第五十五話 超大物殺しに頼ったのが間違いだった
リクサが白く発光する直剣で目にもとまらぬ連撃を繰り出し、ヂャギーが身の丈ほどはある長大な斧槍で渾身の一撃を放つ。
過去にも、こんな風に肩を並べて戦うことがあったのだろう。
スタイルはまったく異なるが、息のあった連携だった。
だが魔神将グウネズはそれを、左右の手に握った三叉槍で、いとも簡単に捌いてみせた。
続く二人の猛攻も、余裕さえ見せながら、いなしていく。
それは、にわかには信じがたい光景であった。
リクサとヂャギー。
この二人がウィズランド王国最強の前衛職であることは、疑いようがない。
それが二対一で、こうも簡単にあしらわれるとは、さすがに想定していなかった。
「不味いな……」
後ろに回りこんだはいいものの、俺はそこから動き出せずにいた。
前方の二人と戦い続けているにも関わらず、魔神の背には欠片の隙すら見つからない。
三叉槍の射程に入った瞬間に、胴体を刺し貫かれる映像が脳裏をよぎる。
覚悟はできている――そのつもりでいた。
聖剣の鞘の加護で守られていることも、自覚はしている。
だが、足を踏み出す勇気をなかなか持てずにいた。
そんな俺を尻目に、グウネズの後ろに回り込んでいた、もう一人、ラヴィが先に動いた。
体勢を低くし地面すれすれを走っていくと、あと数歩というところで忽然と姿を消し、そしてグウネズのすぐそばに現れる。
[怪盗]の奥義。
障害物さえ無視するという短距離高速移動、【影歩き】である。
ラヴィは金貨十万枚の短剣、魔神殺しを逆手に構えてグウネズに飛び掛かり、その頭部を狙った。
確実に決まる状況だった。人間相手ならば、だが。
敵は魔神。
それもその最高位に位置する化け物である。
グウネズは二本の三叉槍でリクサとヂャギーの武器を弾き、二人を仰け反らせると、振り返ることもなく槍の石突き――穂先の逆側を、空中にいるラヴィに向けて突き出した。
この魔神の得物の石突きは、穂先と同じく鋭利な刃物になっている。
「げぇ!」
ラヴィは悲鳴を上げながら身をよじるが、避け切れない。
肩口に石突きが刺さり、血しぶきが派手に上がった。
転倒する彼女に、グウネズが追撃の刺突を見舞う。
だがそれは【影歩き】で距離を取ることで、どうにか回避した。
負傷した肩を押さえながらバックステップでさらに後退し、俺のところまで戻ってくる。
リクサとヂャギーが攻撃を再開して再び敵対心を取ったため、グウネズはこちらへ追ってはこなかった。
「くっそー! なんなのアレ! 後ろに目でもついてんの!?」
片膝を突き、毒づくラヴィ。
血を失い顔色が悪くなってはいるが、まだ戦意は喪失していないようだ。
傷の様子を見ようと、彼女のそばに屈みこむ。
そこで、近くの民家の屋根の上からナガレの声が届いた。
「後ろだ! ミレウス!」
警告に反応し、振り返る。
そこに立っていたのは一体の『影』。
今まさに三叉槍を、俺とラヴィに向けて突き出そうとしているところだった。
聖剣エンドッドの柄に手をかける。
だがその前に、乾いた破裂音があたりに響き、『影』の頭部が、ちぎれるようにして弾け飛んだ。
これは前にも見たことがある。
ナガレの武器、拳銃による攻撃だ。
『影』は頭部を失いながら、なおも槍を片手に獲物を探し求めていたが、さらに数発の銃撃を受けてようやく動きを止めた。
その漆黒の肉体は、どろどろと溶け落ち、本来の意味での影のような地面の染みになると、すっと地面を這っていきグウネズ本体に吸収された。
よく見れば、時折同じような黒い影がどこかからやってきて、グウネズに吸い込まれている。
後援者たちとの戦闘で破壊された『影』が、本体に戻って再生しているのだろう。
海精霊によれば、再生が終わると元の場所に再出現するらしいが。
「ぐずぐずしてんじゃねえよ、ミレウス! これ以上、長引くとヤベェぞ!」
焦りを含んだ声で、ナガレが怒鳴りつけてくる。
彼女のところからだと、後援者たちの戦況も見えるのだろう。
そうだ。俺たちが本体を倒さない限り、みんなの戦いも終わらない。
裏返せば、みんな、俺たちが本体を倒すとを信じて『影』と戦っているとも言える。
その期待を、王である俺が裏切っていいはずがない。
シエナの《治癒魔法》を借りてラヴィの傷を治療してやると、立ち上がり、今なお激戦を続けるグウネズたちを見やる。
大丈夫だ。
