第五十四話 百影の魔神に挑んだのが間違いだった
そして、その時がやってきた。
孔雀月が空の頂点に達した頃。
時を告げる卵が放つ禍々しい赤い光もまた、最高潮に達した。
今にも爆発しそうなほどに閃光を発し――そして、それがふいに収まる。
決戦級天聖機械のアスカラが現れた時と、まったく同じだ。
「来るぞ! 全部隊、迎撃態勢!」
ヤルーが伝達石に向けて警告を発する。
かつて魔術師マーリアは、俺たちに語った。
滅亡級危険種を未来へ飛ばした場所には、目印となるよう様々な遺跡を残した、と。
だが、この南港湾都市は歴史のある街だ。
二百年前から残る建築物など山ほどある。
しかしその中でも、特に怪しいと睨んでいた場所が二つあった。
一つは、港湾から突き出た防波堤の先端に建つ、大灯台。
もう一つは、中心街にある噴水広場。
俺はその時、後者を見ていた。
根拠はない。
ただの予感だったが――それは的中していた。
初代円卓の騎士の一人、精霊姫オフィーリアの彫像が中央に鎮座する、円形の噴水。
その手前の通りで空間が、ぐにゃりと歪み、異形の存在が、そこから現出する。
全ての光を吸い込むような漆黒の肉体を持つ、醜悪なる人型の生物。
百影の魔神――グウネズ。
その本体であろう。
聞いていたとおり、その体躯は人間より一回り大きい程度。
[暗黒騎士]のヂャギーに勝るとも劣らない発達した筋肉を備えており、その手には膨大な魔力が付与されていると一目で分かる三叉槍が握られている。
本体の出現から、やや遅れ。
今度は眼下に広がる南港湾都市の街のあちこちに、空間の歪みが発生した。
そこから現れ出でるは、本体とよく似た、しかし幾らか小ぶりの生物たち。
グウネズが使役するという『影』であろう。
みな、本体と同様に、槍で武装している。
途端、あらゆる方角から、激しい戦闘音が聞こえてきた。
魔術による爆発音、金属の打ち合う甲高い音、気合の声――。
後援者たちと『影』の戦いが、早くも始まったのだ。
「ミレウス陛下! 《瞬間転移》は!?」
魔術師ギルドの後援者、ネフが聞いてくる。
微妙な距離ではあるが、詠唱時間を考えれば、走った方が早い。
「要らない! 周囲の『影』を俺たちに近づけないようにしてくれ!」
答えるや否や、俺は時計塔の屋根の上から飛び降りていた。
円卓の騎士の面々もそれに続いたのが、背後の気配で分かる。
隣の民家の屋根までは、かなりの落下距離があった。
だが、聖剣の力でシエナの【跳躍】のスキルを借りたので、軽やかに着地できた。
他のみんなも、手段は違えど、無事に降り立てたようだ。
リクサが愛用の直剣を鞘から抜き放ち、自身の腕に突き刺して叫ぶ。
「天剣ローレンティアよ、我が敵を討て! ……魔神殺し!」
腕から引き抜かれた剣の刃は、白く発光を始めた。
始祖勇者の末裔である彼女の血で、剣の素材である『聖銀』を活性化し、種族特効を付与したのだ。
つまり、ラヴィの持つ短剣の魔神殺しと同じ効果が、剣に宿ったことになる。
どちらが、より強力なのかは分からないが。
リクサの腕の傷は、即座にふさがる。
前にも一度見たことがあったが、討伐権限者とも仇名される勇者の血の力は、やはり凄まじいものがある。
「好機です、ミレウス様! 先制いたします!」
グウネズの周囲には後援者も『影』もいない。
確かに、仕掛けるならば、今、ここしかなかった。
リクサは何の躊躇もなしに屋根から屋根へと飛び移っていくと、最後は大きく跳躍し、空へと高々と舞い上がった。
グウネズが首を動かし、その不気味な双眸で彼女を捉える。
だが、もう遅い。
すでにリクサはスキルの発動準備を完了していた。
天剣ローレンティアが眩い輝きを放つ。
「【剣閃】!」
力強いその声と共に剣を振り下ろすと、その刃は純エネルギーの奔流となって、凄まじい轟音と共にグウネズを襲った。
[天意勇者]であるリクサの切り札であり、俺が加入する前は円卓の騎士の最大火力であった大技だ。
通りの石畳が砕け散り、その下の大地に巨大な穴を穿たれる。
もうもうと土煙が上がり、視界を埋めていく中、俺はリクサと同じように屋根の上を進んで、大規模破壊の行われた場所へと近づいた。
完全に直撃したように、俺には見えたのだが。
「ダメだな、こりゃ。当たる寸前に魔術で障壁を立てたのが見えたぞ」
風精霊を使って俺の横を飛んでいるヤルーが、皮肉的な笑みを浮かべた。
その言葉を証明するように、あたりからはまだ戦闘音が届いてきている。
『影』は独立行動するものの、あくまでも本体と同一の個体。
本体さえ倒せば、すべて同時に消失するはずなのだ。
グウネズが生存しているのならば、俺は打ち合わせどおり、背後に回らなければならない。
先に下へ降りたリクサを除く、円卓の騎士の連中が、俺のいる民家の屋根まで集まってきた――そのとき。
