第三十六話 アルバムを見せてもらったのが間違いだった
統一戦争終結前――すなわちウィズランド王国成立以前の、群雄割拠の戦乱期、南港湾都市は、残虐なる海賊たちの根城であった。
その略奪の手は、島の近海、沿岸はもちろんのこと、大陸にまで及び、ウィズランド海賊と呼ばれ、大いに恐れられたという。
そんな暴力がすべてを支配する無法の街に転機が訪れたのは、天聖機械と魔神が解放され、島中が大混乱に陥ったときだ。
このとき、ウィズランド海賊は二派に分かれた。
すなわち、大陸の混沌都市に移住し、海賊行為を続ける一派と、海賊女王エリザベスの元に結集し、統一王に恭順する一派とに、である。
現在、港湾から突き出た防波堤の先端には、手持ち灯を義手で掲げる、豪快な女性の姿をした大灯台が建っているが、これは初代円卓の騎士の一人にも数えられるエリザベスをモデルにしたものだと言われている。
西の山脈に陽が沈んでいく中、その大灯台を横目に、海岸沿いに貴族の別荘が立ち並ぶ通りを歩いていく。
同行者はリクサ一人だった。
浜辺での決起集会を終えた彼女は、動きやすそうなノースリーブのブラウス姿になっている。
「あちらです、ミレウス様」
リクサが指し示したのは、通りでも群を抜いて豪華な一軒の館。
前に彼女と訪れたラヴィの別荘も立派ではあったが、これは格が違う。
この大都市、南港湾都市は普段、国の直轄地であり、そこを治める貴族もいない。
しかし、もしいたとしたら、こんな館に住んでいることだろう。
それに相応しい規模と絢爛ぶりといえた。
堅牢な鉄柵に囲まれた敷地内へと足を踏み入れる。
お忍びで行くと事前に連絡しておいたためか、館の前で待っていたのは老執事一人だった。
彼はリクサと俺に深々と礼をして、中へと入れてくれる。
シャンデリアの吊るされた玄関ホールから二階へと上がり、待機室らしきところへ通される。
俺はそこで、姿を欺く腕輪、匿名希望を外した。
すると、すぐに奥の扉が開き、応接間へと通される。
そこで待っていたのは、リクサと同じ白銀の髪を後ろになで上げ、見事な顎鬚を生やした老人。
六十は齢を重ねているだろう。
しかしその眼には、今なお、強い覇気の光を宿している。
諸侯騎士団の先の高位将軍にして、四大公爵家の筆頭。
コーンウォール公エドワードである。
☆
「大陸からの道中、嵐に巻き込まれ、帰還が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます」
堅苦しい臣下の礼を済ませた後、エドワード老人は、またお堅い宮廷式の謝罪をした。
俺は上座のソファにリクサと共に座り、出された上等な紅茶を飲みながら、片手を振ってそれを許す。
「天候はどうしようもないし、なによりこっちが急に呼び出したんだ。気に病む必要はない。貴方が無事でなによりだ」
王になってからしばらく経つが、こういった大貴族と面会する機会もそれなりにあった。
最初のうちは緊張していたものだが、今はもう、それらしく振舞うのにも慣れてしまった。
立場は人を作るというが、つくづく人間というのは恐ろしいものである。
エドワード老人は俺の態度を見て、白い歯を見せ笑う。
「ご即位後すぐの戴冠式以来ですな。あの時はまだ硬いところが見られましたが、今はもうすっかり王としての振る舞いをなされている」
「板についてきたってことかな」
「はい。やはり一度、死線を越えられたのが大きいかと」
先日の決戦級天聖機械アスカラの討伐のことを言っているのだろう。
その口ぶりから彼が円卓の騎士の責務――過去より訪れる滅亡級危険種のことも、それに対処するために円卓が存在することも、それを補佐するための機構が国中に張り巡らされていることも、すべて知っていると窺えた。
四大公爵家の筆頭にして王国の最重鎮である彼が知らなければ、いったい誰が知っているのかという話でもあるが。
