第四十六話 沈没船を探しに行ったのが間違いだった
海賊女王エリザベスの根城を探索し、第一文明期の遺跡を発見した、その数日後。
俺は宿泊しているサイドビーチロイヤルパークホテルの最上階の一室でソファに寝転がり、ブータがテーブルに置いた聖剣エンドッドを前に、ああでもないこうでもないと、うなっているのを眺めていた。
昨日から【能力解析】をしてもらっているのだが、その主目的は以前、先代王が、ぽろっと漏らしていた『円卓の騎士の召喚』の使用方法の解明である。
これを同じ円卓の騎士の彼にやらせるのは賭けではあったが、どうやら功を奏したらしい。
「ミレウス陛下ぁ~、なんとなく分かってきましたよぉ」
ブータに呼ばれて、テーブルへと歩いていく。
魔女の造りし、選定の聖剣を解析するのは、魔術師冥利に尽きることらしく、彼は実に楽しそうだった。
「仰るとおり、確かに、《召喚》に似た魔術を発動する効果がありますねぇ。複雑な契約が必要なく、しかも効果範囲が、このウィズランド島全域に及ぶのが脅威的ですが」
「使用方法は?」
「対象の騎士の血を聖剣のそばに用意して、呪文を唱えるだけでいいみたいです。呪文はこんな感じですね」
彼はそれをさらさらと紙に書いて、俺に渡してくれる。
血液の方は『居場所探知』の方と同じだったので、なんとなく必要だろうと思って、手は打っておいた。
ブータはどこか申し訳なさそうな顔でうつむき、両手の人差し指の先を、ちょんちょんと合わせる。
「ただ、なにか使用条件が設定されているので、それをクリアしないと使えないみたいなんですよぉ。その条件についても調べてみようと思ったんですけど、物凄く強力な防護が掛けられていて、簡単には解析できそうにないですぅ……」
解析されたら困る。
というかその辺は絶対に分からないようになってるだろうと踏んで、彼に頼んだのだ。
「やっぱり魔女は凄いですよ。ネフ姉さんとかに手伝ってもらって、たくさん時間をかけて調べればもしかしたら分かるかもしれないですけど、ボク一人ではなんともかんとも」
「いや、それだけ分かれば十分だ。ありがとう、ブータ」
笑顔で断って、十二の刃に分かれたその聖剣をテーブルから取り上げる。
たぶん、その使用条件についても調べるように言われると思っていたのだろう。
ブータは拍子抜けしたような顔をしていた。
使用条件は最初から推測できているのだ。
『対象の騎士の親愛度を上げること』である。
しかしこの聖剣の力が、騎士たちの俺への好感度で解放されていくことは王だけの秘密だ。
これ以上、調べさせるのは危険だろう。
「それならいいんですけどぉ。調べていくうちにほかにも色々、面白そうなことが分かったんですよねぇ。技能拡張の力がこめられているような気もしましたし、どこかから無尽蔵な魔力を供給されているような気もしましたし。とにかく興味の尽きない剣ですよぉ。本当にもう調べなくていいんですかぁ?」
「ま、必要になったら、また頼むよ」
と、彼の頭をぐいぐいと撫で回して誤魔化すと、懐から、手のひらより小さいくらいの木片を取り出した。
その中心部には、ごく小さな黒い染みがある。
変色して分かりにくいが、血痕である。
「血液が必要だって言ってたな。これくらい極少量でも平気かな」
「はいぃ。個人を特定できればいいんで、針を指に刺して出てくるくらいでも平気なはずですよ」
木片を不思議そうに眺めるブータ。
「どなたを呼び出すんですか?」
「王都からこの南港湾都市に来る前に、円卓の騎士の責務を放棄して逃げたクズがいただろう」
「ああー……」
すぐに思い当たったのか、彼は苦笑いを浮かべてみせた。
ブータに渡した木片は、以前、王都の俺の寝室で祝勝会をやったときに使ったテーブルの断片である。
あのときリクサがあのクズ、もとい[大精霊使い]のヤルーに食事用ナイフを投げつけて、その指を少し切ったのだが、昨日の朝、そのことを思い出して、王都に残った執事さんに、そこを切り取って送ってくれるように手紙で頼んだのだ。
事情を知らなければ意味不明な依頼であるが、さすがはプロフェッショナル。
