第三十八話 姉弟子と対決させたのが間違いだった
魔術師ギルドの南港湾都市支部は、中心街の南の埋立地にあった。
新市街と呼ばれるその一帯は、ウィズランド王国成立後すぐに、公共事業で造成されたもので、浜風でペンキが剥がれかけたその建物も、同時期に建築されたものらしい。
王都にある魔術師ギルド本部が円形の塔なので、この街でもそうなのかなと想像していたが、言われなければそうとは分からない、ごく普通の建物であった。
「買い占めた埋立地が思いのほか地盤が弱かったものだから、塔を建てられなかったそうなんですよぉ。魔術師マーリアもうっかりさんですよねぇ」
と、魔術師ギルドの開祖を笑ったのは同行者のブータである。
今日も日差しが強いので、その小柄な体より一回りは大きな魔術師ローブは、だいぶ暑そうに見えた。
「でも陛下から聞いて驚きましたよぉ。まさかマーリアが魔女だったなんて!」
「俺も知ったときは驚いたけどね……。あ、そうだ。外ではミレアスって偽名で呼んでくれよ。陛下はまずい」
「承知いたしました、陛下ぁ!!」
元気よく返事をしてから、ブータは慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
俺と性格が似てるから予想はついてたけど、だいぶ迂闊だな、この子。
幸い、周囲に人はいなかったからいいけど。
魔術ギルドの受付は、ブータが顔を見せると、それだけで通ることができた。
いわゆる顔パスである。
奥の面談室のような場所に通され、そこでお茶を飲みながら、しばし待つ。
「ふっふっふ~。ボク、これでもギルドの中では有名人なんですよ!」
「円卓の騎士であることを公言してるのか」
「だってそうじゃないと差別対策にならないじゃないですかぁ! 円卓の騎士やってる意味ないじゃないですかぁ!」
ブータは両手を広げ、自身の大きめローブをアピールする。
「これだって、これ以上小さい導師用のローブがないからってこんなサイズの使ってるんですよぉ! ウィズランド社会はコロポークルに冷たいですよぉ!」
「……特注の作ってもらえばいいんじゃないかな」
「そんな特別扱いはできないって言われるんですよぉ!」
と、話していると、奥の扉が勢いよく開き、彼と同じデザインの導師用ローブを着た少女が一人、自信に満ち溢れた顔で入ってきた。
歳は俺と大差ないだろう。ティーンエイジャーだと思う。
鮮やかな紫色の長い髪を黄色いリボンで束ねているが、たぶん自前ではなく染めたものだ。
街中だと、だいぶ目立ちそうな不自然な髪の色だった。
ブータは少女の顔を見ると、嬉しそうに手を広げて立ち上がる。
「お久しぶりです、ネフ姉さん!」
再会を喜ぶ彼とは対照的に、ネフと呼ばれたその少女は憤慨した様子だった。
足早にブータに詰め寄ると、そのローブの襟を掴む。
「ブータさん! アナタ、王都に帰ってきたのに、本部に顔も出しませんでしたわね!」
「す、すいません~。ミレウス陛下へのご挨拶もあったし、翌朝にはもうこちらへ来なくてはならなかったので~」
蚊帳の外に放り出された気分の俺に、ブータは襟を掴まれたまま首を横に向けて、教えてくれる。
「ボクの姉弟子のネフさんですぅ~。たぶんお師匠様の代理で来たんだと思いますぅ~」
少女は、そこでようやく俺の存在に気付いたらしく、こちらに顔を向け、小首をかしげてきた。
「そちらの殿方は誰ですの? 円卓の騎士の方?」
「ええ、まぁ。そこのブータくんの同僚のミレアスです」
いつもどおり、あまりにも雑な偽名を名乗り、ネフに握手を求める。
彼女は、一旦はその手を取ろうとしたが、ギリギリのところで引っ込めて、怪訝そうに俺の全身をじろじろ見てきた。
「姿欺きをしてますわね? 魔術――いえ、魔法の品の効果かしら。それもかなり強い……わたくしでも見破れないものだなんて。第二文明期の品ですか?」
魔術師ギルド本部の学長の直弟子ということは、彼女も相当な使い手なのだと思うが、それでも匿名希望の効果は完全には破れないのか。
受付からここに来るまでにすれ違ったギルドメンバーには、姿欺きを使っていることも気付かれた様子はなかったし、思いのほか強力な効果なのかもしれない。
俺は左腕につけた腕輪を見せて、白状する。
「作られた時期は分からないですけど、そういう効果があります。すみません、外しましょうか?」
「けっこうですわ。円卓の騎士が身分を隠すのは当然ですもの。堂々と喋って回っている、そこのブータさんがおかしいのですわ」
と、弟弟子を半眼で睨め付けてから、こちらに向き直り、その薄い胸に片手を当てて、自己紹介をしてくる。
「わたくしはネフ。ネフというのは第一文明語で、輝ける未来という意味ですわ。魔術師ギルドに現れた十年に一度の天才、範囲攻撃魔法のネフとは、このわたくしのことですわ!!」
ババーンという擬音がしたような気さえする、堂々とした名乗りだった。
しかし、なんだろう。
たぶん言ってることは本当で、才気溢れる使い手なのだとは思うが。
少し反応に困っていると、ネフは苦々しい表情でブータの方を指差し、勝手に喋ってきた。
