝利に近づくわけではない。
それよりも敵が一手、無駄な行動をしたと考え、その時間を有効活用するべきだ。
指示を受けて、みんなは補助魔法のかけなおしや、傷の治療を行う。
俺はその間、次に打てる手はないかと頭をフル回転させていた。
この難局。
王都近郊の地上絵でアスカラと戦った時と、よく似ている。
あの時も、切り札だと考えていた攻撃が通じず、絶望しかけていた。
それを乗り越えられたのは、魔術師マーリアの言葉を思い出し、聖剣に秘められた力、【超大物殺しの必殺剣】を習得できたからだが、今度はそれすら通用しない相手だ。
『魔神や天聖機械を、それを倒せる人材がいる未来まで飛ばした』
そう、あのマーリアの言葉を信じるならば俺たち円卓の騎士は、このグウネズも倒せるはずなのだ。
でなければ、こいつはこの時代に飛ばされてはこない。
だから一見打つ手がないように思えても、必ず何か方法はあるはずなのだ。
そう結論付け、右手に握る、十二の刃を持つ剣を見やる。
鍵となるのは、やはりこの聖剣――エンドッドだろう。
これの使い方は、必要になったときに自ずと分かる。
便利なんだか、不便なんだかよく分からない仕組みだが、これに【超大物殺しの必殺剣】以外の切り札が隠されているとしか思えない。
「あるはずだ……絶対に」
誰にも聞かれないくらいの声で、一人ごちる。
まだ隠してる力があるというのなら。
必要になったときに分かるというのなら。
今、この場で教えてくれ!
心の中で、そう強く念じる。
すると、ある出来事が、頭の中で鮮明に想起された。
この街へやってくる寸前に起きた、何の意味があるのかまったく分からなかった、あの出来事が。
「……そういうことなのか?」
唖然として呻き、聖剣を見つめる。
あれは、そういう意味があったのか?
打つ手はある。
それに気づいた、まさにその時、グウネズの詠唱が唐突に終わった。
無意味と分かってはいたが、思わず身構えてしまう。
だが結局《即死の呪い》は、なんの効果も及ぼさなかった。
期待通り、聖剣の鞘が跳ね除けてくれたらしい。
安堵の空気が俺たちの間で広がる。
そこを突かれた。
噴水の水の上で、グウネズがさらに何かを唱えたかと思うと、その足元から一抱えほどはある水柱が何本も立ち上る。
それは噴水に勢いよく叩きつけられ、砕け散り、微細な霧へと変化した。
視界の前面が真っ白になり、グウネズの姿を見失う。
これに乗じて攻めてくるつもりか。
敵の位置を探るため、ラヴィから【気配感知】を借りた、その直後。
霧の中から恐ろしい速度で何かが飛び出し、俺の頭上を越えていった。
咄嗟に目で追う。
それはグウネズの三叉槍の複製。
向かう先は、民家の三角屋根の上。そこに立つナガレのところ。
彼女は銃に何かを装填しているところだったが、そうでなくても回避行動が取れたとは思えない。
槍は無防備な彼女の胸に突き刺さった。
少なくとも俺には、そう見えた。
自分の血の気がさっと引いていくのが分かる。
屋根の向こう側に落下したのか、ナガレの姿は見えなくなった。
「シエナ! ヤルー!」
二人とも名を呼んだだけで、俺が指示しようとしたことを汲み取ってくれた。
シエナはナガレの安否確認と治療に走り、ヤルーは風精霊に命じて突風を起こし、霧を晴らした。
露になった噴水広場は、無残にも半壊していた。
そこにグウネズの姿はない。
代わりに広場から南へ伸びる通りの一つに、あの魔神の背が見えた。
四本足の獣のような走り方で、逃げていく。
ナガレへの攻撃は、俺たちの注意を引き付けるためのものだったのか。
「追うんだ!」
指示を出すまでもなく、みんな動きだしていた。
歯噛みしながら、俺も走る。
グウネズの採った行動は、寒気がするほど現実的だった。
物理攻撃は無効。魔術は《即死の呪い》すら跳ね除ける。
あちらからすれば、俺はあらゆる攻撃が効かない化け物だ。
そりゃ逃げる。戦闘を継続する意味がない。
