第三十二話 エステに行ったのは間違いだった
花咲く春通りの一等地に位置する美容専門店、ビューティ・クロコダイルは、全国紙にも広告を出すような有名店で、ウィズランド島在住の女性みんなの憧れである。
……と、店に入る前に、円卓騎士団第十二席のラヴィは熱く語った。
義母さんが『行きたいわぁ、行きたいわぁ』と年がら年中呟いていたので、俺も、もちろん名前は知っていた。
アスカラくん討伐記念祝勝会のビンゴの賞品に、ここのマッサージ・エステ券、金貨二十枚相当を入れたのは、女性陣がもらったら喜ぶかなと思ったからなのだが。
しかしまさか自身がこの店に足を踏み入れることになろうとは――ましてや、その施術を受けることになろうとは夢にも思っていなかった。
それも、恋人同伴ラブラブコースで、とは。
☆
優美な造りのその店の最奥、香の焚かれたVIPルームで、俺とラヴィは服を脱ぎ、腰にタオルを巻いて、マーサージベッドにうつぶせで寝ていた。
彼女はその燃えるような赤い髪を、後ろで一つにまとめている。
天井から吊るされた薄い布で仕切られているので、はっきり見えるのは彼女の肩や脇のあたりまで――いや、大きすぎず、小さすぎない、その胸の麓くらいまでだ。
それより下はシルエットだけだが、それはそれで扇情的。
しかし最も俺の目を惹いたのは、適度な加湿と暖房の元、綺麗なエステティシャンのお姉さんにアロマオイルを全身に塗られ、気持ちよさそうに脱力する彼女の表情だった。
一言で言えば、なんだかエロい。
見ているだけで、ドキドキしてくるような顔である。
ただ、施術されているのは俺も同じ。
くすぐったさと、心地よさで、すぐに目を開けていられなくなる。
暗闇の中、あー……という彼女の間延びした声が届く。
「気持ちいいねぇ、ミレくんー」
「そうだねぇ」
人肌と同じ程度に暖められた、ぬるぬるのオイルに包まれて受ける全身マッサージは、この世のものとは思えない、至福の快楽であった。
エステティシャンさんの技はまさに巧みで、まるで腕が四本あるかのように、絶え間なく、時に優しく、時に激しく、俺の体をほぐしていった。
抗いがたい魔力で体を支配されたかのように、全身から力が抜ける。
この技を、ここで覚えて、義母さんに施してやったら喜ぶかもしれないが、視覚情報なしでは何をやられているかもよく分からない。
「あら、お客様。こちらの腕輪は、外して構いませんか?」
「ああ、それは!」
俺にマッサージしてくれているエステティシャンさんが触れたのは、姿を欺く腕輪、匿名希望。
流れるように外そうとするのを、慌てて止める。
「それは俺の理性を保つために必要な腕輪なんです! それを外すと野獣になってしまうんです! 周りの女性に見境なく襲い掛かるようになってしまうんです!」
「は、はぁ。ではそのままで施術を続けますね」
困惑させてしまって申し訳ないが、それを外されてしまうと、マッサージを受けてアホ面を晒しているのが、国王だとバレてしまうのだ。
国の威信のためにも、ここは譲るわけにはいかない。
まぁそんな具合に色々あったが。
ボディケアに海藻パック。
フェイシャルトリートメントに岩盤浴。
その他諸々、計三時間に及ぶ施術を受けて、俺達はすっかりリフレッシュしたのであった。
☆
ラヴィと二人、バスローブに身を包み、待合室で術後のハーブティーを飲みながら、一息つく。
彼女は鼻息荒く、袖をめくると、二の腕を俺の方に差し出してきた。
「ミレくん、ミレくん。どう? 触ってみ? つるつるだよ。剥いた、ゆで卵みたいになってるよ」
「そんなん言ったら俺だって、つるつるだよ。おんなじメニュー受けたんだから」
彼女と二人、互いの腕を触りあって、ひとしきり笑う。
昼過ぎくらいに入ったから、もう外は夕暮れが迫っているはずだ。
ほとんど横になっていただけなのに、だいぶお腹が空いてきていた。
どうやらラヴィも同様らしく、その腹から、ぐぅーと遠慮のない音が聞こえてくる。
彼女はそれを隠す様子も見せず、そうだ、と手を叩いた。