彼も口にしたが、リクサの遠縁のこのフランクな老人とは、即位の数日後くらいに王城で行った王冠を被る儀式の際に一度会っている。
国中の貴族と聖職者を集めての盛大な催しものだったが、臣下を代表して挨拶をしたのが彼だった。
その際は少しばかし会話を交わしただけだったが、まさかこういう形で協力を依頼することになろうとは夢にも思わなかった。
彼は体の前で手を組み、正面のソファに座る俺とリクサとを同時に視界に入れる。
「アスカラの地上絵での件は、我々後援者の間でも話題になっています。今回の円卓の騎士の責務が始まったのだろうと噂されていますが、しかし誰も協力の要請を受けたものがいない。騎士と王だけで解決していくつもりなのか、とも囁かれています」
「そのあたりは騎士が揃う前に俺――王が誕生したからなんだ。そのせいで俺達は滅亡級危険種が現れる寸前まで責務や後援者について知ることができなくて、おかげであの戦いでは誰にも協力を仰ぐことができなかったんだ」
概要は俺が説明したが、残りはリクサが引き継いだ。
王が誕生すると、まず円卓会議で表決を行うこと。
それが通ると、責務について説明されること。
そして今回は王の誕生のタイミングがこれまでと異なり、そのため王都に必要な数の騎士が揃っておらず、表決を通すのがギリギリになってしまったこと……などを、エドワード老人に話した。
二人ほど、円卓会議をサボった騎士がいたことは伏せておくつもりのようだが、賢明な判断である。
すべてを聞き終えると、エドワード老人は口元を歪めたが、笑うに笑えないといった表情だった。
「我々後援者の鉄則は、円卓の騎士から要請があれば必ず応えること。そして要請がないのであれば、黙すること。しかし今回の円卓に限っては、それは失策であったようでありますな。危うく王都が灰燼に帰すところだったとは」
「君たちの責任じゃあないし、もちろん俺達の責任でもない。作ったやつが悪い」
「そうですな。責めるべきは魔術師マーリア――魔女ノルニルでしょう」
俺とリクサは、二人して固まる。
先ほどの話の中に、あの魔女の名は出さなかったはずだが。
俺達の反応を楽しむように紅茶をゆっくりと口へ運んでから、彼は話を続ける。
「責務について説明をするのが魔女であることは、先代王から伺っています」
「……そうか、貴方は前回の円卓のときからの協力者なのか」
「ええ。フランチェスカ様には色々手を焼かされたものです」
年齢を考えればその可能性は当然ありえたことだが、今になるまで思い至らなかった。
即位したあの日の夜に、俺に呼びかけてきた女性のことを思い出す。
あの人の戦友が今、目の前にいるというのならば心強い。
しかし――と、エドワード老人は顎鬚に手を当て、いぶかしげに尋ねてくる。
「王が生まれたのに円卓の騎士が魔女の元を訪れる様子がないのであれば、イレギュラーに対応するために存在する『システム管理者』が接触してくるのではと思うのですが」
リクサと顔を見合わせる。
システム管理者という単語には聞き覚えがある。
そう、これも魔女が話していた。
円卓とそれを維持するためのシステムを作った際、未来の不確定要素に対応するため、常にシステムを監視し、随時メンテナンスと修正を行う『システム管理者』も用意したと。
もちろん俺達はまだ、そんな人物と会ってはいない。
こちらの様子からそれを察したのか、エドワード老人が話を続ける。
「私も直接お会いしたことはないのですが、なんでも第一回の円卓のときから生きており、過去より訪れる脅威についても知っている人物だそうで。先代王はその人物から次に現れる滅亡級危険種の詳細を聞いて、対策を立てていました」
なるほど。
未来へ飛ばした脅威についての解説書のようなものを、なぜ作っておいてくれなかったのかと心の中で毒づいたことが何度かあったが、そういう情報源を用意しておいてくれたのか。
しかしそれが俺の前に姿を現さないというのであれば意味がない。