速達で送ってくれたため、今朝には到着していた。
『ベッドの下のお宝はいただいた。わりぃな』
という書置きを、ヤルーは逃亡したとき残していたが、血のついたハンカチを盗んだだけで安心したのが、ヤツの敗因である。
『居場所探知』に血液が必要だと気付いたこと。
ベッドの下に隠していたハンカチを見つけ出したこと。
その辺はさすが精霊詐欺師だとは思うが。
木片をテーブルに置いて、聖剣エンドッドをそちらに向ける。
そして先ほどブータに書いてもらった呪文を読み上げる。
「王の名を持って命ずる。我が剣、ヤルーよ。呼び声に応え、我が元に来たれ!」
テーブルの上の空間が歪み、そこから姿を現したのは、胡坐をかき、ハンバーガーを頬張ろうと大口を開いた、あの眼帯の男だった。
俺と目が合い、その体勢のまま硬直する。
しばし、ぽかんとした表情であったが、やがて状況を察したようだ。
ハンバーガーを口に運び、全てを諦めたような悲しい顔になる。
やはり頭のキレるヤツである。
「よぉ、ヤルー。どこに行ってたんだ?」
「……北方交易街で、のんびりしてたよ。ミレちゃんはどうだ。南港湾都市観光、楽しんでるか?」
「おかげさんで満喫させてもらってるよ。せっかく来てもらったんだ。ヤルーも一緒に遊びに行こうぜ」
と、観光パンフレットを取り出し、ヤツに見せた。
☆
しばらく後、俺とヤルーは、傭兵ギルド所属の小型輸送船、白鷲獅子号に乗って、南港湾都市の近海に出てきていた。
「で、どこ行くんだよ、この船はよー」
屋外デッキで、手すりに顎を乗せて海原を眺めながら、ヤルーはまだぐちぐちと言っていた。
目的地も告げられずに連行されたのだから、文句を言うのも無理はないけど。
「もうすぐだよ」
適当に答える。
俺自身、行ったことがあるわけではないが、かなり近いとは聞いていた。
実際、今回の目的地である、南港湾都市の観光名所の一つ、テーチスの大渦はすぐに見えてきた。
穏やかな海に突然現れる、大型船でも簡単に飲み込みそうな巨大渦。
もちろん自然なものではない。
その名の通り、水の上位精霊の一種である海精霊が、海底で作り出しているもので、少なくともウィズランド王国が成立した頃から存在する――とは、王都からの川下りの旅の途中でブータから借りた、観光パンフレットに書いてあった紹介文だ。
こんなものが近海にあると危険極まりないと思うが、少なくともここ数十年は、この渦のせいで沈没した船は確認されていないという。
なんでも船が吸い込まれるような距離まで近づくと、渦自体が消えてしまうらしい。
もっともそれもほとんど伝説のような話で、近年に確かめたものがいるわけではない。
船と命を失うリスクを負ってまで確かめるようなものではないから、当然だけど。
今回も名誉船長をやっている、傭兵ギルド幹部の傷顔の美人、イライザが俺たちのところへやってくる。
「ミレウス陛下ぁー。打ち合わせどおり、この辺で船停めるけど、いいー?」
「ああ、問題ない。ここから先は俺とこいつだけでいくから」
親指で指差す相手は、もちろんヤルー。
「確か、精霊魔法に水の中に潜れるようになるのがあったよな」
「はぁ!? あるけどよ! まてまて、まさか渦の下に行く気なのか!?」
正気かよ、という顔でヤルーがこちらを見てくる。
「やめとけって、ミレちゃん! そこの大渦作りだしてる海精霊は、今までどんな[精霊使い]でも手懐けられなかったっつー、やべぇヤツだぞ! 半分狂ってるって噂もある! そんなやつの懐まで、いったい何しにいくんだよ!」
「まー、収穫があるかどうかはわかんないんだけどさ」
それほど強い根拠があるわけではない。
ただ、俺の勘は、試してみる価値はあると告げていた。
「ヤルーなら、なんとかできるだろ。天下無敵の[大精霊使い]さまの力を見せてくれよな」
「イ、イカれてやがる」
「協力してくれないなら、今すぐこの場にリクサとシエナを召喚するぞ」
低い声で脅す。
あの二人の血液は持っていないので実際は召喚できないのだが、効果は抜群だった。