「この間、アスカラくん倒したときの夕飯の約束! 今日、履行してもらおう!」
「ああ……この後も暇だし、それはいいけど。先に言っといてくれれば、どこかいい店予約しといたんだけどな。今から入れるいい店あるかなー」
そもそも、彼女の、このエステへの誘いも急すぎたと思う。
ふと今朝思い立って誘ってみたと語っていたが、もう少し計画的に行動してもらいたいところではある。
今から入れそうなところで、彼女が満足しそうなお店といえば。
「高級焼肉店、ジョン=ジョン・エンドール……も、予約なしだと入れるか分からないんだよな」
「あ、その焼肉屋、この間、ヂャギーくんと一緒に、孤児院の子たち連れていったらしいじゃん。いいなぁ。アタシも行きたかったなぁ」
なんだかラヴィが、恨み言を呟いてくるが。
「ヂャギーはキミの家に誘いに行ったらしいけどね。留守だったって嘆いてたよ。……そういや、あのとき、どこへ行ってたのかな、キミは」
やぶへびだったか、とラヴィが苦い表情を作る。
「い、いや、ちょっと、南港湾都市まで遊びにね」
「めちゃめちゃ遠出じゃん! 王都から出るときは連絡するように、あれほど言ったのに」
「ごめんごめん。今度からはちゃんと連絡するからさぁ~」
彼女は両手を合わせて頭を下げてくるが、とてもではないが信じられない。
それはそれとして、夕飯か。
「王城の、料理人にフルコースを作ってもらうってんじゃ、ダメだよね?」
「うーん、王城……王城ねぇ」
彼女はしばし逡巡していたが、やがて思いも寄らないことを要求してきた。
「そうだ。それじゃあミレくんの手料理を食べさせてよ!」
「は? 俺の?」
「そう。王城の厨房借りて! なんか作って!」
「……まぁ別にいいけど」
彼女がそれで満足してくれるのならいいのだが。
「言うまでもないと思うけど、そんな凝ったのはできないよ? そこらのお店行ったほうが絶対美味しいの食べられるよ?」
念押しするが、彼女は期待の眼差しを俺に向けるだけ。
お調子者の端くれとしては、それに応えてあげたくはなる。
「苦手な食べ物とかある?」
「ないよ。なんでも食べる」
「じゃあ逆に食べたいものとか」
「ミレくんの得意料理でいいよ」
それならやはりアレなのだが。
十中八九、食材がない。
☆
王の食事の間。
何十人もが同時に食事をとれる、長い食卓で。
一番奥の席、つまり上座に、ラヴィがニコニコ顔で座っている。
俺はそこへ料理を乗せたトレイを運んできた。
待ってましたと、彼女が拍手をする。
「厨房を借りようとしたら、おやめくださいって料理人たちに、めちゃくちゃ止められたよ」
「アハハ! そりゃそうでしょ。自分たちの料理に不満があるのか! って思われたんじゃないの」
「ちゃんと説明したら分かってもらえたけどね。あとで周りにも、しっかり根回ししとかないとな……」
料理一つ、自由に作らせてもらえないのが王というものである。
ラヴィはフォークとナイフを手に持って、待ちきれないといった様子で、俺の持つトレイに視線を投げかける。
「さて! それで今日は何を食べさせてくれるのかな、ミレウス料理長どの!」
「俺の田舎風の海老三昧定食……ですぞ、ラヴィ女王さま」
王様ゲームをしているわけではないが、恭しく、お辞儀をして。
彼女の前にトレイを置く。
フルコースなんて洒落たものではないが、品数は揃えたつもりだ。
普段は金を出されても、こんなには作らない。
前菜として、森で採れた茸と山菜の蒸し物。
主菜は海老の刺身に、海老の塩焼き、海老フライ。
小さなグラタンに、きゅうりの浅漬けと、卵焼き。
そして、大盛りのご飯と、鶏肉と豆腐とねぎの吸い物。
デザートとして、ヨシュアの実のゼリーが冷やしてある。
「おー、美味しそうじゃん! いっただっきまーす!」
ラヴィはうきうきした様子で、両手を合わせ、さっそく食べ始める。
副菜、主菜と、ちょこちょことを口へ運び、ぐっと握り拳を作る。
「い、いける! これは三ツ星料理店にも負けてないよ!」
「それは言いすぎ……っていうか、贔屓目なんじゃないかな」
しかし褒められて悪い気はしない。
