第五十二話 彼女を共犯者にしたのは間違いだった
「《気配遮断》か。なるほどね」
女中服姿のアザレアさんが、床に正座しているのを見下ろして、俺は深々と嘆息した。
使用中、身動きが取れなくなる代わりに、自身の出す音や気配を完全に遮断する魔術らしいが、ブータもまた面倒なのを教えたものである。
確かに、かわいい効果といえばその通りで、たいした悪事ができるわけではなさそうだけども。
しかし今回は致命的だった。
先ほどの会議には【気配感知】持ちが大勢いたが、この魔術のせいで誰一人、クローゼットに隠れた彼女に気付くことができなかった。
《防諜》の掛かったこの部屋はどこよりも安全だと思いこんでいたが、事前に中に入り込まれていてはどうしようもない。
「アザレアさん。大事な会議をするから、今日は部屋に入らないでって言っておいたよね」
「いやー、ハハ。……ごめんなさい」
「悪戯にしても、やっていいことと悪いことがあるよ。国家の最高機密会議を盗み聞きするなんてさ。実刑は当然だし、下手すると無期懲役までいくよ」
「ですよねー……はい……ごめんなさい」
「まぁ? もちろん俺は? 友達であるアザレアさんを司法の場に送るつもりはないけどね? ちゃんと反省してるなら、だけど」
「してます……はい……ごめんなさい」
擦れた声を出して、うな垂れる彼女の様子は、実に珍しい。
えらいことをしでかしてしまったという自覚はあるようである。
司法の場に送るつもりはないとは言ったものの、ブータのように無罪放免というのも如何なものだろうか。
何かしら罰は受けてもらわねばと思う。
ヌヤ最高司祭がやってるあのケーキ屋で、少女志向服で御奉仕してもらうなんてのがいいかもしれない。
ぐふふ。
と、色々妄想が捗るけども。
その隙を突いて、アザレアさんは眉を吊り上げ、言ってきた。
「あのさ。盗み聞きしちゃったのは悪いと思ってるけどさ。ミレウスくんだって、さっき、禁止指定魔術使ってたでしょ。お師匠様が使ったのと同じ、変な鏡出すやつ」
「ぎくっ」
彼女が隠れていたクローゼットのドアには換気用のスリットがある。
そこから見ていたのだろう。
「お、俺は王様だから。一般刑法は適用されないから」
「法律はともかくさー。あの鏡みたいので、私の私生活を覗こうとしたわけだよね。だから、私がここにいるって分かったわけだよね。それって私がしたこととそんな大きな違いがあるのかな? 女性の私生活なんて国家の最高機密会議と比べたら軽いものだから気にするなってことなのかな?」
「そ、それは……いえ、すいません、違いありません。女性の私生活が軽いものだとも思っていません」
静かな口調の中に、少なからぬ怒気を感じ、慌てて頭を下げる。
アザレアさんは立ち上がると、女中服の膝のあたりをパンパンと、はたいた。
「まぁそれはいいや。おあいこだし、今後、同じことをしなければそれでいいよ。……それよりも、ミレウスくん。国が滅ぶだの、魔神将だのって話は本当なの?」
「な、何の話かなー」
明後日の方向を向いて惚けるが、アザレアさんにはまるで通用しない。
咎めるように、じとっと睨んでくる。
やはり、先ほどの後援者との会議、そして円卓の騎士との会議は完璧に聞かれていたようだ。
断片的な情報しか出てなかったから、すべてを理解したわけではないようだけど。
アザレアさんは腰に手をあて、ふぅ、と大きく息をつく。
「そこのクローゼットに隠れてたのは別に悪戯だけが目的じゃないよ。ミレウスくんが私に、何か凄く大事なことを隠してるのは分かってたから、それが知りたかった。まさか、こんな大変なことだとは思わなかったけどさ」
同じ学び舎に居た頃にも、一度だけ、こんな風な怒り心頭の彼女の顔を見た覚えがある。
あれは林間学校での、女子の水浴び覗き未遂事件の時だったろうか。
あの時も今も、不可抗力であって、別に俺が悪いわけではないのだけど。
「隠してたこと、一から全部話して。私に分かるように」
どうやら言い逃れはできそうにない。
今度は俺が正座する番だった。
☆
聖剣と、その鞘の力。
魔女から聞いた円卓の騎士の責務。