「第一回の円卓……つまり二百年以上前から生きてるってことか。ずいぶん長寿なんだな」
「エルフ、もしくは上位魔族か、強力な魔術師……単に魔法の品で命を永らえているだけかもしれませんが」
エドワード老人の並べた可能性はどれもありえそうに思えた。
しかし同時に懸念も思い浮かぶ。
「もしかして、今回の円卓の前に寿命が尽きたとかじゃ?」
「ありえますな。だとすると今回は、その助力なしで乗り切ることを覚悟せねばなりません」
「魔女本人から情報を得ようにも、もうどこにいるか分からないしな……」
アスカラとの戦いの数日後、シエナとナガレに頼んで、あの魔女の館を探しに行ってもらったのだが見つからなかった。
彼女自身も話していたが、館ごとどこかへ転移して眠りについたのだろう。
俺は深く嘆息すると、懐から黄色の光を放つガラス球を取り出し、エドワード老人に手渡す。
彼はそれを感慨深げに受け取って、その中に映る景色を覗き込んだ。
「時を告げる卵ですな。フランチェスカ様から、何度か見せていただいたことがあります。……しかし、陛下が円卓の騎士と共にこの地に来た時点で察してはいましたが、やはりこの南港湾都市が次の舞台ですか」
卵の中に映っているのは大灯台からこの街の中心部あたりまでの広い範囲だ。
アスカラの地上絵のときもそうだったが、出現位置の予測精度は高いとは言いがたい。
しかし前回の経験を持つエドワード老人には、これでも推測の種にはなるようで。
「ここまでの範囲が映っているならば、大型の天聖機械の線が濃厚でしょう。もちろん断定は避けるべきですが、魔神将ならば、もっと狭い範囲が映るはずですので」
「魔神はそこまで大きくないもんな……。そういう推測の仕方もあるのか」
やはり頼りになる。
卵を俺に返して、さらにエドワード老人は続ける。
「光り具合から察するに、危機が訪れるのはあと一月ほど後ほどでしょう。その間、私は諸侯騎士団の派兵の手配と、危機が近づいた際に行う街の住民の避難誘導の準備をいたします。陛下と円卓の騎士の方々はこの地に現れる脅威の正体の調査と、他の後援者への根回しをなさるべきでしょう」
「そうしよう。頼りにしてるよ、コーンウォール公」
俺の差し出した手を、エドワード老人はすぐに握り返した。
その年齢からは想像もできない、力強い手の平である。
老人は真面目な表情を崩すと、再び白い歯を見せて笑って。
「ところで。話は変わりますが、ミレウス陛下。お見せしたいものがございます」
と、彼が奥のキャビネットから持ってきたのは、何冊もの分厚い帳面。
それをローテーブルの上に広げて見せてくる。
途端、リクサが絹を引き裂くような叫び声を上げて立ち上がった。
それは、彼女の子供の頃の擬似投影紙が満載のアルバムだった。
砂場で無邪気に遊ぶリクサ。
動物園で兎を抱き上げ、笑顔のリクサ。
初等学校の入学式で、緊張した顔をしているリクサ。
「どうです? 実に可愛らしいでしょう。もっともっとありますよ」
先ほどまでの硬い表情はどこへやら。
完全に孫煩悩丸出しの、デレデレ顔の老人がそこにはいた。
「や、や、やめてください、お爺様!」
リクサは顔を真っ赤にして死ぬほど嫌がり、アルバムを隠そうとしたが。
俺は国王権限で、彼女にソファで大人しく座っているように命じると、それを隅から隅まで堪能させてもらった。
もちろん彼女からの好感度は、だだ下がりした。
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【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★[down!]
親密度:★★[down!]
恋愛度:★★★[down!]
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