料理をしたのは久しぶりだったが、どうやら腕は鈍っていないようだ。
「料理できたんだね、ミレくん」
「多少は作れるよ。宿屋の息子だからね」
「ほーう、それは初耳。でも言われてみると、宿屋の息子って雰囲気あるかも」
「どんな雰囲気だよ、それ」
苦笑して、隣の席に腰を下ろす。
すると彼女は、フォークをこちらに渡してきた。
「あーんって、して」
「はい、あーん」
適当に、海老の塩焼きの身を、彼女の口に運んでやる。
それを咀嚼し、嚥下してから、彼女は不満顔で言ってきた。
「恥ずかしげもなくやられると、それはそれで面白くないなぁ」
「注文が多い」
ふっふ、と彼女が笑みをこぼす。
「王様に料理させて、さらに、あーんって、してもらうって最高の贅沢かもね。そこはホント、三ツ星料理店での食事より、ずっと貴重な体験だと思う。こちらを選んでよかった」
満足いただけたようで何よりである。
彼女はそのまま料理を平らげていったが、そのうち、ふと手を止めた。
「ミレくんは食べないの?」
「ラヴィが残したのを食うよ。宿屋でも客が残したもんが俺の飯だったし。だから少し量多めにしといたんだよ」
「ええ……それは大変だね」
そうだろうか。
子供の頃からずっとそうだったし、特に不満に思ったこともなかった。
腹が減っていれば料理している間に、つまみ食いとかよくしてたし。
ラヴィは海老フライにタルタルソースをつけて口に放り込み、しみじみと呟く。
「でも、なんだか懐かしい感じだよ。昔はよく、こういう料理食べてた気がするなぁ」
「ホントは海老じゃなくて、ザリーフィッシュっていうのを使って作るんだけどね。王都だとどうも手に入らないらしくて」
「なにそれ。魚なの?」
「魚……なのかな、あれは。ちょっと形容しがたい。そうだ。そのうち中庭のあの池で養殖でもしてやろうかな」
この間、祝勝会の王様ゲームのときに泳いだ池だが、十分な広さがあったし、天敵となりそうな魚もいなかった。
これはいい思い付きだ。
今度、真剣に検討してみよう。
すると、ラヴィの方も、なにやら思いついたらしく、指を一本立てる。
「そうだ! いつになるか知らないけど、円卓の騎士をやめたら、田舎の宿屋で若女将をやるのもいいかも!」
「……ド田舎すぎて遊ぶ場所もないよ。俺のとこは」
ちっちっち、と彼女は、立てた指を左右に振って。
「田舎は田舎の遊び方があるでしょ。山登りとか、川で泳ぐとか。アタシは別に都会の遊びしか知らないわけじゃないからね」
「でもやっぱり、そのうち都会が恋しくなるんじゃない?」
「そうならないように、それまでに都会は遊び倒しておくから大丈夫!」
ふーむ。
ま、確かに俺も何年も王都で暮らしていたら、あの田舎が恋しくなるかもしれないし。
王様やってる間に蓄財して、のんびり宿屋の亭主……というのも悪くはないか。
「じゃあ俺もそれまでに、ビューティ・クロコダイルのあの技を覚えないとな」
「え! あれをミレくんもできるようになるの!?」
「マッサージ受けながら、覚えようかな、とは思ってた。そうだ。今度、王の権限で王城に呼び出して、直々に伝授してもらうってのもいいな」
「やったー! それじゃあ、毎日マッサージしてもらいたい放題だよ!」
してあげるとは、一言も言っていないが。
でも、彼女が喜ぶなら、それもいいだろう。
「やっぱりミレくんも一緒に食べようよ」
「うーん、そうだね。腹減ったよ」
ナイフとフォークを持ってこさせて、彼女と共に、一つのトレイの上で食事をとる。
彼女と二人、こんな風に夕飯を食べる田舎暮らしのことを、ほんの少し想像したが。
屈託のないニコニコ笑顔を見ていると、それも案外、悪くはないかもしれないと思えてくるから、不思議なものだ。
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【第十二席 ラヴィ】
忠誠度:★★
親密度:★★
恋愛度:★★★★★[up!]
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