時を告げる卵や、後援者の存在。
地上絵での決戦級天聖機械アスカラとの戦い。
そして、この南港湾都市に迫る危機。
聖剣の力の解放条件だけは語らなかったが――。
アザレアさんはそのすべてを聞き終えると、床で正座する俺を見下ろし、腕組みしたまま深々と嘆息した。
「黙っていた理由は、よーく分かったし、そこはしょうがないと思うけどさ」
彼女の声には、呆れたような響きが含まれている。
「……頭おかしいんじゃないかな。なんでミレウスくんが、そんな化け物と命がけで戦わなくちゃいけないの。ついこの間まで、ただの学生だった人がさ」
ごもっともな意見である。
俺自身、最初はそんな風に思っていた。
しかし今は、きちんと動機を持っている。
「社会的責任感だよ。力と特権を持つ者は、その分多くの義務を負う必要がある。貴族が諸侯騎士団で働くのと一緒さ。俺は王という特権的な立場と、聖剣と鞘の力を手に入れたから、その分、国のために働くのは当然なんだ」
「……でも、ミレウスくんは、好きでそんなの手に入れたわけじゃないでしょ。偶然、聖剣が抜けちゃったから、王様になっただけでしょ。本当に、そんな殊勝なこと考えてるの?」
図星である。
決して嘘はついていないが、少し格好つけてしまった。
「まぁ実際は、国のためとか国民のためっていうのは、まだそこまで実感はないけど。でも身近なところに、俺と、俺の力に期待してくれている人たちがいるから、それに応えなきゃとは思ってる。それが動機の半分くらいかな」
「身近な人って……円卓の騎士の人たちとか?」
「あと後援者とか、魔術師マーリアとかね」
それと先代王とかだろうか。
俺が本気で言ってると感じ取ったのか、アザレアさんは押し黙った。
彼女の瞳が、僅かながら潤んだようにも見えた。
「俺は別に命がけで戦ってるわけじゃないよ。他のみんなには悪いと思ってるけど、俺だけは聖剣の鞘の力で、絶対無敵の加護を受けてるし」
「でもそれ、危険を先送りにするだけなんでしょ? 安全が確保されたら戻ってくるって言ってたじゃない。そのときに対処できなかったら、結局同じじゃないの?」
今度は俺が押し黙る番だった。
当たり前だが、世の中に本当の意味での絶対なんてものはない。
戻ってきた危険に絶対に対処できるとは言えないし、そうでなくとも、聖剣の鞘の加護には、いくつも穴がある。
絶対無敵の加護という言葉が、嘘っぱちなのは俺が一番よく分かっている。
「……こんなことなら、聖剣を抜いてみろだなんて言わなければよかったよ」
アザレアさんは、くぐもった声でそう言うと目元に手をやり、俺に背を向けた。
肩が震えている。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
これも不可抗力だと思うけど。
でもやっぱり女性に泣かれるのは、きつい。
「俺は感謝してるよ。あの日、アザレアさんに、ああ言われたこと」
正座で痺れた足を叩きながら立ち上がり、彼女の背に語りかける。
「アザレアさん、ここについた日に言ってたじゃないか。俺が新生活を楽しんでいるようで何よりだって。ホントにそうなんだよ。俺は今の生活を心から楽しんでるんだ。もし聖剣を抜く前に戻れても、きっとまた抜くだろうなって思うくらいにはね」
これもまた本音ではあった。
「だからこの生活を守るために、この国を守りたいんだ。誰かのためじゃなくて、自分のためにね。これが動機の残り半分。もちろんアザレアさんのことも守る。大事な友達だから、俺自身のためにね」
目を少し赤くした彼女が、苦笑しながら振り返る。
「私は、そんなんじゃ騙されないからね。私にとってもミレウスくんは大事な友達なんだから、命かけてまで守って欲しくないもん」
うーむ、チョロくない。
円卓の騎士の連中とは大違いである。
「私がどうして女中のバイト始めたか、分かる?」
突然、話が変わった。
単純にお金のため……ではないのは、なんとなく分かる。
「ミレウスくんが、王様になった途端に、それまでのことなんて全部忘れたみたいに、他の女にデレデレしてるのを見たからだよ」
「え?」
何の話だ?