事前にもっと考えていれば、予測できたことだった。
グウネズは南港湾都市の入り組んだ街並みを、南へ、南へと進んだ。
途中、後援者たちと『影』が戦っている横を幾度も通りすぎる。
だがヤツはそれには目もくれない。
時を告げる卵が映し出していた領域を覆っている大結界。
そこから脱出を図るつもりなのだろう。
大結界は『影』には破壊されない程度の強度はあるが、先ほどのシエナの《完獄》と比べれば格段に落ちる。
グウネズ本体の攻撃に耐えられるとは思えない。
大結界の南端の向こうは、すぐに海だ。
グウネズは水の上も移動できる。
海上まで逃げられたら、もう追いつけない。
そしてここで逃がしてしまえば、次からはどこに現れるかまったく分からなくなる。
統一戦争期にそうしたように、神出鬼没にウィズランド島の各都市を蹂躙していくことだろう。
それだけは絶対に防がなくてはならない。
が、しかし。
それ以前に、憂慮すべき問題があることに気がついた。
いち早く、そのことに思い至ったヤルーが伝達石で、グウネズが向かう先にいる後援者たちに逃げるよう警告する。
だが、間に合いそうもなかった。
グウネズに遅れること、数秒。
最後の角を曲がる。
狭い通りの先に、結界の南端が見えた。
その手前は小さな広場になっており、そこに白い天幕がいくつも設営されている。
医療本部だ。
勇者信仰会の後援者、美人修道女二人組のエルとアールが、群がる『影』を相手に巨大な槌で応戦している。
その奥ではアールディア教のヌヤ前最高司祭が結界を張って、天幕に『影』が近づくのを防いでいる。
懸命に怪我人の手当てを行うアザレアさんの姿も見えた。
グウネズが到達するまで、もう幾ばくもない。
少しでも距離を詰めようとラヴィの【影歩き】を使おうとする。
だが、発動しない。
スキルのレンタルは好感度のうち、王と部下としての関係のもの――忠誠度を消費して発動する。
すでに今日の分は使い果たしてしまったのか。
残念なことにラヴィの忠誠度はそれほど高くない。
あいつがもっと俺を敬ってくれていれば、と心の中で自分勝手な悪態をついた、そのとき。
脇の小路からグウネズの前に飛び出してきた人物がいた。
そのラヴィである。
霧の中から逃げだすグウネズに【気配感知】で俺より先に気付き、その逃亡先を予測して、裏道から先回りしていたのか。
「ラヴィ! 無茶はするな!」
命じるが、どうやら聞き入れてくれる気はないらしい。
魔神殺しを片手に、果敢にもグウネズの前に立ちふさがる。
三叉槍による波状攻撃がラヴィを襲う。
彼女はそれを人間離れした体捌きで回避しながら、間合いを詰めていった。
「ここで! やらなきゃ! 領主! 失格でしょ!」
攻撃を一つ躱して前に進むたび、誰にともなく叫ぶ。
そこから、さらに信じがたい動きを彼女は見せた。
グウネズが突き出した三叉槍を踏み台にして跳躍すると、ヤツの左の眼球に魔神殺しを突き立てたのだ。
痛覚はあるのか、グウネズがおぞましい叫び声を上げる。
だが、それと同時に空いている方の手で、ラヴィの右足を掴んでいた。
「やっば……!」
焦りの声を出した彼女の大腿部に、五本の爪が突き立つ。
グウネズが骨と肉を握りつぶすように力を込めたのと、ラヴィの体が【影歩き】で消失したのは、ほぼ同時だった。
彼女の再出現先は、通りのいくらか奥の方。
すぐにごろごろと転がって、さらに距離を取る。
一方グウネズはそれを追撃せず、左目に刺さった魔神殺しを抜こうとした。
だが、付与された魔力が邪魔をするのか、びくともしない。
そこで、リクサとヂャギーが追いついた。
グウネズは魔神殺しを外すのを諦め、三叉槍の複製を作り、再び二人との近接戦に突入した。
ラヴィのおかげで、どうにか最悪の事態は回避できた。
彼女はグウネズに握りつぶされかけた右足を押さえながら、引きつった笑顔でこちらに親指を立ててくる。
即座に命にかかわるわけではなさそうだったが、爪で動脈を破壊されたのか出血の量が凄まじく、立ち上がることは難しそうに見えた。