「仰りたいことは分かりますわ! そこのブータさんは魔術師マーリアの再来と呼ばれていますものね! 十年に一度の天才と呼ばれてちやほやされていたのに、二百年に一度の天才が後から入ってきてしまった、この惨めさ! 笑いたいなら笑えばいいですわ!」
「……いや、笑う気なんて毛頭ないけど」
「そ、それならいいですわ!」
どうやら一人で勝手に盛り上がるタイプらしい。
ブータも少し彼女に気圧されていたようだが、隙を見て手を挙げる。
「あのー、それでネフ姉さん。わざわざ王都から来てもらったのは、円卓の騎士の仕事に協力してもらいたいからなんですけどぉ……何かお師匠様から聞いてます?」
「もちろん全部聞いてますわ! 円卓の騎士の責務のことも、魔術師ギルドがその後援者の一角であることも、何年も前から知っていましたわ! マスターはわたくしにこの仕事をやらすために、長年教育していたのですわ!」
「なーんだぁ、そうだったんだ。それならネフ姉さんも、お師匠様も言ってくれればよかったのにぃ」
「後援者の鉄則は、円卓の騎士から要請があれば必ず応えること。そして要請がないのであれば黙すること、ですわ。でもアナタが円卓の騎士になったと聞いたときは、驚きのあまりうっかり喋りかけましたわ」
思ったより、事はスムーズに進みそうだった。
俺が現在の状況と、これから取る予定の行動について話すと、彼女はそれを一度で理解したらしく、聡明そうな、くりっとした瞳を輝かせて頷いた。
「事情は分かりました。それではわたくしは信用できるスタッフを集めて、この支部の書庫を漁って、二百年前にこの地に現れた滅亡級危険種の記述が残っていないか調べてみますわ。マスターにも同様に、本部の書庫を当たるようにお願いしておきます。危険種到来の当日も、人員を出しますわ」
「助かるよ」
俺はネフに手を差し出し、今度こそ握手を交わす。
案外頼りになりそうな少女だった。
これでこちらの用件は済んだわけだが、ネフはまだブータに用があるらしい。
さりげなく帰ろうとする、彼の腕をがっしりと掴む。
「魔法王国への留学で、あの欠点は直りましたの?」
「う。ど、どうですかねぇ。たぶん? きっと? 直ったんじゃないですかねぇ。ええ、直りましたよぉ!」
「怪しいですわね……」
なんの話だかは分からないが、ブータが嘘をついているのは分かる。
ネフは両手の平を合わせると、目を細めた。
「そうだ。留学の成果を、このわたくしが直々に見て差し上げますわ! ミレアスさんにも立会い人をしていただきましょう。うん、それがいいですわ」
引き受けるなんて俺は言ってないのに、勝手に話が進んでいく……。
☆
『模擬戦室』というプレートのついたその広い部屋は、中央に奇妙な石の台座があるだけの、殺風景なところだった。
ネフは唯一の出入り口である扉に、重い閂を掛けると、石の台座に手を置き、こちらを向いた。
「これは第二文明期の遺跡で見つかった遺物ですわ。周囲の位相をズラし、星幽界へ部屋全体を移動させることができます。魔術師が実戦形式で経験を積むのに最適ということですわ」
なんとなく分かるような、分からないような。
とにかく俺は邪魔にならないように部屋の隅へと移動した。
ブータは困り顔で柔軟運動のようなことをしている。
ローブが大きいせいで、何をしてるのかイマイチ分かりにくいが。
「戦場は……そうですわね。これでいいでしょう」
ネフが石の台座の上で、指を滑らす。
すると、部屋の壁や床、それに台座が、瞬きする間もなく消失し、代わりに、辺り一面、見渡す限りの草原になった。
これには俺も度肝を抜かれた。
「す、凄いな」
「これが星幽界ですわ。わたくしたちの住む世界と、ほんの少しだけズレた異界。みんなで同じ夢を見ているようなものだと思っていただければいいですわ」
なるほど。その例えは分かりやすい。
第二文明は、現代よりも遥かに高度な魔術体系で栄えていたと聞くが、まさかこんなものが日常的にあったのだろうか。
ネフはローブの中から、菜箸くらいの小さな杖を取り出すと、やや離れたところに立つ弟弟子へと向けた。
「それでは準備はよろしくて? ブータさん」
「は、はいぃ!」
ブータが構えているのは、彼の背丈くらいの杖。
杖の大きさは、魔術補助の能力には特に関係ないと聞く。
俺の意思とは無関係に始まった試合だが、実戦の前に、彼がどんな使い手なのか知れるのは貴重なことだと言えた。
杖を構えあったまま微動だにしない二人を、一瞬たりとも見逃すまいと、じっと見つめる。
緊張の糸が張り詰める――が、いつまで経っても、二人とも動かない。
やがて、ネフは、こほんと咳払いをすると、俺の方にばつが悪そうな顔を向けてきた。
「あの、ミレアスさん。始まりの合図をいただけます?」
ああ、そういうのを期待されてたわけね。
そういや勝手に立会い人にされてたな。
彼女たちの中では、すでに決定事項だったようだ。
「それじゃ……うん。どうぞ」
俺のあまりにも適当な掛け声で、姉弟弟子対決が始まった。
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【第三席 ブータ】
忠誠度:★
親密度:★
恋愛度:
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