……王様になった途端?
いつの、どの話をしている?
混乱していると、アザレアさんは腹を立てたのか目を尖らせ、俺に詰め寄ってきた。
「王様になった次の日に、王都の三番街で、あの赤毛の女の人と抱き合ってたでしょ!」
「……あ! ああ~!」
思い至った。
と、同時に完全に合点がいった。
リクサと二人で、別荘地までラヴィを迎えにいって、そのあと彼女を懐柔するために王都で遊んだ、あの日のことだ。
遊び疲れて喫茶店のテラスで一息ついてた頃、ラヴィに一対一で話がしたいと言われて、三番街――歓楽街の方へ行って、そこで俺は確かに彼女に抱きつかれた。
あの日、アザレアさんを含む俺の元同級生たちは、まだ修学旅行の最中であり、王都に滞在していた。
それで偶然、目撃されたのだろう。
アザレアさんがラヴィを妙に敵視していた理由は、これだったのか。
「彼女――ラヴィは[怪盗]なんだ。あのとき俺に抱きついてきたのは、この財布をスろうとしただけで、他意はなかったんだよ」
と、使い古された黒い革袋を懐から出す。
国庫から直接、貨幣を取り出すことができる魔力付与の品、財政出動だ。
アザレアさんはそれを見ても、なお疑わしげな顔をしていた。
「あの現場を見てたなら、抱きついた後、ラヴィが俺のことを突き飛ばして逃げていったのも見ただろ? おかしいと思わなかった? あれは聖剣の鞘の効果で【スリ】が失敗したから逃げたんだ」
アザレアさんは顎に手をやり、しばし思案顔を作ると、そういえばそうだったかもと、静かに認めた。
「でも、あの人この間、らぶらぶデートしようとか言ってミレウスくんのこと誘いにきたじゃない」
「あれはジョークだって言っただろ! ラヴィはそういうジョークを言う人なの! [怪盗]だから、意味ない嘘をつくの! あのときは盗賊ギルドからの呼び出しが彼女経由で来ただけなの!」
どうにか納得させようと、まくし立てる。
それでもまだ彼女は、全てを信じてくれたわけではないようだが。
「まぁそこの真偽はいいや。抱き合ってるの見たときは正直、物凄くムカついたけど……女中になったのは、それが理由じゃなくてね。私は、ミレウスくんが、何かおかしくなっちゃったんじゃないかって心配したんだよ。それを抜いたせいでね」
彼女が指差したのは聖剣エンドッドだった。
おかしくなるってどういう意味だろう。
突然莫大な金と権力を手に入れたせいで、性格が変わってしまった、とかかと思ったが。
「……魔力付与の品にまつわる話で、たまにあるじゃない。装備した人の人格に悪影響を及ぼしたり、書き換えたりする、呪いの品の話。その剣も、そうなんじゃないかって、少しだけ考えたんだ。あの人と抱き合ってたのも、人格が変わったからなんじゃないかって。大通りで、あんな恥ずかしいことできる人じゃないと思ってたから」
ハッとする。
思い浮かべたのは、海賊女王エリザベスの日記の記述だ。
彼女は呪いの義手をつけてしまったせいで、凶暴な第二人格が生まれ、人生が大幅に変わってしまったと、日記の中で嘆いていた。
確かに、あれと似たような伝説は、いくつもある。
「女中として王城へやってきて、ミレウスくんと直接、話をして、ほとんど前と変わらないように感じたから安心してた。でも、南の海で海賊と戦ってるのを見て、やっぱり何か違うかもって思い始めた。さっきの話を聞いて、それが少し確信に近づいた気がする」
彼女の眼差しには、憂慮と疑念の色が、半々くらい見て取れた。
「あの人と抱き合ってた件は、私の誤解ってことで差し引いてもさ。ミレウスくんってこんな……ホントの王様みたいなこと言える人だったかなって、正直戸惑ってる」
つまり、国を守らせるために、王の人格をそれに適した形に矯正しているのでは、と彼女は言いたいのか。