苦虫を噛み潰したような顔をして、ヤルーは愛用の分厚い魔導書――優良契約を取り出した。
「ヤバそうだと思ったら、すぐに引き返すからな!」
「そうしてくれ。俺も無理をする気はない」
腹をくくったのか、ヤルーは大きく一つ息を吐くと、精霊の召喚を開始した。
☆
《水中散歩》は、風精霊と水精霊に同時に代行させる最上級難度の魔法らしい。
「それを二人に同時にかけるなんて、俺っちじゃなきゃできねえ芸当なんだからな! ぜんっぜん簡単なことじゃねえんだからな!」
と、恩着せがましく言いながら、ヤツは風精霊と、水精霊二体ずつ召喚し、凄く簡単そうに、その魔法をかけた。
黙って様子を見ていたイライザが目を丸くする。
「やっぱり凄いわねー、円卓の騎士さまって。傭兵ギルドにも[精霊使い]はそれなりにいるけど、こんなことできるのは一人もいないわよ」
「よっしゃ、もっとコイツに言ってやってくれよ、ねえちゃん!」
凄いのはよく分かる。
でも評価する気にはならない。
「いいからさっさと行くぞ」
「冷たくね!? ミレちゃん、俺っちに冷たくね!?」
胸に手を当てて、その理由を考えて欲しい。
彼の抗議は完全に無視して、手すりを乗り越え、海へ飛び込む。
水飛沫が大きく上がり、海中に深く沈みこむ。
しかし俺の体は一切水に濡れないし、呼吸を阻害されることもない。
先に説明を受けたとおり、水精霊と風精霊の力で、体を覆うように球形の空気が維持されている。
その空気の膜の向こうでは、南港湾都市の美しい海が広がり、色鮮やかな魚達が元気に泳いでいる。
非日常的な体験であり、非日常的な景色だ。
移動は風精霊で空を飛ぶときと大差はない。
念じれば、そのとおりに、球形の空気と一緒に移動できる。
あまり速度を出せないのだけが相違点だろうか。
「時間制限あるからな。忘れるなよ」
ヤルーの声は耳元でしたような気がした。
振り向くと、ヤツも飛び込んできたようで、同じように球形の空気をまとって、水中を漂っている。
「こっちの声も聞こえてるのか?」
「ああ。ふつーに喋っても水が邪魔になって聞こえねーからな。水精霊に中継させてる。これも精霊魔法だよ」
便利なものである。
この辺は地上からそう離れていないからか、それほど深さはない。
少し下降しただけで、すぐに砂と泥の海底に到達する。
日の光もいくらかは届く距離だが、薄暗く、遠くまでは見えない。
しかしヤルーが追いついてくると、周囲が明るくなり、だいぶ視界がよくなった。
ヤツは、光精霊を呼び出して、手元で光源にしていた。
「んで、ミレちゃん。結局何しに行くんだよ。そろそろ話してくれてもいいだろうが」
「そうだな……そのためには、まず、これまでの経緯を説明しないといけないんだけどさ」
海底付近を進み、大渦に近づくまでの道中、俺はヤルーに、この南港湾都市で何をしてきたかを、かいつまんで話した。
ヤルーは黙って聞いていたが、そのうち視界の奥にぼんやりと見えてきた、巨大な影を指で示した。
「ほーん、なるほど。つまり、あれがそうってわけだな?」
巨大な影の正体は、大渦の下に横たわる大型の帆船。
帆やロープはすでに残っていないが、三本の立派なマストと船体は、ほぼ原形を留めていた。
ここは観光パンフレットに載っていたテーチスの大渦の座標。
そして同時に、海賊女王エリザベスの日記に記されていた、統一王が魔神将グウネズと戦い、船を沈められたとされる座標でもある。
「なぁ、ヤルー。これが俺には偶然とは思えないんだよ。この広い海で、無関係な二つの座標が完全に重なるなんてことがありえるか?」
「……ま、調べてみる価値くらいはあるんじゃねーの。アイツが許してくれるなら、だけど」
ヤルーの視線は、統一王の船の、船首に向いていた。
大渦の、その根元。
翼を持つ、勝利の女神を模した船首像の、その上に。
輝く虹色の鱗で全身が覆われた、人間離れした美しい顔立ちの女性が腰掛けていた。
その髪は、海生軟体動物のような、吸盤を持つ触腕。
その両の瞳は、瞼を持たぬ魚類の眼。
水の上位精霊にして、攪拌と沈澱を司る存在。
海精霊だろうと、俺は予測した。