俺は死なない。
心の中で、何度もそう自分に言い聞かせ、恐怖を克服する。
「打ち合わせどおり俺が行くから。無理せず、援護を頼む」
ラヴィの耳元で囁くと、彼女は小ぶりのナイフを数本取り出し、頷いた。
そこに、こちらの動きを見てとったのか、ヤルーがグウネズ越しに声をかけてくる。
「ミレちゃん、合わせろ!」
その意図するところを理解し、俺は彼に目配せで応えた。
そして先ほどのラヴィのように、敵に向かって走っていく。
ヤルーが召喚した半透明の蚯蚓のような群体――土精霊が、グウネズの足に絡みつく。
さらにブータが単詠唱で《光の網》を飛ばし、ラヴィが投げナイフを投擲、ナガレが銃を連射する。
そのどれもが効果を発揮しない。
土精霊と《光の網》は魔法抵抗を抜けなかったのか、グウネズが軽く槍を振るっただけで即座に消失したし、ナイフも銃弾も硬い皮膚に弾かれ、かすり傷すらつけることはできなかった。
だが、一瞬だけグウネズの注意がそちらへ向いた。
俺にはそれで十分だった。
ラヴィの【影歩き】を借り、最後の距離を詰める。
グウネズは先ほどと同じように、前方の二人の体勢を崩すと、こちらへと向き直った。
俺の動きは、ラヴィよりも遅い。
その分、対応する時間があったということなのだろうが、そこも計算済みだった。
グウネズの三叉槍が、恐ろしい速さで迫り来る。
しかし、もとより俺に躱す気などない。
刺し違えるようにして、聖剣エンドッドで斬りつける。
グウネズの槍の三本の穂先は、俺の腹に刺さる寸前で、ぴたりと止まった。
聖剣の鞘の絶対無敵の加護が発動したのだ。
攻撃が完全に無効化されたことに驚いたのか否かは、グウネズの面のような顔からは窺い知れない。
一方、俺の聖剣もグウネズに僅かな傷もつけることができず、その漆黒の皮膚の上を滑っていた。
もっともそれも予定どおり。
俺の今の斬撃は、未来のある点へと飛ばしてある。
聖剣エンドッドの奥義、【超大物殺しの必殺剣】の仕込みは、問題なく始動した。
「シエナ、頼む!」
呼びかけると、グウネズの向こうにいた彼女は、両膝を地面につき手を組んで、祈るように長い呪文を唱え始めた。
ヌヤ前最高司祭から伝授された、新魔法の詠唱だ。
【超大物殺しの必殺剣】は、最初の一撃を入れたときに設定した時間までに、攻撃を何回加えたかで威力が変わる。
決戦級天聖機械のアスカラは、十三回で倒すことができた。
リクサの【剣閃】を、ほぼ無傷で耐えたところから予測するに、こいつにもそれと同等か、それ以上の回数は叩きこまなければならないはず。
あとは発動時間までに、それができるか、だが。
グウネズからすれば前から二人、後ろから一人に挟撃されるというこの状況。
さすがにその全てを捌くことはできず、しばしばこちらの攻撃が当たるようになる。
リクサやヂャギーの攻撃力はさすがの一言で、グウネズの強固な肉体にもしっかりと手傷を負わせていた。
もっとも魔神は再生力も凄まじく、見る間に傷が塞がってしまうのだが、それで問題はなかった。
ここで肝要なのは、俺のまったく効かない攻撃を通すこと。
ほかは、あくまで囮である。
ヤルーが風精霊を周囲を舞わせて撹乱し、ブータが《屈折》の魔術でグウネズの視界を歪ませる。
ラヴィとナガレが近づく『影』を掃討し、本体と集中して戦える環境を維持してくれる。
そんな中、俺は三回、四回、五回と、聖剣を命中させた回数を数えていた。
いける。
そう、確信し始める。
それは、みんなも同じだったのだろう。
勝利に近づきつつある。そんな雰囲気が漂い始めていた。
もちろんそれで攻撃の手を緩めるような者はいないのだが。
グウネズが突如として、動きを変えたのはその時だった。
それまで軽視していた俺の攻撃を、身をよじって避けたのだ。
偶然かとも思った。
だが、続く攻撃もまた、上半身を反らして回避された。
次も、その次も、武器で受けることもなく、避けられる。
動揺し、心臓が跳ねた。
それを見てとったかのように、グウネズの口端が上がったかのようにも見えた。
それは錯覚だったのかもしれないが。
いずれにせよ、俺の攻撃を完全に避けるようになったのは確かだった。
代わりに、リクサやヂャギーの攻撃を多く受けるようになるが、再生力を上回る深手を負わせられるわけではないので意味はない。
何故だ?
何故、グウネズは突然動きを変えた?