そんな心配をされているとは、夢にも思わなかった。
聖剣に、人格操作の効果がないと断言することは、俺にもできない。
なんの影響も受けてないつもりではあるが、気付いていないだけかもしれない。
ただ俺は、この聖剣を作った魔術師マーリアのことは、信じられる気がした。
言葉を交わしたのはほんの僅かな時間だけだったが、彼女が悪人だとはどうしても思えない。
円卓の騎士たちに、責務を負う覚悟があるか何度も聞いたりする人が、そんな恐ろしい効果を剣に仕込むだろうか。
「聖剣に人を変える力はないと、俺は思うよ。もし俺が変わったように見えるなら、それは単に、ここ最近の経験が変えただけだと思う。普通に生きてたら絶対にしないような無茶苦茶な経験をいくつもしてきたんだから、変わらないほうがおかしいし。……ただね」
どう言えば信じてもらえるのかは分からない。
ただ誠意を持って、話すしかない。
「根っこの部分は変わったつもりはない。俺は今も昔も、誰かに期待されたら応えてあげたくなる、お調子者の端くれのままだよ。今は国を守ることを期待されてるからそうしてるだけ。アザレアさんに期待されて聖剣を抜いたあのときから、何も変わっちゃいないよ」
ありのままの気持ちを伝えて、アザレアさんの目を、じっと見つめる。
彼女はそれを真正面から受け止めてきて……そして、先ほど以上に深い嘆息をしてみせた。
「わかった。それは信じる。信じるけど。期待されたら応えてあげたくなるって言うのなら、私が今すぐ王さまやめてってお願いしたら、やめてくれるの?」
「……ごめん。それは無理だ。やめてってお願いより、やってくれってお願いの方が強いから」
「だろうね」
アザレアさんは、どこか吹っ切れたような表情になっていた。
「いいよ。もう止めない。代わりに、ミレウスくんも私のこと、止めないでね」
「はぁ?」
何を言い出すのかと思ったら。
「力と特権を持つ者は、その分多くの義務を負う必要がある……だったっけ。私、実は一般スキルの【応急手当】、持ってるんだよね。だから、その分の仕事をするよ。勇者信仰会が、医療本部で司祭たちの手伝いをするのに混ぜてもらう」
「いや! いやいやいや! 危ないよ! すぐそばは戦場なんだよ!?」
ぴたっと。
彼女が手を伸ばし、人差し指で俺の口を塞ぐ。
「危ないのは、みんな一緒だよ。勇者信仰会の人たちも戦えるわけじゃないんでしょ? なら私が入っても同じでしょ」
「そうだけど……でもアザレアさんは俺の友達だから。自分勝手かもしれないけど、他の人と同じようには考えられないよ」
「ミレウスくんが今感じてる気持ちが、さっき私が話を聞いたときの気持ちだよ」
言い返せない。
事情を話せば、心配をかけることになるとは分かっていた。
ただそれがどういう気持ちなのか、実感できていたとは言いがたい。
目を見れば分かる。
彼女は本気だ。
疑っているわけではなく、言葉として聞きたかったから。
最後に問う。
「本当に、命をかけた戦いだって分かってるの?」
「覚悟はしてる。ミレウスくんが海賊と戦ってるのを見たときから、なにか、危ないことをしてるんじゃないかとは思ってたから。君と対等な立場でいたいから、微力かもしれないけど、やれることはしたい」
アザレアさんは《発火》の魔術を使って、指先に火を灯し、そしてすぐに消した。
「魔術を覚えて、円卓の騎士になるのは、無理だけど。でも後援者にだったら、私だってなれるでしょ」
「……この件は口外しないでくれよ。国の最高機密だからね」
彼女は、にっこりと微笑み頷くと、手を差し出してくる。
よく笑う彼女が、今日、初めて見せた、明るい笑顔だった。
「よろしく頼むよ、共犯者さん」
その手を握り、新たにできた負けられない理由を、俺は胸に刻んだ。