治療をしてやりたい。
だがシエナはいないし、俺も今はいけない。
体格が小さい分、走るのが遅いブータがようやく追いついてきた。
俺の隣で止まり、息を整える彼に、頼み込む。
「ブータ。《存在否定》を使ってくれ。もうそれしかアイツを倒す手立てはない」
「え……ええ!? 無理ですよぉ! 絶対、魔法抵抗が抜けませんって! これまでに使った魔術は全部、抵抗されたじゃないですか!」
そう答えるだろうとは思っていた。
ここまでグウネズに対してまともに機能したのは、周囲の空間にかけるタイプであるため、魔法抵抗に関係なく効果を発揮する《屈折》の魔術のみ。
だが俺には勝算があった。
「全力で効果拡大してくれ。終わったら、もう何も唱えられなくなるってくらいの全力で」
「こ、これまでの感触から言って、僕の魔力全部使っても百回に1回くらいしか成功しませんよ!? それでもやれって仰るんですか!?」
俺が黙って頷くと、ブータは白目を剥き、泡を吹いて倒れそうになった。
すんでのところで抱き止めて、頬を叩き、目を覚まさせる。
「俺が力を貸してやる。思い出せ、ブータ。聖剣の力を解析してもらったとき、キミはなんて言った? 『面白そうなことが分かった』って言ったよな?」
ヤルーを聖剣の力で召還して、統一王の沈没船を探しにいった、あの日のことだ。
ブータはすぐにぴんとはこなかったのか、視線をきょろきょろ動かしながら自分の記憶と格闘していたが、やがて小さく声を漏らした。
「あ……!」
どうやら思い出せたらしい。
そう、あのとき、ブータはこう言ったのだ。
『技能拡張の力がこめられているような気がする』と。
「俺の職は単独限定の特別職、[極王]。レベルは『2』だ。俺たちがこの街へ来る寸前……ブータが王都に戻ってくる、ほんの少し前にレベルアップしたんだ。勇者信仰会で調べてもらったけど、レベルが上がったことで何が変わったのかは分からなかった。でもついさっき、気がついたんだ」
聖剣エンドッドを、ブータに見せる。
その剣身が、うっすらと輝いているように見えるのは、先ほど俺がレベル『2』の力に気づき、聖剣自体も成長したからだ。
「[極王]はレベル『2』になると、技能拡張の効果があるスキルを覚えるんだ。円卓の騎士と同期して、その人が使うスキルの力を何倍にも高めるスキルを」
スキルという言葉が出過ぎて、なんだかよく分からなくなりそうだったが。
これも、【超大物殺しの必殺剣】と同じく、恋愛度を消費して使うスキルだ。
原理としては、その人物が未来で使う同一のスキルを前借りし、費やした恋愛度の回数分だけ重ねがけするような、そんなイメージ。
今回で言えば、ブータが将来使う《存在否定》をいくつも借りてきて、これから唱えるものと重ねて放つことになる。
これなら、グウネズの魔法抵抗を抜ける可能性も、十分あるはずだった。
しかしブータはなおも自信なさげに、首を横に振る。
「で、でも、やっぱり無理ですよぉ! 《存在否定》みたいな長い呪文、きちんと唱えられるわけないです!」
例の、噛み癖の件だろう。
プレッシャーのかかる場面だと、詠唱の大事なところで噛んで暴発させてしまう、彼の悪癖。
「もしも《存在否定》を暴発させてしまったら、この辺一帯が消し飛びます! 危険すぎますよぉ!」
どうしてもやりたくないのかリスクを力説してくるが、そんなことは俺は百も承知の上だった。
「ここでアイツを逃したら、国が滅ぶんだから同じことだ! アイツを! 今ここで倒すしかないんだよ、ブータ!」
コロポークルの少年の小さな両肩を掴み、強く揺さぶる。
怒りでもない。焦りでもない。
激励の気持ちで、声を張り上げる。
「失敗したっていい! もし、それでお前を責めるやつがいたら、俺が全員ぶっとばしてやる!」
まぁその時には俺も《存在否定》で消し飛んでるかもしれないけれど。
その気持ちに偽りはなかった。