焦りながら、思案する。
考えられる可能性は一つだけ。
俺の効かない攻撃こそが本命であると、悟られたのだ。
悟られたのは何故か、と連鎖的に疑問が浮かぶが、相手と意思疎通ができない以上、その正確な答えは分からない。
だが強いて推測するならば、俺たちの気の緩みを感じ取り――こちらが何かを密かに狙っていて、それが成就しつつある――と推理したのかもしれない。
その密かな狙いの鍵が俺の攻撃であることを当てたのは、恐ろしい洞察力の為せる業というほかないが、それが何を引き起こすかまで分かったわけではないと思う。
ただ、計算は確実に狂い始めていた。
疲労が溜まり、俺たちの動きが鈍くなる一方、二本の三叉槍を操るグウネズの動きは淀みなく、その体力は底なしのように思えた。
俺の攻撃を通すための糸口は、一向に見つからない。
一度始動させた【超大物殺しの必殺剣】は、止めることができない。
発動までの時間は最長に設定してあるが、もう猶予はそれほど残されていない。
俺はなりふり構わず、捨て身で攻撃を当てに行く。
幾度も三叉槍で反撃を喰らうが、即座にダメージが反映されるわけではない。
未来で酷い目に合うのは間違いないが、それと引き換えに、どうにか追加でもう数回、聖剣を当てることができた。
しかしここで、【超大物殺しの必殺剣】の発動時間まであと少しとなってしまった。
シエナの呪文も、もう残り僅か。
これ以上は粘れない。
リクサとヂャギー、そして俺の三人はタイミングを合わせて、その場から飛びのいた。
誰を追撃するべきか迷ったのか。
グウネズの動きが、ほんの僅かの間だが止まる。
それをシエナは見逃さなかった。
「慈悲深き、森の女神よ。その怒りの御手をもって、我が敵に束縛を与えたまえ!!」
詠唱の完成と共に、通りの横幅ほどの直径を持つ、球形の結界が構築される。
それは見事にグウネズを中に閉じ込めていた。
《完獄》。
消費魔力は莫大で、詠唱時間は長く、それでいて持続時間は短い。
だがアールディア教の神聖魔法で形成される結界の中では、最も高い強度を持つ。
逃れようとグウネズが三叉槍で刺突を放つが、貫くことはできない。
ぎりぎりまで粘ったためか、それほど間を置かず、その時は来た。
結界の中から眼が眩むような光が溢れ始め、グウネズを飲み込む。
本来ならば、巨大な爆発跡を残すような大爆発が、結界の中で起きている。
音が漏れてこないためか、その光景はどこか非現実的なものだった。
グウネズを斬りつけることができたのは、七回か八回か。
明らかに足りないが、結界で覆った副次的な効果として、爆発の威力はいくらかではあるが高まっているはずだ。
倒れてくれ。
そう願いながら、俺は仲間達と共に爆発がおさまるのを待った。
それは、それほど長くは掛からなかった。
結界の持続時間が終わり消失すると、その内側だった場所から凄まじい強風が吹いた。
大量の煙が全方位に流れて行く。
俺はその向こうに、直立する人型の影を見た。
全身の皮膚は焼け爛れている。
右上半身は腕ごと吹き飛び、頭部にも大きな損傷がある。
だが、この化け物にとっては、それすらも致命傷ではないようだった。
複製の槍はすでに失われているが、本物の三叉槍は左手になおも握られており、全身から放つ刺すような殺意にも衰えはない。
再生はすでに始まっていた。
恐ろしい速度で元の状態へと戻っていく。
「畳み掛けろ!」
号令を発しながら、俺もまた走り出していた。
リクサとヂャギーも得物を手に、グウネズに殺到する。
迫り来る三本の凶器のうち、グウネズは俺の聖剣だけを避けた。
リクサの剣は再生途中の右腕で受け、ヂャギーの斧槍は左手の三叉槍で受け流した。
完全に、先ほどの爆発の引き金が俺の攻撃であると気付いている動きである。
グウネズは身を屈めたかと思うと、後方へと大きく跳躍する。
くるりと宙で回転し、降り立ったのは、噴水の水の上。
自身の重量でも操っているのか、あるいは水を弾いているのか。
二百年前、統一王の一行と戦ったとき、この化け物は海の上を滑るようにして現れたと聞いてはいたので驚きはしなかった。
すでに失った右上半身も再生し、グウネズの体は万全の状態に戻りつつある。
【超大物殺しの必殺剣】を使うための好感度――恋愛度は、まだ残っている。
だが攻撃を十分な回数当てられなければ威力が足りず、先ほどのように無駄撃ちになるだけ。
これだけ警戒された状態では、最初の一回を当てることさえ困難だろう。
完全に手詰まりだった。
慢心していたつもりはない。
だが戦う前、頭のどこかで、負けることはないだろうと漠然と思っていたのも事実だった。
体格は、アスカラとは比較にならないほど小さい。
しかしこの化け物は、あの決戦級天聖機械よりも遥かに強い。
もはや、それを厳然たる事実として認めるほかなかった。