いまだ晴れない土煙の中から、背筋が凍るような、おぞましい声がした。
聞いたこともない、奇妙な言語である。
魔神は第一文明期に製造された殺戮兵器。
ゆえに、第一文明語を話すというが。
「こ、これ呪文の詠唱です! 《大火球》の!」
慌てた様子で叫んだのは、[大魔術師]のブータだった。
同時に土煙が真っ赤に光り、そして急速に晴れていく。
そこから姿を現したのは、ほぼ無傷のグウネズと、その頭上で膨張を続ける巨大な火の球。
先日、魔術師ギルドでブータが姉弟子と対決した際に暴発させてしまった、あの最上級難度魔術だった。
俺はその時初めて、その怪物を真正面から捉えた。
顔面は人間と同じく、鼻と口と、二つの目を備えている。
だが、それはまるで面のようで、殺意以外のいかなる感情も読み取ることはできない。
人間を殺すためだけに作られた存在。
幾度も聞いたその言葉が真実であったと、嫌でも実感させられた。
「ミレウス様に防護を!」
魔術の完成を妨げるため、リクサがグウネズに斬りかかろうと走り出す。
だが、到底間に合わない。
次の瞬間、俺たちの立つ民家の屋根目掛けて、大火球が飛んできた。
熱と光があたりを埋め尽くし、そして大爆発が起きる。
☆
荒れ狂う炎の熱を、ひりひりと肌に感じた。
だが、大火球が直撃したわけではない。
すんでのところで、ヤルーが精霊魔法で土壁を、シエナが神聖魔法で結界を、ブータが魔術で障壁を、それぞれ構築してくれていた。
もっとも無事だったのは俺たちだけで、足場にしていた民家は凄まじい爆風と炎で、あっという間に崩壊してしまった。
俺はもう一度、【跳躍】のスキルを借りて、地面へと降り立つ。
みんなも先ほどと同じように、それぞれの手段で、俺の近くに着地した。
ただ一人、ナガレだけは大火球が着弾する前に逃れていたのか、いまだ近くの民家の屋根の上におり、あの拳銃とかいう名の異世界の武器を構えて、様子をうかがっていた。
こちらと敵。
それぞれが、たった一回ずつ攻撃を放っただけで、噴水広場前のその短い通りは、原形を留めないほどに破壊されていた。
後援者たちが巻き込まれていなければいいとは思うが、今は人のことを心配していられる状況ではない。
土煙と黒煙が混ざり、そこに大量の火の粉が舞う。
その向こう、距離にしておよそ二十歩ほどのところに、グウネズは立っていた。
リクサが剣の切っ先を敵に向けたまま、前に立つ。
斧槍を構えたヂャギーがそれに並んで前線を構築。
シエナとブータは、みんなに補助魔法をかけていく。
ヤルーは伝達石で他部隊と戦況を共有した後、各種の下位精霊を召喚し、周囲に展開。
ラヴィは魔力の付与された短剣――魔神殺しを逆手に構え、グウネズの後方に回り込むべく、滑るように横へ動く。
俺もラヴィとは反対側から回り込もうと、移動を開始する。
もちろん、敵がそれを黙ってみているはずがない。
グウネズは一瞬、体を膨張させたかと思うと、身の毛もよだつ雄叫びを上げた。
結界の端まで届きそうな凄まじい声に、大気がビリビリと震え、火の粉が踊る。
この手の攻撃を行う危険種は、少なくない。
気圧されれば意識が飛んで行動できなくなるし、最悪の場合、ショック死することもあるという。
当然、距離が近いほど、その危険度は増すというが、俺は比較的近くにいたにも関わらず、鼓膜に僅かな痛みを覚えるだけで済んだ。
聖剣の鞘の絶対無敵の加護が発動したのだろう。
ほっとしたのも束の間。
グウネズが三叉槍を片手に、突撃してくる。
――疾い。
その巨体からは想像もつかない俊敏性で、一気に距離を詰めてくる。
標的は俺だった。
陣形や、やり取りから、パーティのリーダーであることを見抜いたのだろうか。
恐怖を覚えなかったわけではない。
だが、覚悟はもうできている。
リクサの剣技を借り、迎え撃とうと、聖剣エンドッドを構える。
そこに、横から猛然と走ってくる人物がいた。
「ぢゃああぎいいいい!!!」
先ほどのグウネズにも劣らぬ声量で【咆哮】を上げ、敵対心を取ったのは、ヂャギーだった。
俺に向けて突き出された三叉槍を、斧槍で弾く。
さらに、そこへリクサが加勢して、天剣ローレンティアでグウネズの首を狙った。
だがそれは、もう一本の三叉槍で防がれる。
グウネズの空いていた方の手には、いつの間にか、その体色と同じ漆黒の三叉槍が現れていた。
装備品を複製する魔術だろうか。
リクサとヂャギーは、そのままグウネズとの近接戦に移行した。
肉体的な強さで言えば、この二人は円卓の騎士の中でも群を抜いている。
先ほどの雄叫びにも見事に耐えたようだ。
俺はその隙に、グウネズの後方に回りこんだ。
短気絶していた後衛の連中も意識を取り戻したようで、それぞれ行動を再開する。
ここからは総力戦になる。
俺は戦いが熾烈なものとなる予感を強めた。